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夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
絶望の魔術師
9/11

中編

 

 初夜の床で、俺はキルシッカに伯爵から貰った宝石箱を差し出した。キルシッカは嬉しそうに笑い、宝石箱を胸に抱き締めていた。


「……分かっているだろうが、開けて良いのは五年後の結婚式の日だからな」


 俺の人生だけでなく、心まで引っ掻き回してくれたキルシッカ。彼女に対してのせめてもの意趣返しに、あえて『結婚記念日』とは言わなかった。キルシッカはそれにも気づかず、ただ純粋に喜んでいた。


 コイツはどこまで鈍い女なんだろう。俺は今、お前のように我慢出来ない小娘が先走って箱を開けないように嫌みを言ったつもりだったのに。


 苛立ちを誤魔化すかのように、箱を取り上げ机の上に放り投げる。そして義務を果たすべく、俺はキルシッカの華奢な身体に覆い被さっていった。


 ──この時の自分の行いには、今でも吐き気が込み上げてくる。


 上から見下ろした時の、キルシッカの緊張した顔と強張った身体。それを見た途端、胸が締め付けられるような甘やかな感情に囚われた。それを認めたくなくて、全く慣らさないまま強引にコトを進めた。そして終わった後は居たたまれなさに耐えられず、気遣いもせず逃げるように寝室から出て行った。


 キルシッカはどれだけ怖くて痛い思いをしただろう。俺がここで捨てられなかったのは、ただ運が良かったという以外には無い。


 ◇


 結婚後、早くに退いた父ネロの代わりに侯爵を継いだ俺だったが、魔法研究所には変わらず勤めていた。それは父の意向でもあったし、俺もそれを望んでいた。けれど、研究職は必然的にどうしても帰りが遅くなる。だから今回は意図的では無かったが、俺はなかなか屋敷に帰れなかった。


 けれどたまに家に帰ると、キルシッカは嬉しそうに抱き着いて来た。最初は照れもあり邪険に扱っていたけれど、めげずに飛びついて来るキルシッカを俺は普通に愛しいと思い始めていた。


 そのキルシッカの真っすぐな所は義父母や使用人達の心をも動かしていた。『雪の聖女』ルミを差し置いて俺に横恋慕した挙句、公爵令嬢の立場を使って略奪した女。そんな風に思われていたキルシッカの印象は最悪だったらしい。後に執事が言うには、身の回りの世話をしないという嫌がらせをされたり、義父母に至ってはしばらく存在を認めていなかったと言う。


 俺は愕然とした。キルシッカはそんな素振りを一切見せなかったからだ。

 言ってくれれば良かったのに。俺は自分の所業を棚に上げ、そんな風に思っていた。


 けれど、いつも笑顔を絶やさないキルシッカを見て使用人達や義父母も次第に絆されていったらしい。メイド達は今やキルシッカを中心に動いているし、義父母はまるで実の娘のように可愛がっている。


 この頃になると、俺はほぼ屋敷に帰る様になった。仕事が落ち着いて来たのもあるが、単純にキルシッカに会いたかったからだ。あの笑顔を見る度に心が安らぎ、幸せを感じる事を俺はようやく認める事が出来た。


「お帰りなさいマイト様!」

「あぁ、ただいま」


 頬にキスしただけで全身で喜びを表すキルシッカ。可愛くて愛しくて堪らなかった。それはルミに対して感じていた気持ちとは全く異なる感情(もの)だった。あれはあれで本物ではあったが、それは偶像崇拝に近かったのだと、今なら分かる。


 ──抱き締めて口づけたい。腕の中から離したくない。ずっと俺だけを見ていて欲しい。そんなドロドロとした感情は、キルシッカにしか感じなかった。


 屋敷に帰った日は、必ずキルシッカと寝室を共にした。初夜の過ちを無かった事にするかのように、彼女が音をあげるほど甘やかし、朝まで抱き締めて眠った。体力の無いキルシッカに連日俺の相手をさせるのはどうかと思わないでもなかったが、もう既に俺は身も心もキルシッカに溺れ切っていた。


 過去、キルシッカにどんな扱いをしていたのかをすっかり忘れ、俺は幸せに浸っていた。この時までは、自惚れではなくキルシッカもそう思ってくれていたと思う。


 俺達の、子供を失ったあの時までは。


 ──俺は、いやキルシッカは子供を亡くしただけではなかった。俺は知らず、キルシッカの無邪気さとこれまで彼女が感じていたであろう純粋な幸せも奪っていた。この時点で既に俺は一度目の罰を受けていたのに、そんな事には気づきもしなかった。


 その後、何も知らない愚かな俺が感じていた幸せは、これまでの幸せとは決定的に異なっていた。


 キルシッカの嘆きと苦痛の上に成り立っていた、偽りのものだったのだ。


 ◇


 絶望と偽りの日々が始まる日。


 その時俺は、実験が立て込んでいたせいでもう十日も家に帰れていなかった。けれどキルシッカの事故を聞き、何もかも放り出して急いで屋敷に帰った。転がるようにして部屋に飛び込んだ俺の目に入ったのは、真っ青な顔のキルシッカだった。


「何で、何でこんな事になったんだ!?」

「ごめんなさい、マイト……! 私達が悪かったわ。まさか、あんな身体で森の中に入って行くなんて思わなかったから……」


 涙ながらに詫びて来る母リンナの言葉に、俺は首を傾げた。……あんな身体? 


「母上。キルシッカが、どうしたんですか?」

「お腹の中に赤ちゃんがいたのよ。でも……」


 泣き崩れる母を呆然と見ていた俺は、しばらくしてようやくその言葉の意味を理解した。身体の中心を、氷の槍で貫かれたような感覚が走る。

 気づくと、俺は義父母に怒鳴り散らしていた。


「何で連絡くれなかったんだよ!」

「ちょうど一週間前、お医者様に診て頂いて妊娠がわかったの。私達はすぐに知らせるようにと言ったのだけど、キルシッカが自分で報告したいからと……!」


 母リンナは泣き崩れている。俺は母に見向きもせず、ただキルシッカだけを見ていた。キルシッカ、どうして。自分で報告したいと思う程、喜んでいたのならなぜ? なぜ危ない目に遭う可能性のある森に行ったりした?


 俺は部屋の片隅に立つ、メイドの女を見た。部屋に駆け付ける時に執事から聞いた。メイドの一人が崖下で倒れているキルシッカを発見し、屋敷まで運んで来た、と。俺はメイドの顔を見た。猫のようにつり上がった目の、キツい顔立ちの女。


「……ニーニ?」

「お久しぶりですマイト様。アタシ、ヤロキヴィ家のメイドは辞めたんです。長く同じ場所で働きたくなくて。ご挨拶が遅れて申し訳ないです」


 挨拶がどうのと言う割にはニーニは俺の顔を見ようともせず、ただひたすら下を向いていた。


「そうか。まぁそんな事はどうでも良い。お前、何でキルシッカが森になんかいたのか知っているか?」


 ──所詮、俺は魔力の高さにあぐらをかいた『自分を賢いと思い込んでいるただの馬鹿』だったのだ。ヤロキヴィ家に居た時、あんなにルミに忠誠を誓っていた女がここにいる事の意味に、何の疑問も抱いてはいなかった。


「そ、それは」

「……兄さま」


 ニーニを問い詰めようとした時、ローブの裾が微かに引っ張られる感触に気づいた。慌てて目線を下ろすと、キルシッカが薄っすらと目を開け俺のローブを握っているのが見えた。


「キルシッカ! お前、何であんな馬鹿な事を!」

「本当にごめんなさい兄さま。少し気分が悪くて、森の中に空気を吸いにいったの。そしたらすっかり気分も良くなって。調子に乗ってお散歩してたら足を滑らせてしまったの。ごめんなさい……兄さまごめんなさい……」


 安堵のあまり、俺はその時の違和感には全く気づかなかった。いや、いつも『マイト様』と呼んでいたキルシッカが『兄さま』と呼んで来た事には気づいていた。けれど、ただ混乱しているだけだと思ったし甘えたいのかもしれないと思っていた。


 ──つくづく、人とは己の見たいものだけを見るように出来ているらしい。


 この時、もう少しキルシッカの様子を見るべきだった。胸元に顔を埋めさせるようにして抱き締めたり、目を閉じてキスしたりする暇があったら両手をとって瞳を見つめ、ちゃんと話を聞くべきだった。


 そうしたら分かったはずだ。


 キルシッカの『ごめんなさい』には幾つもの意味が含まれていた事を。


 元来嘘の苦手なキルシッカの事だ。真剣に向き合えば、複雑な事情も素直な胸の内も、きっと話してくれたに違いなかったのに。


 ◇


 元々そんなにひどい怪我を負っていた訳ではなかったキルシッカの回復は早かった。それでも、俺は当分の間は泊まりの仕事をしないようにした。


 キルシッカは徐々に元気を取り戻し、またいつもの笑顔を振りまいていた。けれど、毎晩愛し合っているにも関わらず、次の子供はなかなか出来なかった。転落事故のせいかとも思ったが、医者は何の問題も無いと言っていた。


「また月のものが来たのか」

「……ごめんなさい、マイト様」

「気にするな。別にそう急ぐ事じゃない」

「……マイト様。マイト様は、赤ちゃん出来たら可愛がってくれる?」


 その質問を投げかけるのに、キルシッカはどれだけの勇気を振り絞っていたのだろう。だが、キルシッカが『愛されていないと思っている』とは思っていない俺は、ひどく素っ気ない返事を返していた。


「当たり前だろ。俺の子供なんだから」


 キルシッカは俯き、「……そうよね」と静かに呟いた。

 俺はその時、今の答えに対し、キルシッカが何かを思っていた事に気づいた。理由はわからなかったが、気づいたならきちんと言うべきだったのだ。


「愛するお前と俺の子供なんだから、可愛いに決まってる」と。


 けれど結局それを告げる事はなかった。俺の中ではキルシッカを愛している事は当然の事実だったし、彼女もそれを分かっていると思っていたからだ。


 ──俺はこの瞬間、キルシッカと二人で痛みを共有しながら、支えあって歩んで行くという未来を永遠に失った。


 これが、後に犯す俺の最大の罪へと繋がっていく。



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