93 .ラシャンの執事
12月に入ってから、屋敷は常に慌ただしかった。
ラシャンの誕生日パーティーの準備で忙しいのはもちろんだが、パーティー前にエーリカがやってくるのでエーリカの受け入れ態勢の支度でもドタバタしているのだ。
ラシャンの誕生日を5日後に迎えた本日、仲睦まじい夕食が終わり、クロームが「紹介したい人物がいるんだ」とラシャンに声をかけた。
祖父母は穏やかに微笑んでいて、シュヴァイとチャイブはどこか嬉しそうに見える。
「僕にですか?」
「そうだよ」
クロームがシュヴァイに声をかけると、シュヴァイはすぐに部屋を出ていき、1人の男の子を連れて戻ってきた。
ラシャンよりも2から3歳年上だと思われるシュヴァイと共にやって来た男の子は、コルク色の髪をスリーブロックヘアにしていて、モスグリーンの瞳から涙を流している。
「お、お、お初に……ぐす……お目にかかります……ぐす……ラシャン様の執事に就きました……うっ……エルブ・フォーリッジと申します……ううっ……末長くよろしくお願いいたしますっ……ぐす」
綺麗な所作ではあるが、いかんせん啜り泣く声が混ざっていて耳に入ってこない。
ラシャンは瞳を瞬かせていて言葉が出てこないようなので、アイビーは「先に話してもいいのかな?」と不安になりながらもチャイブに声をかけた。
「チャイブの隠し子を無理矢理連れてきたの?」
どことなくチャイブに似ているから気になって尋ねただけなのに、チャイブに鋭く睨まれてしまった。
「ここで聞いたらダメだったのかな」と首を傾げると、静かに出会いの場を見守っていたクロームたちはお腹を抱えて笑い出し、エルブは「私がっ泣いているかっらですよね。すすすみません」とさっきよりも涙を流しはじめた。
場の空気が動いたことでラシャンの思考が戻ってきたのか、体をハッと揺らした後、椅子から立ち上がってエルブの元に急いでいる。
そして、ハンカチで涙を拭っているエルブの手を掴んだ。
「嬉しい! 僕、ずっと君に会いたかったんだ! 何でも相談できるし、何でも支え合える僕だけの執事。ずっとずっと楽しみに待っていたんだ。僕の元に来てくれてありがとう、エルブ」
エルブはポーッとラシャンに見惚れていて、言葉も反応も返せないようだ。
クツクツと笑ったシュヴァイが、アイビーにいつもの完璧な笑顔を向けてくる。
「お嬢様。エルブは私の息子で、ラシャン様を支えるべく勉学や作法に勤しんでおりました。この度、ようやく試験を合格いたしまして仕えられるようになったのです。お嬢様とも顔を合わせる回数が多いと思いますので、お見知りおきください」
「うん、分かった。よろしくね、エルブ」
「よよろしくお願いしますっ」
アイビーの言葉に時を動かしたエルブは、再び泣きはじめてしまった。
アイビーは怒鳴ったり蔑んだりしていない。
可愛らしく微笑んで挨拶をしただけだ。
いつもなら頬を染め、照れたようにハニかみ笑いを返されるタイミングだ。
それなのに、エルブは啜り泣いている。
一体何に対して涙しているのか分からず、アイビーとラシャンが困惑していると、シュヴァイが苦笑いをしながらエルブの頭を撫でた。
「エルブは本当に泣き虫でして、嬉しくても悲しくても緊張をしても恥ずかしくても、とにかく気持ちが動いたら泣いてしまうんですよ。いっつも泣いていますので、気にされなくて大丈夫です。泣いているのが通常のエルブだと思ってください」
「ぐす……すみません……うっ……止めたくても、どうしても止まらないんです……」
安心したように息を吐き出したラシャンが、エルブに微笑みかける。
「エルブは心が豊かなんだね。面白い個性で、僕は気に入ったよ。でも、泣いてばかりだと目が痛くない? 大丈夫?」
「や、優しい……ううっ……ラシャン様、一生お仕えいたします……ぐす……この命、捧げますっ……」
おかしそうに笑ったラシャンは、「ありがとう」と掴んでいたエルブの手を柔らかく叩いてから、アイビーの隣の席に戻ってきた。
「お兄様が幸せそうで、私も嬉しいです」
「うん、家族がもう1人増えたようなものだからね。本当に嬉しいよ」
さっきラシャンの言葉にもあったように、本当にラシャンは自分の執事をずっと待っていたのだろう。
ポルネオにはジョイが、クロームにはシュヴァイが、アイビーにはチャイブがいて、ラシャンには誰もいなかった。
寂しいとか羨ましいとかの思いを、心に秘めていたんだろう。
だって今ラシャンは、座っているのにスキップし出してしまいそうなほど胸を弾ませている。
目を細め、口元を緩ませている。
大人になろうと背筋を伸ばしているラシャンは誇らしいが、気持ちのままはしゃいでいる姿はとてつもなく可愛い。
顔を綻ばせているラシャンや、ラシャンに慈しみの眼差しを向けているクロームたちに、アイビーは幸せで満たされたような心地になり、リズムに乗るようについ足をプラプラさせてしまったのだった。
――夕食後のラシャンの私室にて――
「エルブ。これからは僕とエルブは一心同体だからね。いい?」
「はいっ」
「じゃあ、何よりも大切なことを言うよ。絶対に守ってね」
人差し指を立てて真剣に見つめてくるラシャンに、エルブは鼻水を啜りながら唾を飲み込む。
「僕は誰よりもアイビーを守りたい。僕自身よりも」
エルブは父であるシュヴァイから「ラシャンは妹バカだ」と事前に教えられていたが、2人っきりになったはじめの会話がアイビーのことで瞳をパチクリさせてしまった。
ラシャンの執事兼護衛であるエルブにとっては、誰よりもラシャンを守ることが最優先事項になる。
それに、アイビーには魔術が使える叔父のチャイブがついている。
誘拐されたことがあると聞いているが、ラシャンよりもアイビーを優先させる理由にはならない。
「アイビーはね、可愛くて優しくて心が温かくて思いやりがあって強い意志を持っている。本当に悪いところが1つもない天使なんだよ。だから、みんなアイビーが欲しくなってアイビーを狙ってくるんだ。令嬢からの醜い嫉妬もある。僕は全ての悪意から愛くるしいアイビーを守りたい。でも、悔しいことに今の僕ではアイビーを守りきれないんだ。だから、エルブにアイビーを守る協力をしてほしい。僕とエルブが協力したら、きっとアイビーを悲しい思いから遠ざけられると思うんだ」
ラシャンの怖いくらいに意気込んでいる演説に、エルブは「あ、これ、本物の妹バカだ」とラシャンに対しての認識を『優しくて尊いご主人様』から『優しいけどネジが外れているご主人様』に変更したのだった。
次話からエーリカが登場します。
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