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夢の宝石、断罪の毒蜂   作者: 杜来 リノ
プロローグ
1/11

断罪の時

 

 無知ほど罪深く、無邪気ほど残酷な凶器は他にないだろうと思う。

 事実、私の『凶器』は周囲の大切な人達をあり得ないほど傷つけてしまった。


 大好きな従姉妹。初恋の人。


 彼らは今、『私に傷つけられた従姉妹』『私を憎む旦那様』と化している。


 戻れるのなら、あの頃に戻りたい。この三年間、それだけを思って生きて来た。


 ──いいえ、ただ戻るだけでは駄目。それではまた同じ事になってしまうから。今のこの私の状態で戻る事が出来れば。そうしたら、彼らは今でも私の『大好きな従姉妹』と『初恋の人』でいてくれたのに。


 けれど、残念な事に運命はそんなに甘くない。


 私は手に持つ宝石箱を見つめた。螺鈿細工の施された、溜息が出そうなほど美しい宝石箱。五年前の結婚式の日に旦那様から頂いた物。その時には、この中には私の為に選んで下さった宝石が入っているのだと、信じて疑ってはいなかった。けれど、今の私は知っている。コレの中身が、宝石なんかではないという事を。


 これは私を罰する事の出来る唯一の、大事な大事な宝石箱。


 頂いた時からずっと、宝石箱は鏡台の上に置いていた。毎日眺めては、幸せを噛み締めていた。けれど、三年前に『真実』を知って以来、それは見るのも辛かった。けれど、目につく場所に置き続ける事によって私は罪の意識を忘れないでいられた。胸の奥底から流れ出す血が固まろうとする兆しを見せても、宝石箱を見つめれば容赦なく傷は開きまた新たな血が流れて行く。


 それで良い。


 彼らの味わった痛みと苦しみはきっとこんなものではない。私は痛みを感じる事で、何とかこの三年間を生きて来られた様に思う。


 私は地面にしゃがみ込み、宝石箱を草の上に置いた。そして、ハンカチを取り出しそれをそっと広げた。包んでいたのは、光に煌めく黄金の鍵。それはこの宝石箱の鍵。最初に頂いた時には、蓋の上部に模様のようにはめ込まれてあった。ソレがいつの間にか無くなっていたのは、私が懐妊し、そしてその子を失った時。悲しみの果てに『真実』を知り、更なる絶望に落とされた後だった。


 あぁ、可哀想な私の子。私が母でさえなければ、光に満ちた人生を送っていたかもしれないのに。


 この世に生まれる事なく天の楽園に行ってしまったあの子の元に、この罪深い私が行く事が出来るのかどうか分からない。けれど、私はこれから断罪されるのだ。だから、せめて独りぼっちで待つ我が子の元に駆け付けるくらいは許して欲しいと思う。


「キルシッカ! キルシッカ何処だ! 返事をしろ!」


 遠くから、旦那様の声が聞こえる。


 けれど、まさかこのジメジメと湿った薄暗い湿地帯に私がいるとは思わないだろう。ここは立ち入り禁止にしているし、仮に気づいた所で、私に近付く事は出来ないはずだ。ここは底なし沼だから。


 水面に重たく張り巡らされるように浮かぶ水草。それを踏んで何とか沼の中央付近まで来れたけど、既に私の両足は膝まで沈んでいる。このまま沈んでいくのも悪くないけど、私はやっぱり旦那様に裁かれたい。


「キルシッカーーー!」


 旦那様の声が少しだけ近づいて来た。あんなに必死で私を探すという事は、きっとあのお手紙をお読みになったのだろう。それで怒り狂っていらっしゃるに違いない。一度ならず二度までも、煮え湯を飲ませてくれた憎んでも憎みきれない女、と思っている事だろう。


 ──旦那様。どうかこの私に、今こそ浴びるほどの憎悪を。


「キルシッカ! いるんでしょう!? 姉様には分かってるのよ!? 出て来なさい良い子だから!」


「え……ルミ姉様……?」


 私の耳に、旦那様の声とは別にルミ姉様の声が聞こえた気がした。いや、気のせいに違いない。ルミ姉様は今、ご懐妊中のはずだ。幾ら自分の『兄』が治めるメヒライネン家の領内とは言え、こんな鬱蒼とした森にお腹に大事な御子の居る姉さまが来る訳がない。それに、私の顔など絶対に見たくないはずだ。


「大変、急がなくちゃ」


 聞こえる声に気を取られている内に、遂には腰まで沈み始めた。ただ、沈む速度は申し分ない。箱の中の毒虫に刺された後は、箱ごと迅速に沈んでしまわないと困るからだ。旦那様にご迷惑をおかけしないように、証拠は一切残せない。


「ごめんなさい兄さま……。私の愛するマイト様……」


 ──本当に、本当に愛していたの。周りが見えなくなってしまう程に。けれど、私は見るべきだった。


「ごめんなさいお姉様……。大好きなルミ姉様……」


 ──私の大切な従姉妹。貴女の笑顔が、本当に大好きだった。それを奪ったのは、私だけれど。


 ごめんなさい。でもこれだけは信じて欲しい。私は知らなかったの。気づかなかったの。兄さまと姉さまの間に血の繋がりが無い事を知っていたら。お二人が深く想い合っている事を知っていたら。お二人の婚約を調える為に伯父さまが尽力なさっている事を知っていたら、絶対に邪魔なんかしなかった。でももう遅い。これは全て言い訳に過ぎない。分かっている。だけど、私は心から反省しているの。本当よ?


 どうか許して。いいえ許さないで。

 お願い、これ以上私を嫌わないで。駄目よ。未来永劫、私を憎み続けて。


 相反する気持ちが、私の心の中を吹き荒れて行く。


「……マイト様。ルミ姉様。お二人の幸せを、キルシッカは心からお祈りしております」


 私は宝石箱に鍵を差し込んだ。カチリ、と箱が開錠される音が鳴る。

 五年ぶりに外に出られる事に気づいたのか、箱の中の処刑人がガサガサと激しく蠢く気配がした。


 これから、無知で愚かで救いようのない女の、断罪が始まる。



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