第015話 千年の狂気 下
最初に狂ったのはアイナノアの意識だ。
まだ少女に過ぎなかったアイナノアの精神は、死どころか眠ることさえ許されずこの地に止まり続けながら、今は己が一部である呪詛を聴かせ続けられることに一年も持たなかった。
呪詛を繰り返す多くの禍たちとともに、「サミシイ」を無限に繰り返し叫び続けることしかしなくなった。
それがもう言葉の意味もなさない、濁った音の絶叫だけに変り果てるのにも二年かからなかった。
本来の少女としてのあどけなさも、聖女と呼ばれた高貴さもすべて喪い、血涙を流しながら叫び続けるだけの哀れな禍。
『審神者』としての経験も、そこから得た知識もなんの役にも立たず、なんの救いももたらさない。
当然だ。
それはもう『聖女』でも『審神者』でもなく、アイナノアであった意識を持ったままというだけの、ただの禍に過ぎないのだから。
黒竜王焔帝もそうなった時点で、すでにアイナノアであったモノはその状態だった。
黒竜王焔帝は四千年を生きた古代竜だったが、それでもアイナノアと同じ状態になるのに百年も持たなかった。
人など比べ物にならない叡智を備え、実際に悠久の刻を生きる古代竜にしてみれば、多くの人の一生よりも長い百年とはいえそれほどとんでもない時間というわけではない。
だがそれは、普通に生きていた場合の話だ。
強大な力を持ち、時に人とも敵対し、同等の存在である他の八大竜王との交流などほとんどなくとも、自然の中で気の向くままに生きていれば千年が万年であろうとも竜の精神は耐えることができる。
耐えるどころか、微睡にも似た感覚の中で楽しんでその悠久を閲すだろう。
朝霧の花を愛で、日中には鳥と共に羽ばたき風に遊び、宵に届かぬと知りつつ月を目指して飛翔する。
元来、竜としての久遠はそんな風に時を刻む。
だからこそ、そんな美しい世界を終わらせるという『大いなる禍』を封じるための『器』となり、世界を救うことを選択したはずだった。
人どもなど、そのついでに助かるというだけに過ぎない。
だが竜としての権能をすべて喪い、そのくせ竜としての意識だけを残されてはたまったものではない。
まして常に呪詛の叫びに晒され続けて、正気を保っていられるはずもない。
数少ない心を通わせ得たと思えた人である幼いアイナノアの狂気もまた、竜にはひどく堪えた。
神に回帰できない魂は、ここまで歪み苦しまねばならぬものなのかと。
そしてそれは他の禍たちも同じだった。
怒り、哀しみ、憎しみ、妬み、劣情、その他ありとあらゆる負の感情。
それを抱え、悍ましい禍となって永遠に呪詛を吐き散らかし続ける。
審神者がいなければ、何の影響も与えられぬまま、その対象が消えても自身は消えられないままに、なんに対して呪詛を吐いているのかすらわからなくなってさえも、なお。
禍を封じなければ世界は終焉を迎えると言われた。
アイナノア以外にも我欲のために禍を使役する『審神者』が生まれ、増え続ければ世界は壊されると。
確かにアイナノアが禍の力を使役した結果は、八大竜王であっても戦慄するだけの破壊をもたらした。
しかもそれは独自の理に従わなくとも、既存の魔導理論において魔力がわりに禍を使うだけで桁外れの効果を発揮する。
確かにこの力を我欲に使うモノがあふれれば、世界は壊されてしまいかねない。
それに禍とは人に宿った神の欠片が、生物ゆえの業に澱み腐って、神に回帰できなくなったものだと聞かされた。
そしてそれは使えば消えてしまうのだと。
魂の神への回帰が目減りし続ければ、遠からず人は、生物は宿す魂を枯渇させて生まれ来ることすらできなくなる。
そんな世迷言も、アイナノアによって『根源の神』を見せられれば納得するしかなかった。
だからこそ封印の話にのったのだ。
だが禍の真実を視てしまえば、考えも変わる。
意志持つ者が神の欠片に囚われ、永遠の苦痛を味わうのが結末だとするのなら、生命など終わってしまった方がよいのではないか。
神に回帰できた魂も、繰り返しの中いずれこの澱んで腐った忌むべき禍に堕ち、永遠の呪詛を吐くだけのモノとなり下がるのであれば、星を壊す力にでもなって消えてしまった方がいくらもマシだ。
そしてそう時を置かず、黒竜王焔帝ですらもその蔑み、哀れみ、消滅こそが救いだと自身が思ったモノに堕した。
アイナノアと何も変わらず、孤独の絶望を叫び続けるだけの哀れな竜の成れの果て。
意志――心在る者は、何人たりとも絶対の孤独には耐えられぬのだ。
もはや人の尊厳も、竜の矜持もありはしない。
それから千年にも及ぶ狂気の片隅で、元は聖女アイナノアであり、黒竜王焔帝でもあり、今は混ざり合って境界もなくなってしまったそれは絶対にかなわぬ、大それた夢を見る。
この絶対的な『孤独』という狂気を払ってくれるのであれば、それが何者であっても膝を折り、尻尾を振って絶対の忠誠を希うことに躊躇などしないだろうと。
人並の、竜並みの扱いなどという高望みなどをするものか。
たまに忘れずに思い出してくれればそれでいい。
思い出した時だけでいいから、己を視て、己の声を聴いて、己の名を呼んでくれればそれで十分だ。
もしも触れてくれるというならば、聖女としても竜王としても本来は絶対に赦されぬ、腹を晒して撫でてくださいと乞うだろう。
それだけのために、世界を滅ぼすことすらも厭わない。
己に関わってはくれぬ世界など、初めから無いも同じだ。
そんなものなど、己にかまってくれる主と天秤にかけるまでもない。
この叫びを止めてくれる者がもしも現れたら、その者のために己の全身全霊をかけて付き従うだろう。
もはや己は、己が使役されることにすら至上の快楽に感じる気狂いなのだから。
そしてその願いは千年が経過した今日、唐突に叶えられる。
命じられたのだ。
禍であれば抗いようのない、『審神者』によって。
力をよこせ、と。
抗いようもなくその命に従い、世界中から集められ千年間煮詰められた膨大な禍、『大いなる禍』が『奈落』の底から上昇を開始する。
落ち来る己が主を、その懐へ迎え入れるために。
◆◇◆◇◆
主に呼ばれ、千年間狂い続けていたそれは急速に意識を覚醒させる。
孤独の嗚咽を叫び続けるだけでは、主の命に応えることなどできないのだから当然か。
それは少女と竜がないまぜになったモノ。
千年の孤独に一度徹底的に壊され、必要に際して強制的に正気に戻されたモノ。
それは双方の特性も記憶も持ちながら、もはやそのどちらでもない存在。
それを今強く支配しているのは、千年の間叶うはずもないと知りながら願い続けた従属の欲求と、再び孤独に叩き墜とされることに対する恐怖だけだ。
『わ、我はどうすればいいの?』
ゆえに望み続けた主を前にして、ポンコツが極まっている。
そんなことを問われても、解けて混ざった聖女と古代竜以外の禍など、己の呪詛と『審神者』に命じられたこと以外に考えることなどできはしない。
テメーで考えてくださいとすら言えもしない。
ただ一つ確かなのは、この邂逅によって千年の孤独の狂気は終わったのだ。
次に始まるのは終焉への狂喜。
これにてやっと殴られパート完了、殴り返しパートへ移行します。
強大な力を持ちながらポンコツ化している第二の使い魔は書いていて特に楽しかった部分です。
次話からの温い空気でありながら、敵と看做したモノには容赦ないというギャップというか、気が狂っている感じをうまく出せていればいいのですが。
強大な力を持った存在がホントに自由に生きると、かなり怖いと思うんですよ。
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