5~最終章
5
結末はあっけなくおとずれた。被害届を出したゴーグル社の杉本康二が、被害届を取り下げてきたのだ。
「なにも、聞かないで下さい」
杉本は肩をおとして、うなだれている。
「なにも聞かないでといわれても、被害届を取り下げるとはどういう理由からですか?」
納得がいかない小泉は、被害届を取り下げる理由が知りたかった。
「僕の口からはなにも言いたくはありません。リンネ・グロリアにでも聞いてみて下さい」
杉本は言葉少なに、渋谷西警察署を去っていった。
被害届が取り下げられたのだから、これ以上捜査をするわけにはいかない。小泉たちは公務員なのだ。自分の好奇心だけで捜査を継続するわけにはいかない。
小泉は課長に被害届が取り下げられたことを告げた。課長は残念そうにしていた。
「いろいろ協力してくれた方に挨拶してきます」
小泉は阿部の肩を叩いて、リンネ・グロリアのもとへ向かった。目的はもちろん杉本が被害届を取り下げた理由を知るためだ。
リンネ・グロリアは代官山のインターナショナル・ジャパンビューティー社で、明日のマスコミ向け発表会の準備に追われていた。リンネは腕組みをして、忙しそうに動き回るスタッフ達に指示をとばしている。
「明日の、マスコミ向け発表会の準備で忙しいの。用があるなら早めに話してちょうだい」
玄関に立つ小泉と阿部へ、リンネは工場での流れ作業の一つのように告げた。
小泉は鼻の頭を掻きながら、口を開いた。
「ゴーグル社の杉本さんから、被害届が取り下げられました。理由を訊ねたら、リンネさんに聞いてくれと言われましたので、こうしておじゃましました」
「ふっ」と、リンネは口元に笑みを浮かべて斜め下を見つめた。
「理由を知りたければ、明日の発表会に来ればいいわ」
リンネの言葉はスムーズに発せられた。中沢くららたち三人が行方不明であったことが遠い過去の出来事のように。
「明日の発表会に?」
小泉と阿部は顔を見合わせた。
「ええ、高岡、木戸、中沢。三人とも明日の発表会には顔を出すわ」
「えっ、三人は見つかったのですか?」
阿部の大声が部屋中に響いた。阿部の声に気づいた他のスタッフは手を動かすことを止めて、阿部や小泉、リンネが立ち話をしている玄関の方向へ注意を向けた。
「ええ、見つかったわ」
リンネは自慢げに鼻を高くした。小泉は、見つかったはいいが、ここまでトレーニングをバックレていた三人をリンネが発表会に出演させることが不思議だった。
警察官の仕事として関心を持つことは許されないだろうが、勉強のために関心を持つことは許されてもいいはずだ。
小泉は明日の場所と時間をリンネから聞き出すと、「明日、おうかがいします。お忙しいところ、失礼いたしました」と言い残して部屋を出た。
階下へ向かうエレベーター内で阿部がつぶやいた。
「リンネさん、機嫌が良かったですね」
6
翌日のプレス向け発表会の会場には、小泉、阿部、そして課長の姿があった。
すでにこの件は仕事ではない。平日の午後一時から開催される発表会へ足を運ぶためには課長の許可が必要になる。したがって、この会場に課長の姿もある。
公務員ならではの縮図がここにある。
発表会は、粛々と進められていく。オープニングの演出に始まり、主催者の挨拶、スポンサー企業の紹介、そしてここまでのトレーニングの様子を撮影した映像が大型スクリーンに映し出された。
小泉はスポンサー企業を紹介する時に、杉本ではない別人の名前を紹介されていたことを思い出し、彼はこの会場に姿を表さないのだと感じた。いや、もしかしたら姿を現せないのでは?とも考えた。
映像が終わると司会者が次の式次第を伝えた。
「それでは、お待たせいたしました。ミスユニバーサルセミファイナリストの九名を紹介いたしましょう。まずは~」
小泉は聞き間違えたのかと思い、隣にいる阿部に確認した。
「いま、九名と言わなかったか?」
小泉の問いかけに阿部はうなずいた。「確かに、九名と言いました」小泉と阿部、そして課長は、司会者が読み上げるセミファイナリストの氏名に耳を澄ました。
司会者が氏名を読み上げると、華やかな衣装に身を包んだセミファイナリストがステージ上に現れる。その動作が九回繰り返されたが、高岡の姿も、中沢の姿も、木戸の姿も、ステージ上に表れることはなかった。
司会者が台本を一枚めくりながら、次のコメントをマイクロフォンを通して発した。
「続いて、権利はなくなりましたが、一週間後のステージに立ちます三人を紹介いたします。まず、高岡紗綾」
「高岡紗綾だ。権利はないとはどういう事だ!」と、小泉がつぶやいた。
司会者は高岡に続いて中沢、木戸の名前も読み上げた。三人は上手側袖パネル裏から順番にステージへ登場してきた。
なにが起こっているのか、理解できない小泉たち三人の隣にリンネが近づいてきた。
「こんにちは。よくいらして下さいました」
「これは、どういうこと何ですか?」
小泉の問いかけに「もう少しで解るわ」と涼しげに微笑むリンネ。最後の木戸桃香がステージ上で、ポーズを決めると、司会者が次の言葉を発した。
「実は、最後にステージに登場した三人は、すでにミスではなくミセスになっています」
司会者の言葉に会場中がどよめいた。小泉もリンネへ訊ねた「どういう事だ?」と。
「この三人は一度にお嫁にいきました。それも、同じご主人の所へ。この場を借りて結婚の発表をさせていただきます。三人のハートを一度に射止めたのはこの方です」
司会者のフリで会場内が暗転して、なぜか、ドラムロール音の響く中、ピンスポットがサーチしだした。
十秒後にドラムロールが決まると、ピンスポットは中東系の衣装に身を包んだ男のところで止まった。男は、エリクソンモービル石油の会長と紹介された男だ。
「これは………」
絶句する小泉にリンネが説明を始めた。
「あの会長は木戸と高岡、そして中沢のことを気に入っていたの。これまで、あの三人が行方不明になったことをスポンサー企業に公表しなかったのは、彼に知られることが一番怖かったから。昨日、新潟に住む中沢くららの母親から電話があったわ。あなた方が、中沢くららのマンションへ訪ねていったことを管理人から聞いたらしく、動揺していた。そして、彼女は謝罪した。自分の娘は中東へ行っていることを告げた後に、ミスの敬称はふさわしくはないと話した。私は、どういうことかと訊ねると」
リンネは話すことを止めると、視線をステージ上の三人へ向けた。ステージ上ではエリクソンモービル石油の会長が、中沢、高岡、木戸の三人の指へ指輪をはめ込んでいる。
「こういうことだったの」
「こういうことって、三人も一度に結婚って、相手は」
小泉の言葉に、リンネは微笑んだ。
「相手は、会長一人、会長の国は一夫多妻制なのよ。木戸は四番目、高岡は五番目、中沢は六番目の妻ね」
自分の今までの経験値では判断できない。そんな表情の阿部が訊ねた。
「彼女たちはミスユニバーサル日本代表に選ばれることよりも、妾同然の二号さん、三号さん、いや、四号さん、五号さん、六号さんの立場を選択したということですか?」
「ええ、そうよ。もっともあの三人は日本代表になる可能性は皆無。セミファイナリスト十二人のうち最後から数えた三人があの三人。本人達もそのことに気づいていたのでしょう。だから、会長の誘いにのった」
「しかし、三人いちどにって、そんなことが………」
呆然とする小泉の言葉を左耳で聞き取ったリンネは「日本の女性は複数でなにかをするのが好きよね。たとえば、化粧室に行くのも、買い物に行くのも、友達を誘って行くことが多いわ。今回もそのたぐいね」と、語った。
「でも、結婚という、人生において重要なことをこんなにも簡単に決めてしまうものなのか?」
「簡単ではないわ、女はどんな状況下でも恋や愛をプライオリティー最上位として求めているわ。この三ヶ月間のトレーニングの間にあの三人の目的は、日本代表になること五十パーセント。自分の生活をシンデレラのように高貴な生活へ変化させてくれる出会いに三十パーセント。そして、自分たちの思い出作りのためが、二十パーセント。そんな比率で構成されていたはず。私には、そう思えた。それに、中沢は母子家庭で育っているから、母親に楽をさせてあげたいという気持ちが子供のころから強かったのでしょう。高岡や木戸に関しても、働くことがイヤになって、このミスユニバーサルに応募してきたと言っていたことがあったわ。会長のもとへ行けば、働く必要はなくなるわ。いろいろ、考えての決断だわ」
「でも会長のもとへ嫁ぐということは、中東へ住むことも充分考えられる。一生、向こうで暮らすことも考えられる。それでも、いいというのか」
阿部の言葉にリンネは笑った。
「イヤになったら、帰ってくればいいのよ。慰謝料はたっぷり取れるわ」
リンネは右側の口角を上げたまま、右手の人差し指で自分のお腹の下あたりを指した。
「女は、地球で仕事をする」
もしかしたら、リンネは「女は子宮で考える」と言いたかったのかもしれないが、今回の件で小泉は「どちらも間違いではないな」と思った。
男には男のルールがある。女には女のルールがある。日本人には日本人のフランス人にはフランス人の中東系アジア人には中東系アジア人のルールがある。
小泉は少しだけ世界の入口を見た気がした。そして、警察官として養ってきた危機察知能力。その、危機察知能力に優れている自分が、独身でいる理由が理解できたような気がした。
「事実は小説よりも奇なり。女はいつもミステリーだな」
課長の言葉に公務員である小泉は、「おっしゃるとおりです」と、答えた。
署へ戻ると課長は小泉に「今回のミス・ユニバーサルの件、署長へ報告するからいつも通り報告書としてまとめておいてくれ」と、言った。小泉は「フォーマットは、いつもの署長用フォーマットでいいですか?」と訊ねた。
「ああ、署長は小説やドラマみたいに、タイトルを入れた書類を好むから、そこんところピッとうまく頼むよ」
課長の言葉通りに小泉は報告書を作成した。タイトルは【さらわれた、ミス・ユニバーサル・セミファイナリスト】として、A4サイズの用紙に二枚でまとめた。
読み直しを二回行って、報告書は仕上がった。
しかし、小泉はタイトルがシックリいっていないことに気づいた。〈なにかが、ちがうな〉小泉はボールペンの先端を自分の頭皮で弾ませながら考えた。
「あっ」
小泉は小さな叫び声と共に、修正液で【ら】を消した。そして、【そ】を書き加えた。
さそわれた、ミス・ユニバーサル・セミファイナリスト。今回の事件にピッタリなタイトルだ。
〈 了 〉