私の名前は
「貴方の能力?」
「はい。私の能力です」
まだ、俄かには信じていないようなクリスの問いに、娘は静かに答えた。
「私の能力は、この世界、全ての言語理解能力です。人が書いた文字や話す言葉だけではありません。動物や魔物の声も聞こえます。その証拠に……」
娘は顔を上げると、クリスをじっと見つめた。そうして、柔らかく微笑む。
「私は毎夜、貴方のーークリスさんの鳴く声を聞いていました。クリスさんが悲しむ声や嘆きの声、そうして、時折、嬉しそうに歌う声を。だから、私は貴方の存在を知っていました」
「そう、だったのか……」
クリスは益々驚いた。クリスはコハクが聞いていないところで、人の言葉以外で、嘆き、悲しみの声を上げていた。
ーー時折、コハクと過ごす、細やかな日々を歌う事もあった。
何もわからない人が聞いたら、ドラゴンが遠吠えしているだけにしか聞こえないだろうと、そう思って。
クリスは恥ずかしくなって、長い前髪で顔を隠したのだった。
「はい! だから、私はクリスさんの事が最初から怖くなかったです。姿を見た時は、驚いてしまいましたし、食べられると思ってしまいましたが」
先程は、すみません。と謝る娘を、クリスは驚きと嬉しさが、半々に入り混じったような瞳で見つめたのだった。
「ようやく、クリスさんと会えて嬉しいです。勿論、コハクちゃんとも出会えて!」
「ああ、私もだ。そうだ、そろそろ、貴方の名前を教えてくれないか? さすがに、名前を呼ばないのも失礼かと」
あーっと、娘はクリスから視線を逸らす。ややあってから、娘はクリスを横目で見ながらお願いをしたのだった。
「私も、名前をつけて欲しいなって、思うんですが。駄目ですかね?」
「名前を? それは構わないが。貴方はいいのか? 貴方にだって、名前があるだろう。村の人間からも呼ばれている名前が」
クリスが不思議そうに首を傾げた。娘は、「それは」と、口籠もりつつも答えたのだった。
「この世界では変わった名前なのと、この世界に召喚された時に、私を召喚した国が大々的に宣伝をしてしまったので、名乗ると異世界から召喚された人間だとバレてしまうと思うと、名乗れなくて……」
「そ、そうなのか……」
「はい。なので、クリスさんに名前をつけて頂きたくて……」
「名前か……」
しばし、クリスは悩んでいるようだった。クリスの前髪から拭ききれていなかった雫が、クリスの頬を伝って顎まで落ちていった。
娘は髪を拭く手を止めていたクリスからタオルを受け取ると、クリスの背後に回って、まだ湿った白色の髪を拭いた。
クリスは始めこそは身構えていたが、次第に肩の力を緩めると、娘のやりたいままにしていた。
「アメリアは、どうだろうか?」
やがて、娘の名前を考えていたクリスは、そう呟いたのだった。
「アメリアですか?」
「ああ、知っているか? 貴方がいた国だけではなく、各国の至るところで、異世界から召喚された異世界人の話が残っているんだ」
振り向いたクリスに、娘は首を振った。そんな話は、聞いた事がなかったからだった。
「アメリアは、私が住んでいた国ーー私が人間だった頃、騎士として仕えていた国で、最初に召喚された異世界人の名前だとされている」
「まあ、そうなんですか?」
弾んだ声を出した娘を、クリスは微笑ましく思いつつ、話を続けた。
「そして、私の国ではその名前を持つ女性は幸せになるとも」
「えっ……」
娘はタオルを取り落としそうになった。慌てて掴み直すと、首を強く振る。
「そ、そんな名前を私に……?」
「今度こそ、幸せになって欲しいからな。今の話を聞いて、そう思った」
クリスの言葉に、娘はーーアメリアは、こそばゆい気持ちになった。
こんな気持ちになったのは、この世界に来てから始めてだった。
「私も、アメリアがいいと思います。素敵な名前をつけてもらえて……嬉しいです」
照れ臭い気持ちになったアメリアは、知らずクリスの髪を強く拭いていたようだった。
クリスから「これ以上、髪を拭いたら、髪が痛む」と言われて、タオルを回収されたのだった。
またクリスの隣に戻ったアメリアは、クリスからコハクを受け取る。
すっかり熟睡しているコハクは、静かな寝息を立てて眠り続けていた。
「あの。もし、クリスさんが良ければなんですが!」
アメリアはコハクを見て、思いついた事を話した。
「私はクリスさんのお願い通り、コハクちゃんと暮らします。コハクちゃんの家族になります! そして、クリスさんとも家族になります! それで、あの……」
アメリアは言いづらそうに、言葉を選びながら続けた。
「私がコハクちゃんのお母さんになります。なので、クリスさんはコハクちゃんのお父さんになってくれませんか?」