68 .依頼
小さな息とドアが閉まる音がして視線を上げた。
閉めたドアを背もたれにしてクレーブスが立っている。
「やっぱり年相応の女の子か。怖くて普通だから笑わなくていい」
アイビーは、緊張を抑え込むように唾を飲み込んだ。
さっきディーマンを見た途端に嫌悪感が湧きあがったが、なぜかクレーブスには恐怖を感じない。
この気持ちを信じるのなら、クレーブスとは交渉ができるかもしれない。
「あの、私の誘拐を依頼した人は誰ですか?」
「教えられない。でも、会えば分かるだろう」
「ここに来るんですか?」
「ああ、1人もうすぐ来る予定だ。茶番に付き合わないといけないからな。もう1人には夜に引き渡し場所で会える。ただ王都内で厳戒態勢が敷かれた。こんなにも早くバレて動かれるとは思っていなかったよ」
——それって……すぐにいないことに気づいてくれたってことだよね? レガッタ様かな? お兄様かな? どっちか分からないけど、嬉しい! ありがとう!
それと、まだ王都内ってことだよね。遠くに運ばれていないようでよかった。どうにか逃げ出せないかな?
「あの、えっと、その、お兄さんはどうして誘拐犯なんてしてるんですか?」
「クレーブスでいい」
小さく頷くと、クレーブスは遠くを見るように窓の外に視線を動かした。
「人を探しているんだ。それには情報とお金が必要だ。でも、貧民街で育った俺には働ける場所がなくてな。この仕事は情報も手に入るし金回りがいいんだ。だから、している」
——人に暴力を振るうのが楽しいとかじゃなくて、仕方なくってことだよね?
「だったら、私の護衛になりませんか?」
目しか見えていないが、それだけで十分驚いていると分かった。
それほどまでに目を丸くされたのだ。
「頭、おかしくなったのか?」
「なっていません。私、公爵家の娘なんです。だから、きっとお給料いっぱい出せます。それに、今助けてくれたら、お礼にお兄さんが探している人をお父様にお願いして探してもらいます。どうでしょうか?」
「無理だ」
「どうしてですか?」
「誘拐犯の1人だぞ。身元も確かなものはない。公爵家は許さないし雇わない」
「それは大丈夫です。任せてください」
自信満々に胸を張ると、呆れたように息を吐き出された。
「悪いが、君を依頼主に届けるのは絶対だ。それが仕事だからな」
「うーん……じゃあ、私からも依頼していいですか?」
愛らしく微笑むが、怪訝そうな瞳で見られる。
「私を届けた後、助けてください。報酬はお兄さんの言い値で問題ありません」
「君さ、本当に世間知らずだね」
「そんなことありませんよ」
「だって、俺が公爵家が傾くくらいの金額を請求したらどうするの?」
「分割の支払いをお願いします」
堂々とはっきり告げると、クレーブスは小さく吹き出した。
だが、それは一瞬のことで、すぐに真顔に戻っている。
「後、頭が痛い? んだと思うんですけど、それを治しますよ」
クレーブスはドアにつけていた体を起こして、強張った瞳でアイビーを見てきた。
「公爵家には優秀な医者がいるのか?」
「はい」
お医者様じゃなくて私だけど、ということは口に出さない。
出していい言葉じゃないと、きちんと分かっている。
アイビーがクレーブスを護衛に誘ったのは、クレーブスの頭に黒いモヤがあるからだ。
黒いモヤは、アイビーにとって害になる時だけ見える。
消さないとどんな不幸になるのかは分かっていないが、消せばつまづくような石や困難な壁を取り除けるということ。
ということは、クレーブスは何かしらアイビーと関わっているということになる。
それならば、黒いモヤを消して味方になってもらえば怖いものなしだという考えからになる。
それに、今も逃げられる確率が上がることになる。
斜め下を見て考えるクレーブスを見つめていると、クレーブスは1度目を閉じた後、視線を真っ直ぐアイビーに向けてきた。
「その依頼を受けよう。先に君を届ける依頼を完了させた後に君を助けるよ」
「やった! ありがとうございます!」
「それと、逃げないと約束をしてくれるのなら、縛っている縄を解こう」
「いいんですか?」
「絶対に逃げないのならな」
「約束します」
笑顔で頷くと、クレーブスは少しだけ目元を和らげてくれた。
本当に、どうして誘拐犯なんてやっているんだろうと思う。
さっき理由を教えてもらっているからこそ、釈然としなくてモヤモヤする。
だって、貧民街出身というだけで、他の職につけないとか意味が分からない。
クレーブスのあの言い方なら、他に働ける場所があるならこの仕事はしていなかったということだ。
生きるため、目的のために選んだということだ。
「ねぇ、どうして冒険者にならなかったの?」
縄を解いてくれているクレーブスに問いかける。
「誰でもなれるみたいな印象だけど、冒険者は中々難しいんだ」
「そうなの?」
「登録をしていないと魔物を倒して持っていっても換金手数料で3分の2は取られるし、登録しようとしても最低限の武具を身につけて試験に合格しないと無理なんだ。登録料と年齢制限もあるしな。何も持っていない底辺の人間には無理な話なんだよ」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
「別に。貴族のお嬢様は知らなくて当然のことだからな」
足の紐も解いてくれたクレーブスは、「パンを持ってくる」と言って部屋を出ていった。
アイビーは耳を澄まし、足音が聞こえなくなってから、窓を開けて外を見渡した。
約束したから逃げるつもりはないが、どうにか無事だと連絡を取りたい。
アイビーは周りに誰もいないことを確かめてから蝶々を創り、目の前の木と小声で話をしてから、もう1匹創り出した蝶々を空に解き放った。
「蝶々が消える前に、どうかチャイブに届きますように」と。
金曜日は1話のみの投稿になります。
ヴェルディグリ公爵家の様子になります。
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