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助手席の小泉が運転席の阿部へ訊ねた。
「どう思う?」
阿部はシートベルトに右手をかけながら答えた。
「誘拐。それも、営利目的ではなく、いたずら目的の誘拐の線が強いんじゃないですか」
小泉も阿部の行動に合わせるように、シートベルトを右手で引っ張り出した。
「そうだよな。話をまとめると、土曜日のイベントには三人はいた。月曜日のレッスンだか、トレーニングだかにはこなかった。同じく月曜日に中沢くららに、杉本康二が連絡しても連絡は付かなかった。翌日火曜日には、三人とも連絡は付かなくなっている。そして、昨日の水曜日に杉本康二から届け出があった。そして、今日の木曜日になっても、金銭を要求する連絡は入っていない」
阿部は小泉の推理を聞きながら、車のエンジンを掛けた。
「土曜日のイベントのあとと、日曜日の三人の行動を洗えば、なにかが出てくる」
阿部は黙って聞きながら、車を地下駐車場から地上へ移動させた。
「しかし、我々日本の警察は組織で動いている。勝手なマネはできない。だから、上の判断あおがなければ、なにも動けない」
小泉は自分の話を自分でまとめた。阿部も黙ってうなずいた。
駐車場から出た車は国道二四六号線を左に曲がった。渋谷西警察署は槍ヶ先交差点の近くにある。この先の旧山手通りとの交差点を左折して、一キロも進めば到着する。
今度は阿部が小泉に訊ねた。
「小泉さん、どう思いますか?」
「なにを?」
「仕事を辞めてまで、ミスユニバーサル日本代表になりたいという女の気持ち」
小泉は窓の外に流れる景色へ視線を移した。視線の先には渋谷周辺としてはありふれた光景、ファッショナブルなコートに身を包んだ女性達が背筋を伸ばして歩道を歩いている。手には、ブランドもののバックをぶら下げて。
「俺には解らないな。ギャラ無しで三ヶ月間拘束されて、例え、ミスユニバーサルになったからといって、将来が保証されるわけではない。どうせ、こんなの出来レースで、日本代表になる奴なんかもう決まっているもんだ。そんな、賞に時間を取られたくはないね」
車は山手通りとの交差点にさしかかり、阿部はウインカーを左に出した。
「自分も同感です」
ハンドルを反時計回りに回転させながら、阿部が小さくあごを引いた。
渋谷西警察署へ戻った小泉と阿部は報告書を作成し、課長へ提出した。今後の捜査をどうするのかはこの課長と、署長の判断にゆだねられる。
結論はすぐに下された。
態勢を厚くして捜査続行。
ここまでの捜査で、誘拐や殺人といった犯罪の可能性があるという理由が表向きで、本音はミスユニバーサルとお近づきになりたいというところだろう。いつもネクタイの曲がっている課長が、頻繁に鏡を気にするようになった。
捜査態勢は小泉と阿部の二人から、新たに福田、麻生の二人が加わり、計四名になった。もちろん陣頭指揮は課長がとる。
小泉と阿部は、土曜日のイベント後から月曜日のレッスンが始まるまでの三人の足取りを追った。福田と麻生は、三人の住まいへ出向き親族の連絡先を調べる事にした。
親族の連絡先は、インターナショナル・ジャパンビューティー社へ問い合わせれば解るはずだが、リンネが首を縦に振らないだろうという考えから、マンションのオーナーか、管理会社へ確認することにした。
「土曜日のイベントで不審者がいなかったか、リンネかミッキーへ確認したいな」
小泉が自分の考えを告げると、阿部は受話器を取って数字の書かれた四角いボタンを押した。八桁の数字はインターナショナル・ジャパンビューティー社の電話番号だ。
五回の呼び出しコールのあと、電話に出たのはあずさだ。
阿部は「お訊ねしたいことがあるので、これからそちらへうかがいたい」と告げると、あずさは「かまいませんが、今日は私しかいません」と答えてきた。「リンネさんや、ミッキーさんはどちらへ?」と訊ねると、「リンネはテレビ局の取材で汐留に、ミッキーは選考会のリハーサルのため、祐天寺のスタジオにいる」という。「選考会のリハーサルということは、セミファイナリスト九人もいっしょですか?」と阿部が訊ねると、「もちろん、いっしょです」とあずさは答えた。
阿部は、スタジオの住所をあずさから聞き出して、メモに残した。
「小泉さん、テレビ局とレッスンスタジオ。どちらへ行きましょうか?」
阿部はメモを手に小泉に訊ねた。小泉はあごの先端を右手の親指と人差し指でつまんだり、離したりを繰り返しながら考えた。
「スタジオに行こう」
阿部の背後から返事が聞こえた。小泉の代わりに答えたのは課長だった。阿部も小泉も課長の表情をうかがった。課長は幸せそうな笑みを浮かべてから、ホワイトボードに行き先を書き込んだ。
祐天寺のスタジオは渋谷西警察署から車で五分くらいの場所にある。駒沢通りを下って、環状六号線を三百メートルほど過ぎると左側に見える三階建ての建物だ。
スタジオへ向かう黒塗りの覆面パトカーには、なぜか課長も乗り込んできた。
「一言、挨拶をしておかないといけないだろう」
課長のそんな一言に、「挨拶するなら、ミッキーより大事なのはリンネのほうだ」と、言えるわけもなく、縦型社会に所属する小泉と阿部は「是非お願いします」と言い、課長を後部座席へ座らせた。
課長が挨拶をしたいのはミス・ユニバーサルセミファイナリストの九人であることは、小泉も阿部も薄々理解していた。しかし、大人として公務員として、課長の不純な動機をいましめることはしなかった。いや、できなかった。
コンクリート打ちっ放しの外壁。駐車場に停められた高級車。黒いウインドブレーカーを着たポーターまがいの案内係。入口近くに置かれたタバコと飲料の自動販売機。小泉たち三人を向かえたスタジオの外観はどこのスタジオでも共通するものだ。
一階の受付で事情を説明した小泉たち三人は、エレベーターで二階のスタジオへあがった。
スタジオの中では九人のセミファイナリストと、ミッキー・アズマ、そして演出家に、スタイリストやヘアメイクを担当する集団の姿が、体中からアドレナリンを出して自分の存在を主張していた。
小泉と阿部は面識のあるミッキーの顔を見つけると、小さく頭を下げた。ミッキーも小泉と阿部の訪問に気づくと、同じように頭を下げてから、二人に近づいてきた。
「ご苦労様です。お二人がこちらにいらっしゃるということは、あずさから電話で連絡がありました。三人のこと、なにか判りましたか?」
ミッキーは小さな声で訊ねてきた。
「いいえ。今のところ、新しい情報は入ってはいません」
小泉が普段通りの声で答えると、リハーサル中のセミファイナリスト九人と演出家、そしてスタジオ中にいる関係者が小泉と阿部へ視線を送った。ミッキーがあわてて小泉の肘をつかんで、スタジオの外に設置されている喫煙ルームへ三人を連れ込んだ。
四方をガラスで囲われた喫煙ルームの中には人の姿はなく、ミッキーと小泉、そして後から入ってきた阿部と課長の四人だけだ。
「ここなら、話し声は外には聞こえない」
ミッキーが独り言のようにつぶやいた。
「なにか、聞かれては困ることでも?」
小泉の質問にミッキーは、顔の左側半分をクシャッとゆがめて、バツが悪そうに答えた。
「三人がいなくなったことは、他の人間には内緒にしてほしいんです。残りのセミファイナリストにも裏方のスタッフにも。昨日皆さんが帰られたあとに、来客があるとリンネが言っていたと思うんですが、その来客とは今ここにいるセミファイナリストのことなんです。行方不明の三人のことはまだ、残りの九人には知られたくはないのです」
ミッキーの発言に小泉はその理由を訊ねた。小泉が推測する理由は「動揺させたくはないから」しかし、ミッキーの口から出た言葉は、「スポンサー企業に、知られたくはないとリンネが言うのです」だった。
セミファイナリスト九人に知れれば、スポンサー企業へ知られるまでの早さはは光ファイバーよりも高速だろう。女性の情報提供の速さはツイッターなみだ。
小泉は困った顔を見せた後に、溜め息をついた。
「今日ここへ我々が来た目的は、先週土曜日のイベントの後から、今週月曜日のレッスン開始までの三人の足取りを調べる事です。先週土曜日のイベント会場には、今日いらしている方、皆さんいらっしゃいましたか?」
ミッキーの表情が記憶を巻き戻している表情へ変化した。小さく口を縦に開くと、土曜日の記憶を語り出した。
「土曜日は、ここにいるスタッフ、そして、セミファイナリスト全て会場にいました。あとは、リンネにあずさ、そしてスポンサー企業の担当者たちです。その他にも、外部ブレーンがいっぱい………」
「行方不明の三人と一番接点があったのは誰ですか?」
「セミファイナリストの全員と、衣装担当のスタイリスト、そしてヘアメイクです。彼女たちは控室の中までいっしょですから」
「その人達から、当日の様子を聞きたいのですが」
小泉の岩をも動かす根の詰めた表情に、ミッキーは片方の眉毛を下げて困った顔を見せた。
「そんなことをすれば、三人が行方不明だとすぐにばれてしまう」
ガラス張りの喫煙室から会話が消えて、耳に入り込んでくるのは煙を吸い込むために回されているモーター音だけになった。
モーター音に合わせて煙が吸い込まれていく。誰かがタバコを吸いだした。喫煙室にいるのは四人だけのはずだ。小泉は煙が発生されている方向を見た。
そこには課長の姿があった。
課長はタバコを咥えながら、微笑んでいる。
「こうしましょう、我々は、最終選考会の会場警備をする警察署の者ということで、当日の警備のために、いろいろ話しを聞きたいということにしましょう。どうですか?」
課長の案に三人は黙り込んだ。課長の案から起こる弊害を推測しているのだ。
沈黙を押し切ったのは課長だった。
「女性ばかりの控室にはなかなか男性である我々は入り込めないから、事前に青写真だけ描いておきたいということで、彼女たちに説明をしましょう」
ミッキーは鼻の頭をかいた後に「仕方がない」と、つぶやいた。
「いいですけれど、このリハーサルが終わってからにして下さいよ」
ミッキーが諦めたように吐き捨てた。
課長は満面の笑みでうなずいた。
小泉と阿部、そして課長の三人はスタジオの隅でリハーサルを見学した。リハーサルの最中にも不審な動きを見せる者や心を動揺させる者がいるかもしれない。
一人一人の動きを入念にチェックした。
リハーサルは、行方不明の三人はいるものと想定して行われている。ダンスやウォーキング、寸劇にスピーチ。決してうまいというレベルではないセミファイナリストが半分を占めているが、残りの半分はきれいにまとまっている。
小泉は〈このうまいほうのグループの中から日本代表は選ばれるのだろう〉と考えた。
「ほら、そこ、ちゃんと聞け!」
演出家で髭面の男が怒鳴る声が、スタジオ中に響く。できの悪いグループの中から二人が、注意を受けている。
「はーい。ごめんなさーい」
注意を受けた二人は悪びれずに笑顔で謝罪の言葉を口にした。その態度からはエンタテインメント業界においては知識の浅い小泉と阿部の目から見ても、反省の色は見られない。
演出家はそれ以上とがめることはせずに、リハーサルを続けた。
スタジオにはミルク臭い女性特有の汗の臭いが充満している。
リハーサル終了後に、セミファイナリストとスタイリスト、そしてメイク担当者がミッキーの合図でスタジオの隅に集められた。
「皆さんに紹介いたします。最終選考会当日に皆さんの警備を担当します、渋谷西警察署の小泉さんと阿部さんと」
ミッキーが課長の顔を見た。課長は「ゴホン」と咳払いをしたあとに「課長です」と自己紹介をした。
セミファイナリスト全員が沸いた。
「すごい。映画のボディーガードみたい。かっこいい」
「私たちって、お姫様?」
「おまもりされちゃうわけ?すごい、すごい!」
そんな言葉が、あちらこちらから聞こえてきた。課長は満足げだ。
「当日の警護のシミレーションをしたいので、直近に行われたイベントで不審な行動を取る人や、何か普段と違う行動を取った人を見なかったかを一人ずつお聞かせいただきたいので、ご協力下さい」
小泉がスタジオ中に響くような大声で話した。
「はーい」
セミファイナリストと衣装やメイク担当者は大きな声で答えた。
聞き取り捜査は、一人ずつ小泉と阿部が行った。時間の関係で、セミファイナリスト九人を小泉が、スタイリストやヘアメイク等の裏方を阿部が行った。
課長は順番待ちのセミファイナリストとじゃれ合っている。その雰囲気は、とても仕事とは思えない。キャバクラでホステスとじゃれている中年のおじさんとたいして変わりはしない。
演出家の髭を生やした男が、ミッキーに耳打ちをしている。
「あの人達は、本当に警察の人なんですか?とくに、あそこでおね―ちゃんをはべらせている男、あいつの顔は仕事じゃなくて遊んでる男の顔ですよ」
ミッキーは演出家の男と同じ思いであると伝えた後に、「たまにはいいだろ。警察なんて、いつもつらい仕事をしているんだから、こんな時間があっても」と、耳打ちをした。
「そうだね。俺たちの知らないところで、苦労しているのかもしれないね。プロっていうのはどこの世界でも厳しいものだから」
聞き取り捜査は女性だけに絞って行われた。男性である演出チームはヒアリングの対象外である。
演出家の男は、ジェラルミンのケースにストップウオッチと台本をしまい込むと、「それじゃ、明日もよろしく」と、言い残してアシスタントの男の子といっしょにスタジオを出て行った。
ミッキーはたたまれたパイプイスを広げると、腰をおろして小泉達のヒアリングが終了することを待った。
どこからか、チャイムの音が聞こえてきた。スタジオから北の方角に区役所がある。チャイムは恐らく夕方の五時を告げるものだろう。スタジオ使用時間は午後五時までのはずだ。
「はい、ありがとう。当日は、がんばってね」
小泉が最後のセミファイナリストへ声を掛けた。リハーサルの時に出来の悪いグループに属していた上田彩だ。上田は下からナメあげるような目で小泉を見上げている。物欲しそうな目つきと表現するほうが正しいかもしれない。
「小泉さんって、独身なんですか?」
上田の視線が小泉の左手薬指へおとされている。小泉も上田の視線の先に気づいたのだろう。視線を自分の左手薬指へ移動させた。
「ああ、そうですが」
小泉は映画ダイハードの中でブルースウイルスが行ったように、左手を自分の顔の横で広げた。リングに封じ込められていない左手薬指が、小泉の目の高さと重なった。
「警察の人って、危険な仕事だからお給料っていいんですよね?」
上田の表情が女性特有の何かを計算している表情へ変化した。
「警察官は、公務員だから、給料は安いよ」
「えっ、そうなんですか?年収で三千万円くらいあるもんじゃないんですか?」
目を丸くして訊ねてくる上田の顔がおかしかったのか、小泉は笑いながら答えた。
「そんなにもらっていないよ。警視総監でもそんなにもらってはいないだろう」
小泉は警視総監の年収がいくらなのか知らなかったが、公務員の給与がいかに低いものなのかを表現するために、警視総監を引き合いに出して説明をした。
「そっ、そうなんですか」
上田は肩をおとして、「お疲れ様でした」とつぶやいて背中を向けた。小泉は上田の背中から上田の心中を察した。なにかに見切りをつけたような雰囲気が体全体から発せられていた。
「それではこれで。ご協力ありがとうございました」
課長がミッキーへ挨拶をすると、ミッキーは困惑した表情で口を開いた。
「どうですか。何か判りましたか?高岡、中沢、木戸の三人はいつ見つかるんでしょう?」
小泉と阿部がメモを取った手帳を開きながら答えた。
「中沢と仲の良かったものは何人かいましたが、それはこのレッスン中だけの話しで、プライベートを共にするほどではなく、新しい情報は得られませんでした。高岡、木戸に関しても同じで、土曜日のイベント終了後に控室から二人がいっしょに帰る姿を目撃した者が何人かいましたが、その後の足取りまで知っている者はいませんでした」
小泉の話に続いて、阿部が口を開いた。
「スタイリストや、ヘアメイクも同じです。土曜日に高岡と木戸がいっしょに控室を出て行く姿を見た者はいましたが、その後は………」
「そうですか………」
ミッキーの表情はくもったままだ。小泉がふに落ちない表情のまま、ミッキーへ訊ねた。
「ここまで、二ヶ月半の間苦楽を共にした仲間が、トレーニングやリハーサルに姿を見せないことに、彼女たちは違和感を持たないのでしょうか?」
ミッキーは小馬鹿にしたように小さく笑うと「ふっ」と、息を吐いた。
「彼女たちからすれば、ライバルが減るわけですから、喜ばしいことじゃないですか。それに、そんなことで動揺していたら、リンネに怒られます。無人島での生活や厳しいトレーニングは、生存競争の中で生き残っていく、メンタリティを鍛えるためにやっています。世界一の美女になるということは、内面と外面の美しさと強さを兼ね備えていなければならない。それが、リンネの考え方です」
「なるほど」
小泉は納得した、阿部も課長も納得したような表情を見せている。
つづく