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夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
絶望の魔術師
8/11

前編

 

 冷たい沼から助けだし、急ぎ屋敷に連れ帰ったキルシッカを見て両親もメイドも、皆が驚愕の表情になっていた。説明もそこそこに、先ずは温かい湯で身体と髪を洗うようにメイド達に言いつけた。


 俺自身も泥で汚れていたから、キルシッカを任せて一度部屋に戻った。急ぎ着替えて浴室に向かうと、メイド達がすすり泣く声が聞こえて来た。


 すっかり綺麗になった身体に服を着せ、ベッドに寝かせた所でルミが俺の顔を見た。その顔は、悲壮な決意に満ちている。


「……何だ」

「お兄様。これまでの事を説明させて。その上で、私はどんな罰でも受けるつもりよ」


 ルミは真っ直ぐな瞳で俺を見た。俺は後ろで心配そうに控えているメイド頭を呼んだ。


「別室で話をして来る。キルシッカを見ていてくれ」

「かしこまりました旦那様。お任せ下さい」


 メイド頭は真っ赤な目で力強く頷き、ベッドの側に立ち使命感に満ちた顔でキルシッカを見つめていた。


「マイト。私達も事情を聞きたい」

「えぇ。どうしてこんな事になったのか、何故ピルヴィ伯爵夫妻がここにいらっしゃるのか、詳しく教えて欲しいわ」


 ルミと義弟を伴い、客間に移動しようとした所で強張った顔の義両親が立ち塞がって来た。俺は無言でルミを見た。妹は蒼白な顔になっていたが、やがてゆっくりと頷いた。


 俺はその青褪めた顔に、在りし日のルミをみていた。



 ********



 初めてルミを見た時、まるで雪の国のお姫様の様だと思った。その時から当分の間ずっと、ルミは妹ではなかった。かと言って一人の女だと思っていた訳でもない。美しくそして賢い彼女は、俺にとって敬愛する、そして守るべき姫だった。


 そしてルミはわがままなお姫様では決してなかった。こんな『姫』に兄として慕われる度に、俺は純粋に幸せを感じていた。


 施設育ちの俺は大人の顔色を読む事に長けていた。だから俺を引き取ったヤロキヴィ伯爵の思惑にも薄々気がついていた。俺は、ルミの為に引き取られたのだと。正直、望むところだった俺は決められた未来に対して、なんの不安も抱いてはいなかった。


 ◇


 俺が十一歳になった時、ルミの従姉妹だという少女がヤロキヴィ家に遊びに来た。キルシッカという名のその少女は、桜桃サクランボ色の髪をした可愛らしい顔の女の子だった。

 ヤロキヴィ家よりも格上の、公爵家の令嬢だというからどれだけ嫌味な子供かと思っていたのに、きゃらきゃらと良く笑う明るい子供だった。俺はいつしかキルシッカの笑顔を見るのが楽しみになっていた。


 少し困ったのが、子供特有の無邪気さで俺にまとわりついて来る事だった。ただまとわりつくだけならまだしも、何とキルシッカは毎回俺に好意を伝えて来るのだ。


『マイト兄さま、大好き!』

『キルシッカは、マイト兄さまのことだけが好きなのよ?』


 ──その頃には、ヤロキヴィ伯爵が俺をルミの忠実な騎士ではなく、夫にするつもりで引き取った事を理解していた。魔力は両親から受け継ぐ。俺とルミの子供は相当高い魔力を持って生まれる。ルミの他に子供のいない伯爵は、その子供を欲しがっているのだ。


 そもそもキルシッカの父であるヴァロ公爵はヤロキヴィ伯爵の義弟にあたる。だから俺の出自を知っているだろうし、大事な娘と庶民あがりの『成り上がりの次期伯爵』の間がどうこうなるとは思ってもいないだろう。キルシッカだって、普段身近にいる男は父親と実兄くらいだ。だから消去法で俺を意識しているにすぎない。そう思っていた。


 ◇


 魔力の高さと魔術の才を評価されていた俺は、十三歳になった時から寄宿舎のある学校に入る事になった。そこは聖騎士と魔術師を育てる為の学校で、入学の基準になる魔力値は他の学校よりも高く設定してある名門校だった。


 そして入学する少し前に、俺はマイト・ヤロキヴィではなくマイト・メヒライネンになっていた。ヤロキヴィ伯爵は俺が卒業次第すぐにルミと結婚させたかったらしい。

 だから一刻も早く兄妹関係の解消を、と親しい間柄でかつ子供のいないメヒライネン侯爵に俺との養子縁組を頼み込んだのだ。


 メヒライネン侯爵は巷で『雪の聖女』と呼ばれるルミが嫁いで来る事に喜び、二つ返事で了承したらしい。ルミが一人娘な為、俺とルミの間に生まれた子を一人ヤロキヴィ家に引き渡す事で合意が成り、俺は慌ただしくメヒライネン家の子供になった。


 婚約をすっ飛ばしていきなり結婚には多少驚いたが、姫に仕える騎士としては、むしろ誇らしい気持ちでいっぱいだった。


 今思えば、それは男女間の恋愛感情とは異なっていたと思う。けれど、俺は一生をかけてルミを守っていこうと、固く心に誓っていた。


 そんな時、聖騎士科に魔力値が基準以下だったにも関わらず入学を許された公爵令息がいると聞いた。


 その男の名前はルスカ・ヴァロ。キルシッカの兄だった。


 ルスカの剣の腕は他の追随を許さず、学生の身分で王太子の護衛を任されたり入学直後で既に聖騎士団への入団が決まっていたりと、ともかく規格外の男だったらしい。


 だが聖騎士科と魔術師科は講師が共通しているというだけで、学び舎も違うし接点が無い。当時の俺はそれを知る由もなく、単純に公爵家だから優遇されたのかと憤りを覚えていた。


 その時からだ。俺がキルシッカに対して『何もかも思い通りになる、苦労知らずの公爵令嬢』と一歩引いた、穿った目で見始めたのは。


 ──だからキルシッカの告白も子供の、それも貴族令嬢のお遊び程度にしか思わなくなっていた。


 五歳で引き取られた俺は、十歳を過ぎた時点で貴族生活の方が長くなっていた。だがそこは伯爵の生粋の貴族としての矜持があったのだろう。言葉の端々に、俺が元は庶民である事を言外に匂わせて来ていた。


 お陰で俺は庶民感覚を忘れないまま貴族として生きて来た訳だが、その分歪んでしまったように思う。


 キルシッカの真っすぐな眼差しを見ようともせず、適当に笑いかけてやっただけで嬉しそうに頬を染める様子に軽蔑の念すら抱いていた。誇り高い俺のルミとは全く違うと、影で嘲笑う事さえあった。


 捻くれた俺には分かっていなかった。キルシッカは幼く無邪気だったが、ある意味では大人だったのだ。好意と愛情をきっちりと自覚しまた区別出来ていた。むしろその面では俺の方がよほど子供だった。



 ********



 俺とルミの結婚が白紙になったと聞いた時、俺は頭の中が真っ白になる感覚を覚えていた。


「どういう事ですか!? なぜ今更!? 俺が何かしましたか!?」


 問答無用で結婚話を無くされるような失態をおかした覚えはない。むしろ、あの天才ルスカと同じく二年も早く学校を卒業してみせたのに。詰め寄る俺に、ヤロキヴィ伯爵は苦虫を噛み潰した様な顔を向けた。


「キルシッカだよ。キルシッカがお前と結婚したいと父親に訴えた。だからお前にはキルシッカと婚約して貰う」

「……キルシッカと?」


 なぜキルシッカがここに出て来る? だが俺はそんな事よりも、ルミの事が気になっていた。


「ルミは今どこに?」

「部屋にいる。ひどく泣いていたから、そっとしておいてやって欲しい」

「……様子を見て来ます」


 俺は止める伯爵を振り切り、ルミの部屋に向かった。部屋の入り口に差し掛かった所で、中から何かが割れるような音が聞こえて来た。


「ルミ!? 大丈──」

「許せない許せない! 私からマイトを奪うなんて! あの子は一体何なのよ!」


 扉から漏れ聞こえる、ヒステリックなルミの泣き声に俺は言葉を失い立ち尽くしてしまった。『雪の聖女』らしからぬ物言いに、部屋に入って慰める事すら出来なかった。


 正直、この時俺はルミに対して失望していた。俺だって急な話に動揺していた手前、優雅に微笑めとは言わない。けれどせめて、高潔さを失わないでいて欲しかった。


 ──今思えば、美しく気高い『姫』が初めて見せた少女らしい癇癪かんしゃくを、年上として受け止めるべきだった。けれど俺は、自分の理想を押しつけルミを突き放してしまった。


 そんなどこまでも身勝手な俺は、俺の敬愛する『姫』を傷つけたキルシッカを心から憎み、そして恨んだ。急ぎ調えられた顔合わせの時も、無邪気に喜ぶキルシッカに怒鳴り散らし大胆にも公爵に嫌味を放った。公爵は娘の為に、もしくはその先を見据えて我慢をしていたのだろう。表立って咎められる事はなかった。


 六つも年下の女の子の不安そうな悲しそうな顔を見ても、主を傷つけられたと思い込んでいた、俺は罪悪感の欠片すら持ってはいなかった。


 ◇


 俺はまだ侯爵家を継ぐことは出来なかったから、学校を卒業した後は魔術研究所に勤務していた。昨今はよほどの名門でない限りは貴族だって働くという事をその時に初めて知った。


 キルシッカとは彼女が十四歳になってから結婚する事が決まっていたが、俺は婚約者らしい事は何一つせず、キルシッカからの手紙にも返事を書かなかった。


 けれど、一応中身は読んでいた。相も変わらずふわふわとした文章で、日々の出来事が綴られていた。そして文末には必ず俺への気遣いと愛情を示す様な言葉が書かれていた。


『マイト兄さま、好きです』

『兄さまと結婚出来るなんて夢みたい』

『魔術師の世界は大変だと聞きます。お身体だけは大事になさってください』


 しょっちゅう寄越して来る手紙に母リンナは眉をしかめていたが、俺は次第にその手紙に安らぎを覚え始めていた。返事を書こうと思った事も、一度や二度じゃない。


 けれど、その度にあの狂乱したルミの姿が思い出された。ここでキルシッカに返事を書いたり、甘い顔を見せたりしたら、ルミを苦しめたあの我が儘娘を付け上がらせる事になる。一生をかけて守り抜こうと誓ったはずのルミを裏切る事になる。


 俺はただの意地と義務感を、愛と忠誠だと思い込み結局一度も返事を書く事はなかった。


 ◇


 そして結婚式の前日。


 俺はヤロキヴィ家に呼び出されていた。どうやらルミが留守の時を狙って呼び出して来たらしい。俺は何故か、屋敷にルミが居ない事にホッとしていた。


 伯爵の執務室に向かう途中、キツい顔立ちのメイドとすれ違った。確か名前はニーニ。彼女も施設出身らしいが、別の施設だった上に俺と入れ違いで入って来たらしく全く顔に見覚えはなかった。


「マイト。結婚おめでとう」

「……ありがとうございます」

「これはお祝いだ。お前の事だから、結婚五年目の儀式の事など考えてはいなかっただろう。持って行きなさい。中には相応しいものが入っているから」


 そう言ってヤロキヴィ伯爵は螺鈿細工の宝石箱を渡して来た。結婚五年目に、夫婦で宝石箱を開けると言う下らない習わしの事なんざすっかり忘れていた俺は、それをありがたく受け取った。

 確か、中には妻の瞳に合わせた宝石を入れるのだったか。ならばこの中には翠玉エメラルドが入っているんだろう。


「申し訳ございませんでした伯爵。しかし、明日でもよろしかったのでは?」

「明日はお前も忙しいだろう? それに、これは本来であれば夫が用意するものだ。お前が忘れていたと、ヴァロ公爵に思われるのは望ましくない」


 なるほど、と思った俺は何の疑いも無くその宝石箱を持ちかえった。これは完全に油断していたと言って良い。伯爵の両目に宿っていた悪意に、俺は全く気づきもしなかったのだから。


 ◇


 誓いの署名を書き終わり、ペンを隣にいるキルシッカに渡した後、俺は何となくキルシッカの横顔を見ていた。十四歳ともなると、さすがに子供っぽさは抜けている。そんな事を思っていると、ふとキルシッカが俺を見上げて来た。そして小首を傾げ、ふわりと微笑んだ。


「……っ!」


 俺は思わず顔を背けた。まるで花が咲いた様な可憐な笑顔。不覚にも可愛い、と思ってしまった。顔を逸らした後は、とにかく必死でその笑顔を忘れようと頑張った。ルミ。俺は、ルミを愛していたはずだ。

 コイツが邪魔をして来たから仕方なく結婚式こんなことをしているだけであって、本心では望んでなんかいない。俺は──。


 キルシッカの瞳を見るのが怖かった。俺の心が映し出されてしまいそうな気がしたからだ。



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