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夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
怒れる聖女
5/11

前編

 

 私は十五歳の時、信じられないぐらいに人を憎んだ事がある。


 その人物は、可愛がっていた三つ下の従姉妹、キルシッカ。我がヤロキヴィ家よりも格上の公爵家令嬢なのに、天真爛漫で素直で、姉妹のいない私はキルシッカを本当に可愛がっていた。


 なのに、そのキルシッカに裏切られた。悔しくて悲しくて、食事も取れず眠る事も出来なかった。


「うぅ……許せない……キルシッカ……なぜ……」


 頭の中を、桜桃サクランボ色と牛乳ミルク色がぐるぐると渦巻いて行く。出来上がるのは、薄桃色の渦。本当なら、何色も混じ入る余地の無い、真っ白な渦になるはずだったのに。


 私はどうにもならない現実に、ただ一人声をあげて泣き続けた。



 ********



 マイト兄様が我が家にやって来た時の記憶はあまりない。だから私もマイト兄様は自分の本当の兄だと思い込んでいた。けれど私が十歳になった時、両親から兄様が本当の兄ではないと知らされた。


 今思えば、お父様は最初からマイト兄様を私の結婚相手にするつもりだったのだと思う。だから魔術の才溢れ、見目の良いお兄様が他の貴族家に取られない様に一旦自分が養子にしたのだ。


 お兄様の事をお兄様だと思っていた時には、幾ら見た目が良くてもときめく事など当然なかった。けれど、お兄様がお兄様でないと分かった途端、私は兄を、マイトを一人の男性として見る様になった。


「ねぇニーニ。私、どこかおかしいのかしら? だって、兄様は昨日までの兄様と同じなのに、急に好きになるなんてあり得るのかしら」

「さぁ? お嬢様、元々マイト……マイト様の事が好きだったんじゃないんですか? こう、心の奥底とか何とかその辺りで」


 私は食堂に行き、教わったばかりの覚束ない手つきで銀器を磨いているメイド見習いのニーニに相談をしていた。ニーニはお兄様と同い年で、お兄様とは別の施設で育った子だ。

 お父様がお兄様を引き取った時、閉鎖が決まったその施設から兄と入れ替わる形で入って来た。父は私のお世話係も探していたらしく、ついでに引き取って来たらしい。


 ニーニは粗野な言葉遣いとは裏腹に、賢くそして、いわゆる忠誠心というものを誰よりも持っていた。

 彼女は恐らく、自分がマイトの”おまけ”である事に気づいている。けれど、引き取った私の父に、母に、そして私に、厚い忠誠心を向けてくれていた。


 そんな彼女は、公爵令嬢であるキルシッカが来る時には遠慮して姿を現わそうとしなかった。気にしなくて良いと何度も言ったのに、「アタシなんかが公爵令嬢の御前に出るのはどうかと思いますー」と言ってのらりくらりと聞いてはくれなかった。


 彼女は私の大切な友であり、姉でもあった。ニーニの方も、同じ様に思っていてくれたと思う。

 だからこそ、私は彼女にだけは言ってはならなかったのだ。キルシッカに対する憎しみや恨み言を。


 ──いいえ、違う。


 真意のほどを調べもしないで、一方的な悪意を聞かせるべきではなかった。そうしたら彼女は、今でも私の良き友であっただろう。


 そう言えば、世間は私を『雪の聖女』と言っているらしい。


 笑わせないで欲しい。何が聖女だ。私は裏切りに傷つき嫉妬に苦しみ、年若い従姉妹を思い込みの悪意で憎んだ挙句に友を救う事すら出来なかった、薄汚い女に過ぎないというのに。



 ********



 お兄様であったマイトとの婚約を正式に父から説明された時には、私は天にも昇る気持ちだった。既に兄妹として周知されている私達の婚約など、正直無理なのではないかと思っていた。


 けれど少々強引な私の父は、旧友であるメヒライネン侯爵に頼み、マイトをそこの養子にする手筈をさっさと整えていた。あるいは最初からその話になっていたのかもしれない。

 そして私との兄妹関係も、力押しで無かった事にするつもりなのは明白だった。


 マイトも、私と同じ気持ちでいてくれたらしい。二人で並んで話を聞いている最中、机の下で私の手をそっと握ってくれていた。


 ◇


「……え? お父さま、どういう事?」

「すまないルミ。キルシッカがマイトと結婚したいと言ったそうなんだ。先程、タイヴァスから正式な申し込みが届いた。幾ら妹婿とはいえ向こうは公爵家だ。逆らう事は出来ない」

「いや……いやよそんなの……嫌……」


 十五歳の誕生日まで、あと少しだったのに。そこで、私とマイトの結婚を発表するはずだったのに。

 キルシッカにだって、『大切な話がある』って伝えたのに。あの子は、それを知っていて、どうして。


 怒りと悲しみがない交ぜになった私は、肝心な事をすっかり失念していた。


 キルシッカは、それこそまだ子供だったのだ。あんな匂わせ程度の発言であの子に察しろと言う方が無理な話だった。私は自分でも戸惑うほどの怒りに支配され、己の心の中に明確な悪人を作り出してしまった。


 知っていたクセに。

 人のものを欲しがるなんて、何て浅ましい。

 許せない。

 許さない。


 紅茶のカップを鏡に投げつけ、破片を踏みにじりながら年下の少女に呪詛の言葉を吐き続ける。そんな私を、もしマイトが見ていたら彼は一体何と思っただろうか。きっと眉をひそめたに違いない。


 ◇


 私はどこから間違っていたのだろう。


 キルシッカのように自分の気持ちをあからさまに表現しなかったからだろうか。あの子は本当に無邪気に、マイトへの愛情を口にしていた。


「マイト兄さま! キルシッカはマイト兄さまが大好き! 誰よりも大好きなのよ?」

「わかったわかった。ここまで熱烈に愛されて、俺は幸運な男だよ」


 私もマイトも、あの子の言葉を本気になんてしていなかった。けれど、私とマイトの考えている事は根本的に異なっていた。マイトは幼い子供の戯言だと思っていた風だけど、私はそうじゃなかった。


 ──私は、キルシッカの事をどこかで見下していたのだ。可愛がっていたのは本心だったけど、それは小鳥を愛玩するのと同じ心境だったように思う。実際の所は、公爵令嬢の立場と桜桃色の髪が可愛らしいだけの、聖女と呼ばれる私には足元にも及ばない存在だと、そう思っていた。


 そんなキルシッカにマイトを奪われた。


 この時の私は、ただただ怒りに支配されていた。逆の立場なら、キルシッカは怒るどころか嘆き悲しんだだろう。けれど私は、悲しみの海に沈むどころか、怒りの炎を燃やしていた。


 心から愛し、信頼出来る相手が出来た今ならはっきりと分かる。


 私は愛を失った事よりも、己の自尊心が傷つけられた事に対して憤っていた。マイトの事を愛していたのは嘘じゃない。けれど私はマイトの事よりまず自分の事を考えていたのだ。

 所詮その程度だった私が、あの純粋なキルシッカよりも上回っているなどと、どうして思えたのだろうか。


 ◇


 本当なら私とマイトの結婚発表になるはずだった誕生日。その三日前に、マイトとキルシッカは急ぎ顔合わせと共に婚約をした。ニーニがその事に私以上に不快感を表してくれたお陰で、私は何とか自分を保っていられた。


 突然の別れの後、私とマイトは会う事もなかった。私は会っても構わなかったけれど、マイトが拒否したらしい。今思えば、それはごく当たり前の事だった。むしろマイトは私の事を思って距離を取ってくれたのだと分かる。けれど、私はそれすらもキルシッカのせいにしてしまっていた。


 キルシッカからは何度も手紙が届いていたけれど、私はそれらを開封すらせずに捨てていた。それは今でも本当に後悔している。それを読んでいたら、事態はここまで拗れなかっただろう。


 キルシッカは婚約後もほとんど屋敷に帰らないマイトにも手紙を送っているらしい。それを聞いた私の胸はひどくざわついたけれど、マイトが私と同様、返事を書いていないと知り昏い喜びに満たされた。


 そして、私が十九歳になった時。


 マイトとキルシッカの結婚が正式に執り行われる事になった。


 従姉妹という立場上、私は式に出席すべきであったが当然そんな気分になる訳がない。相変わらず体調不良で押し通し、祝いの贈り物も父に一任していた。


 この頃になると、私はもうマイトの事は諦めがついていた。どうにもならない事をいつまでも考えていても仕方がないと思ったし、それよりも悲しい出来事があったからだ。


「ニーニ!? どうして!? どうしてうちを出て行くの!?」

「すいませんお嬢様。けど、ここのお屋敷でいっぱい礼儀とか教えて貰ったんでせっかくだから別のお屋敷で働いてみても良いかなーなんて思って」


 ──結局、何度引き留めてもニーニの気持ちは変わらなかった。必ず手紙を寄越して欲しい。それだけを約束させて、私はニーニが屋敷を出て行くのを渋々承諾せざるを得なかった。


 ◇


 それから、約束通りニーニからは何くれとなく手紙が届いた。今は街で働きながら、色んな貴族のお屋敷の噂を集めてどこで働くか見極めるつもりらしい。


 私はというと、貴族子女向けの刺繍教室で知り合ったピルヴィ伯爵令嬢の弟、トゥーリと婚約をしていた。私より二つ下ではあったけど、ふわふわとした薄茶色の髪に柔和な垂れ目の穏やかな彼に、私はこれまで感じた事の無い安らぎを感じ始めていた。


 ニーニに報告をしたかったけど、彼女はいつも手紙に住所を書いて来ないのだ。だから、私から手紙を出す事は出来なかった。


 そして、二年近く経った頃から徐々に手紙の数が減り、遂には全く途絶えてしまった。

 寂しくはなかった。ニーニは私を裏切らないという絶対的な自信があったから。


 その頃、父から結婚してもほとんど屋敷に寄り着かなかったマイトが今ではキルシッカと仲良くやっているらしいと聞いた。父は苦虫を噛み潰した様な顔をしながらマイトの事を恩知らずだのなんだの罵っていたけれど、もはや私はどうでも良かった。


 ただニーニの事は心配だった。今どこで何をしているのか。病気になどなっていないか。


 私はその不安を、婚約者のトゥーリに伝えた。


「メイドのニーニ、か。わかった、調べてみるよ。どこかの貴族の屋敷で働いてるならすぐに分かると思う」

「ありがとうトゥーリ様」


 その数日後、トゥーリが持って来た情報は、私を驚愕させるものだった。


 今でも思う。私はなぜ、その時すぐに連絡を取ろうとしなかったのか。居場所がわかって安心したからだろうか。それとも雇われ先が雇われ先だから連絡しづらかったのか。


 この事に関しては、私は己の心に向き合う事は出来ない。恐らく、一生出来ない。


 マイトの事は、本当にもう何とも思っていなかった。そもそも、最初から今私がトゥーリに向けているような気持ちではなかったと思う。けれど、私の想像以上に私の自尊心は肥大していた。



 ──ルミ。貴女本当に想像出来なかったの? 忠誠心の厚かった彼女が、貴女の悪意をたっぷりとかけられたキルシッカに対して、何を思い何をしようとしているのかを。




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