042.私の知らない世界の常識みたいです。
それにしても困ったことになった。
激しく降りしきる雨の音が私の『反響定位』をまともに機能させてくれなくなってる。
これじゃ音で地形を把握するのは相当に難しく、今の私の能力では不可能なんじゃないかな。
それでも今日は先を急いでいるらしいので『反響定位』なしで探査蝙蝠を飛ばすしかない。
ただ昨日と違って探査蝙蝠に樹々を避けさせる際に糸を枝分かれさせるなどの余計な手間をかける必要がなく、魔力消費の負担は軽いはず。
私は今日も一日がんばろうと自分の頬を両手でぺちぺちと叩いて気付ていると扉が開かれた。
どうやらステヴィアさんが戻って来たらしい。
扉口に目を向けると若葉色のレインコートを着たステヴィアさんが、背後の景色が白むくらいに激しい雨から逃れるように室内に入って来る。
雨で張り付いた髪を指先で軽く整えてからステヴィアさんは「おはようございます」と言った。
「おはよう、ステヴィアさん」
「アン、すぐに支度を。河辺の様子を確かめに行ってたのですが、かなりまずい状況になってきましたので」
「あ、うん。わかった」
そんなやり取りをしているとノックされ、ちょっとだけ扉が開かれてクミンさんが顔を見せた。
「『直感』してたより状況がよくないんでな、急いでくれ」
「はい、すぐに出ます」
私が卵とロディを背負うとステヴィアさんが黄色いレインコートと雨靴を渡してくれた。
渡されたレインコートはかなり丈が長く、ロディ達を覆い隠すように羽織っても問題ないくらいだった。
雨靴にはこれまで履いていた靴に使われてた『疲労回復』効果が付与された中敷を入れ、履く。
中敷を入れた状態で雨靴のサイズはぴったりになり、元々それを想定して造られたもののようだった。
「準備完了です。出ましょう」
「はい」
外に出ると地面は既に雨で泥濘んでいて一歩踏み出した瞬間に普通に歩くのさえ困難だと感じさせた。
「お待たせしました」
雨音に声を掻き消されぬように気持ち大きめに声を出し、緑豊かな森の中でよく映える真っ赤なレインコートを羽織ったクミンさんに頭を下げる。
クミンさんは気にするなとばかりに手をひらひらとさせてから今日進む予定の方角を真っ直ぐに指し示す。
「早速、あの蝙蝠飛ばして貰えるか」
「わかりました」
私は探査蝙蝠を出し、撮影した映像を3人がリアルタイムで見れるように実家のリビングにあった4Kテレビくらいの表示画面を呼び出して糸で繋ぐ。
その際、今まで感じたことない抵抗感のようなものがあり、魔力がこれまでの倍くらい持っていかれているような感覚を得た。
雨で空気が掻き回されてるから魔法を維持するのに普段以上に魔力が必要になっちゃってるのかもしれない。
「雨の影響で撮影してる映像そのものが霞んでよく見えないですね」
「ここは拓けてるからそうなっちまってるが、森に入りゃ樹々が傘がわりになるだろうし、多少はマシになるんじゃねぇか」
「かも知れないですね。それじゃ、先行させます」
「頼んだ」
先行させた探査蝙蝠が森に入ると少なからず抵抗感が薄れ、魔法を維持するのが楽になる。
それでも私は魔法が消えぬように維持するのに手一杯で私自身は映像を確認してる余裕はない。
だけれど耳に入ってくるふたりの会話から映し出されている映像がかなり暗いことだけはわかった。
早朝、それも荒天の森なのだから当然といえば当然かもしれない。
でも、そこはステヴィアさんの『暗視』のお陰でどうにかなっていたらしく、ステヴィアさんとクミンさんは絶えず言葉を交わしながら私に適宜指示を出していた。
出発から数時間経ち、雷鳴が私達のいる場所へとどんどんと近付いて来ている。
それは別に問題ないというか、嵐の中を歩いてるってシチュエーションは、ちっちゃい頃に台風の風で空飛べないかなって大人用の傘持って家から飛び出そうとして怒られたときのことを思い出してなんだか懐かしくなって思わず頰が緩んでいた。
でも、それはあくまでも私の世界でのことであって、ここは私の知ってる世界じゃないんだと直後に思い知らされることになった。
付近に落雷し、耳をつんざく音とまばゆい光に頭がくらりとする。
落雷を受けたらしい樹がメキメキと音を立てながら裂けて倒れた。
瞬間、空気が張り詰めて私以外のふたりからピリピリととした気配が放たれる。
ふたりは足を止め、そのまま先に進もうとしていた私を手で制す。
その様子から余程危険な何かが近付きつつあるのだと察したけれど聞かずにはいられなかった。
「どうしたんです?」
「雷獣だ」
「雷獣?」
「対処後に説明致しますので、今は息を潜めてください」
魔物の解説が大好きなステヴィアさんに言われ、息を潜めて押し黙る。
すると落雷した方向からバチバチと光を放つ6本足の獣が1頭のそりのそりと歩み寄って来ていた。
その姿はふたりが口にしていた名前通りに雷が獣の形を成したかのような威容をしていた。
やがて雷獣は私達と対峙すると足を止め、吼える。
雷獣の吼え声は、今朝から何度となく耳にしていた雷鳴そのものだった。




