3 最弱冒険者、バズる
『はっwwwwww』
『死にかけてるくね?』
『神回の予感』
『やばすぎwwwww』
神回の予感。
ヒヨりんの嗅覚も、その匂いを逃してはいなかった。
「生放送続行! いなばんくんの様子を見に行くにゃ! みんな、チャンネルはそのままで……もしかすると、今日は神回にゃ!!」
『キタッァァァアァアア!!』
白熱するコメント欄。
すかさず走り出すヒヨりん。無論向かうは声の方へ
しかし、ヒヨりんの頭は不思議でいっぱいだった。
だって、おかしい。【赤羽の迷宮】に現れるのはゴブリンだけ、もしくは五層のボスエリアに湧くゴブリン・エリートだけだ。
(だとしたら……ゴブリンに追われてるってこと? それで、こんな泣き叫ぶかな……普通。あ、いや、でも……まさか、だけど)
まさか。
ヒヨりんは、とある可能性を想像して、ごくりと息を呑んだ。
稲葉蒼汰の絶叫が、少しずつ近づいてくる。
すでにギャラリーはいくつかあって、冒険者の笑い声が辺りに充満していた。
そんな冒険者達の中心で、必死の形相で駆ける少年が一人、稲葉蒼汰だ。
そして、彼を追っている魔物。あれは――
「――大鬼にゃ!? ってことはまさか……あいつ、冒険者やめるとか言ったあとに、高難易度のシークレットエリアに行ったにゃ!?」
『バカだwwww』
『は? 狂ってんんじゃん……』
『恐れ知らずってレベルじゃねーぞ』
――シークレットエリア。
各迷宮に一つはあると言われている、隠されたエリアのことだ。難易度はどれも元の迷宮の数倍はあると言われ、初心者用ダンジョンであるここ、【赤羽の迷宮】のシークレットエリアもまた、中堅冒険者がパーティーを組んでギリギリ攻略できるかできないか、という難易度である。
(そんなシークレットエリアに……ゴブリンに負ける最弱冒険者がソロで挑んだってこと……!?)
「なんていう愚か者にゃ!?」
『まじでばかすぎる……』
『イかれてるwwww』
『これ、もしかしてあれ狙い?』
『――【格上殺し】狙いってこと?』
【格上殺し】。
冒険者界隈で一時話題になった単語だ。
格上の魔物を殺すと、急激にレベルアップでき――特殊なスキルを習得できる。
そんな、まやかしとも付かぬ噂話。無論、命をかけてそんな愚行を行うものはおらず、いても格上の魔物を前に呆気なく殺されるばかりで、その真偽がついたことはなかった。
【格上殺し】は非推奨。
やらないほうが身のためだ。
それが昨今の冒険者常識。
なのに……。
「なんて大馬鹿ものなのにゃ~!? ひ、ひとまず助けるにゃ! このままだといなばんが死んじゃうにゃ!」
助けようと駆け出すヒヨりん。
しかし彼女は、すぐに足を止めた。目を見開いて、その場に立ち尽くす。
まず感じたのは、強烈な違和感だった。
さっきから稲葉蒼汰は、かなりギリギリの状況を保っている。大鬼の日本刀を既のところで躱して、走って、転びかけて。なのに、それなのに。
「――当たる気配が、まるでしないんだけど?」
動揺。
キャラ作りさえ忘れてしまうほどの、金槌で殴られたかのような強い衝撃。
圧倒的『回避センス』。
研ぎ澄まされた稲葉蒼汰の神経が、深い、深い底まで達する集中が、ヒヨりんにもひしひしと伝わってくる。
『なんか思ったよりもすげぇえwwww』
『wwwwwww』
『神回すぎるwwww』
『最弱冒険者、逃げるwww』
彼を馬鹿にするようなコメント欄を見て、ヒヨりんはふりふりと首を横に振った。
馬鹿にしているやつは、節穴だ。ヒヨりんはそう思う。
彼女の『嗅覚』は一級のものだ。そして稲葉蒼汰からは、ずっと臭っている。
(単なる最弱冒険者じゃない……これは、金のなる木よっ!)
すかさず、ヒヨりんは脳裏にとある筋書きを描いた。
稲葉蒼汰を利用して、一攫千金を狙う夢。
そのためならば、ヒヨりんは出し惜しみする気はなかった。
彼女は、とっさにカメラに向かって叫ぶ。
「みんな、すぐにあいつの……【いなばんチャンネル】をチェックするにゃ! 今夜は神回にゃ! ……超絶怒涛の期待のルーキーが、まじのまじに現れたにゃ!」
ニカッ。
自慢の八重歯を見せて笑う彼女は、7万にも増えた視聴者達に宣言する。
「今日から新しい企画を始めるにゃ! その名も【最弱冒険者を最強に育ててみた】にゃ! 一人の最弱冒険者が成り上がっていく興奮……とくと味わうにゃ!」
『キタァァッァア!!』
『まさかの稲葉きゅんレギュラー宣言wwww』
『まじで楽しみすぎるwww』
今もまだ、ぎゃあぎゃあと泣き喚く稲葉蒼汰。
そんな彼の叫び声が――
「日菜を一人にして……たまるかぁぁぁぁぁあッ!!」
『日菜って誰やねん』
『最弱なのに冒険者やってんのにはやっぱ理由があんのか?』
「あいつの病気を治すまで……死ねるわけねぇだろうがあぁあああ!!」
『稲葉きゅんカッコ良すぎわろたwwww』
『まさかの誰かのために戦っていた稲葉きゅん』
『ちゅきっ……濡れちゃった……///』
――彼の好感度を勝手に上昇させているとは、稲葉蒼汰自身はまだ、知る由もなかった。
それから稲葉蒼汰が無事に逃げ出したのを見届けたヒヨりんは、ひっそりと配信を閉じるのだった。
無論、「……もう、冒険者やめるもん」と嘆く稲葉蒼汰も盗撮済みである。
その後、稲葉蒼汰の持つ『いなばんチャンネル』は一夜にして破竹の勢いで伸びていくこととなる。
たった8人だった登録者数は5000まで伸び、『つぶやいたー』では『最弱冒険者』がトレンド入り。
【ゴブリンにも負けるのに、大切な人のために《格上殺し》に挑戦する最弱冒険者がカッコ良すぎるwww】など、【最弱冒険者の超絶回避スキルがこちらwww】など、あらゆる切り抜き動画が作られるほどの勢いだった。
そのことを稲葉蒼汰本人が知るのは、一夜明けてからのことだった。