001.もしかして死んじゃいました?
犬にお尻を噛まれた。
これだけで済んでいれば笑い話に出来たんだけど、私の場合そうもいかなかったんだよね。
リードも繋がずに散歩させてやがったおばさんの小型犬が狂犬病のキャリアだったとかマジで笑えない。
どこで貰ってきたのさ、そのウイルス。
コウモリとか?
でもね、そのおばさんがちょっとアレな思想に傾倒してたみたいで飼ってたお犬様にワクチン接種させてなかったみたいなんだよね。
いや、ホント笑えない。
私もね、すぐに病院行って検査してればよかったのかも知れないんだけどさ噛まれたのがお尻だってこともあって恥ずかしかったのさ。
思春期真っ盛りなお年頃だったからね。
それに小型犬だってこともあってそこまでひどい噛み傷ってわけでもなかったからさ。
にしてもさ、なんで噛むかなお尻を。
わざわざスカートの中に潜り込んでまでさ。
もしかしてお犬くんそういう性癖だったの?
でも、2度目はないよ。
そのことがあってからはスカート履かなくなったからね、私。
その日から大体2ヶ月くらいだったかな、普通に過ごしてたのは。
そんである日さ、水を飲むだけでひどく喉が痛むようになったり、陽射しが辛くて日中野外でまともに出歩いたり出来なくなったりしてね。
思ったね、ついに覚醒したかって。
私の前世が実は吸血鬼で魂がかつての能力取り戻しかけてるんじゃないかってね。
ちょうどハマってたんだ、その手の漫画にさ。
実際のところは狂犬病だったんだけどね。
症状の出始めは部屋でこっそり吸血鬼ロールプレイなんてしてたんだけど、そうも言ってられない状態に陥って即行で救急車で搬送されたんだ。
初めて乗ったよ、救急車。
乗ってたときの記憶とかおぼろげなんだけどね。
そんで検査やら何やらの結果、病名が発覚したときには時既に遅しってな感じで死にました。
はい、死んじゃいました。
泣けてくるね。
でも、終わったものは仕方がない。
仕方がないが、何で死んだはずの私がこんなこと考えてたかって言うと意識があったからなんだよね。
正直さ、あの世みたいなもの信じてたんだよね。
だけど実際は真っ暗で何にもない。
というか狭苦しいくらいだよ。
なんだか箱に押し込められてるみたいな感覚でさ。
とまぁ、そんなことを考えていたんだけど、ふと思ったのさ。
実は私死んでない? ってね。
意識もはっきりしてるし、もしかして奇跡的に生き返っちゃいましたかね、これは。
となると今私が押し込められてるのって棺桶の中だったりするんじゃないの?
そう思って手を動かしてみるとこつんっと何かにぶつかったわけですよ。
そこからペタペタとあちこち触ってみて確信したね、ここは棺桶の中だって。
だとするとヤバくないですかね。
これから火葬されちゃうんじゃないの、これ。
周りから人の声とは聞こえてこないし、人の気配もないもん。
待って待ってちょっと待って、このまま行ったら私都市伝説になっちゃうよ。
火葬の最中に蘇って、炉の中から何かを叩く音とか人の声がしたって感じのさ。
今すぐ脱出しないと生きたまま焼かれるという地獄を味わうことになっちゃうでしょ。
焼け死ぬなんてゴメンだよ。
火事場の馬鹿力でも何でもいいから発揮してくれ私の身体。
蘇ったばっかりで力が入るかわかんなかったけど、とにかく力任せに棺の蓋を突き飛ばした。
するとがっちり締められてると思ってた蓋は、あっさりと撥ね飛んで派手な音を盛大に響かせた。
蓋が消えて私の視界に入ってきたのは見慣れない天井。
何というか、やっちゃった感いっぱいだったよね。
かなりヤバい音がしたので戦々恐々としながら押し込められていた箱から起き上がり、きょろきょろと辺りを見回すと笑えないことになっていた。
私の撥ね飛ばした頑丈そうな蓋はお高そうな調度品の数々を無残な姿に変貌させちゃってた。
一瞬、思考がフリーズしちゃってたけど、よくよく考えてみると変だよね。
何で棺桶がこんなハイソサイエチーなお部屋にあるの。
余りにも現実感なさすぎるし、これは夢?
いやいや、貧乏性で貧困な発想力しかない私にこんな高級感溢れる部屋なんて想像出来るわけないじゃん。
実はここがホントのあの世だったりするのかな?
なんて悠長に考えてないでぶっ壊した部屋のモノどうにかしないとマズイよね。
月1500円ぽっちの私のお小遣いじゃ絶対弁償出来ないよ、こんなの。
いっそのこと黙って逃げる?
いやでもどうにか弁明する機会を得られれば、私のしょぼい経済状況から多少便宜を図って貰えたりは……しないよね。
ここはやっぱり逃げよう。
なんかいろいろ考えてみたら変だもん、この状況。
だって部屋のど真ん中に死体が入ってた棺桶だよ。
まさかとは思うけど死体泥棒?
それとも死体の私がお買い上げされちゃったとか?
ちょっとバカバカしいかなと思ったけど自分が今着てる服に気付いて考えを改めたね。
だってさ、お高そうな西洋のお人形さんが着てるっぽいフリフリの服に着せ替えられてんだもん。
世の中いろんな性癖の人が居るって聞くし、これでも私はうら若い乙女だから死体の女の子しか愛せないヤバめの人に目を付けられたのかも。
もしそうだったら私が生き返ったって知ったら殺されちゃうよね、絶対。
よし、逃げよう。
私は棺桶から抜け出そうとしてスカートの裾を角に引っ掛けて、ビリビリと盛大に破いてしまう。
太腿が見えるくらいまで破けちゃって心許なさがハンパない。
着替えたいところだけど一刻も早く逃げないとヤバそうだし、この部屋のクローゼットあさってる暇なんてない。
私は足音を立てないよう靴を脱ぎかけたけど、床には厚手の絨毯が敷かれてて大丈夫そうだったのでそのまま履いておくとにした。
野外に出るとき裸足じゃツライからね。
そろりそろりとドアに近付き、ドアノブに手をかける。
で案の定掛かってました、鍵。
当然ですよね、はい。
一旦ドアの前から離れて窓から部屋の外を確かめる。
窓から見えたのは2階とか3階から眺めた庭先とかではなく、崖。
窓を開けて身を乗り出して左右を見渡してわかったんだけど、この部屋って崖に埋もれてるというか、岩壁をくり抜いて造られてるっぽい。
これもう詰んでない?
というかここどこの国?
TVでも見たことないよ、こんなの。
てな具合に大混乱に陥った私を追い立てるようにカチャリと鍵を開けられる音がする。
私はカチコチに硬直したままゆっくりと押し開かれるドアを見詰めていることしか出来ない。
やがて開かれたドアの向こうから姿を見せたのは青みがかった黒髪ショートボブのメイドさんだった。
どことなく清楚な雰囲気を漂わせる彼女は私の姿を目にすると薄く笑みを浮かべ、落ち着いた涼やかな声で端的に告げた。
「おはようございます、お嬢さま」