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箱庭で魔女は謳う  作者: とらじ
9/13

9 オタカ

 それを見た時、目の錯覚かと思った。

 よく見ようと双眸を細める。しかし、老フーの目に映る結果は同じだった。

 


「何ということだ…」



 残酷が現実を目の当たりにし、思わず胸の前で逆三角形を指で描くと左拳を額につけた。逆三角形は創生の女神を表し、祈りを捧げる際に胸の前で切るのが通例だ。

 伏せていた瞼を上げると、もう一度ぐるりと辺りを見回した。

 深い緑の木々に囲まれた女神の教会、その隣には教会が運営する魔法師の学院が建っている。その周りを本部から派遣された教会の関係者達が、忙しなく動き回っていた。

 

 この近辺に住まうレベル一から二までの魔法師が学ぶ学院は、そんなに大きな建物ではない。こげ茶色のレンガでできた建物は正面から見ると長方形の二階建てになっており、一階が学院、二階が法師や職員の居住スペースになっていた。

 しかし今は、右上から何か大きな手で抉り取られたかのように、三分の一が消失している。

 辺りには瓦礫も見当たらない。

 建物があるべき場所には、ただぽっかりと深い穴があいてるだけだった。

 

鼻からずり落ち気味の丸眼鏡を押し上げる。レンズの奥で小さな瞳が、悲しそうな色を湛えていた。

 

「先生。老フー」後ろから呼ばれ振り返る。

 背後には教会が設営したテントが立ち並び、法師達が慌しく仕事をしていた。

 その間をぬって、派手な格好をした長身の青年が歩いてくる。その姿に、僅かに表情が和らいだ。

 


「やあ、オタカ」



 青年は左の掌に右手の拳を押し当て、上位の者への敬意を表す礼をとる。口角を持ち上げ、形ばかりの笑みを浮かべた。

 ゆるくウェーブした金髪は括られていないが、邪魔にならないように綺麗に背中に流されている。

 形の良い二重の奥には、新緑を思わせる瞳。化粧をしているのか、唇は濡れたように艶やかだった。

 素地が美形の部類の顔立ちであるが、くっきりと引かれたアイラインがそれを更に際立たせていた。

 


「わざわざご足労頂き、ありがとうございます、先生」



 姿勢を正すと、肩にかけた大判のストールが揺れた。

 様々な色が使われた鮮やかなそれは、裾に薄い黄色の羽毛があしらわれていた。

 着ている服も原色な上、ひらひらとした素材が使われているせいか、ひどくけばけばしく思えるのだが、それがとても似合っているので不思議である。

 

 彼は、教会が保有する自警団スーグラに所属している。

 教会施設の警備や要人の警護、聖譚曲の暴走やそれに関する事件への対応が主な仕事だ。団員のほとんどが魔法師であり、オタカもその一人である。

 そして、自警団へ入団する前は、老フーに師事していた。

 

 瞬きを一つすると、彼は薄い笑みを消した。

 


「酷い状況ですね」

「そうだね。建物も地面も抉れてしまっているし、瓦礫がどこにも見当たらない。物質を消滅、もしくはどこかへ転送させる…そういう聖譚曲かな」

「この学院に登録されている魔法師は、最高でレベル三マイナス。限りなくレベル二に近い程度ですので、やはり暴走でしょう。何かしらのきっかけで、レベルが一気に上がってしまった可能性が高い」

「ここにいる魔法師に、そういった力のある子はいたのかい?」

「物質消失の聖譚曲を保有している子がいます。レベル一プラス、十二歳、男子。名前はフブキ、血縁者不明。生まれてまもなく、この教会に捨てられていたそうです。その後十二年間、この教会で育てられています」



 片手に持った資料をめくると、細い指で紙をなぞりながら、読み上げた。

 

 先天的に聖譚曲が発現している子供が、親に捨てられることはよくある話である。ものの分別を覚える前に、感情だけで力を使う赤子をもてあますからだ。そういった子供は教会で預かり、レベルによって学院もしくは隔離施設で育てられる。

 中には聖譚曲は無いが捨てられ、教会に預けられる子供もいた。その子供達も魔法師と同じく教会の保護下で育てられている。

 


「現在、確認できている生存者は五人。全員子供です」



 生存者の数の少なさに、老フーは双眸を閉じた。

 

「当時、建物内には少なくとも三十八人はいたと思われます。内、三十三人は行方不明」

「子供達の様子は」

「外傷は見られませんし、体調も異常無し。但し、精神的ショックからか、全員自失状態ですので、話ができる状態じゃありませんね」



 資料を閉じると、オタカが小首を傾げて見せた。

 綺麗な顔が不愉快そうに歪めると、ちらりと伺うような視線を後方へ送る。

 

「上の人間は、事件を揉み消すことに必死ですよ。魔法師の暴走によって多数が死亡したなんて外部に洩れたら、また、議会が何を言ってくるかわかりませんから。生存者の子供達も、どんな扱いを受けるかわかったものじゃない。事実を聞き出すために、強硬な手段に出かねませんよ」

「彼らの心と尊厳を傷つけることはならない。暴走は本人の意思とは関係なく発生する現象だ。生存者の中に仮に加害者がいるとしても、等しく被害者であることには変わりないのだから」



「上層部の馬鹿が、そう理解していればいいのですけど」と嘲るように肩をすくめて見せた。上質な絹糸のような髪がふわりと揺れた。

  辺りの様子を気にするように視線を巡らせると、一歩老フーに近寄り、その耳元に唇を動かさず囁いた。

 


「未確定の情報ですが、この件に、ソラが巻き込まれるかもしれません」



 ソラ、という名前に、一瞬老フーの瞳が揺らめく。

 が、すぐに動揺は綺麗に消え去り、平静の表情のまま軽く頷いた。

 

 上層部の考えそうなことだ。生存者の子供の記憶を片っ端からソラに探らせようという腹だろう。

 レベル五の聖譚曲を保有する彼女ならば、それが可能だ。

 そのために発生するリスクを考えなければ、事実解明への近道であることに違いない。

 

 しかし、それを彼女が承諾するとは思えなかった。

 

 一見、儚い人形のような外見に騙されがちだが、彼女の矜持はそこらの山よりよっぽど高い。自分にとってどうでも良い相手に対してソラが天使のように優しく従順であるのは、彼らが等しく自分にとって価値がないと思っている所以だと、老フーも兄弟子であるオタカも重々理解していた。

 同じく、そのような価値のない相手に自分の誇りを傷つけられた際の怒りがと恨みが海よりも深くマグマよりもねちっこいこともよくわかっているので、頭の痛い話である。

 コマのように常日頃から反感を全面に出している方が、まだ扱いやすい。

 

 以前、女性蔑視の発言でソラを攻撃した役職者の一人が彼女の怒りを買い、徹底的に過去のトラウマを挙げ連ねられ、精神的に追い詰められ辞職した、という噂が出回った時期があった。

 事実、日頃から老フーと対立していた某役職者が、噂のあった時期に突然辞職したのだが、それにソラが関わっているのかどうか、実際のところは誰も知らない。

 彼女自身、肯定も否定もしなかったのである。

 それがより一層周りの恐怖を引き起こしたのだが。

 

 鼻の頭からずり落ちた眼鏡を押上げながら、老フーがしぱしぱと小さな双眸を瞬かせた。

 


「ありがとう。気をつけておくよ」

「心痛、お察しします」



 口角を持ち上げ、嫣然とした笑みを浮かべながら、オタカが頷いた。

 こういった表情を浮かべる時の彼は、本当に性別がわからなくなる程美しい。

 


「とりあえず、今後この件に関して、スーグラはどのように動くのかな」

「ウチは、三部隊に分かれて事に当たります。現場の警備と生存者を本部へ移送する隊、後は状況把握のための情報収集を行います。先生には移送隊と共に本部へ戻って頂き、生存者の対応をして頂くのが一番か、と」

「君は?」

「アタシは情報収集の隊へ行かされると思います。人当りいいから」



 そう言うと、頬に手を当て、にっこりと微笑んだ。

 昔から変わらない笑みに、思わず老フーも表情を緩める。



「確かに君は、昔から人当りが抜群だったね」

「処世術ですわ、センセ。長い間あの二人のお守りしてたら、誰だって愛想が良くなっちゃう」

「そうだねぇ。あの子達も、昔から君の言うことは素直に聞くからねぇ」

「ヒネてても、根性は腐ってない子達ですから。可愛いものですって」

「君がそう言ってくれることが、どれだけ二人の救いになっていることか…」



 無精ひげの生えた顎を撫ぜながら細めた老フーの双眸に、慈愛の光が満ちる。

 自分の弟子達は、皆が皆、優しく思いやりに溢れる優秀な者であることが、彼にとって何より嬉しく誇りであった。

 

「後、本部から、何人か法師を派遣する手配をお願いします。当面、ここを閉鎖するにあたって、近隣住民のフォローをしなければならないので。教会が封鎖され、いつもの法師がいなくなったことに対して何がしかの憶測が飛び交うことは致し方ありませんが、簡易的な礼拝所を設け対応すれば、多少の緩和はできるでしょう。住民には、法師のみで行うミサを執り行っているので、当面の間、一般人は教会に入ることができないとでも説明しておけば大丈夫じゃないかな、と。お願いできますか?」

「わかった。そちらの手配は僕に任せてくれて構わない。生存者を移送するのはいつになる?」

「今、移送用の馬車の手配をしています。明日の夜までには出発できるでしょう。それまでは、自由にして頂いて構いません」

「なら、もう少しこの近辺の状況確認をしておこう。その後、子供達の様子を見に行く」

「承知しました」



 優雅な動きで綺麗にお辞儀をすると、オタカは踵を返しテントへと戻っていく。途中、部下である団員へ指示を飛ばす。

 忙しなく動き回る人の波を見やりながら、老フーはゆっくりと長く息を吐いた。


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