モザイク
言った後、数秒の沈黙に顔が熱くなる。別に失言をしたとか、そういうのじゃないんだけれど、向こうの返答を待つ時間っていうのはどうにも緊張してしまう。
「……華恋は、初恋、どうだった?」
「私恋愛したことない」
ミオが私の方を振り向く。その真剣な様子がおかしかった。
「本当?」
「本当だって。人を好きになるっていう感情はなんとなく分かるけど、私は恋愛をしたことはないなあ」
「聞かせて! ――と言いたいところだけど、その話は電車でのお楽しみにとっておいてね。華恋は私のことで聞きたい話とかある? なんでも話すよ」
「……じゃあ、その服のこと聞いてもいい? どんな話でもいいから」
ミオはお姫様のようにスカートの裾を持つと、にっこり笑った。
「これは私の趣味。ロリータを着るのが好きなの。大学生になってから一人暮らしなんだけどね、その時に働いてお金を貯めて……今じゃ私服はほとんどロリータかな。可愛いでしょ」
「うん、可愛い」
ミオはレモンが描かれた、つやつやした黄色の爪で口元を隠している。
「ふふ、ありがと。自分の趣味を褒められるって嬉しいね。ちっちゃい子は『お姫様みたい』って言ってくれるけど、駅のホームでおっさんにぶつかられるわ、道ゆくカップルに馬鹿にされるわ、お金がかかるわで、褒められることなんてめったにないからさ。なんか救われるな」
「やっぱり当たりがきつい人っているよね。そのカップルとかさあ、自分が可愛いと思わないからって、皆も同じなわけないじゃん?」
「ほんとそーだよ。あとさー、その『自分がそうだから皆同じだと思っている』繋がりなんだけどね。話の話題で『男女の友情は成り立つと思う?』って質問する人、私苦手だな」
「ふーん、どうして?」
「だってね、このご時世に全員が異性を好きになると思ってるとか、時代遅れも甚だしいよ。そういう人に限って『同性愛者って、話ではよく聞くけど私の身の回りには全然いないんだよね』とか言ってるの! もー最悪っ。というか、目の前にいる人間への気遣いができていないというか……。別に理解のない人間ってだけなら距離おけばいいけど、『私は同性愛に理解がありますよ〜』みたいなこと言いながら、実際には自分の身の回りの人間は全て異性愛者として接してるから。私そういう時、自分が透明人間になったみたいで、すっごく辛い」
「あぁ……。そっか。理解した気になってるけど、まさか自分の周りにいるとは思ってないみたいな?」
「うん。例えば、親に好きな人ができたって言ったら『男にうつつを抜かすな』って言われたりするの」
「私ももしかしたらそういうこと言ってたかも……。私もう自分で理解した気になるんじゃなくて、わざわざ恋人の話をする時に『彼氏』『彼女』って指定するのやめる」
「あら嬉しい」
わざとっぽく笑ってみせるミオに、私も笑った。
「ミオに謝ったってどうしようもないことは分かってるんだけど、やっぱり申し訳ないな。私も今の今までそういうこと言ってたんだろうし」
「これから変えてけばいいんじゃない? あっでも、この人同性愛者っぽいなーって思っても、変にカマかけたりしないこと。華恋は絶対しないだろうけどね」
「それはもちろん」
「っていうか、いいの? こんな愚痴みたいな話ばっかりで、面白くないでしょ」
「面白いっていうか、興味深いよ。私人の考えを聞いたりするの好きだから」
「それならいいんだけど――」
ミオは「ちょっと待ってて」と言って、その後あっと叫びながら足を止めた。
「忘れてた! 私なんにも持ってきてないんだった」
「どうしたの? 喉乾いた?」
「うん……。私、死のうと思ってたから、水筒持ってないや」
水筒を渡す手が止まる。
「自殺?」
「そ」
ミオに水筒を手渡して、私はなるべく平然を装って言う。
「飲んでいいよ」
「ありがと」
隣でミオが「つめたぁ」と言いながら麦茶を飲んだ。ピンクベージュの細長い水筒と、ミオの暖かい色味の服がチグハグな気がする。胸の奥に違和感を感じた。
「ねえミオ、もしかして死ぬ場所を探してた?」
「……まあ、そうだけど。華恋もでしょ?」
「私もそんなもんだけど……。どちらかというと下見って感じ。今日死のうとは思ってない」
「だったら、そんなに驚かなくても」
自分でいいながらミオはおかしそうだ。
「だから今日の服は勝負服。髪型もメイクも、一番私に似合うのにしてきた。……でも、せっかく華恋に会ったんだし、今日じゃなくてもいいかも。ずっと友達が欲しかったから」
「光栄」
「ね、せっかくだから愚痴も聞いてもらっていい?」
「もちろん」
ミオはにかっと笑う。
「私ね、漫画を描いてるの。さっき話したような実話がメイン。それをネットで公開してるんだけど……私が女の子を好きだって話を描いたら、コメントで『百合』って言われちゃって。私、ショックだった」
「ジャンルで見られてる感じが?」
「……うん。別に百合は悪くないし、私もそういう作品を楽しめるんだけど、女の子同士が恋してるだけで、ジャンルに振り分けられる感じが嫌だったのかな。ただもやもやしただけだけど……」
「もやもやしたんなら、別にその気持ちは自分で否定しなくてもいいんじゃないかな」
「そう思う?」
「私さ、現実にいる人間のLGBTQを、他者が物語として、娯楽を得る為に消費してるのを見てると吐き気がする。そもそも私達の人生って私達の為にあるのであって、他人に娯楽を与える為の物語じゃないじゃん? 例えば私が波乱万丈な人生を送って、死に際に遺族に感動的な言葉を残したとしても、それがネットに公開されて『感動するコンテンツ』として消費されたら化けて出るね。そういう意図で言ったわけじゃなかったのにって」
「ふふ、それは分かるかも」
「でしょ。だからミオの体験したことを、ミオが自称してもいないのに『百合』として消費されるのは私もイライラするな。心の中で思う分には何を思ったっていいんだけど」
「そうだったのかも、私がもやもやした理由。私はただ、こんな人もいるよって知ってもらいたくて描いてたから」
「あんな偉そうなこと言ったけど、ただ私がひねくれてるだけかもしれないな」
「私にはちょうどいいよ」
「ありがと」
「ところで華恋は、生まれ変わるなら男と女、どっちがいい?」
「女」
「へー、てっきり男かと思ってた」
「なんにもメリットがないけど、私は女がいいの。今が女だからかなぁ? ミオは?」
「人間になりたくない」
「えぇ、ずるい、何がいいの」
「虫とか?」
「どうして?」
「別に虫じゃなくても、ナメクジとかでもいいかなあ。私、雌雄同体に憧れる」
「ふーん……。雌雄同体かあ、どんな感じなんだろう」
「平等でいいと思うの。でもナメクジじゃなくてもいいかな。例えばカマキリとか!」
「とにかくミオは、男が強い人間みたいな生物に産まれたくないのね」
「そうなの。でも別に男の方が強くても、社会性がなくて性別で立場が変わらないならいいよ」
「そっかあ」
私達は遠くに見える駅を目指し、水筒を回し飲みした。