100 .やるせないカディス
ヴェルディグリ公爵家での晩餐会が終わり、アイビーたちに見送られ、カディスとレガッタは馬車に乗り込んだ。
窓から手を振っていたレガッタは、アイビーたちが見えなくなると頬を膨らませながら背もたれに体を預けている。
「お兄様、どうしてアイビーに伝えてはいけないんですの?」
「聞いたら嫌な気分になるからだよ。知らなくていいことをわざわざ言う必要ないよ」
「でも、後から知った方が悲しいかもしれませんわ」
「母上が直接言わなければ知られることないよ。だから、どんな場だとしてもアイビーと母上を会わすようなことはしない。もし防げなくても『母上は多忙で狂った』って説明するよ」
レガッタが悲しそうに伏せる瞳に、カディスは自分の考えを話せないことに心苦しさを覚えた。
レガッタからすれば、本当に狂ってしまったのかと不安だろう。
口うるさいが、たまに優しい時もある。たった1人の母親だ。
カディスだって、できることなら喧嘩はしたくないし、仲良くできるなら仲良くしたい。
そう思っているが、どうしても母に対しての憤りが消えない。
「本当に何をふざけたことを」と腹立たしくて仕方がない。
ラシャンの婚約は、細心の注意を払って秘密裏に進められた。
母である王妃から漏れる心配があったわけではないが、ヴェルディグリ公爵家のことだし、政治について議論しているのは父である陛下なので、王妃の耳には昨日の夜になって初めて入ったのだ。
フォンダント公爵家は今日到着するし、ラシャンの誕生日パーティーでの発表なので、周りから尋ねられて知らないとだとプライドが傷つくだろうからという理由からだった。
王妃は、昨日の夜知った時は興味無さそうにしていたそうだ。
返事も「そうなの」という、たった一言だけだったと聞いている。
でも、今日になって急に態度を変えたのだ。
「エーリカ令嬢はキラキラと光る薄ピンク色の髪をしていましたから、プレゼントに温室に咲いているピンク色の花で花束を作りたいですわ。きっとお友達になれますわよね」
「温室の花だと母上の許可がいるよ。許可がいらない庭園でいいじゃないか」
「まぁ、お兄様。温室ですと、冬には咲かない花もありますのよ。冬の花だけでは淋しいですわ」
「どっちでもいいと思うけどな」
この時に強く反対しておけばよかったと、本当に後悔している。
レガッタが王妃に許可を取りに行き、「ピンク色の髪と瞳の可愛らしい女の子」という言葉に強く反応をした王妃が突如豹変した。
レガッタには「その子と仲良くなってカディスとの仲を取り持つのよ」と言い、カディスには「あなたの相手はエーリカ・フォンダントしかいないわ。本当にヴェルディグリ公爵の子か分からない子よりもエーリカ・フォンダントを選ぶのよ。これは、あなたの幸せのために言っているの」と吐き、陛下には「ラシャン公子の婚約は認められません。聖女になる子なのでしたらカディスに相応しいです」と迫った。
言い合いをする気にもなれず、家出をする勢いで「ヴェルディグリ公爵家に泊まってきます」と吐き捨てたのに、後から陛下に「今、物理的な距離をエーリカ令嬢と詰めているのはよくない。だから、必ず王宮にいなさい。それと、アイビーがいない場では絶対に会わないように」と注意された。
考えられるに、王妃があの手この手を使って、カディスとエーリカの既成事実を作ろうとするかもしれないということだろう。
自分の母親に対して、気持ち悪いと思ったのは初めてだった。
カディスにはアイビーという婚約者がいて、エーリカはラシャンの婚約者だ。
それなのに、ヴェルディグリ公爵家と縁を切る勢いでカディスとエーリカを結ばせようとしているのだ。
でなければ、陛下が頭を抱えながら、あんなことを言ってくるわけないのだ。
ヴェルディグリ公爵家に王妃の命令を聞く使用人はいないと信じたいが、カディスが会ったことがあるのはごく一部だ。
全員が全員、ヴェルディグリ公爵家に忠誠を立てているかどうかなんて分からない。
だから、嫌々でも王宮に帰るしかない。
陛下から注意された言葉をレガッタには伝えていないが、王妃が言った言葉の数々はその場にいたのだから知っている。
レガッタは、カディスと違い言い返していた。
泣きながら訴えるレガッタに胸が痛くなって、カディスがその場から連れ出したのだから。
レガッタも、今日はもう王妃に会いたくないだろう。
レガッタだけでもと考えたが、レガッタが落ち着くまで見張っていないとと思い、ヴェルディグリ公爵家に泊まらせないことにしたのだ。
こんな醜聞、誰かに知られるわけにはいかないのだから。
心が晴れないまま王宮に到着し、レガッタを部屋まで送り届けてから自室に戻った。
礼服を脱ぎながら、フィルンに問いかける。
「チャイブに聞いてくれた?」
「はい。きちんと『あれってエーリカのことなの?』と殿下が質問しておりますと伝えました」
「答えは?」
「『はい』とも『いいえ』とも返されませんでした。でも、微笑まれました」
「……ってことは合っているんだね」
小さく息が漏れ、苦悶するように眉間に皺が寄る。
「殿下、どうされました? 何がエーリカ令嬢と繋がっているんですか?」
「どうでもいいしがらみみたいなものだよ」
首を傾げるフィルンに手伝ってもらいながら入浴を済ませると、フィルンには下がってもらった。
ベッドの上で、母の今までの行動の意味を反芻し、泣きたくなる。
母の愛情に喜ぶべきなのかもしれないが、どうして今のカディスの気持ちを想ってはくれないのかとやるせなくなる。
どうしてティールが視たという未来に執着するのか、と問いただしたくなる。
ティールが視たというエーリカと結ばれたカディスがどれだけ幸せそうだったとしても、違う未来でだって大いに幸せなのかもしれないのに。
どうして……と何度も自問自答し、そういえばと不思議だったことを思い出した。
レガッタとラシャンの婚約を強く反対した、と言っていた。
レガッタは瞳が嫌いなんじゃないかと話していたが、あれはそんな単純な理由じゃないはずだ。
絶対にレガッタが不幸になる何かがあるということだ。
何がある?
ラシャンと結ばれて、何がどうなったらレガッタは不幸になる?
ヴェルディグリ公爵家が没落する?
ラシャンが死んでしまう?
カディス自身が考えたことなのに、息を詰まらせてしまうほどの衝撃を受けて、勢いよく体を起こした。
いや、もしそうだとしても、チャイブはきっと全部知っているはずだ。
それに、チャイブや母上が知っているのなら、師団長が知らないはずがない。
父上だって知っている可能性がある。
だから、大丈夫。ヴェルディグリ公爵家もラシャンも大丈夫。
深呼吸してから、倒れるように寝転んだ。
問いかけたところで答えは教えてくれないだろうが、チャイブに確認しないとなと、目を閉じて思考を無理矢理遮った。
金曜日は2話更新します。
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