空木(うつぎ)に抱(いだ)かれて
「あの。こんな所でどうしたんですか?」
『えっ?!
あ、行きたい所があるんだけど、どっちに行けばいいか分からなくて。
でも、大丈夫です!スマホで調べるんで。』
「そうですか。じゃあ。」
『はい。……どうも。』
「あの、なんで着いてくるんですか。」
『いや!別にそう言う訳じゃ!
たまたま行こうと思ってる所が君と同じ方向だったってだけで。』
「はぁ……。」
『ホントだって。
ほら、ここ!ここに行こうと思って!』
「あー、ここ。」
『このSNSの画像見て、本物を見たいな、って思ってこの場所を探しながら歩いてただけだから。』
「でもこれ、特に何が面白いって物じゃないですよ。」
『そう...なのかな。』
「…失礼ですけど、あなたこの辺の人じゃないですよね。これをわざわざ見に来たんですか?」
『いやいや。
たまたまこの近くのホテルに泊まってるんだけど、こんな早い時間に目が覚めちゃって。暇だしちょっと散歩をね。』
「それで、どうしてこれを…。
有名な物でもないのに、よく見つけましたね。」
『ホテルの人にこの辺あたりに何か見る所がないか聞いたら教えてくれたんだよ。』
「ああ、どうりで。」
『うーん。
君は大した事ない様な言い方したけど、ホテルの人が勧めてくれるくらいだし、きっと何か感じる事が出来ると思うんだけどなぁ。』
「感じる?」
『えっと。
実は、音楽をやってて全国をあちこち回ってるんだけど。
今、曲作りにちょうど煮詰まってて何か刺激が欲しくてさ。』
「ごめんなさい。有名な人ですか?
私、音楽関係に疎くて。」
『いやぁ。全然売れてないし。知らないの当たり前だから気にしないで。』
「ごめんなさい。」
『あんまり謝られても逆に申し訳ないから。ほんと、あはははは。』
「……。
その場所、分かりにくいと思いますよ。」
『そっかぁ。参ったな。』
「あの。その場所教えましょうか?」
『えっ、いいの?』
「はい。」
『あっ!でも、見ず知らずの人の言う事信じて大丈夫?危ないよ?』
「危ない人は自分からそんな事、言わないと思いますよ?
さあ、行きましょう。こっちです。」
『あのー。』
「はい。」
『お願いしておいて何だけど、時間とか大丈夫?用事とかあったんじゃない?』
「いいえ。大丈夫ですよ。」
『こんな朝早くに歩いてるって事は、これからどこかに行くつもりだったのかな、と思ってさ。』
「深夜のバイトが終わって家に帰るところだったので気にしないで下さい。」
『じゃあ、疲れてるでしょ。ごめんね。』
「本当に大丈夫ですから。
それにしても、刺激が欲しいんだったら、こんな何も無い町じゃない方が良かったんじゃないですか?
あるのは山と景観がいいってことしかない、ただの田舎ですよ?この辺。」
『言い方が悪かったな。刺激っていうか、インスピレーションを求めてっていうか。』
「あの、どんなジャンルの曲を作ってるんですか?」
『あー。インストゥルメンタルとかBGM。』
「あ、成程。何となく納得しました。
その…もっと激しめな感じな曲を作ってるのかと。」
『やっぱり意外なんだ。』
「いえ。そんな事は。」
『気にしないで。みんなにそう言われるから。
外見で落ち着いた感じとは程遠く見られるんだよね。
好きな服を着て好きな髪型してるだけなんだけどなぁ。』
黒の長髪を無造作にハーフアップした髪型に、耳には無数のシルバーのピアス。
皮のジャケットとロングブーツに細身のパンツとアクセサリー。
どっちかと言うと反対路線の人達のカッコだよなぁ、と我ながら思う。
「えっと。ちょっと聞いてもいいですか。」
『なに?』
「その…ピアスの穴って、いくつ開いてるんですか?」
『右耳に3つ、左耳に2つ。あとおへそにも1つ。』
「耳、重くないですか?そんなに付けて。」
『もう慣れてるからなぁ。気になんないけど。』
「へぇ、そうなんですね。
やっぱり、も1つ開けようかな。」
『あれ?君もピアス開いてるんだ。なんでつけてないの?』
「私は両耳に1つづつですけどね。今日はちょっと…。
あ、この中です。」
『公園?』
「行きましょう。」
『きれいな公園だな。』
「入口は。
雑木林を公園にしたんでこの辺はそれなりに見れるように整備されてますけどね。
この小道を右の方へ行くと野球ができるくらいのグラウンドと広場があって、このまま真っ直ぐ進むと森林浴ができる様に散歩コースになってます。
スポーツが出来る施設を作って、他所から人をこの町に呼び込む予定だったんでしょうけど、それも何年もたてば目新しくもないので、最近では利用するのは地元のごく一部の人達になってるんですよ。」
『ふーん。勿体ないなぁ。こんなに気持ちいい場所なのに。』
「そんなもんじゃないですか?役所もここを作って何年かは色々宣伝してましたけどね。」
『うーん。
近くにホテルに温泉もあるんだから、有名なスポーツ選手来て合宿してもらって、それを見に来るツアーとか。
あと、んーと、何かないかなぁ。これだけ広いんだから…。
あ、そうだ!
バザーとかフリマとか楽しそうじゃない?子供が遊べるスペース作っておいてさ!だったら毎月とか定期的に出来そうだし。』
「ぷっ。くすくす。」
『え?なに?』
「いえ、そんなに真剣に考えるなんて思ってなかったので。」
『あー。そう…だね。
考えても、だよね。あははは。』
「目的のものはそっちじゃなくて、こっちの奥の方なんで行きましょう。」
小道の両脇には、元々生えていた木々なのだろう、かなりの高さの針葉樹がそそり立っていた。
そして日差しを遮るかの様に枝は広がり、白い小石が敷き詰められた道にその影を落としている。
歩みを奥に進むにつれて手入れを忘れているのか、放置されてるのか、雑草が伸び放題になる場所が目立ち始め、
その陰に隠れた虫たちの声が耳に心地よく響く。
「ここを降ります。滑るんで気をつけて。」
『こんな所に?!確かにこれじゃ分からないな。』
小道脇の軽く傾斜のついた斜面を後に続いて降りる。
雑草が生えているが地面が粘土質のせいか滑りやすくなっていて足をとられそうになり、腰を低くしながら下ると小道の下の一部がくり抜かれたように、ぽっかりとしたトンネルの様な空間が出来ていた。
足元は穴の反対側の方に進むに従って緩やかに下っていて、湿った土の感触とじっとりとした空気と苔の匂いが鼻をつく。
「ここです。」
『えっ?ここ?』
「ほら、内側のあそこに。」
『あっ!ホントだ。
こんな所にあるんだ。これはひとりだったら見つからないな。』
トンネルの内側の壁は補強の為に舗装されていたが、そこにソレはあった。
しろい。
あおじろい魂の壁画。
ひと目見た時そう思った。
『母親が子供を抱きしめてる母子画か。
白と青で描かれた肌。穏やかな顔。
力強いんじゃないけど、芯の強いそんな母親かな。
だからかな。丸めた身体に抱いだいた赤子は母親の愛情を感じて安心して眠ってる。』
「どうですか?本物を見て。」
『うん。なんか深い母性を感じる。
この抱かれてる子への愛情と守らなければっていう強い意志みたいなもの。』
「……そうですか。」
『ありがとう。助かったよ。
てっきり高架下とか橋梁の下かと思ってたから。』
「お役に立てて良かったです。
私もう帰らないと。1人で帰れますか?ダメならもう少し居ますけど。」
『大丈夫。割と道覚えるの得意だから。
君こそ疲れているのに付き合わせてごめんね。帰って休んで。』
「分かりました。じゃ、ここで。
いい曲が書けるといいですね。」
『うん。ありがとう。』
「あ。」
『?』
去り際、振り向きざまにその子は言った。
「きっと雨が降って来ますから、早めに帰った方がいいですよ。じゃあ。」
『雨?こんなに清々しいのに?』
穴の中から外を見たが木々に遮られ空を見るまでは出来なかった。
ただ、その場は光が差し込まないせいか逆光でぼんやりとした彼女の輪郭が浮き上がっていた。
そして、その時の彼女の歪な笑顔だけがいつまでも脳裏から離れなかった。
『寝る前にもう一度見に行くか。』
ああ言ったものの、悔しいかな感情が上手く曲として表現出来るような形になっていなかった。
あの時は早朝だったから、夜半の今は違う印象を受けるかもしれない。
『常夜灯があるとはいえ、街中にある公園とは違いちょっと怖いな。
でも、その分、星がよく見える。これも田舎ならでは、ってとこかな。』
夜空を見ながらの散歩は、なかなかに気持ちがよかった。
ふぅっ、と少し湿気を帯びた風が頬を撫でていく。その風に乗って甘い香りが身体を包んだ。
『あれか...。昼間は分からなかったのにな。』
木々の間に可愛らしい花が鈴なりになっている。
深緑の中に白い花弁が月光を受けて静かに浮かび上がって見えるのは、少し神秘的にさえ思えた。
香りに気づいたのは、夜になって感覚が敏感になっているからなのか。
『えっと、ここの下だよな。気をつけて下りないと。
あれ?君は…。』
「...。」
『こんな時間にどうしてここに?今日はバイトじゃないの?』
「また、来たんですか。」
『う、うん。なんかもう一度見たくなって。
そうだ!今朝はここを教えてくれてありがとう。』
「あの時…。」
『へ?』
「これ見てあなた"母性を感じる"って言ってたよね。」
『ああ。』
「こんなの母性でも何でもないよ。
ただ母親に愛されたくて仕方ないだけの絵。抱え込んでいるのは子供じゃない。愛情に飢えて育った自分の心。」
『なんでそんな事がわかるの?これを描いたのは、もしかして君?』
「わたし……なのかな。」
『え、どういう事?』
「わたしね。小さい時から母親に絵の手ほどきを受けてたんだ。
初めは描くのも好きだったし褒められるのが嬉しくて夢中だった。
でも、いつからかあの人は自分と同じものを私に植え付けるようになった。センスもタッチも画風も全て。
まるで自分のコピーを作るように。」
「学校から帰ると翌朝までデッサンさせられたり、自分の意図しないものを表現しようものならその場で破かれて暴力を振るわれた時もあった。」
「そして気がついたら、いつの間にか自分で描きたいものが何かわからなくなってた。
ずーっとそんな日が続くと思ってたのに。
ある日、あの人、死んじゃった。」
『えっ?』
「病気でね。その道で有名でも才能がある人でもなかった。
だから少しでも自分の事をこの世に残したくてわたしを…。
自分の分身を、って事だったのかな?って。」
「あなたには関係ない話だよね。
でもそんなもんなんだよ。明確な説明がなきゃ、創作されたものなんて作者にしかその真意はわからない。
感動したって言ってたのに言ってくれたのに、ごめんね。」
『いや、話が聞けてよかったよ。初めて見た時と違う目線でこの絵を見ることができる。
でも、いいのかな。そんな家族との思いが込められた大切な絵を題材にしてしまって。』
「構わないさ。あのSNSだって、誰があげたんだかわからないんだ。こんな所で見つけたから、たまたま驚いて投稿したってだけだと思ってる。」
『でも、それを見たから今ここに君と居る。』
「そうだね。
あ、雨が降ってきた。」
『ホントだ。ジメジメしてきてると思ったけど、やっぱり降ってきたか。』
「ほら、なにか聞こえないかい?」
『水の音?』
「ああ。この周りは雑草だらけで、雨が降ると木や草に滴ってそれが低い地盤のこの辺りに流れ込んでくるんだ。
だから、雨が降った時だけ近くに小川のように流れてね。その音だよ。
ねぇ、雨の音。ここだと籠って、なにかの音に似てるだろ?」
『え。』
「ザーザーザーザーってさ。」
『胎内音…』
「ほら、ここ。
壁の割れ目から水が染み出てきた。
描かれた白い肌が濡れて隠れてく。
ふふっ。色が薄らとしてきた。
ほら。音といい、暗さといい、ここはまるでお母さんのお腹の内なか みたいだと思わない?」
「こうやって壁に耳をつけるとね。水の流れてる音が聴こえるんだ。
ああ、落ち着くなぁ。」
誰も愛してくれる人がいなかったから自分の魂の分身を自分で抱きしめて。
抱きしめた自分をこの暗い空間に置いて母体に帰った気分になりたかっただけ。
そう、これは只、願望を表現したにすぎない。
『これ以上、雨が強くなると帰れなくなりそうだな。』
「今のうちだよ。帰るなら。」
『君は?帰らないの?』
「帰る…。
そうだね。帰らないとね。」
『こんな時間だから危ないし、送ってくよ。』
「くすっ。あなたは危なくはないと?」
『えっ。』
「ふふっ。」
『そんな風に見える?』
「いいえ。ちょっとからかっただけ。」
『参ったな。』
「ねぇ。ここで一緒に眠らない?」
『は?
あ...いや、あのそれって一体...。』
「なんてね。
行って。ひとりで、もう少しこうしていたいから。」
濡れるのも気に留めず
壁に全身を凭もたれかかったまま
目覚めを待つ蛹のように
恍惚な表情を浮かべ
じっとそこに佇んで
ああ。この子は今、救われているのだ、癒しを得ているのだ、と思った。
結局そのまま立ち去る事などできず、放心状態の彼女を支えるようにして1度ホテルまで連れ帰り、たまたま彼女の知り合いだった従業員に家に送ってもらったのだった。
『さて、帰るか。』
数日後、滞在している間にもう一度見に行ったのだが、あの時の様な、ざわざわした感覚にはならなかった。
あのじっとりとした暗く纏わりつく空気。
あれはあの場所だったからなのか、それとも彼女が作り出したものだったのか。
『えっと、駅は…っと。
あっ。』
「あ、こんにちは。」
『こんにちは。この間はちゃんと帰れた?』
「はい。帰られるんですか?」
『うん。電車で帰るよ。』
「そうですか。私も駅前の書店に行くので御一緒してもいいですか?」
『もちろん。』
「ところで、どうですか?曲、出来そうですか?」
『ううん。まだ書けてない。君の話を聴いて、じっくり考えなきゃって思って。
そうだ。あの後、風邪ひかなかった?泥も着いてて、かなり濡れたみたいだったから。』
「濡れた?」
『うん。
あの後、雨も降り続いてたし、帰りも寒かったんじゃない?』
「あの。別れた時、雨なんか降ってませんでしたよね?」
『え。あそこで夜中に会った時、降ってたでしょ。』
「夜中?…誰かと勘違いしてませんか?あの朝方にしか会ってないですよね。」
『覚えてないの?
あの絵の前で会って、その後、濡れた君をホテルの従業員の人が送って...。』
「は?
あ、でも、確かにあの日。
私、また……。」
『また、って?』
「その…時々…ほんと何ヶ月かに1度なんですけど、雨の日に記憶がない事があって。」
『えっ。』
「初めてあなたとあった日に、ピアスしてなかったの覚えてますか?」
『ああ。そういえば話したよね。』
「耳が痛むんです。雨が降る日は。
だからあの日も、何となくそんな予感がしてたんでピアスを外してたんです。」
『そうだったのか。
あ、だから別れ際に雨が降るって言ったんだ。』
「ええ。いつも着けているこのピアスは母からのプレゼントなんですけど、ふいに外れて無くしちゃうんじゃないかと思って。それが嫌であの日も家に置いてから出かけたんです。
…あの。」
『なに?』
「…実はあの絵は私の母が描いたんじゃないか、って思ってて。」
『君が描いたんじゃなくて?』
「私は絵を描くのが苦手なんです。むしろ嫌いな方で…。」
『そっか。
でも、あれって誰が描いたか分からない、ってSNSに書いてあったけど、お母さんが描いたって言ったの?』
「いいえ.....。」
そう言うと彼女は視線をさ迷わせた。眉間に影がさして、何か言いあぐねているように見える。
わずかな時間のその重めの沈黙に耐えられなくて明るく話題を投げかけていた。
『お母さんの事好きなんだね。
もしかして君、お母さんに似てたりして。』
「え?あ、はい。」
『本当に?当てづっぽうが当たった!じゃあ、2度目に会ったのは君のお母さんだったのかな。
あれ?でもそれだとおかしいな。』
"また来たんですか?"とあの時、彼女は言った。その後も、初めに会った時の事を話したし、目の前の彼女でないとしたら知ってるはずがない。
「それは違うと思います。
祖母が亡くなってすぐに母も亡くなってますから。」
『すぐ…って。』
「私はまだ小さかったせいか覚えてなくて、人から聞いただけなんですけど。
祖母が…病気で亡くなったんですが。
葬儀が終わった頃、母が行方不明になって見つかった場所があの絵の所だったそうなんです。
母は絵描きでした。だからそう聞いたら、もう母があれを描いたとしか思えなくて。」
『お母さんに聞いてみれば分かったんじゃない?誰か聞かなかったの?』
「発見された後、母は何を聞いても会話ができる精神状態じゃなくなってて、そのまま施設に入りました。
あの絵が見つかったのは最近なんです。
行方不明で発見された時に描いてあったかも定かじゃないし、もう聞くこともできないので本当の事は分からないんです。」
『そっか。お父さんは?って立ち入った事聞いてるな、自分。ごめん。』
「いいえ、気にしないで下さい。
父とは私が母のお腹にいるときに離婚してたので、1度も会ったことないんです。私は親戚の家に引き取られましたし。」
『寂しくなかった?』
「それはありましたけど、良くしてもらいましたから。
でもやっぱり気が引けるというか。
迷惑かけないようにしなきゃ、いい子でいなきゃ、っていう気持ちをずっと持ってましたね。
だから、早く自立して一人暮らしをしようと…
って、あれ?何で私こんな事まで話してるんだろ。」
『だってそれは、自分が聞いたから…。』
「いいえ。多分ちがいます。
あなたがここの人ではないからだと思います。
ここの人はみんなこの事を知ってるし、色々噂話にもする。だから、私は思ってる事をなかなか話せなくて…。」
『そんなに信用してくれるのは嬉しいけど、噂話をばら撒かれるとか思わないの?まだ会ったばっかりなのに。』
「ふふっ。ほら、そういうところもかなぁ。」
『えっ?』
「ほら、初めて会った時も。あの公園に初めて行った時も。」
『あ、ああ。これは性分だからなぁ。』
「本当は…。」
『ん?』
「あ、いいえ。駅着きましたね。
私はここで失礼します。」
『うん、ありがとう。
本当はここまで道案内してくれたんだよね。助かったよ。』
「バレてましたか。でも最後にお話し出来てうれしかったです。こちらこそありがとうございました。」
『うん。』
「いい曲できそうですか?」
『大切に作らせてもらうよ』
「聴けるのをお待ちしてますね。」
『ああぁぁ。がんばるよ。じゃあ。』
「さようなら。お気をつけて。」
『さよなら。』
祖母が病気で亡くなったのは間違ってない。
ただその時、家は炎に包まれていた。
火の熱さと煙と、燃え落ちていく材木の焦げる匂いが熱風となって舞い上がって、空を赤く染めていた。
それだけだ。
「ふん♪ふん、ふん♪
お腹すいた。お夕飯……。
今日はお母さん、お夕飯作ってくれるかなぁ。
あたま痛いの治ったかな?
おばあちゃん、じっとして寝ててくれれば、お母さんもあたま痛いの、きっと治るのに。」
「あれ?夕日ってこっちだっけ?
あっちにお日様あるのに、なんでこっちが赤いの?」
「え……お家もえて…。
おかあさあん!!おかあさん、どこお!!おばあちゃぁん!おかあさあああんん!!」
「あっ!おかあさあん!!
こんなとこ座ってたらあぶないよ!お外、出よお!!はやく!!
あっつい!
あ!おばあちゃんは?おばあちゃんどこ??お母さん!ねぇ!お母さんってば!!
おねがい!動いてよぉ。
おかあさぁぁんんっ。おかあさぁぁぁんん。うえーん。」
家が火事になった時、庭に座り込んでいた母に泣きすがっていた覚えがある。
そして、なぜかその時、火事は母が起こしたんだと、子供ながら漠然と感じ取っていた。
うちは祖母が中心の世界だった。
寝たきりになる前も後も。
祖母が決め、母は忠実に行い顔色を伺い、私は2人の言いつけを守る。
その祖母が召されたのだ。
母は自分の全てを失ったかの様に喪失感に呑み込まれ、あの時から心を閉じこんだ。
そしてそのまま自我を取り戻すこともなく旅立ってしまった。
私という存在も忘れて。
あの人をあの場所へ案内したのは、
あれを理解できるものならやってみろ、という気持ちがどこかにあったからだ。
一目見て、あの絵の本意を掴めるものなんかいない。
そう、笑ってやるつもりだった。
あの壁画はわたしの想いとあなたの思いを滲み込ませて眠らせて起きたかったのにね?
うん。静かにほっといて欲しかった。
なのになんで話したの?
あなただって話したじゃない。
そうだね。
きっと誰でも良かったんだ。
あの絵をモチーフに曲ができたが、そこで初めて、彼女の名前も連絡の手段知らなかった事に気づいた。
曲ができたら聴いてくれると言った彼女に自分の名前すら伝えてなかったのは、間抜けとしか言いようがない。
あの子は気づいて聴いてくれただろうか。聴いてどう思っただろう。
『真意か…。』
彼女を思い浮かべると、あの夜に見た花を思い出す。
甘く誘惑めいた香りと闇夜に照らし出された白い花弁は、朝方に出会った時とは違う、眠りについたあの時の彼女の印象と重なっていた。
自分が会ったのは一体誰だったんだろう。と、今でも考える。
彼女本人だったのか、別の人格か、それとも……。
『まぁ、今更...だよな......。』
ある日、SNSで密かに話題になっている曲がバイト先に流れた。
タイトルを【リェース】と付けられた
その鎮魂歌レクイエムは、作曲者も背景も不明という事が一層その曲の魅力になっているらしい。
「これ、鎮魂歌じゃ
なくて子守歌じゃん。」
思わずフッとあの人の顔が浮かんだ。
この曲は、もしかしたら……
お人好しのあの人なら、こっそり投稿してそうだなぁ。と思ってしまった。
そっと、耳に手を伸ばす。
あの後、もう1つピアスホールを作り、コレを着けている。
母の遺骨で作ったこのピアスはまた雨の日に痛むのだろう。
でも、そんな日にこの曲を聴きながら眠るのも悪くないかもしれない。
【ところで、この曲の作者は不明だそうですが。】
〖はい。でも曲風からあの彼だと思われてるようですね。〗
【彼って少し前にゴーストライターではないかと話題になった人物じゃないですか?】
〖ええ。最近では行方不明になっていると聞いてましたが、実は先日...。〗
【そうそう。海岸の洞窟で...。】