彼氏ソムリエ
「この橋本宏明さんは繊細なベルベットのような感触があります。口づけをすると、まるで森の中を散策しているかのような、フレッシュなベリーと野生のハーブの香りが広がって、それはまるで春の訪れを告げるかのような爽やかさです。デート中に見せる気遣いもまた春の初めの風のように優しいです。デートを終えた後の余韻についても、洗練されたオーケストラのように、長く静かに響き渡ります」
ホテルの最上階にあるレストラン。彼氏ソムリエとして私が、来客である女性に彼氏をそう紹介すると、女性側が小さく頷いた。それから「結婚相手としてはどうですか?」と私に尋ねてくるので、私は「このような男性ですが、安定的な家庭を望むお客様にはいつもおすすめしております」と説明した。
女性側がほっとため息をつき、それから彼女と、私によって評された彼氏側が見つめ合い、微笑み合う。私はそんな幸せそうな二人を見守りながら、喉元まででかかった言葉をグッと飲み込むのだった。
まあ、私だったらこんな優しいだけの男は物足りなくて嫌ですけどね。
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私は彼氏ソムリエとして名だたるレストランを渡り歩き、さまざまな彼氏をテイスティングし、自信を持ってお客様に紹介を行ってきた。テイスティングとはその言葉通り、一日一緒にデートをして、その彼氏の特徴や人となりを分析し、それを言葉でわかりやすく表現するというもの。彼氏ソムリエ界隈ではそのテイスティング行為を人間讃歌の作詞と呼ぶ習わしがあるくらいだった。
ガサツな彼氏もいれば、気が回りすぎてこっちが気疲れしてしまう彼氏もいる。お腹が出ている彼氏もいれば、引き締まった身体の彼氏もいる。でもどんな男性にだって、その人には人なりの魅力が備わっている。私たちソムリエは短い時間で、彼の長所、短所を見極め、そしてそれを言語化する。テイスティングはその人に対して偉そうに点数をつけるわけでない。ティスティングはその人の個性を言語化し、その人の良さを依頼主に伝えるための神聖な行いだ。
大事なことなのでもう一度。ティスティングはその人の個性を言語化し、その人の良さを依頼主に伝えるための神聖な行いだ。ただ、それはあくまでその人の良さがあればの話だけれど。
「彼氏ソムリエの方とお会いするのは初めてですよ。ひょっとしてこの婚活パーティにいらしているのも、お勉強のためだったりするんですか? 僕もテイスティングされちゃうのかな? あはははは」
そんなわけないですよー。私は込み上げてくる苛立ちをぐっと抑え込みながら、目の前のパイプ椅子に座った冴えない男に愛想よく返事をする。私は虚無時間をなんとかやり過ごそうと、会話を話半分で聞きながら男性を観察してみた。髪の毛は頭頂部付近が薄くなっており、白髪が点在している。目の下には深いクマが刻まれていて、乾燥による小皺が実年齢よりもずっと彼を老けさせていてるような感じがした。スーツもなんだかサイズが合っていないようで、体型をカバーするどころか余計に彼のぽっちゃりとした身体を強調していた。
あなたなんかテイスティングしたらお腹壊しちゃう。別れ際、ありがとうございましたというお礼の言葉と共に、私は男性に心の中で吐き捨てる。それから次の男性が視界に入った瞬間、再び虚無時間が始まることを、私は悟るのだった。
仕事のせいで舌が肥えちゃってるんじゃない? 婚活で苦戦する私に、友達が言った言葉を思い出す。確かにいつも私がテイスティングしたり、お客様に提案する彼氏はここにいる人たちよりもずっと洗練されている。でも、ソムリエとして知っているからと言ってそれが結婚に結びついてくれるわけではないことも知っている。だからこそ私は必死だったし、それだけ苦労しているとも言える。
私はそれからも必死に婚活に励んだ。途中でここら辺でもいいかなと妥協しそうになった時もあったけれど、彼氏ソムリエのプライドから、なんとかそれを踏みとどまってお別れを言い渡した人もいる。お金と時間無尽蔵に使い、私は出会いを求め続けた。
そして、ついにある日。私がひっそりと心の中で決意していた全ての条件を満たす男性が現れてくれた。ここを逃したら、数ヶ月、いや数年近くはチャンスがないかもしれない。私は彼に狙いを絞り、必死にアプローチをかけた。そして、その結果私は意中の彼を口説き落とすことに成功し、無事真剣交際のフェーズへと移ることができた。真剣交際中でのデートもお互いに打ち解け合い、素敵な時間を過ごすことができた。同じ時間を過ごせば過ごすだけ、彼に対する気持ちは強くなっていったし、彼となら結婚できると私は心の中で強く思い続けることができた。
だからこそ、彼が私と並行して、数人もの女性とデートをしているという事実を知った時、私は衝撃的すぎて涙すら出てこなかった。
私が彼を問い詰め、彼はそれに対して言葉を濁す。そんな喧嘩を繰り返しながら、私は必死に彼とデートをしていた女性が何者であるのかを聞き続けた。そして、何時間もの話し合いの末、ようやく彼は渋々と一枚の名刺を取り出し、それを私に渡してくれる。私はそこに書かれていた言葉を読んで、なんだそういうことかと一人で納得した。私はもらった名刺に書かれていた彼の職業を再び目を向け、周りにもわかるような意地悪な声でそれを読み上げた。
職業:彼女ソムリエ見習い