80 .この国は嫌
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
バイオレットが、毎日たくさん送られてくるお茶会の招待状に目を通している時に、侍女が伝えに来た。
お父様が日中に家にいるなんて珍しいな。
うーん、今の時期って何も起こっていないと思うんだけどなぁ。
何かあったのかな?
「すぐに行くわ」
頭を下げて退出する侍女を気配だけで感じながら軽く机の上を整理し、専属侍女のシャルルを伴って部屋を後にする。
「ねぇ、シャルル。何か知っている?」
「いいえ、何も存じません」
ふーん、そっか。なら、何か頼られるとかじゃないよね。
予定が詰まりすぎてるから、これ以上はマジで勘弁なのよ。
父親の執務室に到着し、軽くノックすると侍女が顔を覗かせた。
お茶を用意しに来ていたようで、侍女は入れ替わりで部屋を出ていった。
紅茶の匂いが漂う部屋で、父親であるメイフェイア公爵は執務机で難しい顔をして座っている。
「機嫌悪そー」と思いながら、「ごきげんよう、お父様。お待たせしました」と挨拶をした。
「バイオレット」
「はい」
「嫌だと思うが、そろそろ婚約しなければいけなくなった」
ん? お父様には「ソレイユ殿下とは婚約したくありません。私はお父様のように非の打ち所のない方とがいいんです」って伝えてオッケーもらっているから……まさか!? 王家から打診があったから断るために他の家とってこと!?
え? え? それならラシャンがいい!
言っても大丈夫かな? ここを逃したらダメだよね?
父親の深くて重たいため息に、開きかけた口を閉じた。
「発表は来月だが、フォンダント公爵家のエーリカの婚約が決まった」
「ソレイユ殿下との縁談が纏まったんですか?」
早くない? まだゲーム始まってないよ?
出会うのが早かったから、その分前倒しになったとか?
そっかー、私があてがわれなくて本当によかった。
「それがな」
今度は困ったように息を吐き出している父親に首を傾げる。
「相手は、セルリアン王国ヴェルディグリ公爵家嫡男、ラシャン・ヴェルディグリ公子だそうだ」
「……え?」
聞き間違いだよね?
ラシャンって言った?
嘘だよね?
「バイオレットが嫌がったからソレイユ殿下の婚約者にエーリカをねじ込もうとしていたんだが、エーリカの婚約が決まってそれは叶わなくなった。まさか陛下が聖女候補を国の外に出すとは思わなかった。このままではバイオレットがソレイユ殿下とという声が大きくなってしまうだろう。だから、その前にバイオレットの婚約を決めたいんだ」
今まで頑張ってきたことが全て水の泡になったような気がして、叫びたくなった。
でも、発狂することはできない。
目の前で優しい口調で話しているこの男は、相手が子供でも女でも簡単に手をあげるクズだからだ。
ゲームの知識で知っていたので、殴られないためにずっと立ち回ってきた。
だから、一度も暴力を振るわれたことはない。
「王家に嫁がなくていい」と言ってもらえるほど大切にされてきている。
だとしても、いつ豹変するかは分からない。
手を強く握りしめ、歯を食いしばって気持ちを押さえつける。
「バイオレット? どうした?」
「すみません。驚いてしまって声が出ませんでした」
「そうだな。私も聞いた時は耳を疑ったよ」
「お父様。エーリカ様の婚約は、どのように決まったのですか?」
「セルリアン王家とヴェルディグリ公爵家の連名で、アムブロジア王家に打診があったそうだ」
「聖女を欲したというより、エーリカ様に惚れられたということですか?」
「どうだろうな。私としてはエーリカ嬢は人質じゃないかと思うんだよ。だから、バイオレットじゃなくてよかったと思うし、向こうも本物の聖女であるバイオレットだと断られると考えてエーリカ嬢にしたんじゃないかと。ただ、フォンダント公爵が抗議もせずに了承したと言うのが気になるけどね」
斜めに視線を落として考えながら話す父親を見つめる。
そして、引っかかったことを尋ねてみた。
「人質ですか? 何のために必要なんですか?」
ハッと体を揺らした父親は、誤魔化すように微笑んできた。
「昔にちょっと仲違いしてね。いつ戦争になってもおかしくない状態なんだよ」
は? 嘘でしょ?
そんなストーリーはなかったし、もしそこまで険悪ならカディスが留学に来るエピソードは何なの?
普通、来ないでしょ。
残り2年で仲直りするってこと?
えー、んー、昔は仲が悪くてみたいな話もなかったんだけどなぁ。
「怖い話をしてしまったね。戦争についてはこのまま時が流れることで消えていく話だから、バイオレットが心配する必要はないよ。だたセルリアン王国が保険をかけてきただけだろう。それよりも、バイオレットの嫁ぎ先を真剣に探さないといけない。誰か気になる相手はできていないか?」
その相手がラシャンだったのよー!
あーもー、こんなことならラシャンと知り合ってからとか、カディスに提案した後だからとか考えずに、ラシャンがいいってお願いすればよかった。
アイビーも教えてくれたらよかったのに。
転生仲間なんだからさ。私の危険回避を手伝ってよ。
って、どこまで覚えているのか分からないんだったわ。
でも、悪役令嬢のバイオレットが斬罪されるのは、さすがに知っていると思うのよね。
えー、あー、うーん……詰む……早く逃げないと詰む……
「お父様、その、聖女としての人質が必要なんでしたら、ヴェルディグリ公爵家に嫁ぐのは私じゃダメなんでしょうか?」
「何を……」
「私はラシャン公子の妹であるアイビー公女と手紙のやり取りをするほど仲良くしていますし、ブリスフル侯爵の分もエーリカ様を大切にしたいというフォンダント公爵と引き離すのは心苦しいですし」
ううっ……だって、聖女が2人ともセルリアン王国なんて絶対に無理に決まっている。
だから、苦しいけどこれしかない。
この国は嫌なの。隣国に行かせて。
「なんて優しい子なんだ。そうか、そうか。一度陛下に進言してみるよ」
「難しいことをお願いしてすみません……」
「気にしなくていい。私もソレイユ殿下にバイオレットは勿体無いと思っているからね」
「もう下がっていいよ」と言われ、執務室を後にした。
アイビーからの手紙って、まだ届いてないよね?
あー、もー、スマホがあればすぐに相談できるのに!
どうしよう、本当にどうしよう。
ソレイユ殿下だけは、絶対にない。
エーリカじゃなくて私でもいいって言ってくれないかな。
アイビーに援護射撃をお願いしたいー。
廊下を優雅に歩くが、心の中はハリケーン状態だ。
待っているだけなんて無理だわ。
うん、速達で手紙を送ろう。
助けてってお願いしよう。
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