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箱庭で魔女は謳う  作者: とらじ
7/13

7 洗濯物と義弟 前篇

 ザザはひどく腹を立てていた。

 

 そのせいで、洗濯の仕方がとても乱暴になっていることには気づいている。

 いつもならば丁寧に押し洗う義姉の衣服も、がしがしと勢い良くもみ洗いしてしまう。おかげで、たらいの中の石鹸水があわ立ちすぎて、白い泡が土の上に零れていた。

 

 今日もとても良い天気だ。絶好の洗濯日和なので、朝早くから家中の汚れた衣服、シーツをごっそり抱えて川辺に出た。山のように積み上げた洗濯物は、済んだものから固く絞られ、洗濯籠へ放り込まれていく。

 かれこれ二時間は洗濯している。一人になりたくて、いつもより時間をかけていた。

 


「俺だって、全部、簡単に、納得なんか、できないっての!」



 ゴシ、ゴシ、ゴシ、ゴシ、ゴシーっと言葉に合わせて洗濯板で汚れを落とす。泡だらけの石鹸水が大きく波打った。

 その拍子に、白い泡が彼の褐色の頬に飛んだ。無造作に二の腕で拭い、洗濯を続ける。手を止めるのが嫌だった。

 

 彼が怒っている原因は、義姉のコマと義弟のトールが原因だ。

 

 少し眼を離した隙に末弟がいなくなってしまったのは、昨日の昼過ぎのことだった。義姉の留守中で、義弟四人で留守番をしていた最中だった。

 十五歳の外見に半分の精神年齢のトールが一体どこへ行ってしまったのか、ザザには皆目検討がつかなかった。

 それは他の二人も一緒で。

 

 住んでいるのが王都から少し離れた森の中であるため、家の周りに他の住人などいない。むしろ、野生の獣が多く生息しており、中には危険なものもいる。暮らしていく上で注意すべきことは教え込んでいるが、六歳程度の幼さであるトールがその危険性を理解しているとは思えなかった。無邪気という名の考えなしな普段を思えば、到底信じられない。

 何かに襲われたのか、まさか誰かに攫われたのか。ふわふわと柔らかい金髪に空色の眼をした青年の見目は良い。幼さ故の人懐っこさも相まって、人好きのするトールは、特に女性受けが良い。更に言えば、一部の同性にも受けがよい。

 首に力の制御のための首輪をしているが、愚かな他人がそれに触れないとも考えられない。不安とは、考え始めれば無限に出てくるものである。

飴一つで人さらいにでもついていく、と全員が真っ青になって何時間も探し回った。

 

 何より、義兄弟に何かあったら、義姉が狂ってしまうかもしれない。

 

 森の向こうから黄昏時が夕闇を引き連れてやってくる頃、仕事で王都に出ていた義姉が帰って来た。

 慌てて末弟のことを告げようとした矢先、彼女の後ろからひょっこりと顔を出したのはトールだった。

 


「おれを迎えに、王都まで一人で来ていたんだよ」



 その言葉を聞いた瞬間、ジェノベはそのまま鼻血を吹いて気絶した。

 後頭部からまっすぐ後ろに倒れこんだ彼を、慣れた様子でロキが抱きとめる。義姉至上主義のジェノベは、興奮すると鼻血を吹くクセがあった。ついでに、切羽詰るとリストカットする迷惑なクセもあるが。

 ザザがこの家に引き取られてもうすぐ一年、何度もジェノベが倒れるのを見ているが、噴水のように噴出す鼻血には未だ慣れない。。

 

 が、確かにジェノベも驚いた。まさかトールが一人で王都まで行くなど、予想だにしなかったからだ。未だ寝間着のボタンを掛け違う義弟が、王都までの道のりを知っていたということが俄かに信じられない。

 しかし、一番驚いたのは、トールの言葉だ。

 


「おれね、おれ、ねーちゃをむかえにいって、いっしょ、かえってきたの!」



 にっこりと満面に笑みを浮かべ、悪びれる様子も無く末弟は言い放った。

 その手はしっかりコマと繋いでいる。嬉しいという気持ちを隠しもしない。

 

 最初は呆気にとられた。

 ジェノベを抱えたまま、ロキも呆れ顔だった。

 

 すぐに腹が立ってきた。

 どれだけ心配したと思っているんだ、この馬鹿が、と嫌みの一つでも言ってやろうかと思ったが、寸前で飲み込んだ。

 喧嘩になれば、きっとコマが悲しむ。

 


(…コマ姉も、コマ姉だ…)



 自分達がどれだけトールを心配していたか、全然わかっちゃいない。

 全員、仕事を放りだして、森中を探したのに。

そもそもコマが生業にしている術師という名目の何でも屋は、コマとトール以外の三人が切り盛りしている。近隣の村からあれこれ雑用の手伝いを頼まれるものの、人付き合いも苦手で手先も器用とは言えないコマはどれもうまくこなせない。トールは論外である。

結局、人当たりの良いロキに、手先が器用なジェノベ、真面目に働くザザが分担することとなるのだ。

 それを苦だと思ったことはない。むしろ、家族の役に立てることは嬉しい。

今は教会から生活への補助が出ており、生活費の大部分をその補助金で賄っている。コマがそれを嫌がっているのを知っているから、いずれ教会の金が無くてもやっていけるように、色んなことができるようになりたいと思っている。

自分が稼いだ金で続く生活が永遠であればいいと、そう願う程に。


 

 帰ってきてからの彼女は、ずっと機嫌がよかった。

 口ではトールを諌めていたけれど、末弟が可愛くて仕方がないといった様子で、昨日はよく笑っていた。普段は飲まない酒も、少しだけ楽しんでいた。果実酒を漬けたジェノベを誉めて、いつもより早く寝ると部屋に戻った。

 戻る前、トールの頭を撫ぜていた。

 それにまた腹が立った。

 

 コマのショールを首に巻いてヘラヘラと笑うトールを思い出すと、また胸の下辺りがむかむかとしてきた。

 舌打ちをしながら次の洗濯ものを掴むと、丁度件のショールだったりしたものだから、思わず立ち上がってしまった。

 


「あーっもう!」

「わっ!ごめん!」



 驚いて裏返った声が、後ろから聞こえ、思わず振り返った。

 

 今さっき起きました、といった格好のコマが、そこに立っていた。櫛で梳かれた様子のない赤毛は、好き勝手に跳ねて広がっている。手入れが面倒ならば短くすればいいのに、それは嫌らしい。

 丁度ザザに声でもかけようとしていたのだろうか、不自然に差し出された左手が宙で所在無さげに揺れている。小さい瞳をしぱしぱと瞬かせ、笑おうと顔を歪めるが―――失敗した。

 


「コマ姉…」



 今日は何の用時もない日のはずだ。そんな日は、いつも昼まで寝ているのに。

  どうしたの、と問いかけて、言葉を飲み込んだ。自分が怒っていたことを思い出したからだ。

 ぷいと顔を背けると、洗濯桶の前に座りなおし、桶の中にショールを突っ込んだ。

 

「ザザ」と、後ろでコマが呼ぶ。

 けれど彼は振り返らない。ジャブジャブと洗濯をする水音が荒々しい。

 

 頑なな背中に、コマは小さくため息をついた。

 黒い襟足から、褐色のうなじが見える。黒い肌の上で産毛が逆立っているのがわかる。それが怒っている時のくせであることを、コマはしばらく前に知った。

 やけに落ち着いた青年だとは思っていたが、無表情なだけで、内側に秘めたものは他の義弟同様、かなり起伏があるらしい。それが顔に出るか首筋に出るかの違いなだけ。こちらが気づいてやらなければ、きっと彼は一生それを隠すだろう。

 

 コマはザザの隣に立つと、すとんとその場に座り込んだ。

 隣の義弟を見やると、彼は無表情に手元の洗濯物を見つめている。



 

「ザザ」



 もう一度、彼を呼んだ。



「こっち向いて」



 彼は答えない。

 手を止めようともせず、泡だらけのショールをもみ洗いしている。ほんの一瞬だけ、しっかりとした太い眉が動いた気がした。

 


「ザザ、怒っているだろ」



 膝を抱えるように座り、その上にあごを乗せた状態で軽く首を傾げて見せた。

すると、今度ははっきりと眉を顰める。やっぱり、とコマが呟いた。

 


「いつもより喋んないだろ。何? 何が気に食わないんだ?」



 相変わらずザザは黙ったままだったが、わずかに手の動きがゆっくりになっていた。無表情だった口元が、きゅっと引き結ばれ、俄かに不機嫌が表に現れ始める。それも微かなものだから、きちんと拾ってやらなければ、きっとすぐに消えてしまうだろう。

 見失わないように、コマはじいとザザを見つめる。大切な義弟。できれば、笑っていてほしい。

 


「なぁ、ザザ。黙っていたら、おれはわからないんだ。おれの力はお前を操れても、お前の心は読めないから」

「…別に、何でもない」

「何でもないわけないだろ。何か気に食わないことあるから、そんな顔してるんじゃねぇの? 何? 言って」

「…」

「おれには、言えない?」



 ザザは洗濯をする手を止めたが、やはりむっつりと押し黙ったままだった。

 彼の紅玉の瞳が、じっと手の中のショールを見つめている。洗いすぎて、褪せて薄くなった布地は、泡と水にまみれ、そのまま溶けて消えてしまいそうに思えた。

 

 綺麗な眼、と頭の隅で誰かが囁く声がする。

 少し黒味が強いコマの瞳と違って、ザザは済んだ紅色。似ているけど、全然違う。

 綺麗な、綺麗な、あか。

 まるで、水の中から紅玉を見上げたみたい。奥に少しだけ空の色が見える気がした。


 何か言おうと口を開いたコマは、結局は言葉を飲み込んだ。代わりに両手で自分の頭を抱え込む。

 

「ザザはさ」遠慮がちに彼女は眼を瞬かせた。

 


「おれのこと、嫌いになった?」



 途端、ザザが顔を上げ、コマを見た。

 驚いた顔が怪訝そうに歪み、みるみる感情を失って無表情に変わる。褐色の肌の上で、切れ長の双眸が更に細くなった。


 

「俺が、あんたを、嫌いになる…?」



 地を這うような声色に、コマが跳ねるように顔を上げた。

 ひやり、と空気が変わるのを感じた。三白眼をぱちくりとさせ、相手を見やると、冴え冴えとした紅玉が自分を睨めつけていた。

彼は静かに噛み付く。

 


「何で、そんな発想になるかなぁ…」

「だっ…て、ザザ、全然おれと目を合わせようとしないし…」

「少しでも目を見なければ、嫌いだって思うわけ?」

「で…も、何も言ってくれないし…」

「何でもかんでも話さなきゃ駄目なの? 何それ…。てか、何で全部飛び越えて、嫌いになったとか思うかなぁ!」



 飛び跳ねるように立ち上がった彼を、茫然とした表情のコマの視線が追いかける。 切れ長のザザの双眸が、カッと大きく見開かれ、唇の隙間から食いしばった白い歯が覗く。漏れる呼吸音が、まるで獣の唸り声のようで。

 

「ザザ…」微かに震える声で名前を呼んだ。

 心臓がバクバクと大きな音をさせ、波打つ。頭の裏側が熱い。自分が混乱しているのだとわかったけれど、混乱しているからどうしていいかわからない。馬鹿みたいに呆けた顔で、相手を見上げるしかできなかった。


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