回想
木目の天井が見える。ぼんやりとした意識の中で、ルディは状況を把握しようと努めた。カインとの手合わせの途中で意識を失ったのを思い出す。
「私……」
「お嬢様、目を覚まされたのですね」
家庭教師のヴァネッサが彼女の顔を覗き込むように身体を近づけて来た。家庭教師の目尻には薄らと涙が滲んでいる。
「大旦那様を呼んで参ります」
ヴァネッサは呼び止める間もない勢いで部屋から出て行った。ポツンと独り残されたルディは、直前の記憶を思い返す。手合わせは引き分けと宣告されていたが、それでも気を失っている間の出来事を彼女は知りたかった。寝台の上で身体を起こすと祖父が慌ただしく入って来る。
「瑠美、心配したぞ。身体は大丈夫か?」
大旦那が入室して開口一番、孫娘の容態を気に掛けた。寝台の上で身体を起こしていたルディは、心配かけまいと笑顔を浮かべる。
「はい、心配かけてごめんなさい、お祖父様」
「何、魔力切れでの昏倒じゃ、よう頑張った」
孫娘を労う大旦那の表情は明るかった。彼の後から入室して来たのはアルフォードとカインだ。
「お目覚めですか、具合の悪いところはありませんか?」
「はい、少し身体が怠いぐらいです」
ルディはアルフォードの問い掛けに答えた。すると赤いものが彼女の視界の隅に入る。
「お前は凄ぇ奴だ」
カインが声を掛けて来た。
「ししょーから聞いたが、素早さを上げる魔法を使いながらあれだけ動けるんだ、凄ぇよ」
「少しは認めてもらえたかな?」
「ああ、世の中、上には上がいるし、誰であっても侮っていい訳じゃないと分かった」
カインの殊勝な言葉にルディは微笑み返す。
「俺はいつか騎士になるつもりだ。その時に今日みたいなことにはならないよう、憶えておくぜ」
「カイン君、あなたの心懸けは充分に理解しました。それならば、言葉遣いを直しなさい」
「い、いひゃい、いひゃい。ひひょー、いひゃいっ!」
むんずと弟子の頬を摘まみ上げるアルフォード。そのまま扉の方へ弟子を引っ張って行く。
「ちょっと教育して来ます」
そう告げて二人は出て行った。
「瑠美、どうじゃ、本格的に剣術を学ぶか?」
「商人に剣術って必要なの?」
祖父である大旦那に問い掛けられて、ルディは率直な疑問を返す。大旦那は神妙な表情になった。
「街から街に移動する時には山賊に出会ったりもする。その時に自分の身を守れるだけでも良いと思わぬか?」
「それはお祖父様の仰る通りだけど」
数日前、山賊に襲われたばかりだから記憶に新しい。ルディが身を守れる以上に周囲の人々を守ることができていれば、確かに安心だろう。
「ワシが若い頃は、もっと物騒でな。剣一つで荷物を守らねばならぬこともあったわい」
「またその話?」
祖父の昔話はよく聞かされたが、その中でも武勇伝に近い話は何度も聞かされていた。だからこそ、剣術を教えてもらうという発想に至ったのだ。
「可愛い孫娘のためじゃ、ワシの持つ技量の全てを伝授しよう。もちろん、商売に関してもじゃ」
魅力的な提案である。しかし彼女はそこで、平民は騎士になれない事情を思い出した。
「それにしても、カイン君は可哀想」
「どうしてじゃ?」
「だって平民は騎士になれないのに、騎士に憧れていて可哀想な人……」
「可哀想だたぁ、惚れたってことよ」
「どういう意味、お祖父様?」
「負け惜しみのサマーアイ先生が翻訳した言葉で、憐れみは恋の始まりが原文だったかのう」
大旦那の言葉の意味を捉えきれずルディは小首を傾げた。
「じゃがの瑠美、皇王陛下は騎士の養成所を造る心積もりのようじゃ」
「それでも貴族の学校じゃないの?」
「ところがじゃ、優秀な騎士を増やすために、平民でも成績の良い者を取り立てると皇王陛下の仰せなのじゃよ」
大旦那の話を真に受けるならば、学業などで顕著な成績を修めれば平民でも貴族階級の騎士に連なることができるとの内容だ。
「どうじゃ瑠美、剣術を学んで、フレグランス家で初めての騎士になるつもりはないか?」
「騎士になれば、お父様も喜んでくれるかな?」
「みな喜んでくれる。他でもない、この祖父が大喜びじゃ」
祖父の笑顔を見てルディは騎士になる決意を固めつつあった。
「お祖父様が喜んでくれるなら、」
ルディの言葉が途切れる。彼女はそのまま眠ってしまった。
どれだけ眠ったのだろうか、ルディが目を覚ますと室内は真っ暗だった。室内に人の気配はなく、彼女は一人で寝かされていた。
「ヴァネッサもいない?」
暗闇に目が慣れて来ると彼女は寝台から抜け出し、部屋の外に出る。空腹を満たそうと台所に向かう途中で、話し声が聞こえて来た。それは祖父と父親の声だ。ルディが近寄ると内容が明瞭に聞こえて来た。
「私は反対ですよ」
この声は祖母だ。いつもは優しい声を出すのに、この時は厳しい声だった。ルディは部屋の出入り口で室内の様子を窺う。
「そう言うな、お華」
祖父の声はなだめる調子だった。しかし祖母の言葉は止まらない。
「あなたはあの子をエイミーと同じようにしたいのですか?」
「絵美は素直な良い子だった。ワシの鍛錬にも耐えてそれは立派な剣士になった」
エイミーとは誰なのか、ルディも聞いたことがない名前だった。
「その立派な剣士が、家族を守るためとは言え、犠牲になって帰らぬ人になったのをお忘れですか?」
父親の声にルディは笑顔が零れる。彼女が眠っている間に屋敷に到着していたのだ。父親に挨拶しようとした彼女を止めたのは祖父の言葉だった。
「忘れてなどおらぬ。そうして残ったのが瑠美ではないか。あの子を絵美のように鍛えるのが、ワシにしてやれる餞じゃ」
初めて聞いた名前の人物と自らが関わりがあると言われて、ルディはその場で立ち止まる。この話は聞いてはならなかったのではないかと、不安が心中に渦巻いた。
「あなたの強さは本物です、それは認めます。エイミーも確かに男顔負けの強さでしたから」
「父上の剣術の腕前はこの身に染みています。エイミーが私よりも強かったのも認めます」
「うむ、じゃからこそ……」
祖母と父の言葉に祖父は乗ろうとしたが、それを父が遮った。
「だからこそ、ルディまで剣士や騎士にする必要はないでしょう?」
「いや、あの子にはいつか本当の母親が誰なのかを教える日が必ず来る。その時に、母親と同じ道を歩んでいたことが誇りとなろう。そうは思わぬか?」
本当の母親とは何のことなのか、幼いルディには理解が追いつかない。今の父母は本当の父母ではないのか。




