最終話 異教の神
王都マグナスメリア、西の大門。
なんとか無事辿り着いたはいいが、これからどうしていいかなどわかるはずもない迷宮都市ヴァグラムからの難民たちが途方に暮れている。
誰になにを願えばいいのかすらわからぬ難民たちは、自分たちがこの門をくぐったことによって決定的になった、なにかが存在することなど知る由もない。
本来は自分たちがここに限らずもはや人の暮らす街のどこの門もくぐれぬ存在に、なにも知らない間に堕とされているのだという事実も。
それは難民たちが世界から、イツキと同じように扱われたということだ。
そしてそれこそがエメリア王国が聖シーズ教に逆らってまで、彼らを受け入れて手札とする理由でもある。
とにかく今の彼らにとっての重要事項は、これからどうやって生きて行くのかだ。
あれだけの鏖殺から生き残れたということを理解しているからこそ、生への執着は一層強くなっている。
事と次第によっては、ただ死ぬことすら赦されない。
それを目のあたりにした者たちは、開き直って「最悪死んだらそれまでだ」と嘯くことすらできはしないのだ。
そしていま彼らが頼ることができるのは、迷宮都市でたった四人だけ生き残ることを絶対者から赦された冒険者。
ここまで自分たちを護ってくれた『ONE&ONLY』の四人だけだ。
冒険者のみならず聖シーズ教も市井に生きる者も一切合切の区別なく、神敵滅殺を知り得る立場にいた有力者はみな一人残らず迷宮都市で爆ぜ潰され、身体は血と臓物の染みに、存在は禍となって彼の地に縛られている。
王都へ辿り着いたとて、まともな伝手があるような者など難民たちの中にはほとんどいないのだ。
「S級パーティー『ONE&ONLY』の皆様でしょうか?」
「S級パーティー『ONE&ONLY』の方々とお見受け致します」
ほぼ同時に声を駆けられた難民の先頭付近にいた四人がゆっくりと顔を上げる。
四人とも座り込んでいる様子は疲れ果てており、声をかけた者たちに向けるその顔も憔悴しきっている。
『勇者』――ダイン・エルノーグ。
『賢者』――フィン・ブレイン。
『聖女』――サラ・ティスタニア。
『剣聖』――アイナ・ヴァイセル。
あの日イツキによって禍の渦から解放されて以降、生き残りの人々を先導して王都マグナスメリアまでやっとの思いで辿り着いた直後である。
S級とはいえたった四人で迷宮都市ヴァグラムの生き残りたちを、一人も欠けさせることなくここ王都マグナスメリアまで護り抜いたのだ。
それは精も根も尽き果てようというものである。
だがあの日、元仲間によって叩きつけられた絶望からは、ほんの僅かながらも救われた気分になれていることもまた確かだ。
自分たちより弱い者たちを護り抜いたという達成感は、絶望的な無力感に苛まれていた四人にとって僅かばかりとは言え確かな救いとなったのだ。
声をかけてきた者の一方はエメリア王家からの使い、もう一方は聖シーズ教からの使いである。
自分たちがこんな目にあって以降、世界がどういう風に動いたのかを知る術など無かった『ONE&ONLY』の四人だ。
聖シーズ教が自分たちを含めた迷宮都市の生き残りすべてを見捨てる決定をしたことも、所属国であるエメリア王国が正面からそれに背いていることも共に知らない。
まだしも体調が万全であれば、使者同士の間に流れる張りつめた空気を読み取ることもできただろう。
だが今の四人は疲れ果てていて、それは叶わない。
突然一切の連絡がつかなくなった迷宮都市ヴァグラムから生き残りが王都に到着したとなれば、事の詳細の報告を求めるのは王家にしても聖シーズ教にしても当然だとしか思えない。
そして自分たちはそれを成した張本人から命じられているのだ。
そのありとあらゆるを、見たままに世界に告げよと。
それを実行しなければどういう目にあわされるか分かったものではない。
間違いなくイツキを見捨てた自分たちであればまだしも、あの地獄から生き残ることを赦された罪なき難民たちまで巻き込むわけにはいかない。
「聖シーズ教へは勇者認定を頂いているダインと、『塔』の一員である私が説明にあがった方がいいでしょう」
「だな」
聖シーズ教にかかわりが深い自分がそちらへ説明に行くことを提案し、同じ立場のダインもそれを肯定する。
「エメリア王家の方はサラとアイナにお願いしても?」
逆に西方一帯を統べる長寿族勢力『世界樹』の王族であるサラと、『浮遊大陸ソル・アルケ』出身のアイナはエメリア王国と誼が深い。
王女であるアンリエットとも個人的な友誼があるはずなので、そちらへの説明は任せても問題ないとのフィンの判断だ。
「わかりました」
「うん」
サラとアイナにしても、フランツⅣ世はともかくアンリエット王女にであればまだ説明もしやすい。
自分たちだけではなく、ヴァグラムの難民たちにも王女の口添えがあれば手厚く保護してもらえる可能性も高くなる。
なによりも自分たちはこれから、明確な世界の敵と元は仲間であったことも説明せねばならないのだ。
イツキが保証した脅迫は相当な効果を持つとは思うが、最悪の場合即時捕縛から処刑も充分に考えられる。
せめて自分の得意な相手への説明を最初にしたいと思うのは、無理なからぬことと言えよう。
使者たちも渋々ながらその提案を受け入れる。
命を下されただけの使者たちには、この四人の真の価値など理解できていないからだ。
よって誰もつれて戻れぬよりも、半分でも連れ戻ることでよしとした。
このなんのことはない判断が、『ONE&ONLY』の四人の命運を決定的に分かつことになるなど、この時点で誰にわかるはずもない。
それこそ神でもない限り。
◇◆◇◆◇
「リン姉ちゃん、迷宮都市からの難民が到着したね」
王都マグナスメリアの西門を遥かに見下ろす空中で、タムが呟く。
「……そうね」
それにまるで興味のなさそうな様子で隣のリンが答える。
二人は手を繋いだ状態であり、二人の唯一能力である『欠落世界』は解除されている。
ゆえに誰にでも見える状態ではあるのだが、普通の人は空中に人が浮いているなどとは思わないのであまり目立ってはいない。
「審神者の兄ちゃんはまだ来ないね」
「……そうね」
あの日。
『ここでの始末』とやらをつけた以降も、イツキたちは二人のもとに戻っては来なかった。
完全にその存在を世界から欠落させることができる以外、ただの高位魔法使いでしかない二人である。
完全覚醒した審神者とその使い魔をどうにかすることも、追跡することもできはしない。
「でも来ない方がいいかもね」
「……そうかな?」
できたことと言えば、速やかに王都マグナスメリアへと帰還し、自分たちが迷宮都市ヴァグラムで見たことを正確に報告することだけだった。
その報告内容のあまりの凄まじさが、なにごとにも動じないキャラを作っていたタムをして弱気な台詞を口にさせている。
誰もが一目で「これはあかん」と確信できる『竜殻外装』をわざわざ位相空間へと退避させてから禍の嵐を解除し、予想通り迷宮都市ヴァグラムで略奪の限りを尽くさんとしていた傭兵たちをイツキ自らが鏖にして見せたのだ。
その一方的な蹂躙たるや、悪魔が人の死を弄ぶ様そのものだった。
禍を顕現させて問答無用で爆ぜ潰す場合もあれば、受肉させて他の傭兵を襲わせたりもする。
憑いている禍が一線を越えている者たちは死んでさっさと自身が禍に堕すことすら赦されず、己が禍に呑みこまれて生前に自分が禍にやらかしたすべてを味あわされていた。
それが広範囲で幾度も繰り返される。
正気を保った者が、ただの一人もいなくなるまで。
生き証人として残された、自身に憑いた禍の少ない者たちが完全に腰を抜かし、正気を失うほどの惨劇が無慈悲に展開されたのだ。
見せしめとして残す禍は迷宮都市の分だけでいいと判断したものか、領域展開によって常人にも可視化している新たに生まれた膨大な禍はすべて、第一使い魔である黒猫アディの受肉のために吸収され、費やされた。
受肉し顕現した第一使い魔は竜殻外装ミステルにも劣らぬ巨大な九尾の黒猫と化し、その後は雑に物理で逃げ散らかす傭兵たちを丹念に齧り潰して回り、その九本の尾からその絶望と絶叫を吸収しては喉を鳴らしていた。
生前に犯した罪の罰を永遠に受け続ける地獄が、この世に溢れ出たような光景。
それを目の当たりにしたタム少年は、わかり易く言えば完全にビビってしまっているのだ。
なぜかその日から、姉のリンの様子がおかしいが。
「誘っておいてのその言い草ですか」
広範囲に警戒網を敷いている高位魔法使いであるタムとリンの結界になにも反応することなく、突然コマ落としのように目の前に審神者――イツキとその使い魔たちが現れる。
アディは小動物モードで肩に、ミステルは制御体モードで一歩後ろに控えている。
だが言葉を発した制御体ミステルは殺気立っている。
その言葉通り、己が主を誘っておきながらのタムの発言に憤っているのだ。
「やーめーろー」
「はい」
だがイツキの一言ですべての殺気を一瞬で消し、その美しい少女の顔を無表情に戻す。
御主人さまの命令は絶対らしい。
そのまま捨て置かれていれば、タムもリンも威圧だけで死に至らされていたかもしれない。
実際に竜殻外装ミステルと九尾の真躰アディに顕現された日には、王都マグナスメリアごと消滅させられるわけだが。
「さて約束通り話を聞きに来たわけだけど……ヴァグラムの難民たちを受け入れているってことは、君たちの王様は君たちの報告を聞いてもまだ引いてないってことか」
「ぜひお会いしたいと」
「わかった」
イツキはあの日の約束を果たしに来たというわけである。
誘った側があの日の惨劇を見てもなお、ということであれば一応は乗ってみてもいいと判断しているのだ。
「この数日、なにをしておられたかお聞きしても?」
「うん? ああまあいろいろ……」
ついさっきまでの無関心な様子などどこかに吹き飛んだリンが、勇気を出してイツキに問う。
どうやってそれを身につけたのかなど、まったくわからない。
だが自分たちも使えるからこそ、ついさっきイツキがこの場に突然現れることを可能にした能力が、自分たちの『欠落世界』だと理解できる。
弟と手を繋いでいる間だけこの世界から欠落せずに済む、能力というよりもリンにとっては呪いとかわらぬ力。
それをあの恐ろしい鏖殺を淡々とやってのけたイツキが今、完全に制御しているのだ。
どれだけ恐ろしくても、問いたい欲求を押さえることなどできない。
「俺は聖シーズ教から『異教者』とされたんでね。神の敵とはすなわち異教の神だろう。まあらしくあろうということで、戦力増強に努めてきた」
その前のめりなリンの問いにイツキはあっさりと答えるとともに、何かをリンとタムに向かって放ってきた。
ここは空中で、投げられた物はごく小さいナニカだ。
普通なら受け損ねて落とすことも考えられるが、タムとリンは魔法使いであり、空中にそれを制止させたうえで安全に受け取る。
「これ、は?」
精巧な細工を施された、古びた二つの指輪。
「古代の魔導道具です。二人ともが身につけておけば、常に接触しているのと同じ状態になりますので、わざわざ手を繋がずとも二人の呪いはその間停止します。それ自体が常に外在魔力を吸収する機能も持っていますので魔力切れはありませんし、装備者の意志でオンオフ可能です。本来は接触型の強化魔法や回復魔法を離れていても発動可能にする補佐装備ですが、使いようによっては――」
「ストップ」
「はい」
受け取ったリンの問いにはイツキではなく制御体ミステルがものすごい早口で答えてくれた。
つまりこれはタムとリンの二人が普通に暮らせるようになる、子供の頃からあったらいいのになあと思い描いていた夢の魔導道具ということらしい。
それを夜店の商品のように、あっさりくれるという。
「どう、して?」
「神様ってのは基本的に味方には優しいものだろう。それゆえに敵には容赦なくとも信者はそれをよしとする……もんかなーと。その実践第一だな」
さすがのタムも目を輝かせてイツキを見ている。
先日の極短い接触、たった一度二人の『欠落世界』を見破っただけでそれがどういう能力であり、二人が自身のその能力に対してどう思っているかすら見抜いて見せたのだ。
才能や能力がどうあれ、未だ幼い二人にそれでなつくなという方が難しいかもしれない。
王様でも大魔法使いでも、それこそ神様でもどうにもできなかったことを、あっさりと解決されてしまったのだから。
それこそ異教の神様を信じるようになる理由としては、申し分ないものだろう。
異教の神。
それがイツキがエメリア王国の誘いに乗って、当面目指すべき立場ということらしい。
その異教の神が、既存のいるかいないかすらわからぬ神よりも実際的な利益を現世にもたらすというのであれば、人はあっさり乗り換える可能性もある。
なにしろ有史上、神が実存したことなどただの一度もないのだから。
イツキは今更神の定義を語る気などさらさらない。
だが己とアディを殺そうとし、ミステルに千年の犠牲を強いた聖シーズ教への意趣返しにはちょうどいいと思ったのだ。
本物の神などいなくとも、そうだと嘯ける力を以って神を騙ってやろうと。
神が不在の聖シーズ教と異教の神を戴くエメリア王国の対立を軸とした、メダリオン大陸全土を巻き込む戦乱はこの時より始まる。
後の世から『偽神大戦』と呼ばれることとなる、まさしく『神話』が。
シーズの神々と、イツキが騙った異教の神。
そのどちらが後の世で『偽神』とされるのかは、今の段階では語るまい。
これにてお盆休みに書き溜め、約一ヶ月にわたって投稿させていただいた
『神が我が身を敵とするなら 以下略』
は一端の完結となります。
お付き合いいただきありがとうございました!
なんか投稿しつつ修正繰り返しているうちに、最初に思いついたプロットからは盛大にずれた気もしますが、書いていて楽しかったです。
自分なりの追放とざまぁのはずだったんですが……
当初から変わったなりにいろいろ先の展開も考えておりますので、また書き溜めて同じような形で投稿できたらと考えております。
書き手のやる気と尻に火をつけるためにも、できましたらブックマーク、評価、感想よろしくお願いします!
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