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夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
怒れる聖女
6/11

中編

 

 トゥーリとの結婚式まで後少し、と迫った所で私はお母様から衝撃的な話を聞いた。


「え……? キルシッカが……?」

「えぇ、先日のお茶会で聞いたの。キルシッカ様が赤ん坊を流産なさったと。お可哀想に……」


 母は父ほどキルシッカに対して悪感情を持っている風ではなかった。それは母が出来た人間であるというよりも、単にマイトの生まれの問題なのだと思う。美貌の兄マイトを大切にしてはいたものの、やはり元は庶民である事を気にしていたのだろう。本心から可愛がっていたにも関わらず、何だかんだ言ってキルシッカを見下していた私と、愛情と血筋を綺麗に切り替えて考える事の出来る母は、ある意味とても似ていると思った。


「で、キルシッカの様子は?」

「暫く塞ぎこんでいたご様子ね。けれど、またいつもの笑顔が戻って来たとメヒライネン夫人が仰ってたわ」

「そう……それは良かったわ」


 私のこの言葉は本心だった。せっかく授かった子供を失うなんて、あの子はどれだけ傷ついただろう。


「一体、どうして?」

「それがね、どうしてだか分からないけど、森の中に入って何かをしている時にうっかり足を滑らせて崖から落ちたらしいの。幸いそんなに高くない崖だったから、キルシッカ様ご本人にはそれほどのお怪我は無かったご様子だけど」

「どうして森なんかに!?」

「そこの所は、良く分からないのよ。メヒライネン夫人も何だか納得なさっていないご様子だったわ」


 ──まさか。いえ、そんなはずはないわ。彼女は、そんな人じゃない。


 全身から噴き出す汗と震える声を誤魔化しながら、私は母の話に適当に相槌を打っていた。しかし、母の次の言葉が私の危惧をあっさりと払拭してくれた。


「そうそう! メヒライネン家にね、ニーニがいるんですって! 年が近いからってキルシッカ様も信頼をなさっているようよ? でも、また暫くしたら別のお屋敷に移るって言ってるんですって。あの子はお仕事が出来る子だったけど、生来が根無し草なのかしらね」

「そ、そうね。そういう所が、確かにあったわ」


 私は心から安堵した。もし、キルシッカの流産の原因がニーニにあるとしたら、メヒライネン家の子供を殺した女がただで済まされるはずがない。詳しい原因は分からないけど、キルシッカの身に起きた事は何かしらの事故だったのだ。


 キルシッカとニーニ。


 二人の凄絶な覚悟など知る由も無かった私は、呑気にそんな事を思っていた。


 ◇


 結婚式は、無事に終わった。

 式には兄夫婦とメヒライネン前侯爵夫妻も招待してあったのだけど、やっぱりというかキルシッカは欠席になっていた。


「ごめんなさいね、キルシッカは出席したいと言っていたのに、マイトがすっかり過保護になってしまって。しかも、“心配だから”って素直に言うならともかく“崖から落ちるような迂闊な女を妹の晴れ舞台に連れて行く訳にはいかない”なんて言うものだからキルシッカもすっかり落ち込んでしまったの。旦那様が馬車の中でお説教して下さったから、マイトも反省していると思うけど……」


 私は頷きながら、素早く視線を動かし兄を探した。遠くに、参列している他の貴族と話している兄の牛乳ミルク色の髪が見えた。私はメヒライネン夫人に断りを入れ、素早く兄の元に駆け寄った。


「お兄様!」


 兄は私の方を向き、微かに目を見開いた。そして話を切り上げ、私の方に向かって来てくれた。


「おめでとうルミ。とても美しかったよ」

「ありがとうお兄様。で、どうしてキルシッカを連れて来てくれなかったの? あの子が嫌がったのならともかく、出席したがっていたというのに、なぜ?」


 兄は狼狽えたように一歩下がり、やがて俯いてしまった。こうやって改めて見ると、兄は本当に美しい。けれど、もう分かっている。私が兄に感じていた気持ちは愛ではなく、ただの執着だったのだと。


 魔力が高くて将来が有望で、おまけに見た目も抜群の男を自分の『夫』とする事で自尊心を満足させたかっただけ。そのあまりにも下らない、浅ましい望みが叶わなくなったというだけで、妹の様に思っていた子を遠ざけ何度も寄越して来た手紙に返事も書かなかった。


「……私、キルシッカに会いたかったわ。会って、謝りたかった。あの子が何度もくれた手紙、私は読まずに全部捨てていたから」


 兄は顔を上げ、私を静かに見下ろした。私は兄の顔を見て、そして兄の瞳に映る自分を見て、そして確信を持った。私達はどこまでも兄妹だったのだと。恐らくは、あの頃から、ずっと。


「すまないルミ。今度うちに来てくれ。その時に会わせるから」

「もう、兄様ったら。結婚式となると、色んな人が来るものね。キルシッカを見せたくなかったのね?」

「あいつは誰にでも笑顔を振りまくからな。……愛してるんだ。誰よりも」

「それは分かってる。けど、あの子にははっきり言った方が良いわ。“他の男に見せたくないから出席を諦めてくれ”ってそのまま言えばきっとあの子は素直に言う事を聞いたはずよ?」


 兄は頬をかきながら、困った様に笑った。その顔を見ながら、これで何もかも元通りになった。そう思っていた。


 私達は、気づいていなかった。


 今この時も、私達兄妹はあの子の心を切り裂き、血を流させていた事を。


 ◇


 優しい夫、トゥーリと穏やかな生活を送る最中、私の妊娠が発覚した。キルシッカの件を知っているからか、トゥーリは酷く心配症になっていた。


 私は特につわりも無く元気だったから、この辺でお茶会でも開き、キルシッカとニーニを招待しようと思っていた。そう言えば、明後日は確かお兄様達の五回目の結婚記念日だった気がする。


 何か贈り物でもしようかしら。そう思いながら招待状を書き終えた私は、何となく文箱を整理していた。私宛の手紙はほとんど実家からのものだった。その他はお茶会やダンスパーティーの招待状しかない。


「……あら?」


 開封済の招待状に、小さな手紙が挟まっていた。取り上げるとそれは未開封の手紙だった。どうやらメリ侯爵家の招待状に引っかかっていたらしい。彼の家の招待状は、いつも封筒に凝った飾りがつけられている。どうやらそれに気づかないまま封蝋を開け、そのまま文箱に放り込んでしまったのだ。


「誰からの手紙かしら」


 私は引っくり返して宛名を確認した。

 そこに書いてある名前を見た途端、なぜか全身に鳥肌が立ったのがわかった。急く気持ちを抑えながら、封を開け中の手紙を読み進めた。


 ──そして私は、私の罪の所在を知った。



 ********



 私は馬車に飛び乗り、メヒライネン家へ向かっていた。吐き気と、身体の震えが止まらない。何も見たくなく、何も聞きたくなかったけれど、夫トゥーリが御者にもっと急ぐよう命じている声だけは聞こえた。我がピルヴィ家とメヒライネン家の距離は馬車で一時間ほど。けれど私には数時間もかかったかのように感じられた。


「義兄上だ……!」


 しばらくして聞こえた夫の声に、私は弾かれたように顔を上げた。急ぎ馬車の窓から外を見る。メヒライネンの森の入り口近くに、蒼白な顔の兄が走って行くのが見えた。


「止めて!」


 私は馬車から飛び降り、兄に向かって走った。後ろからトゥーリの珍しく怒った声が聞こえるけれど、それを気にしている余裕も時間も無かった。


「お兄様!」

「ルミ!? 何でお前が!?」

「お兄様、キルシッカは!?」

「俺が聞きたい! クソッ! 何なんだよ! あいつ、宝石を持って他の男の所に行くって……!」


 兄の言葉を聞いた途端、私の両目に涙が溢れた。なんて子なの。貴女は何にも悪くないのに、何で貴女がそんな、そんな事を……!


「兄様、落ち着いて聞いて! 恐らくキルシッカは死ぬつもりなの。宝石を持って、という事は結婚記念日に開ける予定の宝石箱を持っているのね? 兄様、あの中には宝石は入っていないわ。入っているのは陽炎蜂かげろうばちなの!」

「陽炎蜂だと!? そんなはずは……! アレはヤロキヴィ伯爵が結婚の祝いにと、俺に……!」


 私の目の前がグラリと揺れた。予想していた事とはいえ、その事実は私の心を深く抉った。それは兄も同じだったらしい。端正な顔に、驚愕の表情が浮かんでいた。


「……お兄様。あの子は何も知らなかったの。本当に、何も。私達が、血の繋がりが全く無い義兄妹である事さえもあの子は知らなかった。あの子は純粋にお兄様に恋をしていた。ただそれだけだったの」


 ──だからキルシッカは、私達の為に死のうとしている。宝石箱に仕掛けられた、陽炎蜂に刺されて。


「お兄様、ともかく急ぎましょう!」


 あの子の事だ。お兄様に迷惑をかけないよう、森の中でひっそりと命を断とうとするはず。そして私は兄の顔を見た。兄も同じ様に考えていたらしい。私達はほぼ同時に森の入り口に向かって走った。


 恐怖で足がガクガクと震える。溢れ出る涙と後悔で前が見えない。けれど、一刻も早くあの子を探しださなければ。私はひたすら神に祈りながら飛び込んだ薄暗い森の中を走り続けた。


 あぁ神様、お願いです。何の咎も無かったのに、誰よりも傷ついたあの子をどうか、どうか連れて行かないで。



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