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第十話 葛藤

 ―――男っぽさに固執するようになった原因なんて、実際はほんの些細なものだった。


 小学生の時は男女で分けて扱われることは少なくて、所属していた少年野球チームでは他の男子を圧倒して瑞希は悠人とエース争いをしていた。昼休みのグランドの場所取り競争でも、運動会のリレーでも、瑞希が男子に後れを取ることはなかった。男子ばかりのグループの中で瑞希は一目置かれていた。


 それが中学生に上がった途端、いつもの遊び友達の中で自分だけがスカートを履かないといけなくなった。女子野球部がないために、野球も辞めざるをえなかった。


 体育の授業も男女で別れて受けなくてはならなくなり、家庭科の実習では女子が率先して料理を先導しないといけない空気を感じた。そういった小さな出来事を通じて、学校生活の節々で性差というものを嫌でも意識するようになった。


 外部からどんどんどんどん引かれていく男女差という線引きに、それまで瑞希が大好きだったもの全てを取り上げられて行くみたいで、すごく嫌だった。


 目まぐるしいスピードで変化していく取り巻く環境に、違和感ばかりがあった。


 その上中学2年生で生理が始まり、少しずつ体が女らしくなっていく自分にも戸惑いと恥ずかしさが生まれた。友達の中で自分だけが異質なものになりつつある。成長すればするほど、友達との、親友の悠人との距離が出来てしまうように思えて、むきになって抵抗した。


 ―――裏を返せば、たかがそれくらいの理由だった。決して自分が女であることへの疑いがあったわけじゃない。 


 大切な人と離れ離れの遠くに住むことになったとか、誰かが死んでしまってもう一生会えないとかそんな悲劇的なことがあったわけでもない。


 ただ、小学校の時と変わらずに過ごしたかっただけ。


 子供の浅はかな知恵で、周囲に男だと思わせれば、そういうキャラなんだって認識されれば変化のスピードを遅らせられる気がした。


 それがどういう結果をもたらすかなんて考えもしなかったし、いつまでそれが通用するのかも正直頭になかった。小さな反発心がだんだん膨らんでいつからか引っ込みがつかなくなって、どう軌道修正していいかも分からなくなって行った。

 

 気が付いた時には、女としての成長を否定し無視し続けていた自分自身が一番、本当の心と作り上げたキャラクターとでちぐはぐになっていたのに。


 


 ―――教室の入り口のドアを引いた瞬間、そこにいた生徒らが一斉に自分に視線を向けた―――ような気がした。

 

 瑞希は一度ごくりと唾を飲み込み、緊張した面持ちで中に入って行く。


 周囲の視線が気になり、自分の席までの距離がいつもより遠く感じた。


 自らの席に着き、通学カバンを机に置く。ふと、近くの席の女生徒と目が合った。


 「お、おはよ。……翠」


 女生徒は一瞬、ポカン、とした顔をした。そして、一拍遅れで返事を返した。


 「おはよう、新倉君」

 「……うん、明石さん」


 もう笑うしかなかった。



 ―――実際に起こっていることだと、正直今でも信じられない。


 今朝だって、起きたらいつも通りに目覚めるんじゃないかって、目を開ける瞬間祈っていた。


 でも、自室の鏡に映った自分は、15年間見慣れた姿じゃなくて。


 自分の見ているものがおかしいんじゃないかと思った。それか、長い悪夢を見ているんじゃないかと。


 瑞希は自分の両手の平を広げて見つめた。


 覚えている形よりもやや大きく、角ばっている。男子の手だ。


 そのまま両手で顔を覆った。


 (なんで……!なんでこんなことになったんだよ……!どうしてあたしは、男になれば全部楽になれるなんて思っちゃったんだ)


 これからどうやって生きて行けば分からない。今までどんな風に過ごしていたっけ?


 男っぽく振舞うのと、男として自分を認識するのとでは、あまりにも違い過ぎる。


 「馬鹿だ、あたし……ほんと馬鹿だ」


 重苦しい息を吐き出しながら、瑞希は机に突っ伏した。


 頬に当たる机の感触は固く、冷たい。


 「―――瑞希……どうした?」


 するとふいに、よく聞き覚えのある高校生にしては低い落ち着いた声がすぐ斜め上から聞こえて来た。


 ビクッと驚いて顔を上げた。そこには、心配そうな表情の悠人が立っていた。


 「悠人……」

 「具合悪いのか?……助けいるか?」


 茶化すでもなく、真剣に自分を案じてくれるらしい悠人の声は、瑞希の胸にじん、と響いた。

 

 だがその次の瞬間、悠人が2週間前に自分を一方的に突き放したことを思い出した。

 

 (何だよ、今さら……!あたしが男になった途端、またころっと態度変えやがって)


 「別に何でもないよ、前に絡んで来るなって言ったのは、そっちだろ!」

 「は……?俺、そんなこと言ったか?」

 「しらば……っ!!」

 

 くれるなよ、と言いかけて、瑞希はハッと口を噤んだ。

 

 前に一度自分が男子になった前後も、悠人の記憶はちぐはぐだった。自分に関わる人達の記憶が操作され改変されているなら、今の悠人を責めても無意味だ。


 「……どうでもいいよ、そんなこと!とにかくもう、ほっといてくれよ!」


 瑞希は顔を背け、固い声で吐き捨てた。


 そうだ、どっちにしても変わったのは自分に関することだけだ。悠人にカノジョがいて、悠人にとって一番大切な人が彼女なのは動かしようのない事実だ。


 自分のこの想いが残っている限り、悠人と関われば関わるほど、痛みが長引くだけだ。


 「みず……!」


 なおも自分に話しかけようとした悠人を遮るように、瑞希はわざと音を立てて席を立った。


 ―――昼休み、授業が終わったと同時にざわざわっと騒ぎ始めるクラスメイト達。


 瑞希は未だ自分を気にしているらしい悠人の視線を感じ、弁当箱を持って立ち上がった。そのまま机の間を縫って、端の席に固まっている比較的小さめの女子のグループに近づいた。


 「明石さん、ごめん、俺も混ぜてくれる?」


 瑞希はその女子のグループの一人である翠に声を掛けた。昨日まで、このグループの中で食べていたのだ、案外普通に迎え入れられるかもしれない。それでなくても、気遣い屋の翠に声をかければ他のメンバーにも橋渡しをしてくれるだろう、と踏んだのだ。


 「……え?で、でも、新倉君男の子だし、私達の中に入っても楽しくないと思うよ?男子のグループに入れてもらった方が……」

 「女子といる方が落ち着くから」

 「ええっ……?で、でも、前は普通に男子のグループにいたよね?」


 予想以上に困惑している翠の様子に、瑞希は自分の見立ては思ったより甘かった、と痛感した。元々翠はシャイで、親しい相手以外にはとても大人しいのだ。普段から男子生徒と気さくに話せるようなタイプではなかったと思い出した。


 自分が男子に変わったことで彼女の中で自分の存在価値が変わったのだと、理解せざるを得なかった。


 「さっきからなーに女子口説いてんだよ、瑞希ー!」

 「おっ!悠人にカノジョが出来たから焦ってんのかぁ?」

 「やめてやれよー瑞希くぅん!明石さん怖がってんじゃん」


 男子グループから、茶化すような野次が飛んだ。


 それに呼応するかのように、他のクラスメイトやグループで固まって食べている生徒たちからドッと笑いが漏れた。目の前の翠のグループにもクスクス忍び笑いをする女子がいた。


 (―――……!!)


 プツン、と自分の理性が音を立てて切れたのを瑞希は感じた。


 

 「あたしは……、あたしは女だ!!」



 教室中に響くほどの大声で、瑞希は叫んだ。


 シン、とまるで時が止まったようにその場にいた全員が静まり返った。




 「……っ、ぶははははっ!!!瑞希ぃ、その冗談マジつまんねーわ!!」


 静寂を破り大爆笑をしたのは、和明だった。それにつられるように、さっきよりもさらに大きな笑い声があちこちから上がった。その中には、瑞希の発言に困惑した表情の悠人もいた。



 「―――……!!!」


 (誰も、信じない……!誰も、本当のあたしを知る人間はいないんだ……!!)


 途端に世の中から拒絶されたような、強烈な疎外感と無力感が瑞希を襲った。


 もう、どうしようもない。


 ここに、この世界には自分の居場所なんてどこにもないような気がした。


 瑞希はそれ以上言い返さずに、そのまま教室を出た。


 「お、おい、瑞希ぃ……?」


 残された生徒達に戸惑いの波が広がり、そのほとんどがあっけに取られたようにただ瑞希の背中を見送るだけだった。―――ただ一人を除いては。


 教室を後にして、瑞希はただあてもなく、やみくもに校舎内を歩いた。人のいないところに行きたかった。


 そして、1階の渡り廊下を歩いている内に中庭の手洗い場が目に入り、上履きのまま外に出た。


 手洗い場の蛇口を乱暴に捻り、水を勢いよく出すと頭から被った。何度も、何度も、強い力で顔をごしごしとこする。


 隅々まで洗ったら、元の姿に戻るんじゃないか。目の汚れを落としたら、今見ているものが間違いだって気付くんじゃないかと思った。


 だが、何度強くこすっても、手洗い場の流し台上部に設置されている鏡に映る自分の姿には、一つも変化が無かった。


 「……くそっ……!」


 ずぶ濡れの髪から額を伝う水滴に、滲んだ涙が混ざって零れた。


 「瑞希……!」


 後ろから大きな足音が近付いて来るのが分かった。


 「お前、何してんだよ!?……あーもう、ずぶ濡れじゃんかよ」


 近付いて来た人物は、瑞希が振り向くよりも早く、荒い手つきで瑞希の肩を掴み水気を含んで重くなっている髪を掻き上げた。


 「悠人……」

 「今日のお前、マジで変だぞ!?一体どうしたんだよ!?」

 「……くせに……」

 「ああ!?」


 瑞希のかすれた声の小ささに、悠人は苛立ったように耳をそばだてた。振り払おうとする瑞希と、取り押さえようとする悠人。互いに苛立った勢いのまま押し合い、膠着状態になる。


 「……しのこと、忘れたくせに、偉そうに絡んで来るなよ!何だよ、今んなって手のひら返しやがって!!」


 拒絶したことすら、覚えていないくせに。


 自分の性別が変わっただけで180度態度を変える悠人に腹が立つのに、複雑に絡み合う感情は上手く言葉に出来ない。

 

 泣き顔を見られるのが癪で、隠すために俯いた。それは、見る角度によっては自分達が抱き合っているように見えたことだろう。


 その時―――。


 「……は、悠人君……?」


 鋭く息を呑む、女子の声が聞こえた。


 思わずその声に瑞希が顔を上げると、悠人の肩越しに、少し離れた場所で凍り付いた様子で立っている少女が見えた。


 綺麗に整えられた、ウェーブがかった髪。つぶらな瞳。何もかも華奢で繊細な造りの、まるで砂糖菓子のような理想的な女の子。


 (川口さん……!)


 戸惑った様子で、自分達を凝視している。


 彼女を背にしている悠人は、まだ呼び掛けられていることにも気付かず、瑞希の腕を掴んだままだ。


 悠人が誤解される……!そう直感的に感じた瞬間、瑞希は考えるよりも先に口を開いていた。


 「……放せよっ、男同士でキモイな!!ふざけんのも大概にしろよ!!」


 わざと大声で叫び、悠人の体を思い切り押しのけた。悠人と変わらない腕力を持っている今なら、強引に引き剥がすことも難しくなかった。


 そして瑞希は無理やりにうんざり気味の表情と声を作った。


 「川口さん、こいついつまでも幼馴染離れできねーんだよな!いい加減うっざいから、引き取ってくんないかなぁ!?」


 そう、からかうような口調で言うと悠人の背中を押して、強引に杏奈の方を向かせた。


 ようやく杏奈の存在に気付いた悠人が息を呑み反射的に固まったのが、その背中に当てていた指越しに伝わって来る。


 ―――心にもないことを言ったのは、悠人の初めての恋に、自分のせいで水を差すのが嫌だったから。


 悠人には幸せでいて欲しい。例えそこに自分がいなくても。


 ……そうだ、自分が女でも、男でも、最初から自分の出る幕なんてないんだから。


 瑞希は悠人から手を離すと、緊張した面持ちのまま無言で見つめ合う恋人達に背を向け、また歩き出す。


 早足で歩いていると、頭から水滴がぽたぽたっと落ちて、また制服の肩を濡らした。


 「……」


 瑞希は乱暴に頭を掻き上げ、その雫を払った。


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