前編
前後編の予定です。→前中後編の三部構成に変更になりました。
私は、生まれながらにして神の供物となることが定められていた。
意思疎通のために言葉を教えられ、労働力として家の手伝いくらいは覚えさせられたが、それ以外まともな教育を受けていない。
どうせ死ぬのだからと、親から愛情を与えられることもなかった。
私には兄が存在したが、兄にとって私はただの道具に過ぎず、家族として扱われたことは一度もない。
戯れに暴力を振るわれ、10歳を過ぎた辺りからは体中をまさぐられるようになった。
兄は私に「純潔は奪えないが、それ以外のことは全てやってもらうぞ」と口にしながら様々な行為に及んだ。
その行為にどんな意味があったのかはわからないが、とにかく不快だったことだけは覚えている。
ただ、その行為も14歳になる頃には一切なくなり、代わりに聖水で毎日体を清めるようになった。
そして12月となり、いよいよあと数週間で生贄の儀式が開始されるという段階で、一人の少女が私に声をかけてきた。
「トリアさん」
「?」
「私はネリネと申します」
ネリネと名乗った少女は、私の「きよめ」担当の一人である。
「きよめ」とは、生餌の体を文字通り清める役割を持つ者のことだ。
担当は生贄と年齢の近い女子から選ばれるらしく、ここ数日は毎日顔を合わせていた。
しかし、声をかけられるのは今日が初めてのことである。
「単刀直入に申し上げますと、アナタにはこの村を出て行ってもらいます」
「っ!? え、それは、どういう……?」
「そのままの意味です。要するに、アナタを逃がしてあげるということです」
逃がして、あげる……?
それは、私が生贄にならなくてもいいということ……?
突然そんなことを言われても、私は困惑するしかなかった。
生贄にならずに済む……、本来ならば喜ぶべきところなのかもしれないが、そんな感情は一切湧いてこない。
生まれた瞬間から生贄になることが定められ、生きる喜びを与えられてこなかった私には、そもそも逃げるという発想すら浮かんだことがなかった。
それに、私が生贄にならなかった場合、村はどうなるのだろうか?
恐らくだけど、きっと大変なことになる。
「あの、それは、困ります……」
「申し訳ないのですが、アナタに拒否権はありません。あ、村のことなら安心してください。私がなんとかしますので」
拒否権がないということは、私のことを考えて逃がしてくれるということではないのかもしれない。
ひょっとして、村を滅ぼそうとしている?
いや、でもなんとかするって言っているし……
「明日、アナタは街の聖教会で洗礼式を受けることになっています。その帰り道で、モンスターに攫われ行方不明になる――という手筈です」
「それは、私が何をしようとも変わらず実行される、ということですか?」
「そうです」
つまり、私には本当に選択権がなく、ただ攫われるしかないということだ。
しかしそれならば、どうして私にそれを伝えたのだろう……
「あの……、最初から拒否権がないのであれば、何故私にそれを伝えたんですか?」
モンスターに襲われれば私に抵抗するすべなどないが、そのことを誰かに伝えることくらいはできる。
私がそうするとは思わなかったのだろうか……
「余計な行動を取らせないためです。万が一逃げられても面倒ですし、これもないとは思いますが誰かを庇って死なれては私の望む結果ではなくなってしまいますので」
……ああ、やっぱりこの子は、私のことを助けたいという理由ではなく、何か他の目的のために私を逃がそうとしているんだ。
それは先程頭を過った、村を滅ぼそうとしているという目的かもしれないし、もっと他の理由かもしれない。
ともかく、その目的のため、私には消えてもらいたいということなのだろう。
「お察しの通り、私はアナタを助けたくてこのような企てをしたワケではありません。私の目的のために、アナタを利用するというだけのことです。……ただ、折角助けるのだから、アナタにはこの先幸せに生きてもらいたいという気持ちはあります」
「っ! 私に……、幸せに、生きてもらいたい……?」
「はい。……私のお姉ちゃんは、去年の儀式で神の生贄となりました。お姉ちゃんも、今のアナタと同じように生きる希望すら抱いていなかったんです。それって、とても悲しいことじゃありませんか」
「…………」
正直、よくわからなかった。
だって私は、それが当たり前だと思って生きてきたから……
「理解できないって顔してますね。私はそれを、理解させたいと思っているんですよ。残念ながらお姉ちゃんのときには間に合いませんでしたけど、アナタにはお姉ちゃんの分も……っとそろそろ時間ですね」
話しかけてから手を止めていたネリネという少女が、再び「きよめ」を再開する。
「もうすぐ他の担当者が合流しますので、会話はこれで最後です。本来生贄と会話するのは禁じられていますので。アナタは今晩、ゆっくり今後のことでも考えておいてください」
家族以外の村人が私を無視していたのは、そんな決まりがあったからなんだ……
そういえば、今日はもう一人いる「きよめ」の担当者がいなかった。
きっとこのネリネという少女がこの会話の時間を作るために、何かをしたのだろう。
◇
結局、昨晩は色々考えたものの具体的な方針は何も浮かんでこなかった。
モンスターに襲われるということを親に伝えようかとも考えたけど、私がそれを伝えても命惜しさの狂言か何かと思われるだけなのでやめた。
それに、そもそもネリネという少女の話は本当なのだろうか?
モンスターに攫わせると言っていたけど、そんなことが可能なのか。
一般常識をほとんど知らない私には、それが現実的に可能か不可能かもわからない。
「これにて、洗礼の儀を終了する」
洗礼式は、聖水で満たされた池に一時間程浸かることで全身に聖水を染み込ませ、最後に聖痕を刻むことで完了となるようだ。
聖痕を刻むというので、兄に昔刃物で刻まれた苦い記憶を思い出したが、実際は魔術的な行為だったようで痛みはなかった。
聖痕は左胸に刻まれ、しばらくの間は鮮やかな光を放っていたが、今はもう視認することもできなくなっている。
洗礼式が終わり、速やかに街を出る。
村から街までは馬車で半日ほどかかるので、村に到着するのは夜中となるだろう。
既に辺りは暗くなり始め、視界はあまりよくない。
馬車には魔力石による光源が取り付けられているが、本格的に暗くなればそれも役に立たなくなる。
何も聞いていないが、今夜は野営することになるのかもしれない。
(本当にモンスターなんて現れるのかな……)
モンスターがどういう存在なのか詳細は知らないが、ただ恐ろしい存在だということは聞いている。
そんな化け物に襲われるかもしれない恐怖と同時に、少しだけ興味もあった。
私は人と家畜以外の生物はほとんど見たことがないので、恐怖を覚える見た目というのが全く想像できない。
こんな風に胸が高鳴るのは、私の人生で初めてのことかもしれなかった。
「うわぁぁぁぁぁっ! 化け物だ!」
野営前の準備として周囲の見回りをしていた冒険者が、悲鳴を上げながら野営地に戻ってきた。
「ど、どうしたんですか!?」
「モ、モンスターだ! それも、かなりデカい!」
っ!? ほ、本当に、モンスターが現れた……!?
一体……、どんな姿をしているのだろう。
気付けば私は、惹かれるように森の奥に向かって走り出していた。
自分でも驚くほどの好奇心である。
「お、おい! 待て!」
「追うな! あれはベアウルフだ! 俺達の手には負えない!」
「し、しかし、聖女が……」
「そんなことを言っている場合じゃない! 早く馬車を出せ! あのガキが食われている間に逃げるぞ!」
村人と冒険者が言い争っている隙に私はどんどん奥へと進み、そして――
(これが、モンスター……)
目の前に現れたのは、私の三倍以上の大きさの獣だった。
がっしりとした巨大な体躯に、犬に似た頭部。
口から覗く牙は、私の頭など簡単に噛み砕いてしまいそうなほど凶悪に見える。
……こんな恐ろしい生物が存在していたなんて。
「わざわざ自分から近づいてくるとは、手間が省けたな」
「っ!?」
モンスターが、喋った?
モンスターとは、会話ができる存在なのだろうか?
「……なあ嬢ちゃん、この状況で笑うとか、一体どういう神経してるんだ?」
「え?」
モンスターにそう言われ、自分の口元に手を当ててみる。
確かに私は、口角を引きつるように上げて、笑っていた。
何故私は、こんな状況だというのに笑っているのだろうか?
「恐怖でイカレちまったか? ……まあ、なんにしても俺は依頼通り働くだけだがな」
モンスターはそう言って大きな口を開き、私に顔を近づけてくる。
捕食されるという本能的な恐怖から私の意識は一瞬で遠のき、視界には真っ暗な闇が広がった。
◇
急速に意識が覚醒し、自然と目が開く。
視界に広がった見覚えのない天井に少し疑問を抱くも、直後に部屋に入ってきた男の人の姿に目を奪われ反射的に体を起こす。
「お? 嬢ちゃん、目が覚めたか」
「っ!?」
男は馴れ馴れしく声をかけてくるが、私はその男の人にまるで見覚えがなかった。
乱雑に伸ばされた赤髪に、やや彫りの深い凛々しい顔つき――こんな男の人は村で一度も見たことがない。
それに背も高く、何故か上半身裸のため嫌でも目に入る鍛え上げられた肉体は、父や兄などとは比べようもないほど逞しい。
家から出ることが滅多にない私でも、これだけ目立つ人物であれば一度も見たことがないということはあり得ないと思う。
だから恐らく、村人ではないと思うのだけど……
「なんだ嬢ちゃん、そんなにマジマジと見て……って俺が見苦しい恰好してるからか。すまねぇな。着せられるもんがそれしかなくてよ」
それと言われて体を見下ろすと、いつの間にか見知らぬ衣服を着ていることに気づく。
言葉から察するにこの服はあの男の人の上着ということになるが、一体どうして私が着ることになったのか……
「悪く思うなよ? あのままにしてたら体を冷やしてたかもしれんし、肌がかぶれる可能性もあった。それに服にも染みが残っちまう――まあつまり、スッポンポンにひん剥いて全部俺が洗ったってワケだ。俺も汚れたんだし、そのくらいの役得は許してもらうぜ」
つまり、私の服が汚れていたから着替えさせたということか。
…………っ!?
寝起きでぼやけていた記憶が、少しずつ鮮明になっていく。
そうだ……、私は確か、モンスターに襲われて……
一体、どうやって助かったのだろうか?
「あの……、アナタが、私を助けてくれたのですか?」
「あん? ……なんだ、気付いていないのか?」
気付いて……?
それはどういう………………ハっ!?
「こ、この声、まさか……」
私があのとき聞いた声は、もっと低かったように思う。
だからすぐには気づかなかったが、この声質、そして口調は、間違いなくあのときの――
「ア、アナタは、モンスター、なのですか?」
「いや、違う。俺はれっきとした人族だぜ。ただ、そんじょそこらの獣人より余程モンスターに近いっつーのは間違いないがな」
そう言って男は、左腕を誇示するように掲げる。
すると、逞しい腕がさらに太くなり、獣のような毛が生えてきた。
「これが我がマーズ家に伝わる秘術『獣変化』だ。見ての通り、俺は自らの体をある程度自由に獣へと変じることができる」
「……つまり、あのモンスターは、アナタが変身した姿という、ことですか?」
「ああ、その通りだ」
この目で見たのだから疑いようはないのだが、それでもまだ信じられないでいる。
人が獣に変化する――そんなこと、想像したこともなかった。
「変化のパターンは個人差があるんだが、俺の場合は今の部分変化に加えあと6パターンほどバリエーションがある。マーズ家の中でも最多なんだぜ?」
と、自慢げに言われても、私にとっては変化すること自体が凄いことなので、変化数の多さで評価が変わることなどあるハズもなかった。
「あの……、アナタは何者なのでしょうか? 何故、こんな真似を?」
「ああ、名乗っていなかったな。俺の名はゴルド・マーズ。マーズ男爵家の長男だ」
「っ!? 男爵……様、ですか?」
身分については粗相のないよう簡単に教えられているため、男爵がとても偉い身分なことは知っている。
村長よりもずっと偉い貴族様……、そんな人が何故こんな辺鄙な場所に?
「と言っても俺は放蕩息子でな。長男の義務を放棄し、家を飛び出して好き放題している。だから貴族なんて思わず、気軽にゴルドと呼んでくれ」
「ゴルド、様……」
「いや、だから様はいらねぇって。ちなみに今は冒険者として活動し生計を立てている。嬢ちゃんを攫ったのも、そういう依頼があったからだ」
冒険者……、馬車の護衛をしていた人たちと同じ……
村長様から聞いた話では、冒険者は『何でも屋』のような存在だという。
その『何でも』の中には、人攫いのような犯罪も含まれているということなのだろうか……
だとしたら、冒険者とはかなり危険な存在なのかもしれない。
「あ、これじゃ誤解されるな。今回の依頼は冒険者としての正規の依頼じゃねぇ。俺がネリネ嬢ちゃんから個人的に受けた依頼だ」
「ネリネ……、さんの」
元々今回の話を私に伝えてきたのは、あのネリネという少女だ。
だから話の流れとしては自然なのだが、何故ただの村人であるネリネがゴルド様のような明らかに優秀そうな冒険者に依頼ができたのだろうか。
「こんな依頼をするくらいだから親しい間柄だと思ったが、意外とそうでもないみたいだな?」
「……はい。ネリネさんとは、この前一度だけ話しただけで、面識はほとんどありませんでした」
「そうか。まあ、ネリネ嬢ちゃんは何を考えているかよくわかんねぇとこあるからな。きっと裏で何か企んでいるんだろうよ」
ゴルド様は、ネリネさんがどういう人物なのかある程度理解しているような口ぶりである。
それだけ近しい関係ということなのだろうが、増々二人の関係性が見えてこない。
「つーワケで、それがお嬢ちゃんを攫った理由だ。目的は知らないから聞くなよ……っぶしっ! さ、流石に寒いな!」
「っ! お、お返しします!」
ゴルド様は平気そうにしていたが、今は12月だ。寒くないワケがない。
私は慌てて上着を脱ぎ、ゴルド様の近くへ駆け寄る。
「なっ!? おい! 何脱いでるんだよ!」
「? だって、これはゴルド様の服でしょう?」
「いやそうだけど! だからって男の前で堂々と素っ裸になるんじゃねぇよ! 今時貴族でももう少し恥じらうぞ!?」
「……? そういう、ものなのですか?」
私は今までそんな教えを受けたことはないので、ゴルド様の言っていることがよく理解できなかった。
それに、私を着替えさせたのはゴルド様自身のハズなので、今さら動揺する理由もわからない。
「そういうもんなんだ! ともかく、コレは嬢ちゃんが着ていろ!」
そう言ってゴルド様は、少し強引に上着を被せてくる。
「でも、それではゴルド様が凍えてしまいます……」
「大丈夫だ。俺にはコレがあるからな」
そう言ってゴルド様は上半身を獣に変化させる。
確かに、この状態であれば寒さについては問題ないかもしれない。
「とりあえず、夜は冷えるし細かい話は明日にして寝るぞ。悪いがベッドは一つしかねぇから、一緒に寝ることになるぜ?」
ゴルド様は何故か獰猛そうな笑みを浮かべる。
もしかして、兄がしたような行為をしようとしているのだろうか?
……正直少し嫌な記憶はあるが、ゴルド様が望むのであれば拒絶する理由はない。
「……私のことは、どうぞお好きなように」
「……いや、そんなマジな反応されても、冗談だからな? 俺は床で寝る」
「っ! それはいけません! 貴族の方が床で寝るなど……、寝るなら私が床に!」
「いや、女の子が床で寝るとかダメだろ」
「……? 私は基本的に床で寝かされていましたが」
冬場こそ布団を与えられたが、夏場などは裸で床に寝ることが多かった。
ベッドで寝た経験など、兄の相手をしたときくらいである。
「おいおい……、一体どんな生活してたんだよ……。平民だとしても普通じゃねぇぞ」
そんなことを言われても、私にとってはそれが普通だったのだ。
「ともかく、私は慣れていますので、どうかゴルド様はベッドをお使いください」
「俺が気になるんだよ! あと様はやめろって! とりあえず嬢ちゃんはベッドで寝ておけ!」
ゴルド……さんは、そう言って私を抱えてからベッドに横たえる。
「それでは、せめてゴルドさんも一緒に……」
「それじゃ嬢ちゃんが不安だろ。見ての通り俺はケダモノだぞ」
「……? それが何か?」
「……がぁぁぁぁっ! 本当どんな育て方されてんだよクソが! いいぜ一緒に寝てやるよ! その代わり、意地でも手は出さないからな!」
そう言ってゴルドさんは荒々しく私の隣に横たわり、背を向けて眠り始める。
どうやら兄のような行為は望んでいないようなので、私もゴルドさんと同じ毛布にくるまり眠りにつくことにした。