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第十一話 見知らぬ男子生徒

 

 放課後、瑞希は相も変わらず例の社に足を踏み入れていた。前回と同様にこの魔法が1日で切れるんじゃないかという一縷の望みに縋ったのだ。


 賽銭箱の前の木の階段に座り込み、じぃっと待った。さっきから時々スマートフォンが着信音を鳴らしている。


 どうせまた、自分を気遣う悠人からのメッセージだ。でも今は開きたくない。


 (17時6分……)


 スマートフォンの画面に映し出された時計に、瑞希は胸が潰れそうな思いに駆られた。


 自分の体には、何の変化もない。その予兆すら何も感じない。


 魔法は、1日では解けない。


 「エン!!」


 居ても立っても居られず、瑞希は叫んだ。


 しかし、夕暮れの薄暗くなり始めた境内は、風の音と木々の葉が擦れる音くらいしか聞こえない。


 「エン!!いるんだろ!!もう1日経ったぞ、早くあたしを戻してくれよ!!」


 瑞希は大声で呼び掛けながら立ち上がった。


 ドスドスと大きな音を立てながら階段を上がり、賽銭箱の横を通り過ぎ、拝殿の木戸を引いた。


 中に入ると、青銅の枠に嵌められた姿見の前に立ち、自分の姿を映す。


 夕日が入り込み、やや明るくなっている室内で、鏡の中の自分がよく見えた。


 太い喉元、角ばった肩、筋肉質な腕……そのどれもが、見慣れないカタチ。


 「……っ!」


 ポロポロと、興奮が極まった瑞希の瞳から大粒の涙がいくつも零れ落ちた。


 ダンッ、と瑞希は両手を鏡に突いた。


 「戻してっ!あたしを女に戻してよっ!!……それが出来ないなら、今すぐあたしを心まで男にして!!こんな苦しいまま、置いとかないでよっ!!!」


 喉の奥から振り絞るように瑞希は叫んだ。そして何度も何度も鏡を叩きながら、瑞希は泣きじゃくった。


 鏡からは当然なんの返事もない。瑞希の動きに合わせて、鏡の中の自分が真似するだけだ。


 ずるずると力を失い、瑞希は鏡にもたれかかるように膝を着いた。その時―――。


 後方から、誰かが砂利を踏む足音が聞こえて来た。


 「……誰?……誰か、そこにいるの?」


 澄んだ、やや高めの男の声だった。


 ハッと我に返った瑞希は反射的に涙を乱暴に拭った。


 「君、そこで何してるの?」


 呼びかけられて、瑞希は仕方なく振り返った。


 (うちの……生徒?)


 最初夕日の逆光になっていて、顔は良く見えなかった。ただ、彼が身に着けている同じ高校の男子生徒の制服が見えた。


 「君は誰?何してるの?」

 「……あ、あたし」


 言いかけて、瑞希はハッと口を噤んだ。


 自分のことを『あたし』なんて呼んだら、変に思われてしまう。


 「俺、ちょっと、願掛けに来てて」


 男子生徒はふぅ、とため息を吐いてさらに一歩瑞希に近づいて来た。


 (わ……!この子、なんて綺麗な顔してるんだろう)


 入り込む夕日の角度が変わり、ようやく見えたその男子生徒の顔を見て、瑞希は一瞬自分の置かれている状況も忘れて見入ってしまった。


 その男子生徒は、思わずハッとするほど綺麗な顔立ちをしていた。まるでどこかの異国の血でも入っているのではと思えるくらい目鼻立ちがはっきりしているが、それでいてクセがなく男子にしてはどこか柔和で物憂げな中性的な顔立ちをしていた。特に、色素の薄い茶色の瞳や形の良い唇の左下にあるあごのほくろが何とも言えない色気さえ醸し出している。柔らかなウェーブがかった髪が肩ににかかるほど長くても、それが全く鬱陶しくなく、むしろ彼の独特の魅力を引き立てていた。


 瑞希がボーっと自分に見惚れている様子を見て、その生徒はうんざりしたように眉根を寄せた。


 「願掛け?それでこんな拝殿の中まで勝手に入ったの?ここ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど」


 少し不機嫌な様子で言った彼は、両手を腰に当て、瑞希を睨み付けた。確かに、いくら無人だからと言って拝殿の中に入り込んでいるのは礼を失しているだろう。しかし、何故それを彼が怒っているのだろう。


 (ま、まさか、関係者?だとしたら、学校にも報告されたりしたらマズイ!)


 自分の着ているこの制服を見れば、彼からしても瑞希が同じ高校の生徒だということはバレバレだろう。


 サーっと血の気が引いた瑞希は慌てて立ち上がり、カバンを肩に掛けた。


 「ほ、本当にごめんなさい!俺、もう行くから!」


 気まずさに瑞希は顔を俯け彼を見ないようにして、大股で男子生徒の横を通り過ぎた。


 「あ、ちょ、待ってよ!君、まだ話は……!」

 「ごめんなさーい!!」


 呼び止められるも、これ以上変に突っ込まれたくない瑞希は、一目散に逃げ出した。


 脱兎のごとく離れて行く瑞希の様子に、男子生徒はあっけに取られていた。


 「もう、何なのよ……あの子。まだ話は終わってないのに……それにしても、あの子の纏う禍々しい霊気……一体?」



 ―――翌日、瑞希は男子の体に変わって以来一番の困難に直面していた。


 瑞希の学校は、体育祭の練習が始まる前まで9月中は体育で水泳の授業が実施されている。実の両親やクラスメイトを含めた周囲の人間が瑞希のことを実質的に男子だと認識しているために、当然瑞希は男子として授業を受けなければならない。着替えも男子更衣室だ。


 (他の男子と一緒に水着に着替えるなんてマジ無理……!!!)


 まだ通常の体育の授業なら、着替えをこっそりトイレで済ませれば凌げた。男子トイレに入らずとも身障者用の多目的トイレを使うことも出来た。しかし、水着だけは男子更衣室に行かなければ着替えられない。


 (どうしよ……体調不良、って言って、保健室行こうかな)


 瑞希は誰かに気付かれる前に、保健室への避難を試みた。


 前の授業が終わり、教科書などを片付けると他の生徒の関心を集めないように、無言で廊下への出入り口に向かう。が、ドアを出ようとした瑞希の前をややガタイの良い中年男が立ち塞がった。


 「……げ!大谷!」


 瑞希は口の中だけで小さく叫んだ。


 「何をしているんだ、新倉?休憩時間中に着替えないといけないんだぞ、水泳用具忘れたのか?」


 よりによって、教室に入って来たのは、体育教師であり生活指導担当の大谷だった。


 「や……、俺、ちょっと体調悪くて……」


 瑞希は口ごもりながらも、保健室に行きたいと申し出た。


 瑞希の言葉に、大谷は太い眉を中央に寄せ、瑞希を睨み付けた。


 「……新倉、仮病は認めんぞ。いつも威勢のいいお前が、体育の授業を受けられないほど調子が悪い訳がない!」

 「い、いや、ほんとに俺、今日無理なんで」

 

 唾が飛んできそうな勢いで詰め寄る大谷に、たじろぐ瑞希は逃げ腰になる。するとさらに怪訝な表情でその体育教師は教育的指導をヒートアップさせた。


 「新倉!嘘は感心せんぞ!保健室は休憩室じゃないんだ、本当に体調の悪い生徒のためにあるんだぞ!」

 「……うう」


 頑なに瑞希の申し出を拒む教師に、瑞希は泣きたくなった。確かに、体調不良は方便である。しかし、自分が女子の時には例えそれが仮病であってもすぐに生理だと信じてもらえ、水泳の授業を辞退することを拒否された覚えは今までにない。だが、男子になったら逃げる口実は何もなかった。


 (本当なら今頃、実際に生理になってるはずなのに……!)


 耐えがたい事実をも思い出して、瑞希は唇を噛みしめた。生理周期の正確な瑞希は、今回初めて予定日に生理が来ていないのだ。それも瑞希の心を塞ぎこませる一因になっていた。


 (もうやだ…!誰も助けてくれない……!)


 瑞希が思わず悔しさに涙が滲みそうになる目をギュッと瞑った、その時―――。


 「先生、今から俺ら着替えに行くんですけど、なんでプールじゃなく教室に来てんすか?」

 

 後ろから声を掛けて来たのは、いつのまに近づいて来ていたのか、悠人だった。


 瑞希はその言葉にはっと目を開いた。そうだ、通常通り水泳の授業が行われるなら、担当の大谷がここにいるのは不自然だった。

 

 すると、大谷はニヤリ、と笑みを浮かべた。


 「お、片山、察しが良いな。……新倉、運がいいな今日はプールの機械故障で水が入れ替わってなくてな、急きょ保健の授業に振替だ。そんな訳で、着替えに行かずに教室移動しろ」

 「ほ、保健に振替……?」


 瑞希は安心して、一気に脱力してしまった。


今まで主人公とニアミスばっかのもう一人の主要登場人物をようやく出すことが出来ました。とはいえ、本格的に話に絡んで来るのは次話からになりますが……。

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