35 .ティールお気に入りの場所
朝食後に乗る馬を紹介してもらい、前後左右護衛騎士に守られるように、大自然の中を馬で駆けた。
草や木の匂い、夏の乾いた空気が、心を躍らせる。
街を一望できる草原で昼食をとった後、陛下の案内でティールお気に入りの場所に連れていってもらった。
「ここは、いつ来ても気持ちがいい」
陛下のこの声に答えるのは、護衛としてついてきたクロームの頷きだけだった。
アイビーは、空から落ちてきているんじゃないかと思う滝を見上げて、圧巻の迫力に口を開けてしまっていた。
滝壺はそこそこ大きく、その周りだけ木が生えていない。
空を映すには距離や崖が邪魔しているように思えるのに、水の色は綺麗な青色だ。
「どうだ、アイビー。ティールが過ごした場所は?」
「過ごした場所ですか?」
陛下の言葉が気になって尋ねてみた。
お気に入りの場所と言っていたのに、ここにきて過ごした場所と言い換えたのだ。
「実は、ここにはティールの隠れ家があるんだよ。夏以外でも長期で休みが確保できた時は、ここにある隠れ家で過ごすのが定番になっていた。と言っても、私は招待されたことがないから、どこに家があるのかは知らないんだがな」
言葉の最後の方は、言いながらクロームに視線を走らせていた。
気づいたクロームは、ゆるく首を横に振って応えている。
「残念ながら、ここだけは『自分だけの場所』だと、私も教えてもらえませんでした」
「ここに家があるのは、絶対なんですか?」
「証言者はティールだけだけど、そんな嘘をつかないだろう」
陛下の意見にクロームも同じ考えのようで、アイビーに柔らかく微笑んできた。
「探してみてもいいですか?」
「ダメだよ、アイビー。ここは、魔物がフラッと水を飲みにくる場所でもあるんだから。私の目が届く範囲にいるんだよ」
「私の護衛のはずなんだけどな」
愉快そうに笑った陛下は、池に足をつけるように腰を下ろす。
「気持ちがいいぞ。カディスたちもどうだ?」
「アイビーが探検をするのなら、僕はついて行こうと思っています」
「そうか。カディスは許すとしても、レガッタとイエーナはここにいるんだぞ」
「お父様、贔屓ですわ。私も探索したいですわ」
「ダメだ。レガッタとイエーナは足が遅いからな」
「まぁ! お父様ってば、そんな情報をどこで入手しますの」
「大好きな娘に関わることで知らないことはないよ」
レガッタは嬉しそうに微笑んで、座っている陛下に抱きついた。
足が遅いとバラされたイエーナは顔を赤くしながら、陛下と同じように足を水につけている。
「アイビー、どうする? 探検する?」
「します。チャイブがいれば安全ですから」
悔しそうに両手を握りしめるクロームがチャイブを睨むが、チャイブは何食わぬ顔で「お任せください」とクロームに頭を下げた。
言い合わないクロームとチャイブは珍しい。
陛下がいるから執事っぽいことをするんだろうなと、澄ましているチャイブに笑ってしまいそうだった。
「誰を犠牲にしても戻ってくるんだよ」と抱きしめてきたクロームに見送られ、カディスやチャイブたちと森の中に入っていく。
「どこに家があるのか、チャイブも知らないの?」
「クローム様には秘密ですが、私は知っていますよ。身を隠す際に、ここにもやって来ましたから。お嬢様が生まれた場所になります」
衝撃の事実を告げられ、息をするのも忘れた。
カディスとフィルンも目を見開いている。
少し離れている護衛騎士には聞こえなかったようで、立ち止まりかけたアイビーとカディスを気にして、辺りに視線を巡らせている。
「どうしてお父様には秘密なの?」
「私はティールお嬢様の言いつけを守っているだけですので、どうしてかまでは知りません」
「ふーん。それって、もし家が見つかったら分かったりするの?」
「さあ?」
惚けるチャイブに、アイビーは家が見つかったら分かるのだと考え付いた。
もし見つかっても分からないのだったら、チャイブの性格なら「見つけてみれば答えがでますよ」ってやる気を出させるようなことを言うはずだ。
アイビーが「分かんなかった!」と怒ると、「俺は答えが出るとしか言ってねぇ」って屁理屈言ってアイビーを笑うだろう。
だから、濁すってことは、その家に秘密が隠されているってことだ。
答えを導き出したアイビーは、気合いを入れるように握りしめた手を軽く揺らした。
「カディス様、絶対に見つけましょう!」
「そうだね、僕も興味が湧いてきたよ」
カディスと顔を合わせて頷き合い、開けた場所がありそうな気配や、光が強く当たりそうな場所を探して、森の中を「あっちかな? こっちかな?」と探し歩いた。
途中、何度が水分補給のための休憩を取り、木の実や野花を観察して楽しんだ。
「そろそろ戻りましょう」
「まだ見つけていないわ」
「屋敷に戻る時間や陛下を待たせてしまっている時間を考えれば、これ以上は無理です。それに、クローム様も心配で仕事に集中できていないでしょうしね」
今か今かと森をソワソワしながら見ているだろうクロームが、頭に浮かんだ。
最近になってようやく母親に興味が出てきたから見つけられないのは残念だが、クロームに多大な心配をかけてまで探す必要はない。
「分かった。戻るわ」
我が儘を言いたいわけじゃない。
ただ、どうしても肩が落ちてしまうから、言葉と態度が裏腹になってしまうのだ。
「アイビー、後1週間あるんだし、また探しに来よう」
「よろしいんですか?」
「いいよ。イエーナがいるからレガッタが1人になることはないしね。それに、なんだか見つけておいた方がいいような気がするんだよ」
カディスが遠くを見透かすように見つめる森の奥を、アイビーも見やった。
「殿下、申し訳ございませんが、そちら側に家はありません」
チャイブが爽やかに告げた途端、カディスの見えている肌が真っ赤になった。
きっと格好つけてしまったせいで、穴に入りたいほど恥ずかしいはずだ。
わざわざ言わなくていいのに、揶揄うために言っただろうチャイブは意地が悪い。
王子様なんだから格好をつけたい時もあるだろうに。
そう思うのに、体を震わせているカディスが面白可愛くて、笑いを堪えられなくなった。
「アイビー! 普通笑わないよね!」
「だってカディス様、キメ顔してませんでした? 全部分かってるみたいな。それなのに違うなんて可哀想で、あー、おかし」
「別にあっちにあると思って見たんじゃない」
「えー、あんなに真剣な表情してたのにー」
「あれは、あっちにはないって情報を引き出すための演技だよ。ほら、チャイブは引っかかって教えてくれたじゃないか」
「分かりました。そういうことにしておきます」
「だから!」
「ありがとうございます、カディス様。ぷっ」
「アイビー!」
家は見つからなかったが、いつもは見ることができない貴重なカディスを発見できた。
開放的な夏だから成せるわざなのかもしれないけど、新しい一面を知ることができて、一段間距離が縮まったように感じる。
なんだがそれだけで、この森の思い出ができて来てよかったと思えたのだった。




