第八話 臨界点
女子は恋の話が大好きだ。
女子グループに入るようになって、瑞希はつくづくそれを実感した。
そしてなんだかんだ言ってその話題に耳を傾けてしまう自分も、その女子の一人なのだとも。
「ねぇ、この学校で誰が一番カッコいいと思う?」
誰かが切り出した話題に、その場の女子全員が食いついた。
「えー、3年の林先輩じゃん?やっぱ」
「マジ―?戸塚先輩もワイルドでカッコイイよー!バスケのエースだし」
「宮下先生も良くない?まだ24だし」
「えー先生!?やばー、危険な恋の香りー」
新しい名前が挙がるたび、キャハハっと女子特有の甲高い歓声が上がる。
(すごいなー皆テンション高……)
そんな会話が目の前で繰り広げられても、瑞希は面食らって上手く入って行けず、聞き役に徹していた。
「じゃあ1年だったら?」
また誰かが問いかけた。
「そりゃ断然5組の斎君でしょ!」
間髪入れず、誰かがきっぱりと言い切った。
「あーね!あの子はちょっと他と一線画してるよね!格が違うって言うか。顔ちょー整ってるし、線細いし、王子様みたい!」
「中性的でさーなんかすごい色気あるんだよねー!そんでちょっと謎めいてるとこも魅力って言うか」
「謎めいてるって言えば、斎君あの葦原崗神社の神主の息子だってよ!実家金持ち!」
「えーマジ!?やばー!その神社縁結びで有名じゃん!えー神様に斎君との縁結びお願いしよっかなー」
「キャハハ、あんたじゃ門前払いされるよ」
「ちょ、どういう意味―!?」
熱気が教室中に広がるほど盛り上がるクラスメイト達。相変わらず瑞希は「へー」とか「そうなんだー」という相槌を打つので精いっぱいだった。
「あ、じゃあうちのクラスなら?あたし、カノジョいるけど片山君とかイケてると思うんだけど」
ドクン、と心臓が跳ねた。
「同クラなら片山君だよねー野球部のエースで硬派な感じがいいー!」
「えーあたしなら町田君かなーちょっと軽いけど」
「やーやっぱ片山君でしょ。カノジョ一筋なのも好感持てるし」
女子達が悠人の名前を出すたびに、瑞希は言い知れぬ居心地の悪さを感じた。
(やだな……この空気、抜けたい)
このままここにいてはいけない、と直感的に感じた。
「あ、新倉さん、片山君と幼馴染で仲良かったよね。前から片山君ってカッコよかった?」
「そうだそうだ、新倉さんは片山君どう思う?」
「そういやカノジョ出来てからつるまなくなったよねー、ぶっちゃけ好きだったとか?」
突然に自分に向けられた複数の視線に、瑞希はビクッと身を固くした。嫌な予感が的中した。彼女らに悪気はないのは分かっている。でもこの話題は、今の自分にはきつすぎる。
「ハ、ハハ、ないないー。あたしにとって悠人は異性って感じじゃないもん。ただの友達!悠人がカッコいいかどうかなんて、考えたこともなかったよ!」
「えーじゃあもしかして、新倉さん初恋もまだなんじゃん?」
「ま、まぁ、よくわかんなかったし」
「かっわいー!でも駄目だよ!高校生なんだから、恋しなきゃ!青春って短いんだよ!?」
「う、うん?」
「ぶっちゃけ、片山君と新倉さんって付き合ってるんだと最初思ってたし!てか付き合っちゃえば良かったのに!」
「キャハハっ、ほんとにー!」
他人の恋愛事情は蜜の味、とでも言うかのようにずけずけと踏み込んで来る彼女らに、瑞希は限界だった。
「だからっ!悠人はそんなんじゃねーし!あいつとカレカノなんて、まじ気色悪いから!!」
瑞希のその発言と、ガラッと教室の引き戸が同時に開けられた音が重なった。
運悪く、入って来たのは、話題の張本人、悠人だった。
「……」
悠人は一瞬噂をしていた女子を冷たく一瞥し、何事もなかったかのように自分の席に移動した。
「だよなー、俺も同感だわ。俺もお前だけはナイわ」
抑揚なく告げられたその言葉は、瑞希の頭から離れることはなかった。
(ダメ押しすることないじゃん……)
放課後、瑞希は昼間の悠人の言葉を思い出しながら校内を一人歩いていた。
何度もかき消そうとしても、気分を変えようとしてもすぐにまたぐるぐると同じことを考えてしまう。
もう、分かり切っていることなのに。とっくにきっぱり言われているのに。
今更、同じことで傷つく必要なんて、どこにもないのに。
いつまでも女々しく引きずってしまう自分が、一番嫌だ。こんな日はさっさと帰って、寝てしまうに限る。
一人で下駄箱のある正面玄関に向かっていると、後ろから近づいて来る足音が聞こえた。
「瑞希、お前一人?途中まで一緒に帰ろーぜ」
「……カズ?」
以前つるんでいた同じクラスの男子グループの一人、町田 和明だった。
「なんで?お前、JRだろ。方向逆じゃん」
怪訝な顔して突っぱねると、和明は瑞希の腕を掴んで引き止めた。
「そう言うなよ、最近お前、付き合い悪いじゃん。全然俺らのグループに入って来なくなって女子とばかりいんじゃん」
しつこく絡んで来る和明に、瑞希は苛立ちを隠せなかった。
「うるさいな、あたしは女なんだから、女子といてもいーだろ。ほっとけよ!」
勢いよく手を払いのけ、瑞希はさっさと靴を履き替えようと自分の下駄箱を開ける。その時。
ダンっ、という音が顔の真横でしたかと思うと、耳元に何かが近付いて来た。
「そうだよな……お前、最近雰囲気変わったよな。俺、今のお前ちょっといいなって思ってんだよ。丁度お互い相手もいねーし俺達、付き合わねぇ?」
首元にかかる吐息とは逆側の腕を、ざわっと撫でられ、瑞希は全身が総毛立つのを感じた。
「や、やだっ!放せよっ!!」
反射的に和明の体を突き飛ばし、瑞希は上履きのまま校舎を飛び出した。
―――正直、気持ち悪いと思った。
ほんの1週間前まで自分のことを他の男友達と同列で扱っていた男子が、自分が少し輪を離れただけで異性として見て来る。そんなこと、想像もしなかった。
女子扱いされたこと、恋愛対象として見られたことへの嬉しさよりも、変化への戸惑いの方がずっと大きかった。
めまぐるしく変わる周囲の環境についていけない。
『もうミズちゃんもお年頃なんだから、スキンケアくらいしなきゃ!』
『恋しなきゃ!青春って短いんだよ!?』
『丁度お互い相手もいねーし俺達、付き合わねぇ?』
(皆みんな、勝手な価値観ばかり押し付けて来る……あたしは、自分のことだけで手一杯なのに!)
そうだ、長年の片想いに終止符が打たれてまだ、1週間とちょっとしか経ってないのだ。心の傷だって、全然癒えていない。すぐに気持ちを切り替えるなんて、到底無理な話だ。
和明に追って来られないように、瑞希はわざと裏門の方に回った。普段は閉められているため、生徒の出入りは禁止されているが、門はそれほどの高さではなく実際は飛び越えるのは難しくない。バス停のある裏の道にも近道だ。
そう思って、体育館を通り過ぎた時、女の子の甘ったるい笑い声が耳に飛び込んで来た。
「ふふ、悠人君、おかしい……!」
無意識にその声の方に顔を向けると、体育館横のベンチに隣り合って座っている男女がいた。校舎と逆の位置の死角になるこの場所は、カップルが人目を盗んで会うのに格好のエリアだった。
瑞希に丁度背を向けて座っている男子生徒の姿を見て、瑞希は心臓が揺さぶられるほどの衝撃を受けた。
(悠人……野球の練習もしないで、何やってんだよ……!)
間違いようもない、物心つく前からずっと一緒に育って来た、初恋の相手だ。そして、その向かいに座っているのは……。
(川口、さん)
二人は、瑞希の存在にも気付かずに和やかに会話を続けている。
「そうかなー……、ごめん、俺、そういうのまだ疎くて」
何の話題をしているのだろうか、悠人は照れたように頭を掻いている。その口調は、瑞希には決して向けられたことのない、柔らかなものだった。
(『カノジョ』に対しては、こんな優しい声で話しかけるんだ……)
ドクドク、と心臓が早鐘を打つ。
早く、早く、この場を離れなければ。
なのに、足が動かない。
(……あっ……!)
向かい側に座っている少女と、目が合った、ような気がした。
杏奈の顔が一瞬真顔になる。そして、にこり、と満面の笑みを浮かべた。
「ねぇ、悠人君……キス、してくれる?」
「……え?い、今?」
悠人の戸惑ったような声が聞こえた。
「うん、誰もいないし、ね、いいでしょ?……してくれないなら、私からしようかな」
言い終わるが早いか、杏奈の両腕が悠人の首に回されるのが見えた。
わざとらしく、唇が触れ合う音が辺りに響き、悠人の肩越しに勝ち誇ったように目を細めて笑う少女の顔が見えた。
―――次の瞬間、瑞希は走り出していた。
カァッと全身が熱い。それが怒りなのか、羞恥なのか、他人の睦み合う光景を盗み見た罪悪感からなのか、それともそのどれもなのか、瑞希には分からない。
まるで、頭まで沸騰しているみたいだ。視界が歪み過ぎて、前が見えない。
胸が苦しい。今までで一番。今にも張り裂けてしまいそうだ。
(もう駄目だ……苦しくて、耐えられない)
頭の中がごちゃごちゃして、何一つ冷静に考えられない。
(いらないのは、あたしの心……悠人を好きな、恋心)