77.帰ってきた
目を覚ますと、右手に温もりを感じて視線を向けた。
兄のラシャンがベッドにうつ伏せになっていて、つむじが見えている。
「アイビー、起きたかい?」
左側から声が聞こえて顔を向けると、柔らかく微笑む父のクロームが座っていた。
視線が合うと、クロームは身を乗り出し頬を撫でてきた。
「無事で本当によかった。アイビーがいっぱい頑張ってくれたから見つけることができたよ。頑張ってくれてありがとう。そして、帰ってきてくれてありがとう。おかえり、アイビー」
慈しみが溢れた声で伝えられ、胸が詰まった。
「ただいま」と返したいのに、涙が邪魔をして声を出せない。
クロームが覆いかぶさるように抱きしめてくれた振動でだろう。
ラシャンが「ん? アイビー、起きた?」と瞳を擦りながら体を起こしている。
そして、泣いているアイビーを見てクローム同様抱きついてきた。
「アイビー! 起きたんだね! よかった! もう大丈夫だよ。もう二度と僕は離れないって誓ったからね。いっつも一緒にいようね」
言われた言葉が引っかかって、瞳を瞬かせてしまった。
そのおかげで、ボロボロと流れていた涙で溺れずに済んだ。
きっと大袈裟に言ってくれているのだろうラシャンの優しさに、心が落ち着いていく。
「お父様、お兄様、助けに来てくださってありがとうございました。また会えて本当に嬉しいです」
やっと声を出せたことに安堵し、目いっぱい2人を抱きしめ返す。
「アイビー。私たちは君を助けられるまで、何度でも君を迎えに行くよ。だからね、この先また同じようなことが起こっても、会えなくなるなんてことはないよ。まぁ、もう二度と誘拐なんて怖い思いをさせないけどね」
「うん。そうだよ、アイビー。アイビーと離れ離れになるなんて絶対にないよ。もうアイビーがいない日々なんて嫌だもん。アイビーがいないと幸せになれないからね」
「ありがとうございます。嬉しいです、お父様、お兄様」
また涙がとめどなく流れはじめた時、冷静な声が聞こえてきた。
「はいはい。公爵様もラシャン様も分かりましたから、一度離れてください」
「嫌だ!」
「僕も嫌!」
——私もこのままがいいけど、チャイブが怒るかもしれないから離れなきゃ。チャイブにお礼を言いたいし。
アイビーはゆっくりと手を離すが、クロームもラシャンも嫌だ嫌だと首を左右に動かして戯れるように顔をすり寄せてくる。
擽ったくて笑うと、動きを止めたクロームとラシャンは朗らかに微笑んでからアイビーの声よりも大きな声で笑い出した。
「はぁ。我が儘言ってないで、は・な・れ・ろ!」
「っ!」
クロームが声にならない声を漏らしながら離れ、自分で背中を摩っている。
「ラシャン様も同じように引き剥がしましょうか?」
黒く笑うチャイブに、クロームの背中を力加減せずに叩いたのだと分かった。
顔を強張らせたラシャンが小さく首を横に振り、ゆっくりと離れていく。
「お前、本当に主人にすることじゃないからな」
「何度もお伝えしますが、私の主人はポルネオ様です」
「だから、私も主人だって言っているだろ」
「そうでしたっけ? いいえ、今はそれよりも……お嬢様、先に入浴をしてから食事にしましょう。お腹が空いたでしょう? 何か食べたいものはありますか?」
そう言われたらお腹が空いてきた。
やっと日常を感じられているからか、怖かった思いは消え失せている。
アイビーが起きようとすると、すかさずクロームが手を添えてきた。
そして、優しく頭を撫でられる。
「料理長が何でも作れるように食材を用意していたよ。だから、何を言っていいからね」
「はい。じゃあ、うーんと、アイスクリームと生クリームが乗ったフレンチトーストが食べたいです」
「かしこまりました。用意させます」
チャイブは目元を和らげてから、「ルアンを呼んできますね」と部屋を出て行った。
注意する人がいなくなったからか、すかさずクロームとラシャンに手を繋がれた。
「アイビー、どこも怪我していないんだね?」
「はい。クレーブスが守ってくれました」
「クレーブス?」
ハッとしたアイビーは部屋を見回した。
だけど、部屋にはベッド脇にいるクロームとラシャンの姿しかない。
「お父様、クレーブスを知りませんか? 私を運んでいた人で、誘拐犯ですけど私を守ってくれて、シャトルーズ子爵に渡した後に助けてくれるって依頼を受けてくれたんです。その代わりにクレーブスの大切な人を探す約束をしたんです」
クロームはほんの一瞬視線を逸らした後、何事もなかったかのように微笑んだ。
「アイビーを運んでいた人物なら消えたよ。投げられたアイビーを目で追った直後には、もういなくなっていたんだ」
「そ、うなんですね……クレーブス……」
「アイビー。もし大丈夫だったら、ご飯を食べた後に誘拐されていた間のことを教えてくれるかい?」
「はい。私も話さないといけな……お兄様! 騙されていませんか!? ダメですよ!」
クロームと合わせていた顔を勢いよくラシャンに向けると、ラシャンは目を点にした。
クロームと視線だけで会話をしただろうラシャンが首を傾げるから、アイビーは焦ってラシャンの腕を掴んだ。
「レネットさんです。私を庇ったと嘘をついてお兄様と結婚しようとしているんです。背中の傷はわざと付けたもので、消えない大きな傷に了承するしかないって言っていました」
険しくなったラシャンの面持ちに、アイビーの胸には了承してしまった後なんじゃないかと不安が押し寄せてくる。
「ごめんなさい。私が誘拐されてしまったばっかりに……」
「アイビーは何も悪くないよ! そんなことを考えて実行するあの親子が、心底気持ち悪いんだよ! ここまで心が汚いなんて腐っているよ!」
「破棄できますか? 大丈夫ですか?」
心配で目尻も眉尻も下げてしまう。
すると、頭に温かい手が置かれた。
反射的に見ると、クロームが頭を優しく撫でてくれる。
「大丈夫だよ、アイビー。そういう話にはなっていないから。彼女を保護しているけど、それは逃さないためなだけで、今は客室に軟禁している状態なんだ」
「そうなんですね。よかったです」
緊張を体から追い出すように息を吐き出すと、クロームは髪の毛をすくように撫でながら手を退かした。
クロームに笑顔を返そうとした時、ドアがノックされ、顔をぐしゃぐしゃにして泣いているルアンが入ってきた。
「お嬢様ー!」と抱きしめられ、帰ってきたことを喜んでくれるルアンに、アイビーもまた涙したのだった。




