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第三話 トライアル

 「……ん……」


 瑞希が目を覚ました時、辺りはあまりにも真っ暗で、最初自分がどこにいるのかすら分からなかった。


 「あたし……?」


 視界が悪い中、まだぼんやりとした頭のまま周囲に手を伸ばし、周辺の状況を探る。すると、普段使っている通学カバンに手が当たり、ポケットに入れていたスマートフォンがゴトリと音を立てて落ちた。


 瑞希はそのスマートフォンを手に取り、ディスプレイを起動させる。次の瞬間には、真っ暗闇には眩しすぎるほどの照明がついた。


 目をパチパチさせながらかろうじて画面を見ると、そこには『19時42分』と表示されていた。


 「げ、やっば!」


 時間を認識したと同時に、瑞希はガバッと勢いよく起き上がった。暗いはずだ、日はとっくに暮れている時間だ。


 多少は門限にうるさくない瑞希の両親と言えど、授業が始まっていない半日だけの始業式の日にこんな時間まで帰らずにいたら、小言の一つは言われるに違いない。慌ててカバンも引寄せ、瑞希は屋外に飛び出した。


 「あ……そうか、あたし、神社の中で変なやつに出逢って……」


 外に出て、それが古い神社だと思い出し、瑞希はもう一度拝殿の方を振り返る。人気のないそこは暗闇がさらに深く、自分が長時間そこにいたことに背筋がぞくりとした。当然、神様を名乗る半透明の男の子もいない。


 「ゆ、夢だ夢!あたし、失恋がショック過ぎて気を失ったんだ、きっと」


 未だプチパニックのまま、瑞希はとにかく帰らなければと元来た道を急いだ。



 ―――たまたま丁度良く来た路線バスに飛び乗り、自宅最寄りのバス停から全速力で家に辿り着いた時にはもう、20時30分を過ぎていた。


 「た…‥ただいま」


 怒られる、と瑞希は玄関ドアを開けながら恐る恐る中に入る。


 すると、丁度廊下に出ていた母とバッチリ目が合った。


 「あら、瑞希、遅かったわね。ごはんもう先に食べちゃったわよ」


 洗濯を終えて畳んだタオル類を廊下のクローゼットに収納しながら、特に気にした風でもなく母は言った。


 (あれ……?怒って、ない?)


 瑞希はまだドキドキしている胸を押さえながら、靴を脱ぎ廊下に入る。


 「早く着替えて、ダイニングに来なさいよ。ごはんは温めておくから」

 「う、うん、わかった」


 拍子抜けしながら瑞希は、自分の部屋のある2階への階段を駆け上がった。


 部屋のドアを開け、パチ、と明かりのスイッチを押した。明るくなった部屋を見回し、瑞希は微妙な違和感を覚えた。

 

 確かに自分の部屋だ。小さい時からずっと使っている机もベッドもカーテンも、全部瑞希の好みで選ばれたものだ。だけど、見慣れているはずのそこは、どこかがいつもと違う。


 「……うん?……」


 瑞希は眉根を寄せて、もう一度じっくり部屋の中を目を凝らして見渡した。そろそろと中に入り、机に通学カバンを置き、ふっと横の壁に立てかけてある姿見を見て、大きく悲鳴を上げた。


 「……っう、うわぁああああっ!?」


 ガタン、と体に当たった椅子と一緒に瑞希はひっくり返った。


 床に座り込み、姿見を凝視した。また上ずった声が自分から漏れた。


 そこには、男子の学生服に身を包んだ、瑞希にそっくりな顔をした男の子が映っていた。


 「……な、なな……!」


 瑞希が口を大きくパクパクと動かすと、鏡の中の男の子も同じように口を開け閉めした。瑞希の手がその男の子を指さすと、彼も瑞希に人差し指を向けた。


 「……あ、あたし!?」


 そこでようやく、瑞希はさっきから自分の口から発せられる声が、いつもよりだいぶ低いことに気付いた。


 「瑞希ぃ?あんた何さっきから大きな音立ててんの」


 2階の物音に気付いたのか、母が階段を上がって来る足音が近付いて来た。瑞希は母が自室の扉を開けたと同時に勢いよく振り返った。


 「か、母さんっっ……!あ、あたし、男になってる!!!」


 すごい剣幕で叫んだ瑞希に、母はきょとん、とした表情を浮かべた。


 「はぁ?……何言ってんの、この子は。産まれた時から男でしょ。あたし、なんて言って、むしろ今流行りのオネェにでもなったんじゃないわよね」


 呆れ返った顔をした母は、付き合ってられない、とでも言うかのように大きなため息を吐いた。


 「もう、母さん洗い物の途中なんだから。まだ夏休み気分が抜けてないんじゃないの?宿題全部終わってるんでしょうね?」


 そしていつも通りの小言を言うと、やれやれといった様子で瑞希の部屋を出て階段を下りて行った。「もう一人子供がいたら女の子も欲しかったわねー」なんてぼやきながら。


 残された瑞希は、呆然としたまま身動きが取れずにいた。起こっていることが、信じられない。


 「……嘘だろ。あたし、本当に?」


 改めて自分の体に目線を落すと、いつの間に変わっていたのか来ている制服は男子のもので、そこから出ている手も足も、自分のものとは思えないほど骨ばっていた。


 「……うわっ……」


 制服のシャツのボタンを外すと、すとんとした全くふくらみのない胸板が覗いて見えて、瑞希は思わず目を背けた。駄目だ、自分の体とは言え、直視出来ない。


 結局目を瞑ったまま四苦八苦しながら着替え、瑞希はベッドに腰掛けた。すると、ふと脇の出窓に立てかけてある写真が目に入り、再度絶句した。


 ―――七五三の写真。


 母の強い勧めで、確かに貸衣装の華やかなピンクの女の子の着物を着ていたはずだ。なのにそこに映る自分は、ブルーの男の子の羽織袴を着て、笑顔でピースをしている。


 まるで、最初から男の子であったかのように。


 「……は、はは……マジ、なんだな……あたし、男になったんだ」


 酷いめまいを覚え、瑞希は片手で顔を覆った。あまりのことにそれ以上言葉が出て来なかった。


 夢だと思っていた昼間の神社での出来事は、現実だった。いや、もしかしたらまだ夢の中にいるかもしれない。だってこんなこと、あまりにも非現実的過ぎる。


 どんなに男っぽく振舞っていても、15年生きて来て、瑞希は自分が女であることを疑ったことなんて一度もなかった。性格がちょっとばかしがさつで、女らしくすることが苦手なだけだと。


 「うー……マジ意味わかんね、何この状況?」


 そのまま背中からベッドに勢いよく倒れ込み、瑞希は目を瞑った。昼間に起こったことを必死に思い出そうとしていた。


 (思い出せ……あいつは、エンは、なんて言ってた?あたしの願いを叶えると言った、あの後……トライアングル、違う、そうだ、トライアル、だったっけ?お試しだって言ってた。じゃあ、ずっとじゃないってことだよな?あたし、女に戻れるんだよな?)


 混乱のあまりうまくまとまらない頭を必死で動かしながら、瑞希はぐるぐると半透明の少年の台詞を反芻していた。


 (そうだ、あいつは嫌ならすぐ止められるって言ってた。望まない願いを叶えたりはしないって、だからこれは、あたしが願ったことなんだ)


 もう何度目だろう、エンとしたやり取りを繰り返し繰り返し、頭の中で思い出していた。


 『……そうだよ、瑞希。これは君の願い。君自身が望んだことだ』


 ふいに、頭に声が響いた。


 目を瞑っているはずなのに、暗闇の中に、またあの半透明の白装束を着た少年が浮かんでいる姿が見えた。


 『エン……?』


 瑞希が心の中で呼び掛けると、少年は漆黒の瞳を細め、ふふ、と微笑んだ。


 『瑞希、君って本当に女の子らしくなかったんだね。お陰で思ったより調整がずぅーっと楽だったよ』

 『……調整?』

 『そうだよ。僕はサービス精神旺盛な親切な神様だからね。君の願いを叶えるために、現実世界に齟齬が生じたらいけないだろう?ほんの少し、周囲の人間の記憶とか、君の持ち物とかいじらせてもらったよ。……と言っても、君の持ち物ってホント女子らしいもの少なかったから、ほとんどそのままでいけたけどね』

 『……なっ』


 性格だけじゃなく、持っている物まで男っぽいと言われ、瑞希は頬がかぁっとなって来るのを感じた。まるで、女であったことが間違っていたと言われているように聞こえる。


 『まぁそれはさておき、昼も言ったけど、今回のは一日だけのトライアル。明日の17時に切れる束の間の魔法さ、シンデレラ。まぁ、せいぜい非現実を楽しんでよ。病みつきにならないように注意してね。……フフ、アハハハハハ!」


 ケラケラと楽しそうに笑いながら、エンはふんぞり返るように体を仰け反らせた。その笑い声を聞いている内に、瑞希の意識はまた深い深い底に吸い込まれて行った。



 「……ん……」


 犬が吠える鳴き声のような音が遠くに聞こえ、瑞希はゆっくりと目を覚ました。


 出窓のカーテンの隙間から細く差し込んで来る太陽光が、かすかに室内を明るくしている。自分の部屋だ。


 「あれ……あたし、いつの間に寝たっけ……って、そうだ!!!」


 寝ぼけながら目を擦り、昨日の出来事を唐突に思い出し、瑞希は勢いよく身を起こした。慌てて自分の体を改める。


 「……夢、じゃ、なかった……」


 着ているTシャツごしに触れた胸板は一切のふくらみを感じさせない。ハーフパンツから出ている両足の膝小僧もごつごつしている。


 「男、なんだよな……今のあたし」


 そう呟き、姿見の前に歩み寄り全身を映す。


 とても不思議な感じだった。


 目の前に映る自分は、昨日までと同じ顔つき、背格好をしているのに、明らかに骨格や筋肉の付き方がそれまでと違う。


 「……ん、んんっ……」


 咳ばらいをすると、漏れ出る声は低く、喉仏が上下する感覚がしっかりと伝わって来る。


 「学校行かなきゃ……あ、やば、昨日おフロ、入ってない……一日くらい入んなくても、平気かな……」


 小さく呟き、瑞希はTシャツの胸元を手で鼻まで引き寄せた。


 ツン、とした酸っぱい匂いがして、瑞希は眉をしかめた。


 (男子の体臭、くさい……)

 

 裸になることには抵抗があったが、それ以上に汗臭いままの体で誰かに会うなんて耐えられない。


 瑞希は深いため息を吐いて、衣装ダンスの引き出しを開けた。


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