長崎屋にて
「そのルディを僕の妻に所望する」
「は?」
その場にいた一同の理解は追いつかなかった。しかしアーネストは構わずに続ける。
「美しい人よ、僕の妻にならないか?」
突然の事態にルディは思考回路が止まっていた。
「ふふ、照れているんだね。心配は不要さ。何しろ僕は東公の次男。爵位は下がっても貴族に変わりはないからね」
アーネストの思わぬ自己紹介に、ルディは正気に戻る。
「それはつまり、私は騎士を目指していますので、あなたの身辺警護をせよとの仰せですか?」
「僕も士官学校に入校する。心配は無用だ。騎士として貴女を守ってみせよう」
自己陶酔の癖があるようなアーネストの話し方は、彼女の神経を逆撫でしていた。
「それでしたら、私の恋人よりも強いと証明して下さい」
「ほう?」
兄のジョージは面白いことが起こりそうだと予感して、口を挟まずに静観した。父親のケントも娘の気持ちは知っているので成り行きを見守る。
「貴族の僕と張り合うような男がいるとは思えないけど?」
「私の恋人はそのような軟弱ではありません。つい先程まで部屋で共に過ごしておりましたから呼んで参ります」
立ち上がったルディは踵を返すと、部屋を後にする。
「殿下、如何致します?」
「追い掛けよう。この場から逃げ出す作り話かもしれないからね」
付き人のルークに問われて、アーネストは立ち上がった。
「それでは案内致しましょう」
ケントも立ち上がる。本来であれば客同士の諍いを起こすのは店としての信用問題に繋がるのだが、寝耳に水の話を持ちかけられて彼は、父親としての感情を優先させた。
「貴族の僕と張り合う、そんな人物が本当にいるのかね?」
「その目で確かめるとよろしいでしょう、殿下」
ケントの言葉にアーネストはムッとしたが、ルディを手に入れるには家族を手懐けるのが得策と思い直して沈黙を守った。
「カイン君、助けて下さい!」
その頃、ルディはカインとアルフォードが寛ぐ部屋に到着していた。扉を開くなり畳の上に座り込みながら懇願して来た彼女に、カインは呆気に取られる。
「どうしたんだ?」
「それが、理由が分からないのですが、初対面の殿方から求婚されまして……」
ルディは先程のやり取りを掻い摘まんで話した。
「俺じゃ、助けにならないだろう」
「そのようなことはありません。私はカイン君に助けて欲しいのです」
ルディは両手でカインの両手首を掴みながら上目遣いで彼の瞳を真っ直ぐに見詰める。あまりの勢いにさしものカインもたじろいだ。アルフォードは涼しい表情で二人のやりとりを見守っている。
「お、俺に利益があるとは思えない」
「私と恋人のフリをして頂ければ、この店でカイン君の好きな物を好きなだけ融通します」
破格の条件を提示されてカインの心は揺れ動いた。
「毎日のお昼御飯も私が用意致します」
「しかしだな……」
言葉を濁す彼を見て、もう一押しとルディは見定める。
「それとも、カイン君はあの時の約束を忘れてしまいましたの?」
「約束?」
カインは助けを求めるようにアルフォードを見た。
「カイン君、困っている人を助けてこそ、立派な騎士というものです。ルディ嬢の頼みを聞くぐらい、容易いことでしょう?」
アルフォードからの言葉はカインの逃げ場を塞ぐ内容だった。
「ええい、仕方ねぇ。その代わり、昼飯とここでの飲食は自由にさせてもらうからな」
「ありがとうございます。やっぱりカイン君は優しいですね」
明るい笑顔に戻ったルディの目尻には光る滴があった。
「それでは、キチンと話を擦り合せておきましょう」
ニコニコと微笑むアルフォードの提案にルディは真剣な眼差しで頷く。一方のカインは溜息をつきながらも彼女に向き直った。
「んで、どうすりゃいいんだ?」
「話を合わせて下さい。私と恋人のフリをして頂ければ、それで大丈夫です」
「恋人のフリと言ってもな……」
カインは困り顔だ。
「恋人というのは、大切な人物です。カイン君の大切な人が嫌がらせを受けていると考えれば、どう行動すれば良いか理解できるでしょう?」
アルフォードの提案に、カインは思いを巡らせる。
「分かった、任せろ。俺のルディには指一本触れさせない」
地獄の底から響くような低音でカインが呟いた。突然の変わりようにルディは驚く。
「んで、その不届きな野郎は何者だ?」
「確かご自身で東公の次男と名乗っておられましたわ。騎士になるから士官学校に入校するとも」
ルディの答えにカインとアルフォードは顔を見合わせた。通常の者ならば貴族と張り合うような真似は尻込みするのだが、カインはニヤリと口の端を吊り上げる。
「師匠、貴族の横暴な振る舞いに制裁を加えたいのですが、よろしいでしょうか?」
「カイン君の好きなようにして構いませんよ。後のことは私に任せなさい」
常にないカインの丁寧な態度と、それを笑って受け入れるアルフォードに不穏なものを感じながらも、ルディはどうにかなりそうな雰囲気に胸を撫で下ろす。
「それでは、先方には私の恋人を連れて参りますと告げて来ましたので、早速ではありますが先方の部屋にお越し下さい」
「その必要はなさそうですよ」
立ち上がり掛けたルディは、アルフォードの言葉にキョトンとした。その彼女の背後に人影が差す。




