71 .カディスの無力感
「殿下、少しは座っていてください」
困ったように微笑んでいるフィルンに声をかけられるが、カディスにフィルンを気遣う余裕はない。
「うるさいよ。じっとしていられるなら歩いていないよ」
父である陛下がすぐに王都の門を閉鎖してくれたし、近衛騎士も捜索に加わっているから、捜索隊の人数は十分だろう。
それなのに、一向にアイビーを見かけたという情報が入ってこない。
どんな目に遭っているのか分からないから、早く見つけてあげたい。
本当は父に反抗して探しに行きたい。
でも、アイビーの誘拐がカディスを殺すための罠の可能性がある。
そう説き伏せられてしまったから動くに動けない。
どんな相手でも勝てるほどの力があれば父も捜索することを許してくれただろう、という悔しい思いが胸を駆け巡る。
毎日欠かさず訓練をしているのに、本当に情けない。
ノックが聞こえ、フィルンがドアを開けた。
「殿下、チャイブが情報を持ってきました」
ポルネオの少し明るい声に嬉しくなり、チャイブに視線を投げた。
チャイブの面持ちも出て行った時に比べれば顔色が良くなっているような気がする。
「なに? 早く教えて」
「お嬢様から精霊魔法の蝶々が飛んできました」
真顔で頷いているポルネオにも、平然と治癒の蝶々が飛んできたというチャイブにも、理解が追いつかない。
生きているという情報だけなのだろうか? と戸惑ってしまう。
「お嬢様からの伝言は『誘拐犯と交渉した。助けてくれる。犯人は親子。1人は何かを仕出かすらしい。今日の夜引き渡される』です。犯人は親子ということですので、間違いなくシャトルーズ子爵家になるかと思います」
「そうか。本当に落ちるところまで落ちてしまったんだな」
「ティールお嬢様を襲った時点から何も変わっていないということです。はじめから落ちていました」
「えっと、ちょっと待って。どうして普通に話しているの? 蝶々って意思疎通できるの?」
カディスは、このままでは置いていかれると思い、2人の会話に割って入った。
ポルネオとチャイブが顔を見合わせてから、何かに気づいたように同時に見てきた。
「殿下、申し訳ございません。今知ったことは忘れてください」
「チャイブ。君、本当に無礼だからね。しっかり聞こえたし、忘れるなんてできるわけないでしょ」
「まぁまぁ、殿下。チャイブはヴェルディグリ公爵家に忠誠が強いだけなんです。だから、忘れてやってください」
「忘れないって言ってるよね!」
可笑しそうに吹き出す2人にイライラして、刺すように睨んでしまった。
それでも、2人は笑いを止めようとしない。
「殿下。アイビーの精霊魔法である蝶は治癒だけはないんです。植物と会話ができるんですよ」
「え? じゃあ、植物が伝言を届けてくれたってこと?」
「そうです。こんな活用方法があるなんて、私も驚いております」
ポルネオの言葉に、チャイブも頷いている。
「それだったら植物にアイビーがどこにいるのか聞けないの?」
「精霊魔法の蝶を介してでしか話せないんですよ。そして、蝶は力を使うと消えてしまいます。もう話せませんし、運よく何匹も飛ばしてこれないでしょう。お嬢様からの精一杯の伝言になります」
「アイビーは必死に頑張っているんだね。早く見つけてあげないとだね」
カディスは自分を奮い立たせるように、怒りを鎮めるように、ゆっくりと目を閉じてから開いた。
アイビーの無事を知れて、やっと一歩前進した捜索に考える余裕ができてきた。
どう行動するのかの案を口から出す。
「夜に引き渡されるってことは、それまでアイビーは無事だってことだろう。囚われている場所が分からない以上攻め込めないから、シャトルーズ子爵家とシャトルーズ子爵を見張ろう。引き渡される時に救い出すんだ」
ポルネオが首を縦に振り賛同してくれる。
「ええ、半分の騎士と近衛たちには捜索を続けてもらい、もう半分を秘密裏に動かしましょう。まぁ、クロームとチャイブがいれば屋敷1つ壊すのもあっという間ですがね」
「屋敷1つくらいなら私だけで問題ありませんよ。ただクローム様が『私がやる』と言って譲ってくれないでしょうね」
「そこは好きにしていいよ。どうせもう爵位剥奪の終身労働になるだろうからね。問題は、何かを仕出かすって伝言だよ。アイビーを攫った上で何をするって言うんだろう?」
「そうですね。アイビーお嬢様を探されると困るから、お嬢様が死んだように思わせるための死体を用意する……もしくは、ラシャン様のことも狙っているはずですので、ラシャン様をも誘拐する……そんなところでしょうか」
考えるように言葉を紡いだチャイブを、勢いよく見てしまった。
「ラシャンが危ないってことだよね?」
焦っているのはカディスだけで、ポルネオは納得したような顔をしている。
「殿下、ラシャンには執事長がついております。うちの執事長に挑むなんてバカがすることですのでご安心ください」
「え? あのヘラヘラしている執事、そんなに強いの?」
疑問を口にしただけなのに、ポルネオとチャイブに声を上げて笑われた。
2人の表情には余裕があり、答えてもらわなくても執事長が強いんだと分かった。
「さて、私は家に残っている騎士たちに指示を出してきます。クロームとラシャンたちが戻ってきましたら詳細を詰めましょう」
「そうだね。早く教えてあげないとね」
「ええ、まだ気を抜けませんが、気持ちを落ち着けることはできるでしょうからね」
ポルネオはそう言い残し、チャイブを連れて部屋を出て行った。
ドアが閉まってから、視線を窓の外に向ける。
「ねぇ、フィルン」
「何でしょう?」
「シャトルーズ子爵家に僕も行ったらダメだよね?」
「はい。申し訳ございませんが、お止めいたします」
小さく息を吐き出し、ソファに体を投げ出すように座った。
「……僕、本当に強くならないとなぁ」
フィルンの顔は見えないが、困ったように微笑まれたような気がした。




