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箱庭で魔女は謳う  作者: とらじ
2/13

2 ソラ

「次の”救済”が決まった」



 型通りの嫌味を一通り述べた後、見た目そのもののとがった声で、彼はそう言った。

 


「明後日、いつもの時間に来るように」



 隔離棟の中は、どこもかしこも白い壁で覆われている。

 遠い昔に、聖譚曲(オラトリオ)の暴走を抑える効果のある石が使われているのだと聞いたことがあったが、真偽のほどは定かではない。

 ただ、何もかも拒絶しているかのような鉄壁の白さが、コマは嫌いだった。

 

 事務部長室も、どこもかしこも真っ白な壁。

 逆に調度品は暗い色で揃えてあるため、室内の色合いがちぐはぐに思えた。

 空気すらどこかよそよそしくて、息がしづらい。

 

 事務部長の言葉に答える代わりに、コマは息を止めた。

 無言のまま双眸を伏せた。

 

「返事は」と抑揚のないとがった声が、居心地の悪い室内に響いた。


 言葉を発さず、彼女は視線を上げると、嫌悪感もあらわに相手を睨めつけた。


 しばらくの間、無言の時間が流れた。濃い茶の机の上に置かれた時計の音だけが大きく響いている。

 

 先に沈黙を破ったのは、男だった。薄い唇を細く開き、細いため息をついた。

 


「お前に、拒否する権限はない」



 微かに嘲りを帯びた声に、相対したコマの瞳が大きく見開かれた。

 怒りに満ちた表情に、男は薄笑いを浮かべた。

 


「お前のような魔法師など、本来ならば外部に出すなど持っての他だ。人権を著しく侵害する可能性が高いからな。それを今のように自由にさせているのは、お前が教会に殉ずると誓いをたてている故だ。誓いを破るのであれば」

「そんなこと、言ってねぇだろ」



 怒鳴るように吐き捨てた。


 イラついた視線を事務部長に向けたが、すぐに逸らす。

 全身から噴出しそうになる怒りを飲み込むように、深く深く息を吐いた。

 温度のない笑みを浮かべたまま、男が囁くように言った。

 


「わかっているのであれば、よろしい。では、明後日、いつも通りに」



「いつも通り」という言葉の奥に潜む教会の真意など、よく考えなくてもわかる。


 だが、口には出さない

 今は、込み上げる怒りを押さえ込むことで精一杯だった。

  一刻も早く、この場を立ち去りたい。

 でないと、目の前の痩せた男を殺してしまいそうな気がする

 

 無言のまま一礼すると踵を返し、白い壁に囲まれた部屋から逃げ出すように扉を押した。

 

 




 








 事務部長の顔を思い出すだけで、腸が煮えくり返る思いだった。

  険しい表情で大股に闊歩するコマの姿に、放課後の自由時間を楽しむ学生達が驚いて振り返る。

 今の彼女にとってどうでもいいことだった。

 周りの様子を気にすることすら煩わしい。

 早くこんな場所から出て行きたい。

 

 教会という場所にあるもの全てが呪わしくてならない。

 













 中庭を抜けると目の前に茶色いレンガ造りの建物が見た。


 隔離棟と中庭を挟んで対に建てられている学院だ。出入り口の大きな扉全面に、ステンドグラスがはめ込んである。

 創世神話をモチーフにしたそれは、学院の様々な場所に設置されており、教会の権威の象徴とされていた。朱に変わり始めた日の光に透けてキラキラと光るステンドガラスに、激突しそうな勢いでコマが近づいてく。

 もう少しでぶつかるという直前、内側から扉が開いた。

 

 瞬間、出てきた人物とコマがぶつかりそうになる。

 


「きゃっ!」



 驚きに洩れた相手の悲鳴と同時に、軽く身を引くようにしてコマも足を止めた。おかげで正面衝突だけはせずに済む。

 

「びっくりした…ごめんなさい!」



 扉を開けたのは、裾の長い白衣を首元までかっちりと着込んだ小柄な女性。

 美少女、という言葉がそのまま容になったかのような姿。可憐な花のような彼女は、驚いた表情のまま、ぱちくりとした目でコマを見上げた。


 二人の視線がかち合う。


 瞬間、美しい少女が、呼んだ。



「コマ?」



 甘い砂糖菓子のような声で名前を呼ばれ、コマは目を逸らした。

 並みの人間であれば、見上げる視線と柔い声に、一瞬で心奪われるであろう。

 けれど、コマは違う。への字に口を曲げたまま、何も言わず相手の隣をすり抜けようとする。

 

 その腕を掴まれた。

 


「ちょっと!」

「ソラ、うるさい」



 ぼそりと低く呟かれ、美少女―――ソラがむっとした表情を浮かべた。

 


「うるさいじゃありません。 ひっどい顔して…放っておけるわけないでしょうが」



 掴んだ手に力を込め、ぐいと引いた。無理やり顔を覗き込まれ、コマは眉を顰めた。

 双眸にソラの姿が映りこむ。

 明るい月夜の空のような黒髪に、同じ夜色の瞳。大きな瞳の双眸は、黒曜石のように輝いている。それを縁取る睫毛は長く、目を瞬かせるたびに音がしそうだ。ショートカットの黒髪には、差し込んだ日差しで青黒く艶めいていた。

 陶器のような肌は透けるように白く、まるで丁寧に作り上げられた人形のよう。

 


その容に誰もが心を奪われる―――美しい少女の白い喉元には、黒い首輪がはめられていた。


 

 コマよりも頭一つ分背の低いソラが、形のよい眉をきりりと吊り上げ、彼女を睨めつける。。

 赤い三白眼の中に、ソラの姿が映りこむ。

 それを拒絶するように目を泳がせたのを見て、彼女はコマの腕を引っ張り歩き出した。

 


「ちょっ…放せって!」



 振りほどこうと腕に力を入れたが、彼女の細い腕にどうしてそんな力があるのか、指一本離れない。


 そのままぐいぐいと引きずられるように、中庭へ続く道を歩き出した。

 






 

 

 隔離棟と学院、どちらからも離れた中庭の外れに、湖がある。

 異国のデザインを取り入れたというその湖には、普段、あまり人が近づかない。

 膨大な力を持つ魔法師が聖譚曲を暴走させてこの湖を作ったため湖の水は聖譚曲に汚染されているとか、この湖で魔法師が狂い死んだためその亡霊が出るなど、様々な謂れがあるためだ。

 学院の学生でこの湖に近づくものはいないし、建物から離れすぎているため職員も滅多に近寄らない。

 


 この日も例に違わず人気は無い。

 それをわかった上で、ソラは引っ張ってきたコマを振り返った。

 


「ひどい顔して…そんな顔で帰るつもりですか?」



 ぷいとコマがそっぽを向いた。

 いつも通りの反応に、ソラは小さく息を吐いた。

 


 二人は学院の同期生である。

 同じように学院で学び、時を過ごした。けれども、その関係は、有体な「友達」と呼ばれるものとは少し違っていた。

 


 コマとソラ、二人は共通する性質を持った聖譚曲を身体に保有しており、それ故に周囲には溶け込めないでいた。

 お互いが抱える苦しみが同じものだと知り、相手に対して好意や嫌悪を覚える前に、一緒にいる事を選んだ。相手の容がどんなものであるか、中身がどんな人間であるか。

そんなものは関係なかった。

 薄皮一枚剥いだ内側に抱えている闇が、同じ色をしていたから。


 成長し、周囲との距離を自分なりに理解できた今でも、その腐れ縁は特別な居場所として続いている。

 


 基本的に聖譚曲は、物を動かしたり壊したりと物質への影響型と、自分以外の脳や精神に働きかける侵食型の二つのタイプにわけられる。

 また、聖譚曲の強さによって五段階のレベルでわけられた。


 レベル一は危険度数が低く、普通の人の間で暮らすことに支障がない。

 二以降になると学院で力の制御方法を訓練する必要が出てくる。

 それでも二から三であれば普通に暮らしていくことが可能だ。

 しかし、四以降になると力の制御が難しく、ほぼ全員が教会の支配下に置かれることとなる。

 一般の職につけない変わりに教会に従事することで、生活が保障されるのだ。

 そしてレベル五になると、魔法師の意思よりも力が勝り、完全に制御不能となる。

 レベル五に認定された魔法師はほぼ全員が精神を病み正気を無くすため、抑制装置を首にはめられ隔離棟で一生を送るのだ。

 

 物質型と侵食型はほぼ同じ割合で存在しているが、物質型の社会復帰率に対し、侵食型の社会復帰率はきわめて低い。

 レベルが五に達しない場合でも、精神を病んでしまう場合が大半であることが原因である。

 


 二人が保有する聖譚曲は精神に影響するもの――つまり、他人の心を侵食するタイプの聖譚曲だ。


 コマは意識を保有する全ての生き物の「意思」に干渉することができる聖譚曲を持ち、干渉した相手を意のままに操ることができる。

 ソラは他人の記憶を読み取ることができる聖譚曲を持っていた。

  二人の聖譚曲自体が珍しかったこともあるが、何より教会を驚かせたのは、二人がレベル五であることだった。



 当初、力の暴走は起こすものの、精神障害を発症せず、自我を保っている侵食型はほとんど存在しなかった。

 けれど、幼い少女たちは、強大な力を保有しつつも自我を失わず、意思の疎通が可能であった。それどころか、ある程度、聖譚曲を己の意志で操って見せたのだ。

 故に二人は教会内でも特例として扱われ、同じ教授に師事し、力の制御方法や学院でのカリキュラムを学んだのだ。

 


 その後、教会を嫌っていたコマは、条件付だが外部での生活をは望んだ。

ソラは研究施設に残り教授の助手として侵食型に関する研究を行っている。

 二人とも幼少時に教会に引き取られたため、かれこれ二十年近い付き合いだ。

 そして、お互いがお互いにとって、数少ない理解者でもあった。

 


 未だぶすくれた表情のままのコマの頬を軽く撫ぜながら、ソラがなだめる様に名前を呼んだ。

「コマ」と小首を傾げてみせる。

 それに反応するように、斜め下に落としていた視線をわずかに揺らした。

 


「何があったか大体検討つきますけどね。とにかく、落ち着きなさい」

「…落ち着いている」

「嘘。本当に、ほんっとうに、ひどい顔していますよ?そんな顔して帰ったら”義弟”達がまた大騒ぎするに違いありませんから」



「義弟」という言葉に、コマが顔を上げる。

 熟れ過ぎた果実のような赤い双眸が、押し殺した感情を湛えたままソラを見つめた。

 

 さわさわ、と葉擦れの音がする。

 風が水面を撫ぜて遠くへ消えていった。

 


「教会にきた理由は…”救済”ですか」



 一瞬、コマが息を止めた。

 すぐに細く長く息を吐くと、小さく頷く。

 

「…前に行ったの、一ヶ月前くらいじゃなかったですか?」

「三十八日。たった、三十八日だ」

「間隔が短すぎる…」

「あいつらがちゃんと対象者を選んでいるとは思えない!」



 吐き出すような怒鳴り声は、悲鳴に似ていた。

 コマ独特の掠れ気味の音が静かな湖畔に響く。

 

 同時に、ソラは頭の後ろ側がカッと熱くなるのを感じた。眩暈がするような強い感情が流れ込んでくる。

 振り払うように頭に手をやり、眉を顰めると声を上げた。

 


「ちょっと!」



 抑制装置をはめているとはいえ、コマの聖譚曲は絶大な影響力を持っている。

 特に感情が高ぶった場合、自覚せずに周りの人間の意識に進入してしまう。

 聖譚曲に耐性のない人間であれば、いとも簡単に意志を手放し、自身の主導権をコマへ明け渡してしまうだろう。それを、彼女自身が望まないとしても。

 

 ソラの声に、はっとしてコマが目を見開いた。

 


「わ、るい」



 動揺するように双眸を瞬かせた後、小さく謝った。

 

 頭を軽く振りながら、ソラが頷く。頭から熱さは引いたが、じくじくとした嫌な痛みがまだ残っているように感じた。

 彼女に悪意がないことはわかっていたが、いつまでたっても聖譚曲のコントロールができなくなる程に感情の起伏が激しいことには辟易していた。その素直さは彼女の良さでもあったが、魔法師であるコマにとっては短所になってしまう場合が多いからだ。

 

 もう一度、頭を軽く撫ぜると、黒曜石の瞳でコマを見やった。

 

 雲ひとつない塗ったような青い空と、それを映した湖。遠くに夕暮れ色が近づいて来るのが見える。木々の緑は深い。

 その中にゆらりと立ち尽くす赤毛は、怒りを含んだ憂いの表情を浮かべ、男とも女とも見えた。

 水面を渡っていく風が、身体に巻きつけたショールを翻して遊ぶ。

 

 その姿は、まるで罪人のようで。

 


(違う)



 彼女に負うべき罪などない。

 

 どちらかと言えば、彼女は殉教者だ。

 信じてもいない神に殉ずる者。

 

 本当に罪を負うべき者は別にいると言うのに、その全てをコマが背負っている。


 

「何が”救済”だ…」



 何度も洗って薄くなったショールの裾を握り締め、コマが唇を噛んだ。


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