第014話 千年の狂気 上
それはもう、とうの昔に狂ってしまっていた。
この地『奈落』の深淵へと封じられて――自ら願って封じられてから百年も持たなかった。
甘く見ていたのだ。
真の孤独というものを。
意志ある者がなにも視えない、なにも話せない、なにも聴こえない真の闇の中に捨て置かれて、狂わずにいられるはずなどなかったのだ。
本当に甘く見ていた。
寂しい。
他のあらゆる感情を、それが塗りつぶす。
喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。
すべて、すべて、すべて、すべて。
せめて死が赦されているのであれば、すべての救いとなるその日を待ちわびて耐えることもできたかもしれない。
だがそれを望めぬことを知っているが故に、どこにも逃げ場はない。
永遠に続く今を耐え続けるしかない。
その事実を前にしては、元は『聖女』と讃えられた真摯な自己犠牲の精神も、四千年を生きた『古代竜』としての矜持も、ただ狂うことしかできなかった。
死とは最大の祝福である。
そんなことを強がりでもなんでもなく実感できるのは、まさに生き地獄においてのみ。
いやその生ですら曖昧なのだ。
なにも視えない、なにも話せない、なにも聴こえない。
一切他者と触れ合えない。
そんな状態は死んでいないというだけで、生きているとはとても言えまい。
己が何者であったのかはおぼろげに覚えている。
千年の昔、世界を滅ぼすほどに溢れかえった禍――『大いなる禍』をその身に集めるための『器』とされた『古代竜』
四千年の時を生きた天竜八部衆、八大竜王が一柱、『黒竜王焔帝』
その『器』に集められた『大いなる禍』を縛るための『縛鎖』
千年の昔に、成立してまだ間もない聖シーズ教において『聖女』と聖別された人の娘アイナノア。
人類史上、初めて生まれた神の姿を視る者――『審神者』
両者とも誰に強いられたわけでもなく、間違いなく自ら進んで人の世界を終焉から救うために我が身を差し出したのだ。
それが命と引き換えだったのであれば、どれだけよかっただろうと今ならば思える。
いや命と引き換えだと、あの時は両者ともに思っていたのだ。
人であるアイナノアはもちろん、古代竜である『黒竜王焔帝』であっても、『奈落』の底に封じられて生き永らえる術などない。
水も食料もない状況である以上、アイナノアは一月も持たない。
『黒竜王焔帝』とても、外側から幾重にもかけられる封印によって外在魔力の吸収もできぬとなれば、莫大な内在魔力を消費して存えてもせいぜい数年といったところだ。
それで終わるはずだった。
事実、飢えと渇きで死ぬ瞬間まで、アイナノアは己の『審神者』としての権能で『大いなる禍』にこの地に止まることを命じ続け、その力を以て自らを封じ込める結界を幾重にも張り続けた。
「先に逝きますね、焔帝」
と言って事切れた際には、その痩せこけた幼い顔に穏やかな微笑みを浮かべていたほどだ。
その七年後に膨大な内在魔力も尽き、竜骨だけを残してぼろぼろと竜躰が崩れ始めた『黒竜王焔帝』も、壊すことしかできなかった己が世界を救ったのだという自己満足に包まれてその長い生を終えた。
はずだった。
だが。
黒竜王焔帝であった魂は、己が生前『器』となっていた膨大な禍に呑み込まれた。
そこには七年前にすでに呑み込まれていた、元はアイナノアであったモノも在った。
アイナノアはもちろん、焔帝も禍に堕してなどいなかった。
だが取り込まれれば圧倒的な穢れによってその魂も漆黒に染められ、禍の一部となり果ててしまう。
使命を果たせば必ず叶うと信じていた、あの輝かしい『神』へと回帰することはもう二度とできない。
それだけならまだよかった。
だがなまじ自ら禍に堕ちたわけではないばかりに、その意識と知識が残されてしまったのだ。
もう『審神者』ではない。
もう『黒竜王』ではない。
今はもうその成れの果て、禍の一部だ。
だから生前の『審神者』であったアイナノアに命じ続けられた、この地に止まることと、自らを封じる結界を張り続けることから逃れることはできない。
コロシタイ、コワシタイ。
己を禍に堕とした、その相手を。
此処にいる。
何日でも。何ヶ月でも。何年でも。何十年でも。何百年でも。
封印結界を張る。
何回も。何十回も。何百回も。何千回も。何万回も。何億回も。
数多の禍と同じように、それだけを哀れに繰り返せるのであれば苦痛などない。
客観視すればどれほど哀れで惨めでも、苦行に満ちた在り方であったとしても、それだけしか考えられなくなっていればなんのこともない。
自然の全てがかくあれかしと在るように、禍とは、呪怨とは一意専心にそうあるモノなのだから。
だが人としての意識が、竜としての自我が残っていればそれは永遠の責苦と成り代わる。
そして千年の地獄が始まった。
本日は『千年の狂気 下』を21:00前後に投稿します。
これでやっと殴られパート完了、殴り返しパートへ移行します。
強大な力を持ちながらポンコツ化している第二の使い魔は書いていて特に楽しかった部分です。
次話からの温い空気でありながら、敵と看做したモノには容赦ないというギャップというか、気が狂っている感じをうまく出せていればいいのですが。
強大な力を持った存在がホントに自由に生きると、かなり怖いと思うんですよ。
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