プロローグ~1
女性の美しさを競うコンテストをミスコンという。
大学校内で行われる小規模なものから、世界規模で行われる大規模なものまで、規模はまちまちだが、コンテストにかける女性の意気込みと規模の大小は比例しない。
ミスコンの選考は、三段階でふるいにかける。この行程も規模の大小に左右されない。
最初にエントリーシートによる書類審査。ここで、ふるいの中に残されたものは、オーディションという名の面接に進む。
面接ではふるいのマス目はさらに細かくなり、容姿や社会的常識、知性をチェックされる。審査員という名の面接官の好みにもよるが、ときどき「なぜ、このコが?」というコが混ざってしまうのもこのふるいだ。
最後のふるいは本選へ向けてのレッスン期間。その期間内に最終審査へ進むことが許されるセミファイナリストが選出される。そして、選りすぐりのセミファイナリストの中から一名の勝者が選ばれることになる。
世界規模で行われるミス・ユニバーサルもその類に漏れてはいなかった。書類審査、面接、レッスンというハードルをクリアした十二名のセミファイナリストが選出され、きたるべき本選会において今年の日本代表が選び出されることになる。
しかし、少しだけ困ったことが起こった。今年の日本代表が決定する本選会まであと数日とカウントダウンされたある日、ミス・ユニバーサル、セミファイナリスト十二名のうち、三名が忽然と姿を消したのだ。
犯人からの要求はなく、すでに三日が経過している。
1
代官山の高層マンションのワンフロアを間借りしているインターナショナル・ジャパンビューティー社は、ミス・ユニバーサル日本代表の選考管理と、ディレクション管理を行っているベンチャー企業だ。
七十㎡ほどあるオフィスの入口近くには、賓よくまとめられた応接室がある。フランス人デザイナーの手によって描かれた、グラッフィックアートが壁に飾られ、緑豊かな観葉植物が部屋の空気を心地よいものに保っている。
アーティスティックとも、マイナスイオンとも関連性が見られない生命体が二つ、応接用ソファーに体を沈めている。
「その後、三人に関する連絡、あるいは三人からの連絡は入っていないのですね」
渋谷西警察署のベテラン刑事小泉純一が、腕組みをしたままコーディネイト・ディレクターであり、ジャパン・インターナショナルビューティー社の代表取締役でもある、リンネ・グロリアへ訊ねた。その隣では小泉の片腕、阿部泰三が手帳にメモをはしらせている。
「ええ、無いわ」
窓際にたたずんだリンネは、小泉に背中を向けたまま、欧米なまりではあるが日本語ではっきりと答えた。
リンネの立ち振る舞いを見た小泉は、右手の人差し指で鼻の頭をかきながら《こいつは手ごわいな》とリンネへは聞こえない声の大きさでつぶやいた。小泉ほどのベテランになれば、捜査に協力的か非協力的かは一言二言の会話から推測することができる。
リンネの右手の人差し指が、水平に延びた柔らかなブラインドの一片を指一本分押し下げた。そして、自分の視線を窓の外へ移した。
高層階から見下ろす下界はジオラマのようで、人や車が小さなおもちゃに見える。宮殿の上や、城の天守閣から下界を見下ろした女王や姫の気持ちが理解できるアングルだ。
このマンションに事務所を構えたリンネも、そんな感覚にひたっているのかもしれない。
「リンネさん。あなたの経歴について確認したいのですが、よろしいですか?」
小泉の低く落ち着いた声がリンネの背中へ投げかけられた。《こいつは手ごわい》と、感じた相手に小泉が使う手だ。
初対面の相手の経歴を確認することが、捜査に必要なこととは思えない。そこまで突っ込んだ質問をすることで、相手を構えさせてしまうこともある。しかし、小泉のやり方は違う。警察の情報収集能力を誇示したいのだ。
警察は捜査のプロだ。警察の手に掛かれば一人の人間の経歴を調べる事などたやすいことだ。下手なウソをついてもすぐにすぐにばれるぞ!という警告を込めて、小泉はこの手を使う。
小泉はソファーに腰を沈めたまま、上体を少しだけ前へずらした。小泉の体重の半分近くを受け止めていたソファーの皮がブブブと音をたてた。おならに似た音に気を取られたのか、リンネはブラインドの間にはさみ込んでいた人差し指をゆっくりと引いた。そして、上半身を小さくひねって小泉の表情へ視線を送った。
「私の経歴?そんなものは、関係ないでしょ」
「いえいえ、リンネさんの経歴は素晴らしいものです。その素晴らしい経歴をこの阿部に聞かせてやりたいんです」
リンネは〈そんな話しは、自分がいない場所ですればいいのに〉と、思いながらも〈日本人独特の習慣なのかもしれない〉と、考えなおした。
負けず嫌いのリンネは納得したような表情を作った。そんな日本人独特の習慣は自分も理解しているとでも言いたげに、小泉の表情を見つめて首を縦に振った。
小泉は左側の口角を上げてリンネの視線に答えると、左手で広げた手帳へ書かれた文字列を読み上げた。
「リンネ・グロリアさん。三十五歳。フランスはリヨンの出身。日本には十一年前に来日。来日の目的は日本文化に興味があったから。仕事は広告代理店の営業職を一年経験したあと、ミス・ユニバーサルのナショナルディレクターに。ミス・ユニバーサルナショナルディレクターの職についたきっかけは、フランス時代の友人が韓国のミス・ユニバーサルナショナルディレクターの権利を購入。その友人から日本の権利も売りに出されていると教えられた。そして、その権利を買わないかと持ちかけられ、購入したことがきっかけ」
小泉の視線は手帳の上とリンネの表情を交互に移動させた。リンネは小泉と視線を合わせて話を聞いた。阿部が、興味深そうに手を挙げた。
「あの、ミス・ユニバーサルの権利は、お金で買えるものなのですか?」
窓の外に視線を移したリンネは、動揺した様子も見せずに阿部の質問に答えた。
「ええ、買えるわ。ただ、お金だけでは買えないわ」
「お金だけでは買えない?それでは他に何が必要なのですか?」
阿部の質問にリンネは鼻から小さく息を吹いて、左肩からゆっくりと振り返った。
「マインド。パッション。そして、自分を信じる心と知識。そして、最後に才能ね」
リンネの表情は緩やかにくずされている。その表情にあわせるかのように、小泉も表情をくずした。
「ミス・ユニバーサルナショナルディレクターの職についた後、昨年までに十人のミス・ユニバーサル日本代表を選び出した。二年前の世界大会では、日本代表が準ミス・ユニバーサルに選ばれ一躍脚光を浴びる。しかし、昨年の世界大会で日本代表は最終選考にも残らず、あなたはひどく落ち込んだ」
小泉の「あなたはひどく落ち込んだ」という言葉に、リンネの肩はピクリと反応した。欧米人らしい青い瞳が小泉をにらみつけた。
「私は落ち込んでなんかいないわ。むしろ、爽快な気分だったわ。彼女は落ちて当然だったのよ」
声を荒げて反論するリンネの雰囲気を不審に思ったのか、小泉の視線はリンネの表情にロックされた。
一度も海外旅行へ行ったことがなく、四十歳にして未婚の小泉はリンネのような女性がいい意味でも、悪い意味でも新鮮に見えた。
「どうして、そんなに声を荒げるのですか?」
小泉は眼球を動かさずに、目蓋を少しだけ下へおろして眉間にシワをよせた。焦点はリンネの表情に合わせたままだ。
「あなたが、間違った評価をするからよ」
リンネは両手を小さく広げて首を横へ何度か振った。小泉と阿部の視線はリンネの表情から他へ移されることはなかった。「ふっ」小泉が小さく息を吐いた。
「失礼。フランス出身のあなたと、我々日本人では感にさわる部分が違うようですな」
小泉は斜めに小さく頭を下げた。小泉の行動にあわせるように阿部も頭を下げた。
「ふっ、そうね」
リンネは鼻から小さく息を吐きながら小さく笑った。
〈フランス人ぽい屈折した考え方だな〉小泉は視線を手帳におとして再び口を開いた。
「そして、今年こそは、そのリベンジとして、優勝をねらっている」
「リベンジ?その意味も違う。リベンジなんて過去を振り返るようなことはしない。私はいつも前を向いている。常に勝つことだけを考えている」
リンネは腕組みをして、再び窓の外へ視線を向けた。
「リンネさんの経歴は大筋で間違ってはいないということで、本題に入りましょう。セミファイナリスト十二名のうち、三名の安否が確認できないということですが、その経緯をお話しいただけませんか?」
「ええ、いいわ。その前にトレーナーのミッキー・アズマを紹介するわ。彼のほうが詳しいはずだから」
リンネは開きっぱなしのドアの奥へ視線を飛ばした。飛ばされた視線は体温の高い生き物に吸収された。その生き物はゆっくりと応接室へ足を踏み入れてきた。
身長は百八十センチメートルくらい。阿部泰三と同じくらいだ。横幅は狭く、メタボリックという表現がおおよそ似合わない、体脂肪は一桁代前半を想像させるスリムな体型の男だ。
「失礼します。トレーナーのミッキー・アズマです」
黒い肌の男は礼儀正しく頭を下げた。名前と容姿からして、ハーフかクォーターのようだ。
「彼が、セミファイナリストにダンスとウォーキングそれに、発声を教えているの。インターナショナル・ジャパンビューティー社の専務も兼ねているわ」
リンネがミッキーの腰に手を回した。ミッキーとリンネは顔を見合わせて微笑みあった。
「ミッキー、三日前のことを話してあげて」
リンネがミッキーに微笑みかけた。口元は笑っているが、目は笑っていない。
「ああ、解った。お話ししよう」
ミッキーはソファーに華奢な腰を沈めると、記憶をたぐり寄せるようにしながら話し始めた。
「三日前、スタジオではセミファイナリストのレッスンを行うことになっていた。そのスタジオに来るはずだった、高岡紗綾と、中沢くらら、そして木戸桃香の三人が姿を見せなかった。三人とも、今までに無断でレッスンを休むことは無かったので、不思議だった」
ミッキーの目が泳いでいる。焦点はあっていない。話し方も日本語が不慣れなのか、たどたどしい。
ミッキーの表情を見つめる小泉の眼光はするどい。目、口、鼻、眉。全ての変化を見逃さないようにしている。
「私はレッスンを開始する前に、三人の携帯電話へ連絡を入れた。しかし、だれも電話にはでなかった。しかたがないので留守番電話にメッセージを残して、残り九名のレッスンを開始した」
「その電話はミッキーさんが直接掛けたのですか?」
阿部がミッキーの話しに割り込んだ。小泉も眉毛をピクリと動かして、ミッキーの返事を待った。
「いや、電話はスケジュール管理をしているあずさが掛けた。私は掛けるように指示をしただけです」
「えっ、さっきは自分で掛けたように話していましたが、電話は代理の方が掛けたのですか?」
阿部が一オクターボ高い音域で矛盾を突いた。ミッキーの表情が困惑した表情に変化した。小泉はその表情を記憶のデータカードに書きとめた。
「あずさ、この部屋に来て」
リンネが大きな声をあげた。リンネの声に吸い付けられるように、隣の部屋から高身長で細身の女性が姿を見せた。背筋はまっすぐに伸びて、モデルのようだ。この女性があずさなのだろう。
「はい、なんでしょうか?」
「三日前、行方不明のセミファイナリスト三人へ電話を掛けたのは、あなたよね」
リンネの事務的な声が響く。あずさは、リンネの声に威嚇されながら唇を開いた。
「はい、そうです。私が掛けました」
「その電話は、呼び出し音は鳴りましたか?」
阿部が訊ねると、あずさは顔を十五度ほど阿部の方向へ動かした。
「いいえ、鳴りませんでした。三人ともすぐに留守番電話になりました」
「メッセージは、留守番電話へのメッセージはなんて入れましたか?」
「今日は三時からレッスンの日です。忘れていませんか。連絡を下さい。と、入れました」
あずさの話を阿部は、メモに残している。
「で、折り返し連絡はあったのですか?」
ソファーに座った小泉が、下から見上げるようにあずさの顔を見た。あずさも、小泉の視線に自分の視線をあわせた。
「いいえ、ありませんでした」
「あずさ、ありがとう。もういいわ」
リンネがあずさの両肩を抱いて、少しだけ力を入れて隣室へあずさの体を押し返した。あずさは小さく頭を下げると、部屋を出て行った。
ミッキーがタイミングを計ったように話し出した。
「あずさに電話をしてもらって、僕は予定通りにレッスンを始めた。レッスンは三時間。ウォーキングと発声、それにダンス。これで、三時間。三時間しても三人から、連絡はなかった」
「過去に、そういったことは?」
小泉の質問が理解できなかったのか、ミッキーは眉間にしわを寄せて小さく首を横に振った。リンネも同じように首を横に振っている。
「失礼。その三人はいままでにも、レッスンを無断で休んだことはありましたか?」
小泉が自分の質問を解りやすく解説した。ミッキーもリンネも質問の意図が飲み込めたようだ。
「今までに無断でレッスンを休んだことはない」
ミッキーは断言した。太陽は東から昇るものだというのと同じくらい、常識的なことだと言わんがごとく断言をした。
「その後どこかへ連絡はしましたか?例えば、彼女たちの所属事務所であるとか」
阿部の質問にリンネは「フーッ」と鼻から息を吐いた。
「所属事務所などないわ。彼女たちは全国からオーディションで選ばれたの。フリーなのよ。芸能事務所やモデル事務所には所属していないわ」
リンネの言葉に不信感を抱いた阿部が、手元のメモを読み上げた。
「二〇〇二年のセミファイナリスト十二名のうち十名は、モデル事務所に所属をしていたという情報が入っていますが」
小泉と阿部の視線が鋭くなった。リンネの呼吸の回数が増えてきた。顔色も赤みを増している。
「それは、十年も前の話。いまは、全国から応募してきた一般女性の中から選んでいるわ。セミファイナリストとしての契約も、ここインターナショナル・ジャパンビューティー社と直接交わしている。芸能事務所やモデル事務所との契約はないわ」
興奮した様子のリンネに、ミッキーが助け船を出す。
「そう、彼女たちは、インターナショナル・ジャパンビューティー社と契約を交わしている。あいだに芸能事務所は、はさんではいない」
リンネとミッキーの表情と仕草に嘘はなさそうだ。阿部も小泉も同じ考えだ。二人で顔を見合わせたあとに、次の質問へ移った。
「最初に警察へ連絡をしてきたのはどなたでしたっけ?」
「スポンサー企業の社員でしょう。たしか、インターネットで検索サービスを提供しているゴーグルジャパンの社員」
「スポンサー企業の社員が、なぜ、最初の通報者なのですか?」
小泉は誰もが不思議に感じる部位をつっついた。
「最初の通報者、そのゴーグル社の社員は、中沢くららのファンなのよ」
リンネは吐き捨てるように言葉を放った。リンネの様子は明らかにおかしい。小泉がリンネへ鋭く質問を浴びせた。
「おや、リンネさん、興奮されているようですが、何か気にさわることでもありましたか?」
「いいえ。聞きたいことがあるのならば、早くしてもらえないかしら。もうすぐ、来客があるの」
「来客?これはまた、失礼いたしました。あと、十分だけ時間を下さい」
小泉は小さく頭を下げた。リンネも渋々了承した。
「行方不明になった中沢くららさんのファンだというスポンサー企業社員の方が、なぜ中沢さんが行方不明と解ったのでしょうか?」
「中沢の携帯電話にその社員、たしか杉本康二が電話をした。そして留守電にメッセージを残したけれども、折り返し返事がなかった。不審に思った杉本が中沢の家を訪ねたけれど、部屋には人影がなかった」
リンネがそこまで話すと。ミッキーが続きを話した。
「そして、心配になった杉本が警察に相談した。そして、あなた方がここにいる」
小泉が右手人差し指で、側頭部をポリポリと、かきだした。阿部も同じように側頭部をかいている。阿部が小泉の代わりに切り出した。
「その杉本さんは、なぜ、中沢さんの電話番号を。そして、自宅を知っているのでしょうか?」
「スポンサー企業の社員が彼女たちに電話番号を訊ねることはよくあること。自宅もイベントの帰りに送って行って知ったと思うわ」
めんどうくさそうに答えるリンネの横顔を小泉はにらみつけた。そして、口を開いた。
「イベント?イベントと言いますと?」
「スポンサー企業主催で行われるパーティーや発表会などのイベントに、セミファイナリストを出演させているの。そのときに住所や電話番号の交換をして、その帰りに家まで送って行くことはよくあること」
リンネがめんどうくさそうに話した。阿部が手帳に何かをメモしながら訊ねた。
「その杉本という男は、高岡紗綾と木戸桃香とも接点はあったのですか?」
「ええ、恐らくあったでしょう。二人も先日のイベントには出ていましたから」
「先日のイベントとは、いつどこで行われたイベントですか?」
「六本木ヒルズのアリーナとよばれるオープンスペースで、一週間前に。そこには、セミファイナリスト十二名、全員そろいました」
ミッキーが壁に掛けられたスチレンボード製のパネルをあごで指した。A1サイズのパネルには白いワンピースを着た十二名の美女たちが、思い思いのポーズを取っている姿が写されている。
「この十二名がセミファイナリストの皆さんですか?」
阿部の質問に、ミッキーが「ええ」とうなずく。
「皆さんおきれいですね。で、この中に行方不明の三人も写っていますか」
阿部がミッキーの顔を、小泉はリンネの顔を見つめた。
「ええ、もちろん。一番左側の一列目が中沢くらら、同じく一番左側二列目が木戸桃香。そして、一番右側の二列目が高岡紗綾」
衣装もメイクも同じコンセプトのもと、施されているので四十歳をむかえた小泉には、十二名すべてが同じ顔に見えてしまう。
三十歳を向かえる阿部が目をこらして三人の顔を凝視している。三人の顔の特徴を目に焼き付けようとでもしているのだろうか?
「済みません。捜査に必要なので、この三人の写真をお借りできませんか?」
小泉がリンネへ向けて淡泊に頼んだ。リンネは「ええ、いいわ」と言うと、奥の部屋にいるあずさへ向けて怒鳴った。
「あずさ、高岡、中沢、木戸。三人の写真付きプロフィールを用意して、この刑事さん達へお渡しして」
奥の部屋からは「はい」という、あずさの返事が聞こえるだけだった。
写真付きプロフィールが用意されるまで、しばらく時間が掛かるようだ。阿部が、時間つぶしに質問をしてみた。
「セミファイナリストになると、レッスンやスポンサーのイベント参加。その他にはどんなことをするのですか?」
「他には、ないわ」
リンネは黙秘権を行使する容疑者のように、短い言葉だけで答えた。
阿部に変わって小泉が質問をした。
「レッスンというと、ダンスやウオーキング、そして発声練習。それ以外に高層ビルを一階から最上階まで階段で登り、そして降りてくる。そんなこともされていますよね」
「ええ、しているわ。レッスンと言うよりはトレーニングね」
「それに、無人島で一週間過ごすなんてことも、されていますよね。それは、何のために?」
高層ビルの階段の件も、無人島の件も小泉はテレビのドキュメンタリー番組で見て知っていた。
「メンタリティーを鍛えるためよ。日本人の間では、きれいでかわいくしていることが美とされているけれど、世界ではそれでは通用しないの。世界一の美女になるためには、外面の美しさより、内面の美しさを鍛える必要があるわ。そのための、トレーニングよ」
「無人島で生活したり、高層ビルを階段で登ったりすることで内面の美しさを鍛えられるということですか?」
「ええ、そうよ」
「全てのセミファイナリストが、文句も言わずに、そんなトレーニングを受けているというのですか?」
「いいえ、違うわ。セミファイナリスト十二名は、トレーニングを受けて勝ち残ってきた十二名。途中で脱落したのは七名もいるわ。みな、やる気を見せなかったり、階段を登ることを拒んだり、そんな七名は私が途中で、帰したわ」
阿部は《さすがフランス人。日本人とは思考が違う》と心の中でつぶやいた。
「お待たせしました」と言いながら、あずさが部屋へ入ってきた。三人の写真つきプロフィールは角四型の封筒に入れられてあずさから阿部へ渡された。
「それでは、今日の所はこれで、失礼いたします。何か、気づいたことがありましたら、最初にお渡ししました名刺までご連絡下さい」
阿部が軽く頭を下げた。
「あっ、それから」
小泉が確認するように口を開いた。
「今、警察にはゴーグル社の杉本さんから、威力業務妨害として、被害届が出されています。インターナショナル・ジャパンビューティー社としては、被害届を出すお気持ちはありませんか?」
「ないわ」
リンネは間髪入れずに答えた。
「その理由は?」
肉食動物が獲物の行動を一瞬たりとも逃さないような目つきで、小泉はリンネの表情へ視線を刺した。
「事を荒げたくないの」
リンネは冷めた表情でつぶやいた。
「事を荒げたくない………解りました。犯人からなにか要求や、本人から連絡があったら、お手数ですが早めに教えて下さい」と、言い残すと小泉と阿部は部屋を出た。
小泉と阿部が退室してからも、リンネのいらだちはおさまらなかった。机の上の書類を床にぶちまけて、奇声をあげる。その奇声を聞きつけてあずさが応接室へ飛び込んでくる。
「リンネさん、どうしたんですか?」
「あずさ、電話を持ってきて。私の携帯電話を持ってきて」
力強い口調のリンネの言葉に押されて、あずさは社長室のテーブルの上に置かれたリンネの携帯電話を持ち主であるリンネへ渡した。
携帯電話を受け取ったリンネは、アドレス帳から高岡紗綾の電話番号を導き出して、発信ボタンを押した。受話器からはプップップッという音の後に、「メッセージセンターへ接続します」と、機械的なアナウンスが流れた。
リンネはメッセージ音を全て聞き終わってから、大きく息を吸った。吸った息は声となって吐かれた。
「今日中に連絡してこないと、首にするわよ!」
リンネの大声が部屋中に響き渡った。あずさもミッキーも、その声には慣れっこだったので驚きはしなかった。
リンネは同じ行動を中沢くららと、木戸桃香にもとった。
木戸は呼び出し音が鳴ったが、中沢は鳴らなかった。リンネは二人の留守番電話にも同じようにメッセージを残した。
「今日中に、連絡してこないと、首よ!」
小泉と阿部はゴーグル社の杉本が勤める渋谷オフィスへ向けて車を走らせた。ゴーグル社の渋谷オフィスは国道二百四十六号線沿いにあり、代官山から車で五分くらいの場所だ。
車中で小泉と阿部は、届け出の確認をした。届け出は捜索願いではなく、威力業務妨害。
捜索願いは親族、又は配偶者などでないと届け出ることはできない。
今回、警察へ届け出てきたのはスポンサー企業ゴーグル社の社員、杉本。
杉本は親族でも配偶者でもない。したがって、捜索願いを出すことはできない。そんな話しを、渋谷西警察署からされた杉本は、今回は威力業務妨害として届け出ることにした。
では、なぜゴーグル社が、威力業務妨害として届け出ることは可能なのだろうか。それは、杉本の勤めるゴーグル社はミスユニバーサルのスポンサー企業。スポンサー企業は、ミスユニバーサルを通じて、自分の企業のイメージアップを図ることを目的としている。
セミファイナリスト十二名のうち三名が抜けるということは、マイナスイメージにつながる。つまりは、イメージアップを図るという業務を妨害されたということだ。
そんな理由付けから、威力業務妨害としての届け出になった。だが、阿部は納得がいかない。「でも、そのイメージアップは主催者が代行して行っているから、届け出はインターナショナル・ジャパンビューティー社が出さなければならないのではないでしょうか?」と、小泉に訊ねた。
阿部の指摘は当たっている。直接イメージを損なうのはミスユニバーサルを運営する、インターナショナル・ジャパンビューティー社である。届け出は、インターナショナル・ジャパンビューティー社から出されるべきである。
「だから、いま、確認してきたんだろ。ジャパンビューティー社では出す気はないと」
小泉は短い言葉で告げると、「そのビルだ」と、斜め左側にそびえる四十階建てのビルを指した。阿部はウインカーを出して、ゆっくりと左側の車線へ車を寄せた。
「でも、なぜインターナショナル・ジャパンビューティー社からは出さないのでしょう?」
「さあな」
小泉は阿部の質問にカラ返事で答えると、左側にそびえ立つ四十階建てビルのてっぺんをにらんだ。
「リンネのオフィスも高かったが、ゴーグル社が入っているビルも高いな。欲望の高さはどっちが上なんだろう?」
小泉の独り言が静かな車内に響いた。