4 最弱冒険者は、人間としても腐っている。
「あー……くっそ、頭痛ってぇ……」
稲葉蒼汰は、ひどい頭痛に目を覚ました。
天井を見上げながら首元の汗を拭う。
冒険者の装備を着たままなのを確認して、彼はため息を吐いた。
「そういえば……大鬼と戦って気絶しかけたんだっけ……」
記憶は曖昧。
大鬼から死ぬ気で逃げ回っている瞬間までしか、もう殆ど思い出せない。
ひとまず分かることは、装備を着たまま寝たせいで布団が泥でぐちゃぐちゃってことだけだろう。
片付けの面倒臭さを想像し、蒼汰はまたもため息を吐いた。
「……もう、一生あんなことやらねぇ」
床に散乱するカップラーメンの空き箱を踏まぬようにと歩きつつ、蒼汰は洗面所へと向かう。
ふいに、部屋の棚に飾ってあるトロフィーと賞状の数々に目を向けた。
『ジュニアサッカー協会』
『全国大会優勝』
『MVP選手』
栄えある賞が乱立していて。
その中央で、幼い頃の蒼汰がピースをして幸せそうに笑っている。
「お前も……こうなっちまうとは思わなかっただろうな」
呟いて、蒼汰はポリポリと尻をかきながら部屋を出た。
自堕落な日々。全く身にならない冒険者活動。
学校にも行かず、両親の遺産で暮らす日々。
いつからだっけ。
ふいに思う。
いつから、こんな腐った人間になったんだっけ。
「……思い出したくもねぇ」
苦い思い出に辟易して、蒼汰は泥だらけの装備を洗濯機に放り込む。
それからパン一になった彼は、あくびをしながらリビングへと向かう――その道中で、ぴたりと足を止めた。
鼻孔をくすぐる懐かしい匂い。味噌汁の匂いだ。それから、トントンと小刻みに鳴る包丁の音。
蒼汰は一人暮らしだ。無論、朝飯を作ってくれる人間などいやしない。
(だ、誰だ……?)
不思議に思いながらリビングに顔を出すと、当たり前のように机に朝ごはんが置いてあった。
秋刀魚の塩焼きにテカテカの白米、それから味噌汁に野菜の盛りつけ……。
困惑する蒼汰はしかし、キッチンに立つ見覚えのあるセーラー服にはぁと深くため息を吐いた。
ひとつ結びの髪に、男心をくすぐる艶めかしい項。
中学までは毎日のように見ていた後ろ姿。そして、蒼汰が好きだった後ろ姿。
「……何しに来たんだよ、陽葵」
告げると、セーラー服の少女は「あ!」と嬉しげに振り返った。
「おはよ、そうくん! 怪我はだいじょ……って、ひゃっ!? な、なんで裸なの!?」
咄嗟に顔を覆い隠しそっぽを向く少女。
顔は真っ赤で、今にも沸騰しそうな勢いだ。
「……男に免疫ないその性格、まだ治ってなかったんだな」
「あ、当たり前だよ! そんなことより服、服着て……はやくっ!」
ふしゅ~っとなって蹲る少女の姿に呆れながら、蒼汰はそこらに散らかっていた上着を羽織る。
「それで? なんでまた急に、こんなこと」
「えっと……ごめんね? 迷惑だった?」
「いや、まあ、迷惑じゃない……けど」
一々顔色をうかがってくる彼女の様子に、蒼汰は「変わってないな」と思う。
七瀬陽葵。
蒼汰と彼女は幼馴染だった。
家が隣で、幼い頃からよく遊んだ仲。
陽葵は極度の恥ずかしがり屋で、人見知りで、蒼汰の後ろを意味もなく着いてくるパパっ子ならぬ蒼汰っ子だった。
中学になってもそれは変わらずで、別々のクラスになって泣き喚く陽葵のことをよく蒼汰が慰めたものだ。
放課になるたびに蒼汰の元までやって来る彼女のせいで、「二人は付き合っているんじゃないか」と噂が流れることもしばしばあった。
ただ、とある出来事を境に疎遠になって、同じ高校に進学した今は、蒼汰が不登校なのも相まって殆ど会ってはいなかった。もうかれこれ2年くらいだ。
それがどうして、突然……。
思っていると、陽葵が言いづらそうに口を開いた。
「えっとね……」と。「その……そうくんが、心配だったから。ほら、昨日……大変だったでしょ?」
「え? 昨日?」
ちょ、ちょっと待て。
蒼汰は逡巡する。確かにそうだ。昨日は色々あった。だがしかし、なぜ?
「なんで……陽葵がそれを知ってんだよ」
「え? だって……すごい、騒ぎになってるから」
「は? 騒ぎ?」
ヴゥヴゥ。
懐で唸るスマホに手を伸ばし、すかさず画面を確認する。
それから、蒼汰は驚愕のあまりその場で固まった。
『チャンネル登録しといたぜー、稲葉きゅん!』
『まじ応援してる。頑張れよ、【格上殺し】!』
『日菜ちゃんのために負けんじゃねぇぞ!』
『何が起きてんのか分かんなかったら、ほいこれ
→【URL】』
通知の正体は、全てつぶやいたーのものだった。
しかし1000件以上の通知なんて、今まで経験したことなどない。
「な、何が起きてんだ……」
すぐさまフォロワーの人数を確認する。
そして更に、蒼汰は強い衝撃を受けた。なんじゃ、なんじゃこれ。意味不明すぎる。
「3,000……? 昨日まで100人近くしかいなかったのに……!?」
へにゃり。
体から力が抜けていくが、まだ確認したいことはある。
蒼汰はすかさず、リプ欄にいくつも貼られていたURLを確認した。
MeTubeへとアクセス先が移され、『ヒヨぬき / ヒヨりんの切り抜きチャンネル』なるチャンネルへと飛ばされる。動画のタイトルは――
「『【神回】10分で分かる、最弱冒険者・稲葉きゅんまとめ』……? 稲葉きゅんって……俺のこと? だよな? でも、なんで?」
稲葉蒼汰は逡巡する。まずは、昨日のことを思い返してみる。
心当たりがあるとすれば、そうだ。あのインタビューだろうか。
「って……再生回数200万ッ!?」
ちらりと視界に飛び込んだ新たなる衝撃情報に、蒼汰はそのまま椅子の上でひっくり返った。
「あっ!」陽葵が声を上げながら、エプロンを脱いで蒼汰の背後に立つ。「その動画、私も見たよ? すごいよね。そうくんが私のそうくんから、みんなの、世界のそうくんになっちゃった」
「いや……別に陽葵の稲葉蒼汰であったつもりはないんだけど」
「そういう細かくて卑屈っぽいとこ、治ってなかったんだね」
「う、うるせー……」
「ふふっ」笑う陽葵が、すかさず懐からスマホを取り出す。それから見せてきたのは、彼女のLIMEだった。「だってね、ほら。クラスラインでも話題になってるんだよ?」
刮目する。それから、蒼汰は開いた口が数秒塞がらなかった。
『見てこれ、めっちゃヤバくない!?www』
『これ隣のクラスの不登校のやつ?』
『大鬼と戦ってるじゃん、すっげえwww』
『冒険者だったの?』
『なんか親がいなくて、しかも妹が病気で、だから結構頑張ってるらしい』
『めっちゃ良いやつじゃん』
『今までただの不登校陰キャかと思ってたwww』
「なんじゃ……こりゃ……」
仰天する。
昨日、あの瞬間、あのダンジョンにいて、たまたまインタビューを受けて……偶然の積み重ねだ。ただそれだけで、急に日の目を浴びて……。
天変地異が起きたのか、これが青天の霹靂か。
稲葉蒼汰の人生において、その体験はもはや非日常と言っても過言ではなかった。
それは突然剣を持たされて、「さあ、お前が世界を救うのだ」と言われているのに等しい。
そのくらいに、ビッグで、ヤバイ、語彙力崩壊寸前のイベント。
早速動画を流してみると、すぐに見覚えのある顔が飛び出てきた。
「やっぱり、この人の影響で……」
ヒヨりん。こんなに影響力のある人だったのか。
思うと同時に、そういえばと己の奇行を思い出すだに、冷や汗が吹き出る。
(そういえば俺……ゴブリンに負けたあと、インタビュー続けて受けたっけ? あれ? ……無視して帰ってね?)
ぶわり、一斉に吹きでる冷や汗。
嫌な予感に、蒼汰は思わず背筋をピンと伸ばした。
(ってことは、これ、もしかして炎上? やばい? 人気MeTuberに失礼しちゃったみたいな? やばい、やばいやばいやばい……)
しかしコメント欄を見て、すぐに思い違いだと気づく。
『初めて見た冒険者さんだけど、本当に原石だと思う。まじで頑張れ、稲葉きゅん!!!』
『期待はしてないけど、いなばんならこれからも面白そうなことしてくれそうで楽しみすぎるwww』
『ヒヨりんとの再コラボ、座して待つぞ』
『なんか小動物みたいで可愛い!笑 一瞬でファンになった! これからが楽しみ!』
「ぉ、ぉお、ぉおおお……!」
何度も何度も、同じコメントを読み返す。
冒険者歴1年。
永遠に底辺で燻っていた今までの彼からは、想像もできない程の称賛だった。
ワクワクしながら動画を流してみると、やはり登場してきたのは他でもない稲葉蒼汰、彼自身だった。
ユニシロの無地のTシャツの上から革の胸当てを着た、錆びたダガーを手に持つ冴えない冒険者。素寒貧な装備なのはしょうがない。稼ぎが少ないため、こんな格好をする他ないのだ。
しかし、そこで蒼汰は動画を止めた。
駄目だ、駄目。
(……こんな恥ずかしい動画、陽葵の前で見れないって)
多分、ゴブリンにボコボコにされるところも、『大鬼がどうの』って書いてあるってことは、大鬼から逃げ回っているところだって載っている。
(そんな姿……陽葵にだけは見られたくない)
実際、陽葵はすでに動画を見ているため関係はないのだが。
それは、蒼汰のささやかなプライドだった。これが陽葵ではない他の女だったなら話は違っただろう。でも、彼女だけは駄目だった。
「あれ? ……見ないの?」
首を傾げる陽葵の姿を見て、蒼汰は頬を染めてそっぽを向く。
「また後で見る」
数秒の沈黙。
それを先に壊したのは、陽葵の方だった。
「学校っ」振り絞ったような彼女の声に、蒼汰はハッと目を見開く。「学校……一緒に行こ? きっと今なら、みんな喜んで迎えてくれるし。ほら、そうだ! 動画の感じだと、足の怪我、治ったんでしょ? だったらまた、みんなでサッカーしよ! そうくんくらい上手だったら、きっと――」
「――だからっ」彼女の言葉を遮って、蒼汰は言う。「サッカーは、もうしないって言ってんだろ。それに、学校にも行かない。日菜の病気を治すために金がいるんだ……。だから、もう俺に構うなよ」
「で、でもっ。本気で……稼ぐつもりなの? 無茶だよ……」
陽葵が、まっすぐに蒼汰の目を見つめて言った。
「――半年で1億円なんて……稼げっこないよ」
ギュッと、蒼汰は拳を握りしめる。
今にも感情が爆発しそうで、必死になって堪えた。
「放っておいたら、そうくん、何しでかすか分かんないよ……。大鬼にまた挑んだりしないよね? もっと危険なこと、しないよね? ……もう、やめよ? そうくんが死んじゃったら、日菜ちゃんが可哀想だし、だから、残された時間を幸せに過ご……っ」
「いいからっ!」
蒼汰は強く机を叩く。
弾みで、陽葵の作った味噌汁がべちゃりと床に溢れた。
「もう、帰れよ。……今がチャンスなんだ。覚悟の上で冒険者になったんだよ。お前には……関係ねえよ」
陽葵は溢れた味噌汁を見て瞳を震わせると、俯く。
それから、「そっか」と吹っ切れたように笑った。
「ごめんね。迷惑だったよね……。じゃあ、またね! 頑張ってね、そうくんも!」
駆け足で家を飛び出ていく陽葵の後ろ姿を、蒼汰は呆然と見送る。
それから溢れた味噌汁を見て、唇を噛み締めた。
いつからだっけ。
ふいにそう思う。
いつから、こんな腐った人間になったんだっけ。
台所に向かうと、絆創膏とノートが置いてあった。
なんの気無しに開いてみれば、綺麗な字でメモが書いてある。
『そうくんが大好きだったご飯メニュー
その1.お味噌汁!
そうくんは甘めが好きだからミリンを入れること!
あと、ワカメが嫌いだからワカメを抜いておくこと!
元気になってもらうために、頑張らないと!』
一生懸命、いっぱい書いてあるそれは、全てが蒼汰のためで。
ハッとなって、蒼汰は家を飛び出していた。
謝らなければ。ごめんって、少しでも。
でも、それでも。
陽葵の横に見たこともない男が一緒に立って歩いて、嬉しそうに話しているのを見て、蒼汰はそこで足を止めた。
「俺以外にも……喋れる男、出来たんだ」
彼らの空間に水を差したくなかったから? 邪魔したくなかったから?
違う。
(ただの……劣等感と嫉妬だ)
部屋に戻って、蒼汰は溢れた味噌汁を片付けながら、思った。
俺はいつから、こんな腐った人間になったんだっけ。
「おにーさん、おにーさん」
背後から声をかけられ、蒼汰はハッとなった。
聞き覚えのある声。
振り返れば、見覚えのあるピンク髪の少女がいる。
彼女はとぼける蒼汰に向かって、ニッと笑ってみせた。
「もしかして、私が誰か分からない? だったら――」
懐から猫耳のカチューシャを取り出すと、彼女はそれを恥ずかしげもなく装着する。
「――こうしたら、分かるかにゃ?」
驚き固まる蒼汰に、彼女は悪巧みする少年のような囁き声で彼を誘った。
「いなばんくん……ヒヨりんと、やべーこと始めないかにゃ? お金に困っているご様子にゃ。でもヒヨりんがいればお前は無敵にゃ。……がっぽがっぽ、稼ぎたくないかにゃ?」
「い、いや……。普通に、不法侵入なんですけど」
「はにゃ?」




