表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
絶望の魔術師
10/11

後編

 

 底なし沼からキルシッカを救出してから五時間が経った。


 ルミとの話が終わり、キルシッカの元に戻った俺は意識を取り戻したキルシッカの頬を撫でていた。過去を告白した俺の胸の内には、激しい罪悪感と焼けるような怒りが吹き荒れている。傍らで見守るメヒライネン家の義父母の顔も、同じ様な表情に色取られていた。


 いや、彼らの顔には怒りしかない。その怒りは、別室で待機している妹ルミとこの俺に向けられている。けれど、俺に対する怒りはじきに消えるだろう。彼らは昔の俺に怒っているだけで、今の俺にはただキルシッカに対する更なる愛情と償いを求めているに過ぎない。


 だがルミは違う。ルミは俺とキルシッカの、そしてメヒライネン家の子供に害を成した。ルミが直接何かをした訳ではないし誰かに命令をした訳でもない。


 むしろ何もしなかった事の方が問題だったのだ。


 今、ルミは隣の部屋で一人静かに己の処遇がどのようなものになるかを待っている。義弟であるピルヴィ伯爵は、父ネロ・メヒライネンに頼まれてルミの生家ヤロキヴィ伯爵家に急ぎ向かっている。


 そこで陽炎蜂かげろうばちを宝石箱に仕掛けたと伯爵が認めれば、義弟はそのままキルシッカの生家であるヴァロ家に向かう事になっている。ヴァロ公爵は即座に報復を開始するだろう。そして父ネロはそれに対して一切口出しをする事は無い。それどころかヤロキヴィ家を助けようともしないはずだ。伯爵とは旧知の間柄であるはずなのに。だが貴族とはそういうものだと、俺ももう学んでいる。


「……ごめんなさい、マイト様。私……」

「違う。悪いのは俺だ。お前は何も悪くない。後で全て話す。話して謝る。これまでの事を何もかも。だから俺を捨てないでくれ」

「捨てるだなんて、そんな……!」


 キルシッカは慌てた様に手を伸ばした。その手は、どこか覚束ない。俺はその手を、そっと掴んだ。


「ごめんキルシッカ。俺がもっと早くにお前に気づいていれば……!」

「ううん、いいの。変ね、あの時一刻も早くマイト様の前から姿を消さなきゃって思ってたはずなのに、マイト様を見た瞬間、私すごく嬉しかったの」


 ──嬉しそうに微笑むキルシッカ。けれど、その目は俺を真っすぐに捉えてはいない。


「まさか、解毒薬の投与が間に合わなかったなんて……」


 嘆き悲しむ母リンナを、父ネロは厳しい顔で抱き寄せていた。


 陽炎蜂かげろうばちの解毒薬は心臓に打ちこむ。だから即効性があるのだが、少しでも投与が遅れたら後遺症が出てしまうのだ。


 暗闇の中でしか両目が見えなくなってしまう。別名『影牢蜂』と呼ばれる様に、暗闇という限られた場所でしか人や物を見る事が出来ない。


 薬の投与が遅れたキルシッカの両目は、太陽の下では機能しなくなってしまっていたのだ。


 ◇


 ヤロキヴィ伯爵夫妻には育てて貰い、教育や身分を与えて貰った恩義を感じている。だが、父ネロを怒らせた以上、彼の家は必ず報いを受ける事になるだろう。


 ──そして俺は自分の罪をきちんと自覚している。長い間心を傷つけ、大事な初夜では体をひどく傷つけた。だがそれをそのまま認めたら、俺はヴァロ公爵から、激しい怒りを買うであろうことはわかっている。所詮、俺は魔力がべらぼうに高いだけのただの庶民なのだ。メヒライネン家に命じて俺を追い出させる事くらい造作もないだろう。


 その後で、キルシッカには公爵自らが厳選した男を新しい夫としてあてがうに違いない。


 そんな事はさせない。キルシッカを他の男になんて絶対に渡さない。自死の後、自ら沼の底に沈むつもりだったキルシッカ。行方不明に信憑性を持たせたかったのだろう、置手紙には『他に好きな男が出来た』と書いてあった。


 今はもうアレが単なる出まかせなのは分かっているが、あの手紙を読んだ時の絶望は一生忘れる事など出来やしない。キルシッカの字で他の男について書かれた手紙は何よりも汚らわしく、灰も残さず燃やし尽くしてしまった。それでも怒りは未だに治まらない。


 俺は沼でキルシッカを抱き締めている時からずっと、考えていた。

 狂いそうな程に愛している、可愛いキルシッカを奪われなくて済む方法を。


 そしてそれはもう思いついている。簡単な事だ。罪を誤魔化し、嘘をつく。


 後はヤロキヴィ家に全ての罪を被せてしまえば良い。ヤロキヴィ家。その中にはもちろん、妹のルミも含まれている。そこまで考えたが、自分でも驚くほど罪悪感を一切感じなかった。


 まぁそれは当然の事かもしれない。


 俺達は『本当の親子』でも『本当の兄妹』でもない。


 失って困る事など、何一つありはしないのだから。


 ふと思う。俺とルミは、あのまま結婚していても普通に幸せになっただろう。残念ながら男女というのはそういうものだ。穏やかな人生を送るだけなら、互いが運命の相手である必要など全く無い。


 幸か不幸か、俺は出会ってしまった。心から愛する大切な妻。俺の運命の女。手放す事など、考えられないし考えたくもない。


 愛するキルシッカ。けれど、俺はほんの少しだけ、こう思っている。


 お前に出会わなければ。お前が俺を愛したりしなければ。そしてお前を愛したりしなければ、俺は。


 ──俺は、正常まともでいる事が出来たのに。


 ◇


 ヤロキヴィ家に出向いた義弟、ピルヴィ伯爵がようやく戻って来た時には、辺りは既に真っ暗になっていた。俺は再びキルシッカをメイドに任せ、急ぎ別室へ向かった。


「伯爵は罪を認めたか?」


 冷静に聞く義父ネロの声に、ピルヴィ伯爵は肩を震わせ首を縦に振った。


「ヤロキヴィ伯爵は、宝石箱に陽炎蜂かげろうばちを仕掛けた事を認めました」

「そうか。ではヴァロ家にもその事を?」

「……はい。ヴァロ公爵は“今回の件については全て、メヒライネン家に一任する”と仰っていました」

「当家に一任? なぜ?」


 低くなった義父の声にも、ピルヴィ伯爵は怯まない。沼での冷静な対応といい、ルミはなかなか良い男を捕まえたな。そんな風に思いながら、俺は義弟の次の言葉を待っていた。


「ヤロキヴィ伯爵の狙いは、義兄上だったからです」

「……何?」


 驚く義父の声にも、俺は特段驚かなかった。恐らくそうだろうとは思っていた。あの『五年後の儀式』では夫婦で宝石箱を開けると言われている。けれど中身は妻の瞳。それに合わせた宝石が入っているのだ。夫が選び、妻に贈るこの宝石。同時に開けて二人で眺める夫婦もいるだろうが、大抵は夫が開けて妻に見せる事が多いのではないだろうか。少なくとも、俺はそうする。


「あわよくば、という思いはあったかもしれませんがキルシッカ様を直接狙った訳ではないからだそうです。それと、キルシッカ様が目覚められたら、義兄上をヴァロ家に寄越すようにと」

「そうか。わかった」


 義父はあっさりと頷いていた。そして俺の方を見た。義父の目にこめられた意図はすぐにわかった。

 これからは、ヤロキヴィ家に手足として動いて貰う。汚れ仕事の後始末を押し付け、場合によっては直接手を汚させる。使えなくなったら切り捨てる。一気に家を取り潰すよりも、よほど建設的で良い。


 それで気が済んだのか、義父母は一度部屋を出て行った。だが義弟は未だに動こうとしない。これから何かを話して来るのだろう。そう気づいた俺は、義弟が話し出すのを待っていた。


「義兄上。ちょっとよろしいですか」

「あぁ、良いよ」

「ヴァロ公爵は決して冷たい方ではありません。けれど、自らが報復に動こうとはなさらなかった。なぜだと思います?」

「……さぁ」


 嘘だ。本当は薄々分かっている。


「私はヴァロ公爵に『宝石箱に陽炎蜂が仕掛けられていた事に気づいたキルシッカ様が、義兄上を守る為に箱を沼地に持ちだし、身代わりで陽炎蜂に刺された』と報告しました。公爵はご立腹でしたが、私が説得しました。『嫁ぎ先のメヒライネン家が、義兄上が報復した方がキルシッカ様がお喜びになるのではないか』と」

「……なるほど」


 全く嘘をつく事無く、真実とは異なる話を巧みに作り上げている。生粋の貴族とはこういうものなのか、と俺はその手腕に素直に感心していた。


「それでも公爵が私如きの進言を聞き入れて下さったのは、御子を失われた件についてご存知なかったからです。恐らくキルシッカ様が生家には言わないで欲しいと仰ったのでは? さすがにこれを知っていたら、公爵も兄である聖騎士ルスカも黙ってはいなかったでしょう」

「……で?」


 義弟がここまでする理由。それはもうわかっているが、とりあえず聞いてみる事にした。


「義兄上。キルシッカ様が望まれた以上、御子の件については公爵に報告出来ないでしょう。ですから、ルミには何の咎もない。それでよろしいですよね?」

「嫌だと言ったら?」


 義弟は微かに顔を歪めた。


「義兄上。貴方はあの時、キルシッカ様に解毒を施されていましたね。陽炎蜂には専用の解毒薬しか効かないけれど、解毒魔法は毒の回りを遅らせるのにかなり有効な手段です。しかし義兄上ほどの魔術師なら『遅らせる』どころか『止める』事が可能だったのでは?」

「……言っている意味が良くわからない」


 俺は肩を竦めてみせた。義弟は無言のまま、俺を見ていた。


 部屋に満ちる、痛いほどの沈黙。この男はこんな虫も殺さない顔をしていながら、脅迫も出来るのか。

 ルミとピルヴィ家を守る為とは言え、なりふり構わない行動をとる義弟には、かなり好感が持てた。


「……キミは優秀だね、トゥーリ。きっとご両親も賢い方なんだろう。そうだ、キミには確か婚約中の姉がいたな。婚約先のメリ侯爵家はヴァロ公爵の派閥なんだよ。知っていた?」


 義弟の顔色がはっきりと変わるのを見て、俺は内心で苦笑していた。当然知らない事はないのだろうが、まさかここに矛先が行くとは思っていなかったらしい。


「……いえ。失礼致しました義兄上。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは言え、あの場にいた者として少々悔しい思いをしておりましたので」

「キミは良くやってくれたよ。ありがとう。ルミにはキミから説明してくれるかな。あぁそうだ、身体を大事にして良い子を産む様にと、兄が言っていたと伝えておいて」

「……ありがとうございます、義兄上」


 ──本当に賢い男だな。まだ年若いせいでさほど注目を浴びてはいないが、そう遠くない内に頭角を現してくるだろう。強張った顔で部屋を出て行く義弟を見つめながら、俺はそんな風に思っていた。


 ◇


「キルシッカ、もう終わったよ。寝室に戻ろう」

「マイト様。ルミ姉さまは?」

「ルミはもう帰った。お前を心配していたけど、アレは今身重だからな。そう長居はさせられない」

「……お会いしたかったわ。お顔が見えなくても、お会いしたかった」

「俺がいるんだから良いだろう。俺だけじゃ不満なのか?」

「そ、そんな事無いわ!」


 わたわたと慌てるキルシッカを抱き上げ、俺達の寝室へと向かう。


 ──歩きながら俺は、緩む頬を抑えきれないでいた。


 お茶会もパーティーも開催は全部昼間になる。昼間は目の見えないキルシッカの出席は厳しいだろう。俺がべったりと付き添っていれば可能だが、そこまでして出席する必要もない。


 逆に夜はキルシッカの目が見える。


 影視の魔法を自分の両目にかけておけば、真っ暗闇でも俺達は互いの姿を見る事が出来る。真っ暗闇の中で夫以外の男と、いや他人と会う機会なんか絶対にないのだから、必然的にキルシッカはこの先俺以外をその瞳に映す事はない。


 ──明るい日の光の中で、キルシッカと視線を合わせて笑い合う事はもう出来ない。キルシッカはこの先子供を儲けても、当分の間は寝顔しか見る事が出来ない。それを踏まえても、俺にはこの好機を逃すという選択肢は微塵みじんも無かった。


 可哀想なキルシッカ。俺の最大の罪を知る事も無く、無邪気に微笑む愛らしい妻。


 俺は自分が絶望で壊れたのだと思い込んでいた。けどそれは違った。俺は元々こういう人間だったのだ。義弟のような、もしくはお前の兄のような男に惚れていればこんな目に遭わなくて済んだのに。


「……キルシッカ。もう眠いか?」

「え? ううん、平気。ずっと眠っていたし」

「そうか。じゃあ俺と話をしよう。言っておくが、大半は言い訳だ。それを聞いて、もし俺に幻滅したなら言ってくれ」

「幻滅なんて、私……」


 薄暗い廊下。キルシッカは次第に目が見え始めて来たのだろう。俺に真っすぐ視線を合わせてくるようになった。俺もその目を、しっかりと見つめ返した。


「愛してるよ、キルシッカ。すぐには無理かもしれないが、信じて貰えるように頑張るから」

「わ、私……私はずっと、ずっと兄さまの事が……」

「“兄様”じゃないだろ。ちゃんと名前で呼んで」

「あ、マ、マイト様……」


 薄暗闇の中でもはっきりと分かるほど、キルシッカは顔を真っ赤に染めている。


 そんなキルシッカの頬に口づけながら、俺は寝室の扉を蹴り開けた。


 俺達だけの世界へと向かう、影の牢獄の、扉を。



後日投稿するエピローグで終わります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ