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八杯目 ほうじ茶

 用事がある、と琴羽が出かけたので、就寝前の食事は、奈菜と白兎の二人でとった。白兎は自分の分の食器を片付けると、ポットを持って戻ってくる。

「……先に片付けて大丈夫ですよ。食洗器くらい回せます」

「じき、夜になる」

 白兎は、自分の湯飲みにほうじ茶を注ぐ。

「コトハが戻ってくるまでは、俺は起きてる」

「……夜?」

 ここに、昼夜の区別はない。食事と就寝で一日、と奈菜は数えているが、カーテンを開いていれば、いつでも外は明るい。

「ああ」

 特に説明もせず、白兎はそのまま茶をすすった。奈菜はポットに手を伸ばす。

「じゃあ、私も待っています」

「ああそう」

 白兎が指差した戸棚から、奈菜は煎餅の缶を持ってくる。開くと、六種の煎餅がみっしりと入っていた。

「そのままでいい。行儀をうるさく言うコトハもいないしな」

「はい」

 塩の煎餅を袋の中で砕きながら、白兎は背もたれに寄り掛かる。

「……あれ? そういえば、完全に草食じゃないんですね」

「本当は肉も魚も食える」

「でもいつも野菜スティック……」

「……ああ、あれは……」

 白兎は嫌そうに眉間にしわを寄せた。

「お前も知っての通り、俺達従業員の食事は、コトハが作っているだろ」

「はい」

「昔は肉も魚も食えなかったんだ。それで、食える物を選んでいるうちにああなって、それが続いてる」

 小さく割った煎餅を口に入れて、白兎は頬杖をつく。

「お前がいる間はともかく、今更、毎日二人分の飯を用意してくれって言えねえしな」

「お肉食べたいって思わないんですか?」

「……たまに……思う。ヒトに化けてる姿が板についたからだろうな」

 へえ、と、食後のほうじ茶をすすりながら、奈菜は、改めて白兎の顔を眺める。言動は荒っぽく、奈菜に対する態度も、優しいとは言い難い。かといって、優しくしてほしいとは言えないが。

 しかし、顔をまじまじと見れば、黙っていればそれなりに絵になるつくりだ。白髪といえば、二次元の住民か老人の特徴だ。だが白兎は若い顔でも、その白髪に違和感がなかった。あるいは、肌までも雪のように白いからか。対照的に紅の瞳は、兎というよりは狼に近い印象がある。

「……おいなんだ、人の顔をじろじろと」

「……はっ、すみません」

 奈菜は湯飲みで顔を隠し、視線を落とす。すると、今度は筋張った白兎の手が視界に入った。無駄のない手つきで料理を生み出すその手は、手入れもしていない奈菜の両手よりよほど綺麗だ。

「……白兎さんって」

 湯飲みを降ろしながら、奈菜は、思ったことをそのままにこぼす。

「綺麗ですよね」

「……熱でもあるのか?」

「健康です、多分」

 怪訝な顔をされて、自分の言葉が恥ずかしくなる。

「俺が綺麗に見えるのは、大神がそう造ったからだろう。容姿は綺麗で悪いことはない」

「その、オオカミって前も言っていましたけど、琴羽さんじゃないんですか?」

「コトハは新しい神だから、世話焼きの大神が俺を手伝いによこしているんだ」

「派遣さんだったんですね」

「その言い方はやめろ」

 奈菜は笑う。白兎は露骨にため息をついてから、僅かに口元を綻ばせた。

「夜が更ける前に、お前は寝た方がいい」

「……怖いものなんですか?」

「ああ。そら」

 白兎が、吊り照明を指差す。普段は弱い光を放つそれが、じじっ、と音を鳴らして眩しくなった。ほとんど同時に、窓の外が、白から灰色、そして黒へと移り変わる。奈菜のよく知る夕暮れはなく、ほんの数秒で、窓の外は闇に包まれた。

「……暗いですね」

「ああ」

 店内は明るいが、ガラス一枚隔てた外は、既に真っ暗闇だ。相変わらず霧しか見えない奈菜の世界では、普段以上に何も見えない。外に出るなど、考えただけで足がすくみそうだ。たとえ眩い懐中電灯を与えられても、嫌だと言いたい。

 見慣れている夜の風景といえば、田舎であってもぽつらぽつらと街灯があり、言わずもがな、車や家々の明かりがある。都会は夜でも、懐中電灯も要らないほどに明るい場所もある。眠らない街という言葉も、使われるようになって久しい。

 奈菜が見る闇には、カフェ以外の明かりはない。人工的な電気の光はもちろん、月明かりすらもない。分厚いアイマスクをつけられているのと変わらないような闇が、窓の外にはあった。

 やがて、カタカタと窓が揺れ始める。風に吹かれているのだと、白兎が言った。確かに、耳をすませば轟々と風が鳴っている。窓の揺れは激しくなり、見上げた高い天窓には、雨が当たっていた。

「台風みたい」

「怖いか?」

「……少し」

 奈菜は、三杯目のほうじ茶を注ぐ。窓に当たる雨は勢いを増し、ガラスを絶えず水が伝っていた。相変わらず、店内は静かで穏やかなままだ。

 電話のベルが鳴った。

「ひえっ!?」

 突然割り込んだ明瞭な音に、奈菜は思わず声を出す。白兎が立ち上がり、カウンターの向こうへ行った。紅茶缶や綺麗なカップが並ぶ棚の中ほどには、アンティークなデザインの電話がある。

「はい、カフェ『ことのは』……ああ、コトハか。……うん、うん……起きてる。ああ……分かった。そうか。……ああ。気をつけて」

 白兎は受話器を置き、奈菜を振り返る。あの電話は置物じゃなかったのかと、奈菜はこぼした茶を拭きながら思っていた。

「下っ端、二階の窓の鍵を全て点検して来い。それから、毛布二枚と雑巾とタオルを持ってこれるだけ持って降りてこい。すぐ!」

「え? あ、はい!」

 奈菜は慌てて椅子から立ち上がる。白兎は手早く全ての窓の鍵を点検し、入り口の鍵もかけた。全ての窓にブラインドを降ろし、厨房や風呂場の窓も閉め直す。奈菜が両手いっぱいの荷物を持って降りた後は、階段を隠すドアも閉めた。普段は完全に壁の一部となっているそのドアがドアとしての役割を果たすところを、奈菜は初めて見た。

「タオルはそっちの席。毛布は一枚お前用だ。雑巾は入り口近くに敷いておけ」

「はい」

 風雨の音はますます激しくなっていた。奈菜を店内に残し、白兎は厨房へ向かう。暑くも寒くもない、快適なはずの店内で、奈菜は小さく身震いした。毛布を膝に乗せて席に着くと、まだ暖かかったはずのほうじ茶は、すっかり冷たくなっていた。

 しばらくして、白兎が湯気の立つ皿を持って来た。

「腹がいっぱいだろうが、これは冷めても美味いから、腹が減ったら食え」

 テーブルに、大きなパイが置かれる。バターと甘い香りが、あっという間に店内に漂った。既に八等分にされ、上の網目は丁寧に、一つずつパイ生地を編んだ紐で作られている。

「アップルパイですか?」

「ピーチパイだ。まあまあ甘いぞ」

 いつ作ったんだろう、と奈菜は白兎を見上げる。電話を切って、席を立って、窓を閉めてから今まで、奈菜の体感では十五分も経っていない。

「あの厨房は、時間が早く流れるとかあるんですか」

「ここで時間なんて、気にするだけ無駄だ」

 確かにそうかもしれないな、と奈菜はパイに手を伸ばす。

「徹夜ですか?」

「お前の感覚で言えば。……眠たくなったらそこで寝ろ。部屋には戻るな」

「はい」

 ガラス戸が割れそうなほどの風が吹き荒れていた。少し店が揺れているようにさえ感じる。奈菜は、毛布を肩から羽織って身を縮めた。

 奈菜が冷めた茶を飲み終えたころ、店の明かりが一斉に消えた。口を白兎に塞がれ、奈菜は悲鳴を噛み殺す。白兎は口の前に指を立ててみせた。

『夜はよくないものがくる』

 奈菜が差し出したメモ帳に、白兎が書きつける。奈菜が首を傾げると、白兎はペンの尻で頭を掻いた。

『ふだんの客は、死んだと分かって、自分であの世にいく。夜は、死んだと分かっていないか、分かってこの世に残ろうとするやつが、あの世にひきずりこまれる』

 白兎がペンを置く。と、その小さな音が響くほど、周囲が静かになっていることに奈菜は気付いた。あれほどうるさかった雨も風も、今は鳴りを潜めている。

 やがて、ずずっ、ずずっ、と、重いものを引き摺る音が聞こえてきた。奈菜が白兎を見ると、白兎は黙ってペンを握る。

『いつもはコトハがかくしているが、お前がいるから、ここが見つかりやすい。ひきずられるのは、悪いものだから、ここには入れたくない』

 奈菜が自分を指差して首を捻ると、白兎は頷いた。

『さいきん、客が多いのも、お前がいるからだ。生きている魂は、みんな、光っている。命の燈だ。お前は、生きているのと死んでいるの、そのどちらでもあるから、まだ、光っている』

 もし自分が、右も左も分からないような場所で光を見たら、そちらに向かっていくだろう。奈菜は、膝の上できゅっと手を握る。

 やがて、引き摺る音は店のすぐ前まで来た。白兎は何杯目かのほうじ茶を啜りながら、ピーチパイを齧っている。奈菜は、唯一外が見える入り口から目を逸らし、湯飲みを握りしめていた。非常灯の明かりしかない店内は、あまりに暗い。

 皿に乗せたままのピーチパイが、目の前に差し出された。

「桃には、退魔の力がある」

 暗い店内でも、白い白兎の表情はそれなりに伺えた。奈菜は両手で皿を受け取る。まだ暖かいピーチパイは、カスタードクリームがたっぷりと入っていた。



 引き摺る音。足音。うめき声。壁を叩く音。ドアを開けようとする音。ガラスを手がなぞる音。暗い中、鋭敏になる耳に届く音は、はっきりと、この中に入ってこようとする無数の存在がいることを示していた。

 奈菜は毛布を頭からかぶり、両手で耳を塞いだ。だが、目を閉じて何も見えなくなれば、余計に音が大きく聞こえる。手で塞ぐ程度では、足りないほどに。

「……下っ端」

「ひっ!?」

 白兎が椅子から立ち上がり、奈菜の隣に立つ。はあ、と嫌そうな溜息が降ってきた。

「膝を貸せ」

 奈菜の腕の下に頭を入れると、白兎は兎の姿になった。真っ白な兎は、奈菜の膝の上で丸くなる。前足でごしごしと顔を洗うと、ふん、と鼻を鳴らして目を閉じた。



 ドアベルが鳴る。用意されていた雑巾の上で服を絞りながら、琴羽は店を見回した。照明は薄暗いままだが、外が明るくなった今、ブラインドを上げればいつも通りになるだろう。

「……おやおや」

 テーブル席で、毛布を羽織った奈菜が眠っていた。膝の上では、白兎が寝息を立てている。冷めた二切れのピーチパイと、ポットに半分だけ残ったほうじ茶が、そのままテーブルの上にあった。

「うん、がんばったね、二人とも」

 水が滴る髪を掻き上げて、琴羽は苦笑した。

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