長崎屋にて
皇暦七百七十年夏、暑さの盛りとも言える昼下がり、皇都の通りでルディは見間違えようはずもない赤い髪の少年を見かけた。店の手伝いで荷物を運んでいた彼女は、その荷物を使用人に手渡して通りに向かって声をかける。
「カイン君!」
呼びかけられた少年が振り返り、視線が合った。
「ええと、ルディだったか?」
「憶えていてくれたのですね、嬉しいですわ」
ニッコリと微笑む彼女に、カインは歩み寄って来る。セントラルガーデンでの試験から二ヶ月余り。士官学校への入学準備を整えながら日々を過ごしていた彼女にとって、彼と離れている期間は長く感じられた。明後日には入校式で顔を会わすとは言え、やはり思い人と離れて過ごすのは寂しさを募らせる。それに、今日は試験日とは髪型を変えていたので気付いて貰えないかもしれないと思っていたのだから、喜びも大きかった。
「ここが、お前の家か?」
「家じゃなくて、お店です。良かったら、何か召し上がります?」
「お嬢様、そのような胡乱な輩と言葉を交わす必要はありません」
ルディの言葉に、横から口が挟まれた。口を挟んで来たのは二人と同じ年齢ぐらいの少年だ。その彼をルディは咎める。
「お客様に何という口の聞き方ですか、いけませんよ」
「けど、お嬢様……」
店員の少年は不服そうな表情でカインを睨んだ。
「おい、ぶっ飛ばされたいのか?」
カインが低い声で問い掛ける。既に目つきも鋭くなっており彼女は危険を察知した。カインの握り拳が唸りを上げる。乾いた音が周辺に響いた。
「おい、何の真似だ?」
カインの不機嫌な声の原因は、その拳が受け止められていることにあった。ルディの左手が、彼の右拳を受け止めている。
「店の者の無作法は、私どもの責任でもありますので」
「教育が行き届いていないんじゃないか?」
カインは不敵に笑う。一方のルディは、左手が痛みで痺れていた。だが、そんなことは全く意に介しないカインは、両の拳を身体の前で構える。
「そう言えば、お前も騎士志望だったな」
「ええ、ですが騎士はこのような街中で騒ぎを起こしませんわ」
闘争心に火が点いたカインを鎮めようとルディは声を掛けるが、却って彼の表情は険しくなった。
「男は、舐められたら終わりなんだよ」
店先で二人が騒いでいると、不意にカインは頭から水を掛けられる。
「な……、誰だ!」
「人様の店先で騒ぐものではありませんよ」
「げ、師匠」
カインは怯んだ。何故なら、師匠が怖い微笑みを浮かべていたからだ。対照的にルディは安堵の溜息を漏らす。あのままカインと戦闘になっていれば、無事で済むはずがなかったのだから。
「ちょっと目を離すとこれですか。そんなにトレリット村に帰りたいですか?」
「す、すみません師匠、これには深い訳が……」
「そうですか、それではゆっくりと聞かせてもらいましょう」
焦るカインの首根っこを師匠はむんずと無造作に掴む。まるで猫の子を扱うような仕草に、ルディは思わず吹き出していた。
「ぷ」
「わ、笑うな」
「カイン君、随分と余裕がありますね?」
「し、師匠、だからこれには深いワケが……」
「ルフィーニア教官、本日は当店にお越し下さり誠にありがとうございます。当店名物の冷や奴は如何でしょうか?」
カインの苦境を見て、ルディが助け船を出す。二ヶ月前の約束を果たそうと彼女は機転を利かせたのだ。
「ハルテン商会の名物、冷や奴ですか。いいですね、久方ぶりに頂くとしましょう。カイン君は湯豆腐が良いでしょう」
「誠に申し訳ありませんが、湯豆腐は冬限定です。それに頭を冷やすなら、冷や奴で頭を打ち付ける方がよろしいかと存じます」
「それもそうですね、ルディ嬢は相変わらず聡明ですね」
にこやかに微笑むアルフォードの様子は、幼少の頃に出会った記憶が間違いではないと、ルディを確信させるに至った。
「バカは死ななければ治らない、とも言いますからね。バカ弟子には豆腐の角がお似合いでしょう」
カインの首根っこを掴んだままアルフォードは笑っている。
「ルディ、先程から何を騒いでいるのだ?」
店内から暖簾をくぐって中年の男性が顔を出した。ケント・フレグランス、ハルテン商会の二代目でルディの父親である。
「お父様、こちらセントラルガーデンのルフィーニア教官です」
「セントラルガーデンの教官?」
ケントは訝しげな表情を浮かべたが、即座に相手の正体に気が付く。
「アルフォード先生ではありませんか、お懐かしい」
「久しいですね、いつもはハルヲ殿の店に行っていますからね」
二人の関係性が見えず、ルディはキョトンとしてしまった。
「ルディ、ボサッとしていないで、先生方をすぐに奥の座敷へ案内なさい」
「は、はい!」
父親から指示されて、ルディはアルフォードたちを店舗の奥座敷へと案内した。




