86 .本屋
ビスタと遊ぶ日、アイビーは学園を休んだ。
休店日が平日だったので致し方ないのだが、1人で登校することになったラシャンが泣きそうな顔で出発していったので少しだけ胸が痛かった。
昨日、今日休むことをみんなに伝えた時は、レガッタが「嫌ですわー。私も一緒に遊びますわー」とアイビーに抱きついてきた。
そして、カディスに「お兄様が負けるから悪いんですわ」と八つ当たりをして、名物になった兄妹喧嘩をしていた。
元を正せばレガッタが暴走したから発生した景品になるから、みんなカディスを憐れむように見たのだった。
「お嬢様、そろそろ出発いたしましょう」
「うん」
デートという約束だが、チャイブだけは護衛としてついてくる。
そのことはビスタにも了承をもらっているので、チャイブと共に公爵家にある1番小さな馬車で平民街に向かった。
「久しぶりに硬めの服を着た。去年までこれが普通だったのにね」
「そうだな。久しぶりに着るとゴワゴワさが分かるな」
アイビーが着ているのは平民の子供に見えるような服ではなく、本当に平民の子供が着用している服になる。
装飾を少なくしても生地が良ければ貴族と分かってしまう。
気兼ねなく遊ぶために、昔は着慣れていた服を今日は身に纏っているのだ。
「何をして遊ぶんだろうね」
「今は何が流行ってんだろうな。ビスタくらいの年齢なら縄跳びとか石当てとかか?」
「どっちも得意だから楽しみ」
「勝ちすぎるなよ」
「どうして?」
「どうでもいい勝負は勝ちを譲ってやるのが可愛い子のすることだ」
「ふーん、分かった。5回中4回は負けるね」
「いい判断だ」
頭を軽く撫でてきたチャイブは、思いついたように一瞬止まり、悪どい笑みを浮かべた。
——こういう顔をした時のチャイブって、本当にろくでもないことを考えているんだよね。でも、勝ち負けの話でしょうもないことを思いつけるのかな?
「アイビー、殿下と勝負する時は手加減なしでいいからな」
「いいの?」
「ああ、その方が殿下のためだ」
カディスを思い浮かべて楽しそうに口角を上げただろうチャイブに、アイビーは頬に指を当てながら首を傾げた。
「チャイブって、カディス様のこと好きだよね」
「そうか?」
「うん。カディス様とはたくさん話してるもん」
——この前だって揶揄っていたし、今だって名前出てきたもんね。好きな証拠だよ。好かれてよかったねだけど、チャイブだからなぁ。可哀想な気がするから、5回に1回は負けてあげよう。
「アイビーがそう言うのなら、お気に入りなのかもな」
肩をすくめるチャイブに、アイビーは「絶対そうだよ」と自信満々に頷いたのだった。
ビスタとの待ち合わせは東通り広場のベンチにしており、平民街に入ってすぐの馬車止めで馬車から降りた。
馬車を乗り降りするためだけの幅広の道なので、馬車は一旦公爵家に戻り、そして帰宅時間に合わせて迎えに来てもらえることになっている。
送ってくれた御者に手を振り、チャイブと並んで東通り広場に向かって歩き出した。
「ねぇ、チャイブ。あのお店に入ってみたいと思ってたの。入っていい?」
いつもなら馬車で通り過ぎるだけ道なので、ずっと気になっていたけど言えなかったのだ。
懐から出した時計で時間を確認したチャイブは、「少しだけだぞ」と寄り道を許してくれた。
アイビーの好奇心を刺激してきたお店は本屋で、開け放たれたドアと窓から本が見えていなければ怪しさ満点で誰も寄りつかないだろう店構えをしている。
「おじゃましまーす」
店員の姿が見えず、入店したことを示すように少し大きめの声で告げてから、所狭しと並べられている本に視線を滑らせる。
チャイブも興味深気に本棚を眺めている。
「おやおや、可愛いお客さんだね。いらっしゃい」
しがれた優しい声が聞こえ、現れたのは杖をついている腰が曲がっているお婆ちゃんだった。
皺が深く刻まれている目尻も相まって、とても柔らかい印象を受ける。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。気になる本でもあったかね?」
「まだ見ている途中で……それに、ずっと気になっていて入ってみたかっただけなんです。買うって決めてなくてごめんなさい」
「そういう意味じゃないから、気にしないでおくれ。手伝いをさせてほしかっただけだからね」
「ありがとうございます。じゃあ、質問してもいいですか?」
「なんさね?」
アイビーは本を見渡してから、改めてお婆さんと視線を合わせた。
「見たことがない本ばかりなんですけど、特別な本なんですか?」
アイビーが今まで手に取ったことがある本の表紙は、分厚かったり薄かったり重ねていたりの差はあるが紙か革ばかりだった。
だが、ここに並べられている本は、どれも木の板で装丁されている。
アイビーの疑問の答えをチャイブも知りたいのだろう。
お婆さんの方に体を向けた気配を後ろで感じた。
「違うさね。ここにある本は全て私の手作りなのさ。だから、全て1点ものなんさね」
「ここにある本全部、お婆さんが書いた本なの!?」
「そうさね。爺さんとね、昔した冒険を残したものさね」
「お婆さん、冒険者だったんですか!? すごい!」
「やだよ。照れるから止めてくれね。今はもうただのババアさね」
照れを払うように手を振るお婆さんに、アイビーは期待いっぱいの眼差しを向ける。




