109 .この手を使わない手はない
アイビーの支度が終わった頃、チャイブがカディスとイエーナと共に姿を現した。
アイビーとレガッタをエスコートさせるため、一緒に来たそうだ。
「丁度いい時間でしたね」と、チャイブだけ満足そうに頷いていた。
「エーリカ令嬢から、ラシャンのことを知りたいから協力してほしいって言われてたりする?」
会場に向かっている途中で、カディスが小声で問いかけられる。
「いいえ、していません。エーリカ様はお兄様のことが知りたいんですか?」
「知りたいんじゃない? まぁ、でも、ラシャン本人と話せってことでいいと思うけどね」
「そうですね。その方が仲良くなれたと感じて嬉しいと思います」
「僕もそう思うよ」と相槌を打ってくれたが、カディスの心がここに在らずというのは察しられた。
自分から内緒話のように話しかけてきたのに、1人だけで何やら考えている。
——そういえば、チャイブと一緒に来たよね? 私にクレーブスからの手紙があったみたいに、カディス様の方でも何かあったのかな?
詳しく聞きたいが、今は会場に向かっている最中だ。
側にはレガッタとイエーナがいる。
ずっとこそこそ話していたら、きっとレガッタは興味を持ってしまうだろう。
楽しそうにしているレガッタを巻き込みたくない。
会場に到着すると、ちょうどフォンダント公爵とエーリカが両陛下に挨拶をしているところだった。
その場所にクロームとラシャンもいる。
アイビーも加わるべきかどうか悩んでいたら、カディスに「あっちで待機していよう」と、まるでラシャンたちから離れるように連れて行かれた。
レガッタは「イエーナとデザートを見てきますわ」と、なぜか建物の外に行ってしまった。
どうして庭に並んでいるデザートの方を選択したんだろう、と首を傾げてしまう。
ただレガッタたちが側にいない今が、チャンスになることは間違いない。
「カディス様、実はやってみたいことがあるんですが、お付き合いしてもらえますか?」
「いいけど、何をするの?」
「チャイブに怒られるかもしれないことです」
会話が聞こえているのだろう。
チャイブの笑みが深くなり、フィルンは横目でチャイブを窺っている。
まぁ、アイビー自身聞こえていてもいいと判断して話している。
どっちみちすぐにバレると分かっているからだ。
「わざわざ怒られることをするの?」
「はい。これを使わない手はありませんから」
「ふーん。アイビーがいいならいいよ」
「ありがとうございます。温室に行きましょう」
頷いてくれたカディスが急ぎ足で会場から離れようとしたので、何となくカディスもレガッタも王妃殿下には会いたくないんだろうと気づいた。
はじめからちゃんと認められていなかったが、婚約をして1年が経とうとしているのに、今になって拗れてしまったことが悲しくなる。
「わたしが治癒できるって分かれば大丈夫なのかな?」と考えかけたが、精霊魔法のことは内緒にすると決めたことだ。
だから、その解決法は取りたくない。
それに、陛下は知っている。
もし王妃殿下に話しているとしたら、治癒ができる云々ではなくエーリカだからという理由になってしまう。
アイビーはアイビーでしかなく、エーリカにはなれない。
なりたいとも思っていない。
だって、周りが惜しみなく愛を注いでくれているのだから。
違う誰かになりたいなんて、そんなのは愛してくれる人々を傷つける行為になる。
「アイビー、どうかした?」
「いいえ、何でもありません」
カディスに問われ、満面の笑みを返した。
チャイブが、「アイビーの笑顔は最強だ」と教えてくれた。
だから、笑顔を絶やさず、いつでもどこでもアイビーらしく笑っていようと決めている。
その過程で、アイビーとして愛してもらえたら素敵な人生だと思う。
少し謙虚に述べてみたが、本音は可愛い貯金を頑張っているので愛してもらえる自信がある。
きっと王妃殿下に対しては、可愛い貯金が足りないだけだろう。
頑張ってもっと貯めたら、好意を持ってもらえるかもしれない。
そんな気がする。
温室に到着し、長期休暇中に相手をしてもらった木の場所までやってきた。
「チャイブ、周りに誰もいないよね?」
「いませんが……はぁ、殿下は知っているって教えるんじゃなかった」
カディスが怪訝な表情でチャイブを睨むが、チャイブは全くカディスを気にしていない。
「殿下にフィルン、本当に秘密でお願いしますね」
「言うわけないでしょ」
不機嫌な声で言い返すカディスと、無言で頷いているフィルンを見て、アイビーは許可が降りたと喜んだ。
無理なら、チャイブが2人に確認を取るわけがない。
だから、浮かれ気分で蝶々を手のひらから出し、「木さんと話したいの」と蝶々にお願いをした。
久しぶりに木と話せることも嬉しくて、アイビーの胸は弾んでいる。
アイビーと蝶々を凝視していたカディスが、何かを思い出したように体を揺らし、勢いよくチャイブを見た。
『久しぶりだな。今日は王子もいるのか』
「久しぶり! 元気だった?」
『ああ、お前さんは大変だったな』
「知ってるの?」
『そりゃあな。皆、面白いことがあったら話すからな』
「そうなんだ」
『それで、今日はどうした? ここで遊んでいる時間なんてないだろ?』
カディスとフィルンが目や耳を疑うほど驚愕していると肌で感じるが、そんなことよりも今は木との会話だ。
「教えてほしいことがあるの」
『言ってみろ』
「今日ね、眠り薬を使われるかもしれないんだけど、どこで使われるか分かる?」
『そんなことなら、後ろにいる奴に聞けばいいだろ』
「後ろの奴?」
何かと何かがぶつかる高い音が背中側から聞こえ、振り向いた。
だが、見えたのはカディス越しのフィルンの背中だった。
横から覗こうと体を斜めに曲げる。
「アイビー、危ないから隠れていて」
どうやら、カディスはアイビーを守ろうとしてくれたようだ。
そして、フィルンもカディスに危険が及ばないよう、カディスの前に立っているのだろう。
「大丈夫ですよって、クレーブス! チャイブ! その人がクレーブスだよ!」
さっき聞こえた音はチャイブがクレーブスにナイフで斬りかかり、それをクレーブスがナイフで弾いた音だったようだ。
張り詰めている空気に喜んでいるアイビーの声が響き、チャイブは項垂れるように息を吐き出してからナイフを懐にしまった。
クレーブスは、まだ警戒を緩めていない。
「アイビー、あの男を知っているの?」
「はい! 私の護衛騎士になってくれる人です!」
本当のことを告げたのに、カディスに瞳を瞬かせながら見られる意味が分からない。
今度は、アイビーがキョトンとしてしまう。
「あれは賊じゃないの?」
「今はそうですね。でも、私の護衛騎士なんです」
「いや、だから、えー、うーん」
頭を抱えるカディスは放っておくことにして、クレーブスに近づこうとしたらカディスに腕を掴まれた。
「ダメだよ!」
「クレーブスは大丈夫ですよ」




