回想
フレグランス家本邸。
皇都の北東にあるパーシモンの村でも特に目立つ大きな館である。かつては一帯を治める領主の館だったのだが、数年前に不祥事起こして失脚してしまった。昵懇の間柄にあった商会の創業者であるルディの祖父が館の管理を引き受けたものの、新しく任命された領主は別の場所に館を新築し住民を全て強制移住させた経緯がある。その強制移住にフレグランス家は広大な農地の管理を理由として抵抗し、それ故に残っている住民は商会の関係者のみになっていた。
そのフレグランス本邸の前庭にルディ達は昼過ぎに到着する。
「大旦那様、お嬢様をお連れ致しました」
「お祖父様ー」
「おお、瑠美。よお来た」
好々爺と言って差し支えない相好を崩した表情でハルテン商会の創業者である大旦那が孫娘を出迎える。
「道中、何もなかったか?」
「怖い人に会ったよ」
孫娘の言葉に大旦那の表情は凍り付く。ゆっくり家庭教師の方へ振り返った彼の眼光は鋭く貫くようだった。
「どういうことだ?」
「ライアー伯爵領に入る手前で山賊に襲われまして、危ういところを騎士団に助けて頂きました」
「ほお? ライアー伯爵領の境界近くならば騎士団が間に合うとは思えんが」
大旦那の眼光はますます鋭く光る。
「き、騎士団を呼んで下さった方を恩人としてお連れ致しております」
「そうであったか。して、その御方は?」
「それが、村の中を見学すると仰って……」
ヴァネッサの歯切れは悪い。大旦那はこのような筋の通らない行為に手厳しいからだ。
「そこは無理を承知で連れて来んか!」
「も、申し訳ありません」
平謝りする家庭教師。そこへ件の人物が来訪する。
「おや、どうされましたか?」
「どちら様で……、あなた様は!」
大旦那が近付いて来る人物に気付いて振り返ると、驚きの声を挙げた。
「この御方にお嬢様を助けて頂きました」
「左様か、このような奇遇もあるのじゃな」
大旦那はシミジミとした表情で頷くと、その場にいた全員に館へ入るように告げた。
「カイン君」
「んだよ?」
ルディはカインと対話を試みていた。しかし彼のぶっきらぼうな態度は改まらない。アルフォードは大旦那と会談に臨んでいるのでこの室内にはルディの家庭教師であるヴァネッサが同席しているだけだ。
「カイン君はセントラルガーデンに入学しないの?」
「ししょーに鍛えてもらっているから、行く気はねーな」
「そんなに凄い人なの?」
ルディはアルフォードに山賊から助けてもらっていたが、その実力を量れるほどの年齢ではない。これは家庭教師であるヴァネッサが主に学業を担当していることも影響している。
「ししょーの凄さは、分かる奴にしか分からねーからな」
得意顔の彼に、ルディは冷や水を浴びせるような言葉をぶつけた。
「でも凄いのはあの人であって、カイン君じゃないよね?」
「な……」
絶句した彼の表情を見てヴァネッサは失笑を堪える。実際のところ、カインの言動は虎の威を借る狐と同じだ。それをルディは幼いながらも持ち前の洞察力で看破した。ヴァネッサは家庭教師として誇らしい気持ちになる。
「お、俺だってししょーに稽古をしてもらっているから、お前なんかには負けねーぞ!」
「そうかしら、少し手合わせしてみる?」
「お、お待ち下さい、お嬢様」
挑発するような彼女の言葉にヴァネッサは思わず制止した。ルディは剣術などの武芸を習ったことなどない。そもそも商会を経営している一族だから武芸などとは縁遠かった。
「ヴァネッサは心配性ね。お祖父様に少し習うから大丈夫よ」
「は?」
カインとヴァネッサの声が期せずして唱和した。二人が口を開くよりも早く、部屋の扉が開く。
「お待たせしました。カイン君は迷惑をかけていませんか?」
アルフォードが入室して来た。その後ろからは大旦那も入って来る。
「瑠美や、仲良くしておったかの?」
「お祖父様、カイン君は剣術が得意なんですって。少し手合わせしたいから、私に剣術を教えて欲しいの」
ルディは椅子から立ち上がると大旦那にせがむ。やや困った表情をした大旦那ではあったが、孫娘の頼み事を無碍にもできず、目尻を下げて優しく微笑んだ。
「アール殿、カイン君の腕前は?」
「ディオンよりは下です」
「左様ですか」
大旦那は頷くと孫娘の頭を一撫でする。
「瑠美、今から剣術の稽古をしても、カイン君とは手合わせできる腕前にはならんぞ」
「お祖父様、あのね……」
ルディは大旦那に顔を近づけると考えていた事柄をゴニョゴニョと耳打ちした。
「そうかそうか、それならば今から稽古をつけてあげよう」
ニコニコと微笑む大旦那の様子に、今度はアルフォードが困惑の表情を浮かべる。
「大丈夫なのですか?」
「アール殿、心配には及びません。実は……」
大旦那がアルフォードに孫娘の提案を耳打ちすると、彼の表情は明るくなった。
「それは面白そうですね、是非ともやりましょう」
「あなたなら、そう仰ると思っていましたよ」
ニヤリと笑う大旦那に連れられて、ルディは部屋を後にする。
「それじゃあ、カイン君、また後でね」
パタンと閉じた扉を背に、ルディは裏庭へ向かう。
「しかし突拍子もないことを思い付くのう、誰に似たのやら」
「けど、あれならカイン君をひと泡吹かせられるでしょ?」
「そうじゃの」
嬉しそうに笑う二人は、その先に待ち受ける事態を想定できていなかった。




