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第五話 タイム・オーバー

 

 瑞希達の通う高校から歩いて20分くらいの距離にある、書店兼ゲームセンターは学生達のたまり場と化していた。


 定番のUFOキャッチャーや、プリントシール機、メダルゲーム機などの中から、瑞希と悠人は太鼓を叩くリズムゲームや、シューティングゲームに興じていた。


 「あっ……くそっ、悠人、ちゃんとアシストしろよ!こっちがダメージ食らっちゃったじゃん!」

 「わり!俺の方にもゾンビ来てて!」


 画面の中のゾンビ目掛けて手に持ったプラスチックのマシンガンの引き金を引く。同時にガガガガッと言う小気味の良い音がマシンから聞こえて来た。


 横を見ると、同じようにマシンガンを構えた悠人が真剣に画面に向けて引き金を引いている。二人のピタリと息の合った連携で、簡単にラストステージまで進んだ。


 「やっぱ楽しーな」

 

 悠人がしみじみと呟いた。


 「……え?」


 瑞希は思わず横に目線を向けた。


 「やっぱり、瑞希と遊ぶのが、一番楽しーわ。だってお前が一番、俺の好きなモン分かってるし、気ぃ遣う必要ないし」


 (お前が一番……)


 瑞希は心の中で反芻して、耳まで熱を帯びてくるのを感じた。


 「あ、当たり前だろ。何年親友やってると思ってんだよ!」


 赤面した顔を誤魔化すように、瑞希はマシンガンを持つ両手を高く上げた。だがその耳は「だよな」と悠人が笑いながらこぼすのを聞き洩らさなかった。


 実を言うと、自分達がこうやって二人だけで遊ぶのは数か月ぶりだ。高校生になって、悠人は自分から瑞希を誘うなんてことは無くなっていた。いつも瑞希から誘って、それに付き合ってくれていたのだ。断られたことは無かったけれど、誘ってもらえないことにいつも瑞希は不満に思っていた。高校になって悠人が付き合い悪くなったと周囲にボヤくと、周りの男子達はいつも悠人の肩を持つのだ。


 「やー、まぁ、瑞希も悠人の気持ち分かってやれよ」

 

 皆が口を揃えて、そう言うのだ。


 だから杏奈と付き合い始めたと聞いた時、悠人が自分を避けていたのが本命に誤解されたくなかったからだと直感で理解した。


 もし、自分が女のままだったら、今の悠人の言葉は聞けなかった。これが、男友達と女友達の差なのだ。


 改めて噛みしめると、何だか苦い想いが胸に広がった。


 (もう少し、このままでいられたらいいのに……)


 瑞希がそう思った瞬間、ゲームセンター内に時刻を告げるチャイムが鳴った。30分ごとに鳴る仕組みのそのチャイムは16時30分を告げていた。


 ドクン……


 その時、体の奥の方、本能的な部分であの神社に戻らなければ、と強い警鐘が鳴った。


 「瑞希?……どうした?」


 急に動きを止め、マシンガンを持つ手を降ろした瑞希の様子に不審に思った悠人が声を掛けた。


 二人ともプレイを止めたために、画面上の二人のキャラクターは瞬く間にゾンビに敗れ、ゲームオーバーを告げる音声が流れた。


 「……ごめん、行かなきゃ」


 瑞希は震える声で呟くと、マシンガンをゲーム機に戻し、足元のカバンを拾い上げた。


 「あっ、おい、瑞希!?」


 悠人の制止する声が聞こえたが、瑞希は止まらなかった。正確には、止まれなかった。まるで、自分の体ではないように、足が勝手に動くのだ。ドクドクと早鐘が鳴りやまない。


 「……何だよ、あいつ……久しぶりに二人でいるのに……」


 自分の声を無視して、一目散に店を出てしまった瑞希に、悠人は憮然として、やや乱暴にマシンガンを置いた。


 悠人をその場に残し何かに急き立てられるように、瑞希はゲームセンターを飛び出し、緩やかな坂道を学校のある方向へ駆け上がって行く。そして学校をも通り過ぎ今度は駆け降りて行くのだ、あの、裏山の雑木林へ。神社のある場所へ。


 ―――20分以上ノンストップで坂道を走り続けた瑞希は、境内に入り拝殿に辿り着く頃には息も上がり、すっかり汗だくになっていた。ゼーハーと大きく息をしながら、前かがみになって瑞希は腕で額の汗をぬぐった。


 「……おかえり、シンデレラ」


 宙に浮いた、半透明の彼は、不思議な笑みを浮かべてそう瑞希を出迎えた。


 「……エン」


 息を整えながら、瑞希は少年の名前を呼んだ。


 「楽しかった?もし君が男として生まれていたら、実際に起こっていた展開だよ。君の幼馴染君は、君の知っている通りの彼だったかい?」

 

 瑞希はごくりと唾を飲み込んだ。


 今日の悠人は、今まで瑞希が知っていた彼と同じだっただろうか?


 本質的には変わらない。人が良くて、照れ屋で、面倒見の良い、男女ともに好かれる自慢の幼馴染だ。


 でも……女の自分と、男の自分で態度が違っていたことを、今日、初めて知った。


 瑞希の知っている悠人は、瑞希の前で、決して下ネタは言わない。恋愛の話題も出さない。気軽に体に触って来ない。


 知らない内に、線を引かれていたのだ。他の男友達が知っている悠人のことを、女の瑞希だけが知らずに取り残されていた。


 誰よりも古くからの友達で、誰よりも多くの時間を過ごして来たはずなのに。


 今また、女に戻れば、悠人は自分との間に壁を作ってしまう……?


 ズクン、と瑞希の胸に、鋭い痛みが走った。


 

 恋人じゃなくても、友達でいいから、悠人の傍にいたい……。


 

 「エン……あたし、もう少し、このまま……」


 男でいたい、そう言いかけた瑞希の声は、突然吹き上げた激しい風にかき消された。


 「だぁーめ!瑞希、聞き分けのないことを言うんじゃないよ、言ったはずだよ?今回は一日だけのトライアルだって」


 姿見を背に、宙に浮かびながらエンは実に楽しそうな様子で両手を腰に当てた。その口調はさながら駄々をこねる児童を宥める年長者のようだ。


 「君も分かってると思うけど、この呪いはひどく大掛かりなものでね、現実世界に多大な影響を及ぼすものなんだ。だからさしもの僕もおいそれと使うことは出来ない。何より、君の同意が必要だ」

 「同意って……だから、言ったじゃん、もう少しこのままでいたいって」

 「違うよ。本契約にあたっては一度冷静に考えてもらう決まりなんだ。だって君のこの先の人生を180度変えてしまうものだからね。今の君から同意を得ても、冷静な答えだとは言えない」


 エンは音もたてず、流れるような動きで瑞希の目の前まで降りて来た。そして、瑞希の鼻先にその小さな白い手の人差し指を向けた。


 「瑞希、よく考えてごらん。僕は君の思い通りに君の人生を書き換えてあげられる。過去も今も未来も、全部つじつまが合うようにね。そう、君が望むなら、体だけでなく、心も、ね。でも、そこから先は引き返すことの出来ない一方通行だ。……瑞希、よぉく考えるんだよ。怖いと思うなら、今回のことは泡沫の夢と、忘れてしまうことだ……」


 目の前に突き付けられた人差し指を見つめている内に、瑞希の意識はまるで深い深い奥底から引っ張られて行くように感じられた。段々、エンの言葉が耳に何重にも響いて、何を言われているのか分からなくなって行く。それなのに、ふと目線がエンの漆黒の瞳に捉えられると、何かに縫い付けられたように瑞希はそこから目を逸らせなくなった。朦朧となる意識の中、射すくめるようなエンの黒い双眸だけが、最後まで瑞希の脳裏に焼き付いていた。



 「……ん……」


 瑞希が目を覚ますと、薄暗闇の中に木組みの天井が見えた。


 「あた……し……」


 全身がやけに気だるく、背骨が強く打ったように痛かった。


 瑞希は軽くめまいを覚えながら身を起こし、辺りを見回した。狭い和室の中に、大きな神棚のようなものと、太鼓、そして―――古ぼけた姿見。


 「……!あたし、女に戻ってる!」


 弱々しい光の中でも、そこに映っている自分は間違えようがなかった。痩せぎすの細い肩、一回り小さな手のひら、制服のスカートと下に履いたジャージ。


 「夢、だったのかな……」


 独り言ちて、瑞希は自分の横に落ちていたカバンのポケットから、スマートフォンを引っ張り出した。


 画面を起動させると、その過剰な光に目が眩んだ。少し落ち着いて画面を見ると、日付は間違いなく今日の17時55分と表示していた。


 「……!悠人から着信がある!」


 よく見ると着信を知らせるランプが点滅しており、1時間前に悠人から着信とメッセージが来ていた。


 『急にどうした?腹痛か?』


 短いメッセージとともに心配を表すスタンプが押されていた。


 その悠人のメッセージが、昨日、今日の間に起こった摩訶不思議な体験が実際にあったことを証明していた。自分は確かに、悠人とゲームセンターに行っていたのだ。男の姿だったけれど。


 『ごめん、先約があったの忘れてた』

 

 瑞希が短く返事を返し、謝罪を示すスタンプも続けて送信すると、すぐに既読になり『やれやれ』とでも言いたそうな、肩を竦める仕草のキャラクターのスタンプがすぐさま帰って来た。


 (心配してくれてたんだ……)


 たった一通のメッセージと、スタンプ二つ。その些細な心遣いだけで、瑞希は胸がじんわりと熱くなった。



 ―――神社を出てバス停に着くと、運悪く20分も待たなければならなかった。そのおかげで自宅に着いた時には19時を回っていた。

 

 「ただい……」

 「瑞希っ!こんな遅くまで何してたの!?」

 

 玄関ドアを開くと同時に、玄関に仁王立ちになっている母の姿と、そのビリビリとした怒声が飛び込んで来た。


 「……!?か、母さん?」

 

 母の剣幕に、瑞希は慌てて自分のスマートフォンの時刻を確認した。


 「ま、まだ19時過ぎじゃん、何をそんなに怒って……」

 「何言ってんの!!女の子が日が暮れるまで帰って来ないなんて、心配するでしょ!!」


 母の勢いにたじろぎつつも、瑞希は自分を女の子、と言ったその言葉を聞き洩らさなかった。


 「か、母さん、あたしが女だって、本当に思ってる?」

 「はぁ!?こんな時にあんた何言ってんの!女の子じゃなきゃこんなに心配しないでしょーがっ!!」

 「で、でも昨日はもっと遅かったのに……」


 つい言い返した瑞希の言葉に、母の目はさらに般若のごとく吊り上がった。


 「そう言えば昨日は随分遅かったわね。ご飯も食べないまま寝ちゃったようだし、一体どういうことか、説明してもらいましょうか……」


 あ、これは踏んではいけない地雷を踏んでしまったな、と瞬時に瑞希は悟った。


 ―――こってり小一時間ほどしぼられた後、ようやく瑞希は2階にある自室へと戻ることが出来た。

 

 パチ、と電気を点け真っ先に机の横の壁に立てかけてある姿見の前に立った。


 鏡越しに、自分の姿を見つめてみる。


 決して女らしいとは言えないけど、でも間違いなく女の子だ。


 髪が短くても、胸が小さくても、例え、女子の制服が似合ってなくても。


 鏡の自分と両手を合わせてみた。コンプレックスだらけの体が、ほんの少しだけ愛おしいと思った。



 ―――時を同じくして、とっくにゲームセンターから自宅に帰っていた悠人は自室のベッドに寝ころびながら、今日の出来事を反芻していた。


 久しぶりに瑞希と二人で遊んだ。


 自分から誘ったのだ。もう随分前から、二人きりになることは避けて来ていたのに。特に、カノジョが出来てからは、幼馴染と言えどもう他の女子と必要以上に関わってはいけないと思っていたのに。


 今日の自分は朝からちょっとおかしかった。バス停で瑞希を見かけた時、何故かホッとしたのだ。瑞希が本当の男に見えて、それまでの自分ルールを無効にしていいと思ってしまった。


 男と遊ぶんだから、カノジョへの裏切りにならない。男同士だから一緒にいても、体に触れても構わないと。そこにやましい感情は、何もないのだから。


 今日一日、それこそついさっきまでそんな風に考えていた。だから自分が誘ってもいまいちノリの悪い瑞希の態度とか、自分を置いて一人で勝手にゲームセンターから帰ってしまったことにも腹が立ったし、彼女に隠し事をされているようで嫌だった。


 ―――先に距離を置いたのは、自分だったのに。


 様子のおかしい瑞希が心配にもなって、ラインメッセージを送ってから、その返信が来て、何故か夢から醒めたように冷静になった。自分は何をしているのかと。


 カノジョじゃない女子を誘って、二人きりで遊んで、誰といるよりも居心地が良くて、瑞希のことばかり考えて。


 「馬鹿だよな……瑞希は、友達がいいのに」


 ふ、と自嘲気味に笑いを漏らした。


 彼女への返信は、スタンプを1個送っただけ。それ以上は踏み込み過ぎてしまう、と思った。


 どれだけ彼女のことが気にかかっていても。


 ブブブッ……ブブブッ……


 その時、スマートフォンのバイブレーションが鳴った。


 (瑞希からのラインか?)


 反射的に画面を見た悠人の目に映ったのは、ライン電話の着信と、恋人の名前だった。


 「……っ……。……どうした?杏奈―――」


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