110 .クレーブスを勧誘する
ことごとく緊張感を壊すアイビーに、とうとうクレーブスは折れてくれたのかナイフを腰に差し直している。
「アイビー、木と話せたんだな」
クレーブスに淡々と話しかけられ、アイビーは会話をしてくれる姿勢が嬉しくて笑顔を返した。
「うん。でも、これ秘密だよ」
「興味ない」
「クレーブスはそう言うと思った」
「そうか」
誘拐された時と変わらないクレーブスに、アイビーは恐怖も不安も湧いてこない。
「ねぇ、クレーブス。護衛騎士になりに来てくれたんだよね?」
「違う。時間まで隠れていようと思ったら、アイビーたちが来たんだ」
「私の護衛騎士になったら隠れなくていいよ」
明るく話すアイビーを、呆れたように見たクレーブスの視線が、チャイブに向いた。
「アイビーにどう言えば伝わる?」
「無理だ。護衛騎士になるまで諦めねぇよ」
「諦めさせるのが、あんたの仕事だろ?」
「悪いが、クレーブスのことは、公爵であるクローム様も雇っていいと承諾済みだ」
「公爵がそれでいいのか?」
「いいんだよ、それで」
アイビーが大きく頷いていると、カディスが掴んだままのアイビーの腕を揺らしてきた。
「何がどうなっているの?」
「えっと、クレーブスはものすっごく強く……ん? 強いよね? うん、強くて、誘拐された時に私を保護? してくれていた人なんです」
「どうして所々疑問形なの」
アイビーがあやふやな言葉になってしまったのは、クレーブスが闘っているところを見たことがないし、誘拐犯に対して保護という言葉を使ってよかったのか分からなかったからだ。
だけど、そのままをカディスに伝えると更に詰め寄られそうな気がしたので、アイビーはえへっと誤魔化すように笑った。
アイビーの笑顔は可愛くて最強なのだ。
美的感覚が歪んでいるカディスにだって、少しは通用するはずだ。
アイビーの考え通り、カディスは「まったく」と息を吐き出し、「あの男が世話をしてくれた人なんだね?」とだけ尋ねてきた。
「そうです。クレーブスがいてくれたから、怪我をせずに済みました」
やっと納得してくれたようで、掴んでいた腕を離してくれた。
自由になったアイビーはクレーブスに駆け寄り、クレーブスに抱きついた。
嘆息が2つ重なって聞こえてくる。
考察しなくても、間違いなくカディスとチャイブだろう。
「クレーブス。あの時の約束は、まだ有効だよ」
「守る必要はない」
「守るよ。それに、クレーブスを逃さないよ」
掴んでいる服をギュッと握ると、ゆるゆると顔を横に振られた。
「俺が裏切ったと分かったら、ここは狙われる」
「すでに狙われてる。それに、悪いが毒林檎を潰すのは決定している」
言葉を挟んできたチャイブに面持ちを向けたクレーブスは、「そうか」と小さく溢した。
そして、瞼を閉じた。
アイビーは、考え込んでいるクレーブスを真っ直ぐ見つめる。
数秒後、ゆっくりと目を開けるクレーブスと視線を合わせ、にっこりと愛らしく微笑んだ。
どうかチャイブも認めてくれている笑顔で絆されてくれますようにと。
「アイビー、護衛として雇ってもらおう」
「やった!」
「ただし条件がある」
「なに?」
「探し人が見つかったら辞めさせてほしい」
「うん、分かった。でも、続けられそうなら続けてね」
クレーブスが小さく頷いてくれることが嬉しくて、抱きついたまま飛び跳ねた。
目元を和らげるクレーブスと微笑み合っていたら、近づいてきたカディスにクレーブスから引き剥がされる。
不機嫌を露わにしている姿に、ハッとした。
「放ったままですみませんでした」
「違う!」
チャイブから吹き出したと分かる笑い声が聞こえ、フィルンは肩を揺らして声を我慢している。
カディスはチャイブとフィルンを睨んでから、なぜかクレーブスにも鋭い視線を投げた。
「アイビーの護衛なんでしょ。護衛なら護衛らしくアイビーを守るだけだからね」
「ああ、そうだな」
淡々と了承するクレーブスに、カディスは鼻筋を歪ませて地団駄を踏みそうになっている。
何が何だか分からないアイビーは不思議そうに周りを見渡し、楽しそうに笑っているチャイブに後から教えてもらおうと思った。
「クレーブス、使用人の服を持ってくる。その間に逃げないでくれよ」
「大丈夫だ」
制服を取りに立ち去るチャイブを見送ってから、アイビーはその間に聞きたいことを聞いておこうとクレーブスに話しかける。
「クレーブス、手紙ありがとう」
「いい。こうなるなら、手紙じゃなくて言いに行けばよかったな」
少しだけ後悔しているような言い方が面白くて、アイビーはクスクス笑った。
「手紙?」
「はい、今日の誕生日パーティーで眠り薬が使われるって教えてくれたんです」
真剣な顔で頷いたカディスは、クレーブスを見据える。
「こっち側になるんだから、全部教えてくれるよね?」
「ああ」
「僕に渡された手紙、あれは罠だよね?」
——やっぱりカディス様の方で何かあったんだ。お兄様とエーリカ様が関係あるのかな? 聞かれたの、そんな内容だったよね。
「そうだ。あんたの飲み物に眠り薬を入れて、回収する予定だったんだ」
アイビーは目を見開くが、カディスは冷静にフィルンと目配せをした。
「僕1人だけ? どこに運ぶ予定だったの?」
「運ぶのは、エーリカという少女の部屋だ。目覚めた時には、汚されたエーリカが隣にいるはずだった」
「もう少し詳しく話して」
クレーブスに見られたので、愛らしく微笑みながら小首を傾げてみた。
でも、クレーブスは表情を変えずに、両手でアイビーの耳を塞いできた。
本来ならくぐもった音が聞こえるはずなのに、音という音が聞こえない。
「これもクレーブスの魔術なのかな?」とワクワクしてくる。
音がない世界で静かに待っていると、隣で何かを話しているカディスは苦々しい顔をした。
でも、その後に安心したように息を吐き出していたので、よくないけどよかったことだったんだろう。
やっと耳から手が遠ざかると、チャイブの声が聞こえた。
音が聞こえていなかった間に戻ってきていたようだ。
チャイブはクレーブスに制服を渡すと、アイビーを半回転させた。
疑問を問う前に、衣擦れの音が後ろから耳に届く。
クレーブスがこの場で着替えているのだと納得した。
「カディス様、気になったことの答えは聞けましたか?」
「うん、よくなかったけどよかったよ」
想像していた答えを言われ、可笑しくて笑ってしまった。
訝しげに見てきたカディスだったが、肩をすくめるとアイビーのこめかみを優しく突いてきた。
「アイビー、できれば僕に隠し事はしないでほしいんだけど」
「チャイブ次第です」
「チャイブかー、チャイブはなー」
「全部秘密にしてもいいんですよ、殿下」
チャイブが目の前にいるのに、聞こえないわけがない。
カディスは、分かっていて不満声を出したんだろう。
だから、これは不安の種を拭えた安堵感からのじゃれ合いなんだと思う。
「本当、不敬罪で捕まえるよ」
「ん? 途端に聞こえなくなったな」
「チャイブ!」
アイビーも眠り薬の件が対処できそうで、気になる点はなくなった。
ラシャンの誕生日パーティーを成功で終わらせられる予感に心が軽くなり、カディスとチャイブのやり取りに声を出して笑ったのだった。
アイビーの精霊魔法ってある意味チートなんですよねぇ。
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