中編
すみませんが、ボリュームが膨らみ過ぎたため、前中後編の三部構成になります
「うおおおおおぉぉぉっっっ!?」
「……?」
大きな声でが聞こえたので何事かと目を開くと、真っ暗だった。
顔に触れるゴワゴワした感触から察するに、どうやら私は何かに顔を埋めているようようだ。
とりあえず顔を上げてみると、……ゴルドさんと目が合う。
「……おはよう、ございます」
「おはよう……じゃねぇよ! 嬢ちゃん、なんで俺にしがみついてやがる!」
そう言われ、初めて私がどんな状態で寝ていたかを理解する。
「い、言っておくが、俺は何もしていないからな!」
「……はい、恐らく私から、抱きついたのだと思います」
抱きつくとは言ったが、ゴルドさんの言うようにしがみついていると言った方が正しいかもしれない。
私の手はゴルドさんの毛皮をしっかりと掴み、足まで絡めて離れないようにピッタリとくっついていた。
「なんとなくですが、身に覚えがあります。夢現でしたが、何か凄く温かいものに引き寄せられた気がするので……」
「お、おう……、いや、寒かったなら仕方ねぇな。なんつっても天然の毛皮だし、温かさは保証するぜ」
そうは言っても、目上の方相手にしていいことではないだろう。
慌てて距離を取ると、ベットリとした唾液が私の顔とゴルドさんの胸の間で糸を引く。
「な、なんて粗相を……! こ、この罪は、私の命で贖います!」
「は、はぁ!? い、命だぁ!? 嬢ちゃん、一体何言ってやがる!?」
「貴族様相手に何か粗相をすれば死罪となると聞いています。ましてや私の体液で汚すなど……、おぞましき悪行です……」
数年前、兄の衣服を汚した際に手ひどい折檻を受けたことがある。
兄相手でそれなのだから、貴族様相手では私の命ですら贖いきれないかもしれない。
「大げさだぜ嬢ちゃん……。昨日も言ったが、今の俺は貴族じゃなくて冒険者のゴルドだ。一応家名は名乗っちゃいるが、権力もなければ後ろ盾もねぇただのガキだぜ? 嬢ちゃんに罪はねぇよ」
「で、でも……」
ゴルドさんの言いたいことはわかるが、それはあくまでも建前だ。
家から縁を切られでもしない限り、貴族であることに変わりはない。
「それに、粗相って意味なら今更の話だろ?」
「……? それは、どういう意味でしょうか?」
「いやだって、昨日嬢ちゃんは俺の口の中で漏らしたじゃねぇか」
…………………………え?
口の中で、漏らしたとは、どういうことだろう?
「……あれ? もしかして、覚えてないのか?」
「私は……、ゴルドさんの大きな口が迫ってきたところまでは覚えていますが、それ以降は気を失ったようで……」
私がそう言うと、ゴルドさんは片手で顔面を覆って「マジかよ」と呟く。
「昨日嬢ちゃんは、俺が服を洗ったつっても何も反応がなかったから、てっきりそういうことに無頓着かと……」
……確かに、言われてみれば昨夜ゴルドさんは、「服に染みが残る」「そのままにしておくと肌がかぶれる」というようなことを言っていた気がする。
あのときは少なからず動転していたので、言葉の意味を正確に把握できていなかった。
恐らくだが、私はゴルドさんに咥えられた状態で運ばれたのだろう。
そして私は、その最中に……、失禁した。
私は……、なんてとんでもないことをしたのだろう……
世間一般の常識に疎い私でも、排泄物が汚物であることは教え込まれているし、不浄場の利用は許可されていた。
それを人の……、それも貴族様のお口に排泄してしまうとは……
先程の件ですら、この命で贖いきれないくらいの大罪だったというのに、私は既にそれ以上の罪を犯していたということになる。
最早、どう償えばいいか想像もできない。
「お、おいおいおい! 滅茶苦茶顔青くなってるじゃねぇか!? いや、マジで気にしてないからな!? 確かにちょっと変な扉は開きそうになったが、その……、飲んじゃいないし、大丈夫だぞ?」
そういう問題ではない、と思う。
私は、神罰が下ってもおかしくない大罪を犯してしまった。
……元々私は、生贄となる身だったのだ。
それが何かの間違えで助かりなどしたから、こんなことになってしまったのだろう。
もしかしたら、あの時点で私は悪魔の子となってしまったのかもしれない。
「……命でも贖えないのであれば、せめてこの命尽きるまでゴルド様に隷属するほかありません。それでも到底足りるとは思えませんが、可能な限りゴルド様の役に立てるよう努めさせていただきますので、どうか私に償う機会をお与えください」
「いや重いわ! 気にしてないっつってるだろ!? それに最初から、嬢ちゃんはここで解放するつもりだからな!?」
「……解放、ですか?」
そういえば、ゴルド様は私を攫ったあとどうするつもりだったのか聞いていなかった。
「そうだ。いつまでも連れ歩くワケにはいかないからな」
……それは確かにそうだ。
ゴルド様は冒険者として生活しているようなので、私のような存在は足手まといにしかならない。
となると、自然と答えは浮かんでくる。
「つまり、私はこの街で奴隷商に売り渡されるのですね?」
「いやちげーよ! どうしてそうなる!? 折角助けたのにそんなことするワケねぇだろ!?」
言われてみれば、依頼を受けて助けたあとに対象を売り飛ばすというのは少しおかしな話かもしれない。
ネリネさんはゴルド様に、一体どんな内容で依頼したのだろう?
「あの……、ネリネさんはゴルド様に、どのような依頼をしたのでしょうか?」
「ん? ネリネ嬢ちゃんからの手紙には『今度こそ、生贄となる聖女をお救い下さい。そして、可能な限り彼女が幸せになれるよう配慮をお願いします』って書かれていたな」
幸せ……、そういえばネリネさんは、確かにそんなことを口にしていた。
どうやらあのときの言葉は、本気だったようだ。
「今度こそ、とはどういう意味でしょう?」
「あ~、それがな、ネリネ嬢ちゃんには負い目があってな……。実は去年も同じ内容の手紙を貰っていたんだが、そのときはタイミング悪く大規模討伐依頼で遠出してて間に合わなかったんだよ。だから今回こそは……っていう話だ」
ああ、そういうことか。
ネリネさんは「お姉ちゃんのときは間に合わなかった」と言っていた。
それはつまり、去年も同じようにゴルド様に頼んでいたが、間に合わなかったということなのだろう。
しかし、だからといって何故同じ依頼が今年も出されたかについては、理解できなかった。
実の姉を助けたいという気持ちはわかるが、それが叶わなかった代わりに他人である私を助けたい――とはならないと思う。
ネリネさんの目的は一体なんなのだろうか……
「まあ、それでわざわざ嬢ちゃんをこんな街まで連れてきたってワケだ」
「……そういえば、ここはどこなのでしょう?」
窓から見える光景は、それなりに賑わった活気のある街に見える。
私が洗礼式を受けた最寄り街かとも思ったが、少し雰囲気が違う気がする。
「ここは嬢ちゃんの村からは大体500Kmほど離れた位置にあるルーリスって街だ。王都の近くって言えば距離感がわかるか?」
「っ!? お、王都!?」
王都はこの国――ステラの中心に位置している大都市だ。
当然私は行ったことがないし、どんな場所なのかも知りはしないが、父が一度、王都から騎士を派遣してもらうには少なくともひと月近い日数を要すると言っていたのを覚えている。
「わ、私が攫われたのは、昨夜のことですよね? それを王都近くまでって一体どうやって……?」
「俺が本気で走れば、王都まで2時間もかからんぜ?」
「…………」
現実感がなさ過ぎて想像もできないが、ここで嘘を言う必要もないだろうから恐らく真実なのだろう。
正直、同じ人族とは到底思えない。
「そ、そんな場所まで連れてきた理由はなんなのでしょうか?」
「この街には多くの聖女が暮らしている。理由は聖女の仕事が多く、街が聖女に対し生活保護や支援をしてくれるからだ。聖女にとって、この街ほど暮らしやすい街はないって噂だぜ。聖女の嬢ちゃんが幸せな生活を送るにはピッタシの場所だろ?」
なるほど……、聖女であれば、不自由なく生活できる場所ということか。
私なんかのためにそこまで気を遣ってくれるのは、正直少し嬉しい。しかし――
「……そういう、ことですか。……すいません、お心遣いは大変ありがたいのですが、残念ながら私がここで暮らすのは不可能だと思います」
「あん? そりゃまた何でだ?」
「理由は私が、正式な聖女ではないからです。私はあの村においては聖女として扱われていますが、国から正式に聖女として選ばれたワケではありません」
「……つまり、嬢ちゃんはモグリの聖女ってことか?」
「モグリとは?」
「無許可とか無免許って意味だ」
「そういう意味であれば、一応教会から洗礼は受けています。ただ、正式な手続きではないため名簿には登録されないと言われました」
これは洗礼式の際、司教様に直接言われたことだ。
村で聖女を名乗るのは構わないが、決してそれ以外の場所では聖女を名乗らないよう命じられた。
どの道私は数日後に生贄になることが決まっていたし、村どころか家の外に出ることも禁じられていたので関係ない話だと思っていたのだけど……
「……要するに、教会もグルってワケか。相変わらず、聖女関連の組織はどこも腐ってやがるな」
「腐っている……? そうなのですか?」
「知り合いに聖女について詳しい人がいてな。聖女業界の悪い噂を色々聞いたことがあるんだよ。……しかし、そうなると教会に預けるのはマズイだろうな。嬢ちゃん、一応確認だが、回復魔術は使えるのか?」
「いえ、使えません」
「それじゃ医療関係も厳しいか。どうしたもんか……」
そのとき、ゴルド様のお腹から凄い音が響いてくる。
「とりあえず、朝飯にするか」
ゴルド様は『獣変化』を解き、荷物袋の中からパンや干し肉などを取り出してテーブルの上に並べる。
「何つっ立てるんだ? 早く座れよ」
「……? 私もですか?」
「当たり前だろ。ちゃんと二人前用意したじゃねぇか」
テーブルの上を見ると、確かに一人前にしては多めの食料が置かれている。
正直このくらいであれば、ゴルド様なら一人で平らげそうに思えるけど……、まさか本当に私のために?
「貴族様と一緒に食事をするなど……、私にはできません」
「だから今は貴族じゃねぇって。あと、さっきから様付けも戻ってるぞ。とりあえず、気にしないでいいから座れよ。家族や友人と飯を食うくらいの気持ちでいいと思うぜ」
「そう言われましても、私には友人などいませんし、家族と一緒に食事をしたこともありませんので……」
「……マジか。つーか、一体どんな生活してきたんだよ。そっちの方が気になり始めたぜ。とりあえず食いながらでいいから、嬢ちゃんのことについて聞かせてくれよ」
「私のことなど話す価値もありませんし、一緒に食事をする資格もないと思いますが、……ご命令ということであれば」
「……はぁ~、もういいよそれで」
ゴルド様は疲れた表情で席に座るよう促してくる。
仕方ないので私は席に座り、覚えている限りの自分のことを語り始めた。
◇
一通り話し終えると、何か水をすするような音が聞こえたので顔を上げて確認する。
「っ!? ゴルド様!? な、何故泣いているのでしょうか?」
話している最中、私の視線はテーブルの上に固定されていたので全く気づかなかった。
ゴルド様は口をへの字に結び、大量の鼻水と涙を流していた。
もしかして、私の話した内容に何か気に障ることがあったのだろうか。
「な、何故って、こんな話聞かされたら泣くに決まってるわ! あんまりにあんまりだろうがよぅ……。人のしていいことじゃねぇぜ、くそぅ……」
「っ!? ま、まさか、私の境遇を聞いて……?」
この世に、自分を憐れむような人間が存在するとは思っていなかった。
実の両親にすら、そんな感情を向けられたことはないというのに、この人は……
「この国はなぁ、少なくとも人族には人権ってものが保障されてるんだよ。だが嬢ちゃんは、明らかに人として扱われてねぇ……。そんなことは、本来あっちゃいけねぇハズなんだ! 許せることじゃねぇ!」
ゴルド様は表情を悲哀から怒りに切り替え、息を荒くしている。
私は、人の表情とはこんなにも変化するものなのだな……、と場違いなことを考えつつ、手を付けていなかった干し肉を口にした。
「あ、美味しい……。私、こんなに美味しいもの、初めて口にしました」
「…………俺は決めたぞ」
「……? 何をでしょうか?」
「何が何でも、嬢ちゃんを幸せにしてやる。まずは食事からだ」
「え? 食事は今してますよね?」
「こんなもんじゃねぇ! 世の中にはもっと美味いモンがあるって教えてやる!」
そう言ってゴルド様は席を立ち、部屋を飛び出していった。
……上半身裸のままで。