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箱庭で魔女は謳う  作者: とらじ
6/13

6 老フーの頼み

「ご苦労だね」



 不意に背後から声をかけられた。

 聞き覚えのある低音に、緩慢な動作でソラは振り返る。痛む眉間にしわを寄せたまま、それでも笑みを浮かべて見せた。

 


「教授」



 老年の男性が立っていた。もじゃもじゃのくせ毛は栗色だったが、所々白髪が交じっている。顎には無精ひげが生え、くたびれて見えた。

 鼻の上にのった丸眼鏡の奥には垂れ気味の双眸。明るいとび色の瞳が、優しげにソラを見下ろしていた。

 白衣の上に足首まである長いマントを羽織っており、その胸元から肩にかけて金で出来た飾がついていた。

 


「老フー」



 改めて名前を呼ぶと、席を譲るために立ち上がった。

 が、腰を上げた途端に軽い眩暈に襲われる。

 それがわかったのか、立ち上がるのを制するように手を振った。

 


「座っていなさい。まだ侵食酔いが残っている」



 そう言って眼を細め笑んだ。笑うと垂れ目が更に垂れる。

 

 老フーは、教会を取り仕切る十二司祭の一人である。

 十二司祭は、教会内部の各部門の長を勤めており、一般人に対する信仰の場である礼拝堂を司る部門や議会との窓口になる部門等が存在する。

 その中で、聖譚曲(オラトリオ)の研究機関を統括する部門の長を、老フーが務めていた。

 

 彼は、ソラとコマの恩師でもある。

 

 レベル五の侵食型聖譚曲の保有者である二人を、今の状態まで育ててくれたのは、老フーその人だった。

 

 当初、自我は保っているもの、聖譚曲の大きさによる情緒不安定になっていた幼い二人を隔離棟では持て余していた。

 そんな二人を救ってくれたのが、老フーだ。

 当時、彼は未だ十二司祭ではなく、研究機関のただの教授だった。だから未だに二人は彼を「教授」と呼ぶ。侵食型聖譚曲のコントロール方法に関する研究を行っていた彼は、自分の知識の全てを惜しみなく二人に与え、大きすぎる力との付き合い方を教えてくれた。

 結果、今では二人とも人並みの生活を送ることが出来ている。

 

 五年前、十二司祭に空席ができ、老フーの昇進が決まった。

 レベル五の魔法師をうまく飼い慣らしたからだ、と口さがない人が噂していた。悪意にまみれた妬みが、ソラやコマに向けられたこともあったが、気にしたことは無い。

 それが事実だとしても、老フーによって自分たちが救われたことは変わりない真実だからだ。

 

 老フーはゆっくりとした足取りでベッドに近づくと、そこに横たわる主を優しげな瞳で見やった。

 


「収穫はあったかい?」



 小さく首を横に振るソラに、そうか、とだけ呟く。

 

「意識の無い相手に侵食型の聖譚曲を使うのは、とても大変なことだ。君の心身にも負担がかかる。無理はしないように」

「ありがとうございます、教授」



 今度は綺麗に笑みを浮かべながら、ソラが言った。形の良い唇が柔らかく持ち上げられる。花が綻ぶような笑顔は、先程までの張り付いたそれとは違う。

 その頭を大きな手で撫ぜ、にっこりと老フーが微笑む。

 幼い頃から知っているためか、しばしば子供のように扱われる。一体この人には自分がいくつに見えているのだろう、と思うが、彼にそう扱われるのは嫌ではなかった。

 

 それで、と続けてソラが切り出した。

 


「何か御用ですか?わざわざここに来られるなんて」

「いや、なに、コマが来ていると聞いたので、君のところにいるかな、と思ってね。せっかくだから、顔でも見ようかと思ったのだけど」

「残念でしたね、教授。さっきまでいたのですけど」

「入れ違いになってしまったかな」

「可愛いお迎えが来て、帰ってしまいました」



 トールが一人でコマを迎えに来た話しをすると、彼は無精ひげの伸びた顎を撫ぜながら、ふっふと声をあげて笑った。

 


「それはそれは…可愛い話だな」

「本当ですよ。でも、多分、帰ったら大目玉ですけど」

「ロキは怒ったら怖いからね」

「別の意味でジェノベ君も怖いですよ」

「違いない」



 二人で揃って噴出してしまった。白い壁に笑い声が反射し、消えていった。

 

 ふと、眼鏡を押し上げながら、老フーが尋ねた。



「次の“救済”の話は聞いたかね」



 先程とは違い、低く押し殺すような声色に、ソラは改めて相手を見やった。

 一拍おいて、頷く。

 

「明後日だとか」

「コマから?」

「はい」

「あの子は、何て言っていたかな」

「…ひどく怒っていました。痛々しい程に」



 そうか、と短く頷いた。

 

「私が口出しをすべきでないことはわかっています。が、前回から間隔が短すぎませんか」

「それに関しては、僕も君と同じ意見だ。しかし、教会内にも色んな考えの人間がいる」

「実際に傷つくのは、コマです」

「あの子の痛みは、僕の痛みでもある。だが、彼女の痛みを理解できない輩もいるのだ」



 哀しげに双眸を瞬かせる老フーの表情から、ソラは視線を外した。

 清潔なシーツの上に流れる絹糸のような青年の金髪を一房掬い上げると、指先に柔らかな感触を感じた。

 


「君に頼みたいことがある」重い沈黙を破るように、老フーが口を開いた。

 



「明後日の“救済”に立ち会ってほしい」



 驚いたソラが顔を上げた。次いで、怪訝そうに眉を顰め、恩師を見やる。

 


「何のために?」



 極秘事項である「救済」は、教会内でもほんの一部の人間しかその行為を認知していない。立ち会いを行えるのも、研究施設の限られた者だけだ。

 ソラは立場上知っているだけで、今までその場に立ち会ったことは一度も無かった。

 


「今回、僕は立ち会えない」

「そんな…教授がいなかったら、あの場でコマを守れる人が誰もいないじゃないですか!」



 コマに好意的でなく、コマも好意的に思わない人間しかいない中で、使いたくもない力を使わされる。

 針の莚のような場所で。

 

 自分達を見る研究者の視線は、細く鋭い針のようなものだ。

 それは至る所にあって、いつだってソラやコマに針先を向けていた。

 少しでも触れれば身体の内側に突き刺さり、毒のように黒い感情が広がるのだ。

 


「コマは私とは違います!教授がいるから、例え失敗したとしても、何とか自我を保っていられるのに…!」

「僕の地位があの子を守っていることは、十分わかっているつもりだよ。僕がいる場では、君達を害することは誰も出来ない。だけど、今回ばかりは駄目なのだ。司祭長からの指示でね、最重要事項の案件だ」

「最重要事項?」

「一昨日前の夜、ウラファにある教会で爆発があった。聖譚曲の暴走によるものらしいのだが、誰のどんな聖譚曲によるものかはわかっていない。但し、教会および隣接する学院や宿舎は全壊、生存者は今のところ確認されていない」

「全壊って…そんな大規模な暴走は聞いたことがない…」

「僕もだ。基本的にレベル五の魔法師は、本部であるここ、王都に連れて来られるから、ウラファにはそんなに大きな力を持つ魔法師がいるはずがない。なのに、今回の暴走が起きた」

「突然、レベル五に覚醒したとか」

「それはまだわからない。原因がはっきりするまで、このことは伏せられることが決まった。幸い、ウラファの教会は山中にあるため、頻繁に一般人が出入りする、ということがない。が、時間の問題だろう。教会としては、事が公になる前に、原因を突き止めて対策を立てる必要がある」

「対策?事件の公表に関して?」

「そうだ。一番問題なのは、さっき君が言ったように、レベルの低い魔法師が突然レベル五まで力の覚醒をし、暴走してしまう可能性があるかどうか、だ。これが事実であるならば、世論が荒れてしまう」



 老フーの言葉の意味を理解したソラの顔から、さっと血の気が引いたように青くなった。

 


「だから、今回の件は、僕も出張ることになったんだ」

「だったら、“救済”も延期にすれば…」

「それができないから、君にお願いしているのだよ」



 小粒なとび色の双眸が、じっとソラを見つめた。

 思慮深い瞳と視線が重なる。

 こういう眼をしている時の老フーに逆らえないことを、経験からわかっていた。

 

 一度眼を瞬かせると、黒曜石の両目で相手を見上げた。

 


「私が立ち会うことは、きちんと他の方にご説明頂けるのですね」

「もちろんだ。正式に君は僕の代理という立場で立ち会って貰う」

「承知しました」



 そう言うと、深く頭を下げた。


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