11 .寝落ちの理由
「間一髪」
ビーフシチューに顔をぶつけそうだったアイビーの頭を、チャイブが受け止めている。
同時に、安堵しただろう息が何個も聞こえてきた。
「よくやった」
「いいえ。こうなる前に動くべきでした」
チャイブは眉や目尻を下げながら、食事の途中で眠ってしまったアイビーを横抱きした。
「こうなることが分かっていたのか?」
「お嬢様は褒められることが好きなんです。だからか、褒めてもらえると分かったことは、必要以上に頑張ってしまう性格でして……」
「私が無理をさせていたのね」
落ち込むように俯いたローヌに、チャイブはゆるゆると首を横に振った。
「いえ、そういう訳ではありません。1ヶ所に留まらず転々としていましたし、私は師匠という立場を崩しませんでしたから、そのせいだと思います。たぶん、褒められるとそこにいてもいい許可をもらった気分になるんだと思います」
想像していなかった理由に、誰もが視線を下げ、悲痛な表情を浮かべる。
「寂しがり屋だったティールの子供だ。アイビーも寂しがり屋だったんだな」
「ティールお嬢様は、いつもご家族のお話をされていましたよ。そして、毎日公爵領がある方角に向かって、祈りを捧げられていました」
ポルネオの「本当にあいつさえいなければっ」と悔しそうに呟く声は、しんみりとしている部屋の隅々まで届いている。
そんな物音1つ聞き漏らさない静寂を壊すように、大きな音をたててドアが開いた。
「「アイビー!」」
ドアを力任せに開けたのは、緊張を身に纏っているせいで顔を強張らせているクローム公爵と公爵の息子のラシャン公子だった。
部屋の中にいる目を点にしている人たちを無視して、2人は顔を右左と忙しなく動かしている。
「アイビー! お父さんだよ!」
「お兄ちゃんだよ!」
ポルネオの重いため息に、何人もが「あなたも同類ですよ」と思っていた。
チャイブの腕の中にいるアイビーに気づいたらしいクロームたちが、瞳にレイザーブームを宿したように視線を一点集中させた。
そして、残像が見えるような速さで、チャイブとの距離を一気に詰めている。
「アイビー!」と叫びかけたクロームをチャイブが蹴ったので、鼓膜を破るような声は「アィ」までで止まってくれた。
「うるさいですよ。気持ちよさそうに眠っているのが見えないのですか?」
「お前、主人にすることじゃないからな」
「手が塞がっていますし、私の主人はポルネオ様ですから」
「私も主人だ」
10年と少しの間、2人は会っていない。
なのに、ずっと一緒に過ごしてきたかのような空気感だ。
主人と従者というより、友人と言われた方がしっくりくる。
そんな2人が仲睦まじげに本格的に言い合いを始めそうになった直後、チャイブのジャケットをラシャンが引っ張った。
「あなたがチャイブ? ねぇ、アイビーを見せてくれない。静かにするからお願い」
ラシャンは、手を口の横に添えて小声で訴えている。
文句を並べるクロームとは違い、可愛らしくお願いをしてくるラシャンに、チャイブは頬を緩ませた。
「ええ、公子様。私がチャイブですよ。そして、こちらが妹君のアイビー様です」
チャイブは腰を落とし、ラシャンにアイビーが見えるようにした。
ラシャンは顔を輝かせながら、瞳いっぱいに涙を溜めている。
「僕の妹……やっと会えたね。会いたかったよ」
ラシャンの頭を撫でるクロームの瞳は、涙を留めることはできなかったようだ。
優しい瞳からは滝のように涙が流れ、服や靴を濡らしている。
撫でられる手にクロームを見上げたラシャンも、微笑みながら涙を溢していた。




