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5 最弱冒険者、諦める。


「いやはや、君が警察を呼ぼうとスマホを取り出したときは流石のヒヨりんも焦ったのにゃ~」

 

 ずすーっ、とお茶を啜る猫女。

 すっかり家に馴染んでいて、早々に我が物顔であった。

 ぷはぁ、なんて可愛らしい顔で心地よさげに息を吐いている。

 

 なんて図太い女なんだろう。蒼汰が呆れ顔で見ていると、


「なんにゃ? にっしても、相変わらず眠そうな無気力な目をしているにゃねぇ~」

 

 なんて言ってきたので、蒼汰が怒りのままにスマホを取り出して110を入力すると、「う、嘘っ! 嘘にゃっ! ゆ、許してにゃ~!」と泣きついてきた。 

 なんて調子の良い猫なんだろう。蒼汰はため息をつくほかない。


「それで……話って?」

 

 こほん。咳を一つして、ヒヨりんは鋭く目つきを変える。ほのかな威圧感に蒼汰は椅子に座りなおした。

 蒼汰の家は、生前の両親が買ったもので、そこそこ大きい。故に、二人の声は良く響いた。

 

「まず、今君の身に起きていることは知っているかにゃ?」

「バズってる。……知らないうちに」

「その通りにゃ。バズった要因は簡単にゃ。『雑魚でモブキャラで陰キャ、のくせに誰もが恐れるような格上殺しに果敢に挑む』……そのキャラの良さが人気に火をつけた、とヒヨりんは思うのにゃ」

 

 人差し指をピンと立てて、ヒヨりんは猫のような口元をふにゃふにゃと懸命に動かす。

 

「……雑魚で、モブキャラで、陰キャ」

「ま、そうにゃね。控えめに言うとお前はそうなるにゃ」

 

(控えめに言わなかったら、どうなっちゃうんだろう……)


「それでにゃ」ヒヨりんはじっと蒼汰の目の奥を見つめると、吐き捨てるように言った。「お前のそのキャラは、金になるにゃ」


 びくりと体をのけぞらせる。

 金。その単語に蒼汰は固唾を飲んだ。


「妹さんが病気って聞いたにゃ。お金が欲しいにゃんね?」

 

 ……ああ、そうか。ヒヨりんの試すような聞き方に、蒼汰はそこでようやく理解した。

 これは、遊びじゃない。ヒヨりんが提案しているのは、ビジネスだ。相手は俺の全てを調べ上げて、ビジネスを成立させるために俺を誘導している。

 蒼汰は相手のペースに飲まれぬよう、まずは呼吸を整えた。


「回りくどい話はもういいです。……何をするつもりですか?」

「MeTubeにゃ。収益は2:8。お前が8で良いにゃ。いなばんチャンネルで今日から、【最弱冒険者を最強に育ててみた】っていう企画を始めるにゃ。編集、プロデュース、企画立案、スポンサー周りは全てヒヨりんが担当してやるにゃ。お前は、カメラの前で演じるだけで良いにゃ。……どう? 悪い話じゃ無いにゃ」

「え、っと」

 

 悪い話じゃない。

 蒼汰はお茶を一気に飲み干して、机を睨み付けた。思索にふける。


 確かに、今の俺はバズっている。さっきからもずっと懐でスマホがバイブしているし、このままいけばつぶやいたーのフォロワーはすぐに1万を超すだろう。今MeTubeを上げればそれなりの再生数をとれるはずだ。

 でも、そのあとは? 編集もできない。企画も思いつかない。伝手もない。……多分、少しずつ廃れて、腐っていく。


 俺一人じゃ間違いなく限界が訪れ、視聴者から見限られる瞬間が来る。一発屋の芸人みたいなものだ。

 それを、登録者200万のMeTuberが協力してれる、と言っているのだ。 

 

 悪い話じゃない。間違いなく悪い話じゃない。

 なのに、蒼汰はすぐには首肯しなかった。 

 

「……あんた側のメリットが、少なすぎる」

「はは~ん。ヒヨりんのこと、疑ってるにゃ?」ヒヨりんは試すように、からかうように笑う。「でも、メリットは十分にゃ。言ったにゃ。お前は金になるにゃ。そうにゃね。おそらくこの一か月でお前は、ヒヨりんの言う通り動けば――」

 

 ヒヨりんは言葉をため、指を二本立てて見せた。


「——2000万は稼げるにゃ」

「に、にせッ!?」

 

 だらだらと冷や汗が溢れ出る。


「その中の2割となると、200万もヒヨりんに入るにゃ。ね? ヒヨりんにとっても、悪い話じゃないのにゃ」

「2割なら……400万だ」

 

 チクタク、チクタクと、静かな部屋に時計の脈動だけが鳴り響いている。

 ヒヨりんはほんのりと頬を赤らめると、「こ、こまけーのにゃ。うぜーにゃ。揚げ足取り陰キャめ」と不服そうに唸る。

 今の、揚げ足取りなのかな。思ったが、蒼汰はひっそりと胸の内側にしまい込んでおいた。


「とりあえず、分かってくれたかにゃ?」

「あ、ああ。確かに、めちゃくちゃ良い話……です」 

「そうにゃそうにゃ」


 ふふん、とヒヨりんは自慢げに鼻を鳴らす。

 しかしそこで、ヒヨりんは「ただ」と人差し指をピンと立てた。


「お前が金を儲けるには、恐らく一つの条件があるにゃ」

「条件?」

「そうにゃ。それは――」

 

 あっけらかんと、ヒヨりんは言った。


「——お前は、格上殺しをしなきゃいけないにゃ」

 

 寒気がした。慄然りつぜんとする。蒼汰はこひゅっ、と息を吸い込んで、その場で凍り付くように固まった。全身の毛穴がぶわりと開いている。


「か、格上殺しって……もしかして、大鬼を倒す、みたいな」

「そうにゃ。お前に求められているのはそれにゃ。むしろ、それしか価値がないのにゃ。雑魚冒険者がコツコツ頑張ってる姿なんてありふれているにゃ。お前が人気になった一番の理由は、そこにゃ。お前には、格上殺しが出来る素質があるにゃ」

 

 訥々と言葉を紡ぐヒヨりんについていけず、蒼汰はその場で額に手を当てた。立ち眩みがする。

 

 風が吹きすさんで、蒼汰の長い髪をさらって突き抜けていく、ような感覚がした。

 そこでは淀むような重たい空気が体中にまとわりついていて、呼吸さえままならない。目の前には3mほどもある化け物が佇んでいて、口から突き出た牙の先端からは粘性の涎が滴っている。

 化け物がこちらを見て、笑った。雄たけびだけで身がすくみあがった。気づけば背を向けて逃げ出していた。握り締めていたはずの剣は、いつの間にか手の中になかった。前に回り込んだ化け物が道を通せんぼして、また、笑った。


「……無理だ」蒼汰はその場で、浅い呼吸を繰り返した。いつの間にか息が上がっていた。思い出すだけでこの有様だ。自嘲するように右口角を吊り上げて、蒼汰は首を横に振った。「やっぱり、俺には、無理だ」

 

 そりゃそうだ。蒼汰はだらりと体から力を抜いた。

 楽して金を稼ぐなんて、そんな美味しい話あるはずない。リターンには必ずリスクが伴う。浮かれてた? 多分そうだろ。……馬鹿みたいだ。一人勝手に、舞い上がって。


「そうにゃね~。やるならすぐやるにゃ。大々的に告知もしてやるにゃよ~? 大盛り上がり間違いなしにゃ」

「だから……無理だって」 

 

 首を横に振っても、ヒヨりんは言葉を止めなかった。

 まるで諦めようとする蒼汰を嘲笑うかのように、あるいは「君はどうせやるんでしょ?」とでも見透かすみたいに次々と言葉を紡いだ。

 

「話題が覚めないうちがいいにゃ。三週間か、一か月後くらいが潮時かにゃ?」

「だから、俺には……」

 

 もう、やめてくれ。

 諦めの言葉を吐こうとするたびに、ひどく自分が惨めになる。あれだけ息巻いていたくせに。妹を助けるとか、言っていたくせに。

 なんだ。こんな簡単に、諦めちまうんだ。

 

「スポンサーもつけたら、きっととんでもない金額になるにゃ。それだけじゃないにゃ。きっと、世界をも騒がす挑戦になるにゃ」

「だからっ、俺には無理だって言っ──」


「──逃げるにゃ?」ヒヨりんが、蒼汰から目を離さずにまっすぐに言ってみせた。捉えて逃がさないとでもいうみたく、じっと見つめていた。昨日も同じようなことを聞いたなと、蒼汰はぼんやりと思った。「これは、二度とないチャンスにゃ」また同じだ(・・・・・)と、蒼汰は思った。 

 

『逃げるのか?』それは、一通のコメント。大鬼の巌のような佇まいを前に踵を返そうとする蒼汰の視界で、右から左に流れ、流星のようにひときわ目立って見えた。『これは、お前の、人生の分岐点だ』


 そのコメントに焚き付けられるまま、蒼汰は大鬼に挑み、そして結局後悔をした。


 身の丈に合わないことは、やらない方がいい。

 昨日、蒼汰は知った。身をもって、知った。


「俺だって、やれるならやってるって。やりたいだけじゃ出来ないことって、ほら、あるだろ?」

「御託は良いにゃ。言い訳もいらないにゃ。それでお前は――」

 

 ヒヨりんは、吐き捨てるように言った。まるで断罪するように、問いただすように。


「——また(・・)、逃げるにゃ?」

 

「……は?」 


 稲葉蒼汰は耳を疑う。「また」ヒヨりんはそう言った。その言葉が、妙に耳にへばりついて抜け落ちない。次の句を継がせたら行けないような気がして、妙な焦燥感に駆られて、蒼汰は咄嗟に口を開いた。

 しかし遮るように、ヒヨりんは独り言ちるように言った。


「疾風の白兎。ボールを渡したら止まらない最強のストライカー。事故で走れなくなった……と、されている、伝説と化した幻のサッカー選手」

 

 酩酊しているかのようなふらつきを覚えた。カラカラに喉が渇いている。

 耳鳴りがして、蒼汰は顔をしかめた。けたたましいブレーキ音が耳をつんざいて、鼓膜を揺さぶる。ダンッ! 銃声のような破裂音が轟いて、ハッとなった。

 蒼汰は知らず知らずのうちに、右こぶしを強く握りしめていた。 

 

 ヒヨりんは、余裕ありげに、挑発するように笑う。


「それで、君はまた、逃げるんだ?」

 

「お前にっ」ぷるぷると腕が震える。小刻みに視界が揺れている。理性が怒りの熱に溶け出して、蒼汰は飛びかかるように前のめりになっていた。「お前にっ、俺の何が――ッ!!」 

 

 ピッ。

 踏んづけたリモコンから音が鳴る。


『それでは以上、本日の注目のルーキー選手の特集でした!』

 

 いたずらについたテレビから、よく訓練されたアナウンサーの声が無機質に無駄に大きな部屋に響いた。

 画面には、サッカー少年が華麗にドリブルで敵を抜いていくスーパープレーの映像が流れている。


『いやぁ、素晴らしい選手が現れましたね』

『ほんと、ほんと。サッカー業界の未来は明るいですよ。まるであれだね、疾風の白兎君を思わせるねぇ』


 ぴくりと、蒼汰はその場で体を震わせた。

 熱のほとぼりも冷めぬまま、画面にくぎ付けになる。


「とんでもないタイミングにゃ……」

 辟易しつつも茶化すように、ヒヨりんがあははと力なく笑った。


『疾風の……? ああ、彼は実に残念でしたねぇ。怪我さえなければ……』

『でもあの事故、彼の不注意だったんでしょう? どうせ、浮かれて周りが見えていなかったんですよ』


「……な、んだよ、それ」

「ちょ、ちょちょちょーい!?」

 ヒヨりんは焦ったようにリモコンに走り出す。即座にチャンネルを変えようとするヒヨりんだったが、遅かった。


『そもそもね』

 鼻につく禿げ頭の、専門家だという男が分かったように喋りだす。

『【疾風の白兎】なんて言ったって、今のジュニアサッカー界に比べたら大した器じゃない。精々Bチーム程度の実力でしょう』 

 

 アハハハ! 豪快に笑う男の憎たらしい顔に、蒼汰は我慢ならなかった。

 

「お前に……」抑えようにも抑えきれず、留めておいた言葉の奔流がとめどなく迸る。「お前らに、俺の何が分かんだよッ! もう、放っておいてくれよッ!! 俺は、終わった人間なんだよッ! だから、だから……放っておいてくれよッ!」 


 ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、少し叫んだだけで息切れしている自分が、更に蒼汰は情けなくなった。 


 ピッ。チャンネルが切り替わる。能天気な、何も知らなさそうな朗らかな声で、可愛らしいお姉さんが天気予報を読み上げていた。

 

 リモコンを片手に、ヒヨりんはその場で押し黙る。

 蒼汰は天井を見上げると、いくつかシミを数えて、ふぅぅぅ、と大きく息を吐いた。天井を見上げながら、彼は語る。


「俺はね、ダメなやつなんだよ。疾風の白兎は、足を失ってなんかいなかった。……本当はね、事故の怪我なんてすぐ治ってたんだ。でも、コートに戻るのが……怖かった。事故はさ、俺のせいで起きたんだよ。赤信号で飛び出した。よくある話……」

 

 蒼汰は部屋の中央にとっちらかったサッカーボールを撫でながら、乾いた笑みを浮かべた。


「父さんと母さんは俺を助けるために飛び出して死んで、俺だけ生き残った……。しかもね、轢いちゃったトラックの運転手がさ、チームでキャプテンやってる奴の父さんでさ?」

 

 部屋にはひたすらに静寂が立ち込める。

 ヒヨりんは静かに、同情するように、あるいは呆れるように、冷めた目つきで蒼汰を遠くから眺めていた。


「キャプテン、責任取ってサッカーやめちゃって。サッカー選手になるって、うるさいくらいの人だったのに。俺に一言、『親父がごめん』って言ってさ。おかしいって、思うだろ? 何の冗談だよ。……悪いのは、全部俺なのに。あの日から、本気で走れなくなった。コートにあがると、ひどい動悸がした。『なんでお前が、のうのうと?』って、誰かが囁いてる気がして。……だから、足を怪我したってことにして、やめた。チームメートとの連絡先も消して、何もかもから逃げた。こうして、疾風の白兎はコート場から姿を消した……」

 

 蒼汰は安っぽい作り笑みをヒヨりんに向けて、同意を求めるように「ね?」と笑いかけた。


「俺はね、クズなんだよ。責任も取れない臆病者で、自分に都合のいい嘘をついて楽な生き方をする、クズ。……そんなクズ野郎が、格上殺し? ……冗談は、やめろって」

「……冗談言ってんのは、どっちだよ」

「えっ?」

 

 蒼汰の口から困惑の声が漏れたのは、ヒヨりんに否定されたからでも、彼女の口調が変貌したからでもなかった。

 

「なんで、アンタが泣いて……っ」

「分からないなら、ヒヨりんが教えてやるにゃっ! お前は……紛れもない天才なのにゃ! クズだとか、過去だとか、今は関係ないのにゃ!」 


 鼓膜を揺さぶる少女の叫びに、稲葉蒼汰は呆気にとられる。


「なんでそんな才能があるのに、今まで立ち向かなかったの……? 自分は雑魚だクズだって、違うよ……全部全部言い訳じゃん……。怖いことから逃げて、本気にならないための、言い訳じゃん! なのに、『本気ですよ』みたいな顔して、一億稼ぐとか妹を助けるとか、簡単に言わないでよ……ッ!」

「本気だよッ! 本気でやってんだろうが……ッ! 俺は、本気で――」

 

 ――あれ? 

 

 一瞬、記憶が駆け巡って、蒼汰はいつの間にか言葉を止めていた。

『わんっ!』

 記憶の中にいたのは、犬のようにだらしなく舌を出して、従順に指示を待つ、己と同じ顔をした犬だ。

 

(本気だった……? あれが、俺の本気? タカシの言いなりになって、Fランク冒険者としてテキトーに活動して、上手く行かないから仕方ないって? ……なんだ、それ) 

 

 顔を伏せたまま口をつむぐ蒼汰に冷ややかな視線を送って、ヒヨりんは踵を返す。

 

「ごめんね、勝手なこと言って。……この話は、なかったことにしましょう。それじゃあ、私はこれで」

 

 背を向けて立ち去っていくヒヨりんの背を、呆然と見送った。

 ぐしゃぐしゃ、ぐしゃぐしゃ。胸が張り裂けそうなほどに痛い。たった一人、静寂の立ち込めるリビングで、蒼汰は声にならない声を上げた。

 

 頭を掻きむしって、蹲る。


「……俺、何がしたいんだ」

 

 どうしようもないほどに、自分のことがわからない。

 1億を稼ぎたいのか。格上殺しをしたくないのか。多分、どちらも「はい」だ。つまり、俺は……そういうことか。


「……俺は、格上殺しをせずに、1億を稼ぎたい」

 

 嗜虐的に笑って、蒼汰は呆然と天井を見上げた。

 

「それの、どこが本気だよ」 

 

『本日のラッキーボーイは、みずがめ座のあなた! 季節の変わり目に、新しい出会いが待っているかも! ラッキーアイテムは赤!』

 

 ひとりでに流れるテレビの星座占いに蒼汰は苦笑する。

 ラッキーな、新しい出会い。


(皮肉すぎるな、ほんと……)


 ため息とともに、スマホを取り出す。

 生配信。あるいはそれを始めれば、なにか糸口が見えるかもしれない。もしくは、慰めの言葉が欲しかっただけかもしれないが。

 いずれにせよ無心のまま、蒼汰はMeTubeの配信開始ボタンを押していた。

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