後編
「キルシッカ! キルシッカ何処だ!」
「姉さまの声が聞こえるでしょ、姉さまには分かってるのよ!?」
メヒライネンの森はそれなりに広いけど、希少な動植物が多く生息、群生している為に立ち入れる場所はそう多くない。けれど、キルシッカの痕跡はどこにも見当たらなかった。
「お兄様、探索魔法は!?」
「やっている! でも弾かれるんだ!」
「防御魔法ね……!」
キルシッカは兄に匹敵するほどの魔力を持っている。そして魔法は魔力の高さもさることながら、精神力が大きくものを言うのだ。覚悟を決めたキルシッカと動揺を隠せない兄。両者の間には今や、超えられない壁があった。
「……ルミ。キルシッカ様は陽炎蜂を持っているんだよね? それで自死を図るために」
「え?」
もはや大混乱に陥っている私達兄妹を余所に、一人冷静なトゥーリが呟いた。私は今その存在を思い出したかのように、夫の顔をぼんやりと見つめた。
「なら、場所は限られて来る。自死と同時に遺体を隠す事が出来て、なおかつ水に囲まれた場所。滝壺? 池? 沼? 陽炎蜂は水を嫌う。周囲に水がある場所だと翅が水気を吸って墜落して溺れてしまうからね。けれど池は遺体が浮いてしまう。となると、滝壺か沼だ。義兄上、メヒライネンの森に該当する場所は?」
「あ、あぁ、二か所ある。滝はここよりもっと奥で、沼はこの近くだ。だが滝はともかく沼は立ち入り禁止区域で……」
私は夫の顔を見た。夫は優しく頷いてくれた。
「トゥーリ様。滝の方をお願いします。私は兄と沼に向かいます。心配しないで。絶対に無理はしない。私は貴女の妻だし、お腹の子の母ですもの」
「わかった。探索魔法の“集音”をこの辺りにかけておくから、何かあったら大声で叫んで」
「わかりました」
トゥーリは兄に説明された方向に向かって走って行く。兄は既に、立ち入り禁止区域の方向に向かって走り出していた。私も急いでその後を追った。
◇
久しぶりに見たキルシッカは、底なし沼に沈んでいた。
身体は全て飲み込まれ。可愛らしい顔は顎の近くまで泥に浸かっている。ドロドロとした沼の表面に、桜桃色の髪が広がっていた。
側には、ぐったりと力尽きた様子の双頭の蜂が浮いている。
「キルシッカ!」
「嘘……嫌よそんなの……!」
兄の絶望の声を聞きながら、私は反射的に沼に片手を突っ込み氷魔法を展開させた。瞬く間に沼の表面がビキビキと凍って行く。
私達は凍った水面を走り、沈みゆくキルシッカの元に駆け寄った。その時、キルシッカの唇が微かに動いたのが見えた。良かった、キルシッカはまだ生きている!
「キルシッカ! お前、何でこんな……!」
「お兄様は解毒魔法を使って! 私は陽炎蜂用の解毒薬を持って来たの、けど心臓に撃ち込むにはまずはここから引き上げないと! 通常の解毒魔法でも毒の回りは遅らせられるわ。ともかく時間稼ぎをして!」
「キルシッカ、キルシッカ……!」
兄は完全に冷静さを失っていた。私の声が聞こえないのか、ただひたすらキルシッカの名前を呼びながら髪や頬を撫で続けている。
「トゥーリ! トゥーリ来て!」
私は叫び夫を呼んだ後、キルシッカの顔の横に右手を置いた。そのまま魔力を集束させ、下方に向かって放った。
「待てルミ! お前何を!?」
「キルシッカの身体を周囲の泥ごと凍らせて、水面の氷と繋げる。こうでもしないともう沈むのは止められない」
「止めろ! そんな事をしたらキルシッカが……!」
「っ! いいから早く解毒かけてよ!」
私に怒鳴られようやく落ち着きを取り戻したのか、兄は水面に半分だけ出たキルシッカの頬に手を当て、解毒魔法を使い始めた。
「この状況からどうするつもりなんだよ!」
「トゥーリは炎系の付与魔法が使えるの。ここに来る時に短剣を持って来ているのを見たわ。短剣に炎を付与して水面の氷を切って貰う。そうして泥ごと凍らせたキルシッカを引きあげたら、今度は泥に炎を付与して溶かして貰うわ」
私は零れる涙をそのままに、慎重に魔力を操作し丁寧に泥を凍らせていった。兄の言う通り、毒で体力のないキルシッカの身体には酷かもしれない。けれど、やれるだけの事はやりたかった。
──例えそれが、キルシッカ本人が望まない事だったとしても。
「キルシッカ……貴女が、貴女がこんな事する必要なんて……!」
先ほど、キルシッカの唇が動いた時。あの子は確かにこう言っていた。
『ごめんなさい』
「違う、違うのキルシッカ。謝るのは私の方。ごめんなさい。ごめんなさい……!」
私が愚かだったせいで、貴女を苦しめニーニを凶行に走らせた。そして、そのニーニを失った。
手紙の日付は、私の結婚式の三日前になっていた。私がもしちゃんと手紙を確認していたら。それでもニーニ、貴女を助ける事は出来なかったけど、キルシッカをこんな冷たい沼に沈ませるような事態は防げた。
「ごめんなさいキルシッカ……! お願い助けて! 助けて……!」
ニーニの手紙を発見した日に、キルシッカが自らを罰する為に行動を起こした。これは偶然とは言えないのではないだろうか。きっと、何かが私を導いてくれたに違いない。
罪の無いキルシッカの命を救い、真の咎人である私を罰する為に。
「ルミ!」
探索魔法に拾いあげられた私の声を聞いたのであろう夫が、後方から走って来た。一人冷静な彼は、私と兄の行動を見て自分が何をするべきが瞬時に判断したのだろう。短剣を引き抜き、すぐに炎魔法を付与し始めた。白銀の刃が、みるみるうちに熱を帯びて赤く輝き始める。
「出来たよ、どいて」
「トゥーリ、急いで!」
「わかってる」
夫は流れるような手さばきで、キルシッカの身体を傷つけないギリギリの位置で凍った泥を切って行く。短剣が泥に触れるたび、水蒸気が立ち昇り既に意識の無いキルシッカの頬を濡らして行った。
「よし、後ここを切れば身体と水面の氷が離れる。その代わり、今のキルシッカ様は泥水に浮かぶ氷の塊みたいなものだ。継ぎ目を切った瞬間に引き上げないと、一気に沼の底に沈む」
「わかった」
──トゥーリの短剣が氷の継ぎ目にあてられて行く。
お兄様は蒼白な顔でキルシッカを見つめている。きっと、その心の内は罪悪感で潰れそうになっているに違いない。
私は、キルシッカが無事に救い出されたらトゥーリにキルシッカがこんな行動を取るに至った経緯を、最初から何もかも話すつもりでいる。兄と私の複雑な関係も、被害者面をしながらずっと、キルシッカを傷つけていた事も、何もかも。
兄も傷つくだろう。いや、閉じ込めたいと思うほどキルシッカを大切に思っている兄は、ひょっとしたら私よりも罪悪感を感じるかもしれない。
けれど、間接的にとはいえキルシッカから子供を奪った事については、兄は私を決して許さないはずだ。
愛するトゥーリ。ごめんなさい。手を打つ機会は何度もあったのに、ズルズルと何もしなかった私を彼は軽蔑するに違いない。どちらにしても、メヒライネン家からの報復がピルヴィ家には及ばない様にしなければ。
「切れた!」
トゥーリの声と共に、お兄様が泥の中に手を突っ込みキルシッカを救いあげた。そして、凍った泥ごとしっかりと抱き締めている。
「トゥーリ! 先に胸元の氷を溶かして! 解毒薬を打つわ」
「わかった」
トゥーリがキルシッカの胸元に手を当て、炎魔法を泥に混ぜ込みゆっくりと溶かして行く。心なしか、キルシッカの頬に血色が戻って来ている気がした。
安堵で腰が抜けそうになった私は、氷の上に座り込んでしまった。そして、まだそんなに膨らんでいない自らの腹部にそっと手を触れた。お腹の中に息づく小さな命。私が授かり、そしてキルシッカから奪ってしまった大切な命。こんな母親で、本当にごめんなさい。
許して欲しいとは言わない。いいえ、許されてはならない。
私の心は、今や不思議と凪いでいた。罰を受けるのが待ち遠しいとさえ、思い始めていた。




