第七話 女の子
女子のグループに入ってみて気付いたのだが、女子は女子で会話の内容が結構えぐい。
初体験はいつしたか、だとか、誰と誰が付き合っているが、また別の誰かが寝取ったらしい、だとか、果ては誰ちゃんのカレシのテクニックはしょぼい、なんて話を平気でする子もいる。とはいえ、もちろん程度は人それぞれで進んでいる子もいれば、そうでない子もいるものである。
なまじ中途半端に異性のグループに混ざっていた瑞希は、自分が両方からの治外法権にいてそういった話題に触れて来ていなかったのだと知った。
翠と茜は、同クラスの女子の中でも比較的大人しく目立たないタイプだったため、女子と遊ぶ経験の浅い瑞希には刺激が少なく、有り難かった。
「ミズちゃんジャニーズなら誰推し?」
「え、あたしアイドルとかよく分かんない」
「じゃあマンガは?少女マンガ読む?」
「え、と、ジャンプなら」
翠達のグループに入ってからは、瑞希はたまに放課後も教室に残って3人で喋るようになっていた。出身校も違い、住んでいる地域も違う二人とは学校にいる時間がコミュニケーションをとれる貴重な機会だった。
予想通り、少年マンガしか読まない瑞希に翠は「あーやっぱりかー」と頭を抱えた。
何故か最近、翠から瑞希の女の子度チェックがちょくちょく入る。根っからの乙女気質だと公言している翠は、特異なキャラクターの瑞希に興味津々といった様子だ。
「翠はマンガだけじゃなく乙女ゲームも好きだよねー、いつも推しの誰誰のセリフ最高!とか言ってるじゃん」
そんな二人のやりとりを面白がっている様子の、少し大人びたお姉さんタイプの茜がいつも突っ込みをいれるのだ。
「もう!茜ちゃん、いきなりそんなディープなのはミズちゃんにはいいの!ねね、ミズちゃん、スキンケアとかはしてる?いつもどこの化粧水と乳液使ってる?」
「す、スキンケア?」
「もしかして洗顔だけ?駄目だよ、もうミズちゃんもお年頃なんだから、スキンケアくらいしなきゃ!」
「そういうの、全然分かんない……」
翠はおもむろに自分の通学カバンからいくつもの雑誌を取り出した。セブンティーン、ニコラ、メル、ノンノetc……
「み、翠よくこんな何冊も持ち歩いてんね。重くない?」
茜が呆れた様子で机に並べられた雑誌類に視線を落とした。
「重くない!ファッション研究はたゆまぬ毎日の積み重ねから!」
謎の力説をしたあと翠はパラパラと雑誌をめくり始め、スキンケア特集を開き始めた。
「ねね、ミズちゃん、見てみて。このブランドはアイドルのミサキちゃんがCMしてるやつで、今めっちゃ人気あるんだよ。これは美白になるやつで、こっちはモチプルになる成分が入っててー、プチプラならこれがおススメ!ドラッグストアに売ってるヤツなら断然これがいい!あ、あとねー乾燥肌には……」
一人でヒートアップしていつにないマシンガントークでスキンケア用品のプレゼンを始めた翠に、瑞希は思わずたじろいでしまう。
「……み、翠、ごめん、情報量多すぎて付いて行けない……」
辟易した様子で瑞希がごめん、と両手を顔の前で合わせると、ハッと翠は我に返ったようだった。
「あ、ごめんごめん!そうだよね、ミズちゃんはまだビギナーだもんね。……うん、分かったちょっとずつね」
少し残念そうに苦笑いしつつ、翠は暴走したことを詫びた。
「うん、ごめん、あたしのために紹介してくれてんのは分かってんだけど」
「いいよいいよー、そうだ、ミズちゃんリップは?リップは使う?」
「え?……薬用リップなら、たまに使うけど」
ハッと思い出したように話題を変えた翠は、再びゴソゴソと自分のカバンを探り始めた。
「じゃーん!」、と取り出したのは、ドラッグストアの紙袋にまだ入ったままの小さなプラスチックの丸いケースだった。中に薄いピンクのジェリーのようなものが入っている。
「これ、今流行りのリップバーム!これなら薄付きだし、香りもいいし、ミズちゃんも使えるでしょ?あげる!」
「え、でもこれ未開封じゃん、悪いよ……」
「いいよいいよー!友達記念にあげる!」
グイっと押し付けられたその小さなケースを、瑞希はぎこちなく見つめてみた。たしかに、これならそんなに抵抗なく使えるかもしれない。
「ね、開けてみて」
「そうだよ、ミズ、つけてみてよ」
二人に促され、瑞希はケースについたままのビニールの包装をはがし、開けてみた。
「これはね、小指の先に少しつけて塗るんだよ」
そう促され、ちょっとだけ小指にそのジェリーを取ってみる。ぷるん、とした感触が伝わって来る。
恐々と唇にのせると、二人がわあーと歓声を上げる。
「ほら見て、リップ塗るだけで全然違うよ!気分上がるでしょ?」
そう翠に手鏡を差し出されて中を見ると、ほんの少し色づいた唇と、上気した頬。
いつもの自分の顔なのに、どこか違う。女の子な自分。
言われた通り、ちょっと、わくわくしているかもしれない。
「ね?ちょっとずつお手入れもメイクも覚えて行こうね!」
「う、うん」
にっこり笑った二人に、何だか照れくささを感じつつも瑞希は嬉しい気持ちが広がるのを隠せなかった。
(初めてのコスメ……女の子の持ち物……)
―――それから一週間ほどが経ち、最初は瑞希の変化に好奇の目で遠巻きに見守っていたクラスメイトも、主に女子を中心に少しずつ新たな人間関係が瑞希の周りを形成して行った。
以前はどう見ても男女としか言いようのなかった瑞希が、翠達と関わるようになって少しずつ雰囲気を変えることに、興味を持つ別の女生徒も現れ始めたのだ。
女友達が増えて行くのは瑞希にとって歓迎すべきことではあったが、中にはまるで動物実験宜しく、瑞希に急な変化を求めて来る子もいて、同時にそれは悩みの種でもあった。
「ほらほら、新倉さん、元は良いんだから、眉とか前髪整えよ!ぐっと可愛くなるよ!」
「スカート長いよ!もっと腰のところで折ってさ、脚出してさ。あ、シャツも上の二つのボタンははずそ!」
「ムダ毛処理してる?カミソリもいいけど、今あそこのエステ割引キャンペーンしてるよ!」
「ねぇねぇ、ちょっとメイクもしてみない?大丈夫大丈夫、アイライン引いてリップとチークするくらいだし!」
女子トイレに入るたび、クラスメイトに遭遇するとこんな風に囲まれて、いいように遊ばれてしまうのだ。
「ちょ、ちょっと……!ま、まだ、そういうの、よくわかんないから!」
いつものように散々いじられて、ようやく瑞希はからがらトイレから脱出する。
(あー、もう、トイレ行くだけでこれは参るなぁ。生理前でイライラもしてるし、お腹もいてーし……)
鈍い痛みをこらえ、下腹部をさすりながら瑞希は廊下に出た。
すると、トイレの前で同級生と喋っている男子生徒の一人と目が合った。
(悠人……!)
悠人だった。以前瑞希もよくグループに混ざっていた、男友達の一人和明と一緒だ。
今さっき、クラスメイトに無理やりされたメイクを悠人に見られるのが気恥ずかしく、瑞希はすぐに顔を背けた。
「悠人、あれ、瑞希じゃね?すげー、見ろよ女装してる!」
「別にどうでもいい」
「ええ?でも結構……」
「ほっとけよ」
そんな会話を背後に聞きながら、瑞希は唇を噛みしめる。ちくん、と胸の奥が痛んだ。
教室の自分の席に戻ると、瑞希は机に突っ伏してまた下腹部を押さえていた。
(あー、やばー結構今回重いなー)
元々瑞希は他の女子と比較しても生理の体への影響が大きい方だった。周期は正確だが、生理になる1週間前から痛みが始まり、酷い時には立っているのも辛いくらいだ。
(やばい、薬、保健室でもらおっかなー……)
その時、コン、という軽い音と振動が机越しに伝わって来た。
「……?」
起き上がると、心配そうな翠が机の横に立っていた。
「大丈夫?ミズちゃん。お腹痛いの?」
見ると、翠が瑞希の机に鎮痛剤と水を差し出してくれていた。
「翠……ありがと」
薬と水のペットボトルを受け取り、瑞希は一気に飲んだ。まだ効果が出てくるまで時間がかかるだろうが、精神的に少し楽になった。
「ごめん、これ、翠の?いくら?」
代金を返そうと、瑞希がカバンに手を伸ばすと、翠の困惑したような声が制止した。
「あ、いいの。っていうか、私からじゃないから」
「……え?」
翠が何か言いにくそうに、視線を逸らす。
「……黙っててって言われたんだけど、それ、片山君から」
「……は?」
「ミズちゃん具合悪そうだから、持ってってやってって……」
そう言われて、瑞希は手元の鎮痛剤に視線を落とした。なんてことは無い、普通の市販薬だ。だが、それは昔から生理の重いことを知っている悠人が、瑞希が腹痛を起こすたびに差し出してくれる特別な銘柄でもあった。
瑞希は思わず悠人の席の方に視線を向けた。しかし、当の本人は背中を向けたまま別のクラスメイトと喋っている。
(何だよ……どういうつもりだよ、悠人)
突き放したり、優しくしたり、意味が分からない。
この胸の痛みを、どうしてくれるんだ。